朝日新聞の政権公約検証記事に疑問

2010-07-22

●朝日新聞がダム問題を検証

少し古い話になりますが、去る7月11日執行の参議院選挙を控えて、朝日新聞栃木版で「検証マニフェスト/2010参院選」という記事を載せました。

記事は、以下のとおりです。

朝日新聞栃木版2010年07月07日
検証/マニフェスト/2010参院選
(4)ダム凍結
「生活再建」継続に懸念
「ここ数カ月、ダムの話がそっちのけじゃないか」

鹿沼市上南摩町の山中、南摩ダムの建設予定地から3キロほど下流に住む駒場偉男(ひで・お)さん(70)はため息をつく。

南摩ダム建設を核とする国の思川開発事業の総事業費は1850億円。2009年度末現在でその約45%が使われている。15年度の完成を目指していたが、前原誠司国土交通相が昨年10月、事業の凍結を宣言。最終段階の工事への着手に待ったがかかった。

駒場さんは40年近く反対運動を続けた末、「世の中の役に立つならば」と、水没予定地にあたる先祖代々の土地を引き払って代替地に移った。林業を営んでおり、ダム予定地の周りにも山を所有しているが、出入りするための林道の一部は工事のために使えなくなった。「林道は再建してもらえるのか。民主党は選挙の話ばかりで、我々の地域は見向きもされない」

ダム建設で影響を受ける人たちの「生活再建」のため、水を利用する下流域の自治体が拠出するお金も使って市が建設するはずだった体験農園「ハーベストセンター」も、設計段階でストップ。駒場さんは「ダム湖の景観と観光施設で地元が活気づくと期待していたのに」と悔しがる。

民主政権の政策がぶれることも気になる。「また水不足や風水害がきたら、『やっぱりダムは作る』ってなるんじゃないか」と吐き捨てた。

「住民無視」なお不信

日光市で国が建設している湯西川ダムは、すでに最終段階の工事に入っていたこともあり、昨年末、事業継続が決まった。11年度に完成予定だ。

だが、民主県連は事業継続の決定に先立ち、「中止を含む全面的見直し」を政府に要請。市内で建設会社を経営する寺沢耕三さん(56)は「不安で仕方がなかった」と振り返る。従業員は15人。市や県が発注する道路の補修や河川の護岸工事のほか、湯西川ダム建設に伴う県道付け替え工事やトンネル工事を手がけており、ダム関連の収入は会社全体の3割以上を占める。

寺沢さんは「住民の意見を無視して話が進んだ。またこういうことがあるんじゃないかと思うと、不信感はぬぐえない」と憤る。

災害時の道路復旧や冬の除雪作業を通じて、地域の安全に貢献してきた自負がある。「給食費を納めないような人にまで子ども手当を出しておいて、そのために公共事業を削るのではやりきれない」
(矢吹孝文)

最大2.5兆円削減も

民主党は昨夏の総選挙のマニフェストに「国の大型事業の全面的な見直し」を盛り込み、政権交代直後に八ツ場ダム(群馬県)の事業中止を打ち出した。このほか事業が凍結されているダム事業は思川開発も含め全国で84件。これらすべてが中止されれば、削減される事業費は2兆5千億円にのぼる。

国土交通省の有識者会議が、事業を継続するかどうか判断するための基準作りを進めており、近く方針をまとめる予定だ。その基準を踏まえ、各地方整備局などが個別のダム事業について継続か中止かの結論を出すことになる。

ただ、「ダムが必要か不要かをデータで100%示すことは難しい」と指摘する専門家もおり、すべての関係者が納得できるような根拠を示せるかどうかは不透明だ。

ダム事業が中止された場合、住民たちの「生活再建」のための事業費を下流域の自治体が支払う根拠がなくなり、道路や水道などの整備事業の継続が難しくなる可能性もある。

http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000491007070002

この記事には疑問がたくさんあります。

●民主党のダム政策は全く評価できないのか

民主党政権を支持してはいけないというのが朝日のメッセージだったと思います。

しかし、民主党のダム政策は全く評価できないものだったのでしょうか。

確かに迷走していましたが、全国で84基のダムを凍結させた功績は大きいと思います。

上記記事は、栃木県で民主党の公約を検証する記事なのですから、民主党栃木県連が湯西川ダムについて中止を含めた全面的見直しを政府に求める結論を出したことも評価すべきです。

私は、新聞社が中立公平であるべきだとも思いません。所詮中立なんてありませんから、新聞社がどちらかの立場に立つのは結構ですが、報道の仕方には節度が必要だと思います。

自公政権が続いていたら、84基(うち31が国と水資源機構の直轄ダム)ものダム事業が凍結されることなどありえなかったのですから、その点は正当に評価すべきだと思います。

●なぜ推進派だけに取材するのか

矢吹記者は、もちろん取材はダム反対派に対してもしたのでしょうが、記事になったのは、移転住民と建設業者というダム推進派の意見だけなのはなぜでしょうか。

朝日は、2009-11-01の検証記事「翻弄され50年/ 住民の思い」(11/1)
http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000440911120001
では、駒場偉男氏の意見とともに、反対派の廣田義一氏の意見も採り上げ、それなりにバランスをとっていました。

ところが今回の記事は、露骨に、ダム推進派の意見だけを一方的に 採り上げています。

また、同じ移転住民でも、「ダムなんてできない方がいい」と言う人もいます。駒場偉男氏のようにダムを造ってほしいという意見は、移転住民の中でも少数派かもしれません。

今から取材はできませんが、故駒場慶作氏は、「(南摩ダムは)中止になってけっこう。」と語っていたそうです(2009-10-15下野)。慶作氏の意見が多数派かもしれません。

ま、今回の記事は、少数派の意見にスポットを当てる趣旨で、世の中にはこのような意見を持つ有権者もいるということを知らせたかったのでしょうが、大前提として多数派の意見はどうなのかも知らせるべきだったと思います。多くの移転住民に取材はしてあるのでしょうから。

●記事の視点はダムの目的からかけ離れている

ダムは、治水上、利水上必要があるかどうかで建設の是非を判断すべきです。

ダムは、役人にだまされた移転住民や建設業者のために建設するものではありません。今回、そうした人たちだけの意見を採り上げて報道しており、極めて偏った記事になっています。

もちろん、移転住民の感情や移転費用の問題も重要ですが、ダムの目的が正当でなければ、「世の中の役に立つならば」という感情や移転費用は無意味なものになりますから、ダムの目的が成り立つかどうかが議論の前提です。

上記記事に違和感を覚える読者も多かったと想像しますが、それは、記事がダムの目的が正当であるかを脇に置いて移転住民の感情や建設業者の利益に焦点を当てているからです。

ところで私たちは、今年5月30日に宇都宮市文化会館で80人規模の集会を開きましたが、朝日は報道したのでしょうか。朝日は、反対派の言い分をどれだけ採り上げたのでしょうか。

地方紙ではありますが、下野は、ダム反対派の動きも報じていますし、独自にダムの必要性を検証して報道しています。なぜ下野ができることを朝日ができないのでしょうか。

もちろん、一般論として朝日が他社のまねをする必要はないのですが、世論は公共事業の仕分けを支持しているのですから、新聞社が独自に検証したり、反対派の言い分を報道したりすることは、十分意義があります。

●ハーベストセンターは生活再建のための施設か

記者は、「ダム建設で影響を受ける人たちの「生活再建」のため、水を利用する下流域の自治体が拠出するお金も使って市が建設するはずだった体験農園「ハーベストセンター」も、設計段階でストップ。」と書きます。行政の言い分そのままです。

ハーベストセンターは、「ダム建設で影響を受ける人たちの「生活再建」のため」の施設でしょうか。そうだとしたら、「ダム建設で影響を受ける人たち」ってだれのことなのか、記者に教えてほしいと思っています。

移転者はハーベストセンターにどのようにかかわっているのでしょうか。「ダム建設で影響を受ける人たち」とハーベストセンターの関係が分かりません。ハーベストセンターができないと、だれがどう困るのかも分かりません。ハーベストセンターは、水没予定地区の住民の雇用確保のための施設なのでしょうか。

移転者の生活再建は、とっくに終わっているのではないでしょうか。

記者は、行政の説明を疑問に思わないのでしょうか。

●おかしな発言をそのまま書くのか

「ダム湖の景観と観光施設で地元が活気づくと期待していたのに」と発言している人がいることは事実なのでしょう。その意味でウソを報道しているわけではないのです。

でも、おかしな発言だと思いませんか。

水のたまらないダム湖に景観としての価値があるでしょうか。ヘドロとアオコのダム湖を見に来る人がいるでしょうか。ダムで地元が活気づいた例があったでしょうか。皮肉を込めて言えば、南摩ダムができたら、「負の世界遺産」として登録されるかもしれませんから、その意味では見物に来る人もいるかもしれませんが。

駒場偉男氏が「ダム湖の景観と観光施設で地元が活気づくと期待していたのに」と言っているとすれば、水資源機構の職員にそのように言われ続けた結果だと思います。もっとも、駒場氏は、市と水資源機構の職員と一緒に全国のダムを視察していますから、ダムで栄えたムラがないことは知っているはずだと思いますが。

2009-10-16下野によると、川治ダム湖のほとりにたたずむ温泉付き宿泊研修施設「栗山館」(日光市日向)は、「川治ダム水没地区の雇用確保などを目的に、旧栗山村が建設。1985年にオープンした。鉄筋コンクリート造り3階建て、総工費は約8億2,000万円。水源地域対策特別措置法(水特法)に基づき、事業費はダムの恩恵を受ける下流自治体が負担した。」のですが、「10年やそこらで閉鎖してしまった。」(元理事長)のです。「ダム目当てで来る人もいなかった」(元理事長)からです。

五十里湖を臨むドライブインもいつの間にか消滅してしまったではありませんか。

普通に考えて理解しがたい発言を何の注釈もなく記事に書くことに問題があると新聞社が考えないのでしょうか。

●なぜ「世の中の役に立つならば」と考えるようになったのか

駒場氏が「世の中の役に立つならば」と考えて、40年近く続けたダム反対運動をやめたというのも不可解な話です。

「駒場さんは40年近く反対運動を続けた末、「世の中の役に立つならば」と、水没予定地にあたる先祖代々の土地を引き払って代替地に移った。」ということは、旧水資源開発公団の職員が、「南摩ダムは下流都市の住民の役に立つ施設だから犠牲になってほしい」と駒場氏を説得しても、「南摩ダムが下流都市の住民の役に立つかどうかなんて自分たちには関係ないし、そんなことを考える必要はない」と40年近くずっと言い続けてきたことを意味すると思いますが、それが何を契機に「世の中の役に立つならば」という気持ちに変わったのか。

記者にはそこを聞いてきてほしかったと思います。

●ダムの必要性については不可知論に持ち込むのが朝日の方針

上記記事の趣旨は、民主党のマニフェストの検証です。ダム事業の検証ではありません。しかし、新聞社は、ダム事業自体を検証して、きちんとしたスタンスを持っていなければ、ダム問題に関する政党のマニフェストを検証することなどできないと思います。

上記記事では、南摩ダムと湯西川ダムがそもそも必要かという問題については、法政大学の伊藤達也教授の「ダムが必要か不要かをデータで100%示すことは難しい」という発言を引用して不可知論に持ち込み、まともな検証を行おうとしません。

伊藤教授はおそらく良心的な学者であるために、科学は謙虚でなければならないとの立場から、「100%示すことは難しい」と言っているだけで、ダムの不要性を90%示すことは可能という意味にもとれます。

ダムの必要性は、最終的には個々に判断するしかありません。

少なくとも南摩ダムと湯西川ダムについては、いかなる観点から見ても建設の根拠はありません。治水、利水、地盤沈下防止、すべて破たんした目的です。余りにもおかしなことが多すぎるダムです。目的が成り立たないことは、少しでも調べればすぐに分かることです。

私たちは、裁判で論証していますが、朝日は、私たちがどんな論証をしているのか、被告がどんな反論をしているのかについて関心がないと思います。

●ダムの必要性の判断になぜ「100%」や「すべて」を求めるのか

記事には、「ただ、「ダムが必要か不要かをデータで100%示すことは難しい」と指摘する専門家もおり、すべての関係者が納得できるような根拠を示せるかどうかは不透明だ。」と書かれています。専門家とは法政大の伊藤達也教授のことです。

良心的学者と思われる伊藤教授の発言も、よく考えるとおかしな発言です。ダムは、数十年後の必要性を予測して建設の是非を決定するものです。将来の需要量をデータで100%示すことなどできるはずがありません。将来のことが100%分かる人はいません。公共事業の必要性や不必要性について完全な証明を求める人などどこにもいないと思います。

矢吹記者は、なぜ、そういうどこにもいないような人の考え方を前提に立論するのか分かりません。

そもそも伊藤教授がなぜ「ダムが必要か不要かをデータで100%示すことは難しい」と言う必要があったのかが疑問です。「人は将来を完全に見通すことはできない」というあまりにも当然のことを、学者がなぜわざわざ言うのかが分かりません。

考えられることは、矢吹記者が「ダムが必要か不要かをデータで100%示すことができるのでしょうか」と聞いたからでしょう。そうだとすれば、なぜそのような質問をしたのかが分からないところです。

矢吹記者は、「すべての関係者が納得できるような根拠を示せるかどうかは不透明だ。」とも書きますが、これも理解できません。

ダムが必要かについて「すべての関係者が納得できるような根拠」を示せる人がいるとは思えませんし、「すべての関係者が納得できるような根拠」を求める人がどこかにいるとも思えません。

設楽ダム(愛知県)のように水を流すのが目的という、明白に無駄なダムを除いて、盗人にも三分の理のたとえもあるように、ほとんどのダムにはある程度の効果はあるはずですし、少なくともどんなダムでも、事業に関係する役人と建設業者と御用学者は、中止に納得するはずがありません。彼らと一般の納税者の利害は対立するのですから、「すべての関係者が納得」なんてあり得ません。

民主主義は全会一致を求めていません。矢吹記者は、民主主義を理解しているのでしょうか。民主主義を理解している人が「すべての関係者が納得できるような根拠を示せるかどうかは不透明だ。」と書くでしょうか。議論を尽くして最後は多数決で決めるのが民主主義ではないでしょうか。

ところがダムについては、まともな議論をさせないのが、行政のやり方です。政権には関係ありません。議論は御用学者だけでやるというのがダム行政です。ただし、淀川流域委員会、大芦川流域検討協議会や田中康夫氏が長野県知事だったころのダム検討組織のような例外もありましたが。

行政はダムについてなぜまともな議論をさせないのか。理由は明らかです。まともに議論して民主主義的な手続を踏んだら、ダム事業が中止になってしまうからです。1997年の河川法改正で「関係住民の意見を反映させるために必要な措置を講じなければならない」(河川法第16条の2)と規定されていますが、河川官僚にとっては、「そんなの関係ねえ」というわけです。

「すべての関係者が納得できるような根拠を示せるかどうか」は、不透明ではなく透明です。だれも示せないことは明らかですから。

矢吹記者が「すべての関係者が納得できるような根拠を示せるかどうか」という問題の立て方をする意図が理解できません。

●だからなんなのさ

何度も繰り返してすみませんが、

「ダムが必要か不要かをデータで100%示すことは難しい」

「すべての関係者が納得できるような根拠を示せるかどうかは不透明だ。」

だからなんなのでしょうか。要するに検証などしないで、継続した方がいいと言いたいのでしょう。

矢吹記者は、次のように書きます。

ダム事業が中止された場合、住民たちの「生活再建」のための事業費を下流域の自治体が支払う根拠がなくなり、道路や水道などの整備事業の継続が難しくなる可能性もある。

しかし、ダム事業が継続された場合、膨大な額の税金や水道料が利用されないダムのために使われ、環境が不可逆的に破壊され、性物多様性が損なわれる可能性もこれまたあります。このことを矢吹記者はどう考えるのでしょうか。

また、「生活再建」を名目とする整備事業が本当にダム事業の犠牲者の生活再建のためなっているのかを朝日は検証したことがあるのでしょうか。

●矢吹記者と裁判官は同じ視点

矢吹記者の発想と多くの裁判官の発想は、極めて似ています。

7月14日、さいたま地裁は、八ツ場ダム訴訟で住民側敗訴の判決を下しました。

担当裁判長は遠山広直氏だったので、「遠山裁き」ということになりますが、極めて不当な判決で、冗談にもなりません。

15日付け下野によると、判決には、「治水、利水の観点からただちに合理性を欠くとは言えない」、「(埼玉)県が水の安定供給のため、余裕を持った需要予測を行うことは不合理ではなく、水源確保の必要性がないとは言えない」、「治水上の利益がないとまでは認められない」と書かれているようです。裁判所が行政を追認するときに使う「二重否定」の連続です。

裁判官の論理は、「ダムが全くの無駄であることが証明されないとダム事業を止めてはいけない」という前提を立てて、「本件で原告はダムが全くの無駄であることまでは証明していない」、「よって原告敗訴」という三段論法によって判決を書いているものと思います。

この三段論法自体は正しいのですが、「ダムが全くの無駄であることが証明されないとダム事業を止めてはいけない」という前提は不当です。詭弁の一類型に「不当な前提」を用いるものがあります。上記判決は、「不当な前提」を使った詭弁です。

遠山裁判長は、自分の使った三段論法が正しいから判決が正しいと自己満足したいのでしょうが、第一段の妥当性については良心の呵責があるから考えないようにしているのでしょう。

●「ダムが全くの無駄であることが証明されないとダム事業を止めてはいけない」という前提はなぜ不当か

法律には、「地方公共団体は、その事務を処理するに当つては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。」(地方自治法第2条第14項)、「地方公共団体の経費は、その目的を達成するための必要且つ最少の限度をこえて、これを支出してはならない。」(地方財政法第4条第1項)と書いてあります。

「効果がゼロの場合だけ違法」ではないのです。効果と費用のバランスがとれていなければ(もちろん費用の方が効果よりも大きい場合)違法なのです。このことを裁判官や一流新聞社の記者が理解していないように見えることが不思議です。

ほとんどの裁判では、両当事者の言い分にはそれぞれ道理があるが、一方の言い分の持つ説得力がわずかに上回るというような形で判決が下されると思います。ところがダム訴訟では、なぜか原告は、100%の道理と100%の証明を求められます。

15日付け朝日群馬版は、次のように報道しています。

さいたま地裁がダムの必要性について「著しく合理性を欠くと認めることはできない」としたのに対し、原告団は会見で、「著しく不合理だという立証が原告側に求められている。公共事業の無駄遣いを司法の立場でチェックしようとしていない」と批判した。

立証責任、それも100%の立証責任が原告に求められているのです。

確かに一般論として裁判では原告に立証責任がありますが、違法な公金の差止めを求める訴訟では、公金を使う側(被告)が「無駄遣いをしていません」ということの立証責任を負うのが当然ではないでしょうか。行政は多くの証拠を握っているし、説明責任もあるのですから。

●朝日はダムを検証したのか

朝日はダム問題を検証していないという批判に対しては、朝日としては、ダム問題を検証したと反論したいでしょう。なぜなら、2009-10-31の「中止の根拠、提示は困難」
http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000440910300002 では、次のように書いてあり、水需要を検証しているようにも見えるからです。

しかし、実際に使われている水の量は、計画上の水需要予測を下回っている。現時点で最も新しい07年12月の国土審議会水資源開発分科会の資料によると、04年度の6都県の都市用水の1日最大取水量は1秒間に171・2立方メートル、15年度には204・2立方メートルを見込む。しかし、90年代前半から取水量は頭打ちで、1日最大取水量が200立方メートルを超えたことはない。

この書き方には疑問があります。

これでは、実際に使われている水の量は、予測を下回っているものの、需要が伸びているようにも読めます。

しかし、生活用水で見ると、2004年度以降の関東地方の水需要は、減少しています。

関東内陸では、
2004年度が10.4億m3
2005年度が10.2億m3
2006年度が9.9億m3
と減り続けています。

関東臨海を足しても同じ傾向です(日本の水資源2009年度版p218参照)。

工業用水も2007年度辺りから減少傾向にありますから、都市用水(生活用水+工業用水)も減少傾向にあるはずです。なぜ朝日は、水需要は減少していると書かないで、水需要は予測どおりには増えていないという書き方をするのかが分かりません。ダム官僚に配慮していると思われても仕方がないと思います。

朝日新聞には科学的視点が欠けていると思います。科学的な視点で記事を書いてほしいと思います。感情も大切ですが、科学や納税者の視点を忘れた記事を書いていては、新聞社として責任放棄です。

●あの記事はだれにどんな利益をもたらすのか

朝日は、あれだけ偏向した記事を書けば、私たちダム反対派としては、「朝日なんか講読できるか」ということになることは、同社としても分かっているはずです。

それでも書くということは、「ダム反対派なんて大した数じゃないんだから、講読してくれなくて結構だ」と考えているのかもしれません。福田昭夫衆議院議員が「勝手連のおかげで当選したわけじゃない」と発言したときの発想と似ており、ダム反対派は切り捨てるという割り切り方をしているのでしょう。

では、移転した住民は朝日を講読するでしょうか。駒場慶作氏のような考えの人も多いでしょうから、駒場偉男氏に同調する人は多くないでしょう。最大で80軒です。駒場偉男氏に同調する人が多いとしても、だから朝日を講読しようと考える人がどれだけいるか疑問です。

湯西川の建設業者の数も、従業員世帯を含めてもたかが知れているでしょう。

だからあんな記事を書いても購読者が増えるわけではないでしょう。建設業界からの広告が増えるわけでもないでしょう。

水資源機構や国交省の役人もあの記事を読んで喜ぶでしょうが、だから家庭で朝日を講読するかと言えば、そうはならないでしょう。

そもそも天下の朝日が目先の購読料や広告料を増やすために記事を書くようなケチなことをするとは思えません。社会の公器として書いたのでしょう。

では、あの記事が社会全体のためになったのかというと、それも疑問です。両ダムを造ることに大義はないのですから、ダムを造りたい人たちの意見を拾ってきて載せることにどのような公共性があるのか理解できません。

私たちの仲間で、記者のセンスが悪いからあのような記事が生まれるのだという意見もありましたが、デスクがまともならあのような記事は載らないはずです。だから、問題は記者のセンスではなく、新聞社の方針でしょう。もっとも、2010-07-20朝日社説「ダム検証―見直しは市民参加で」では、本質を的確に捉えた議論を展開しているので、朝日における中央と地方の質の問題を考えることもできるのかもしれません。

結局、上記記事はダム推進の世論形成のためのように思えるのですが、それがだれにどんな利益をもたらすのか見当もつきません。ダム見直しの動きにブレーキをかけることにどのような意味があるのでしょうか。

移転住民や建設業者のためにダムを造るような話こそ本末転倒であることを世に知らしめることこそ新聞の使命ではないでしょうか。

記事は、民主党県連が湯西川ダムの中止話について「住民の意見を無視して話が進んだ。」という建設業者の批判を載せますが、それを書くなら、これまでの行政が「住民の意見を無視して」空港や港湾や道路やダムの建設を決めてきた歴史についても一言触れてしかるべきです。

●矢吹記者に聞きたいこと

矢吹記者には、「ダムが必要か不要かをデータで100%示すこと」ができるか、とか、「すべての関係者が納得できるような根拠を示せるか」というような、だれが考えても正解が明らかなことを、なぜ殊更問題にするのかを是非聞いてみたいと考えています。

(文責:事務局)
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