サンクコスト理論は正しいか

2010-07-13

●メールをもらった

みんなの党が八ツ場ダム推進を読んだ読者から次のようなメールをいただきました。

2010.07.02

八ツ場ダムとサンクコスト

八ツ場ダムの建設続行に賛成の民主党がサンクコスト理論を持ってその理由としていることに異議を唱えているが、一番肝心な八ツ場ダムが利根川の治水安全度1/200の洪水に対して必要か否かの問題を無視していることより、根拠のない議論となっていることを指摘したい。

八ツ場ダムの建設が必要であるとの立場からは、中西準子氏の言うごとく、環境破壊+今後必要となる建築費>治水のメリットの場合には中止、<の場合は継続の判断をすることは正しい。

ここにおいて八ツ場ダムの建設が不要であるとの立場からは、上記の二つの式を議論することはできない。

八ツ場ダムの建設が治水の観点から必要か否かの議論は、専ら国交省の「河川砂防技術基準」に基づいて、治水安全度1/200における基本高水流量を適切に算出し、基準点八斗島における流下能力16500m3/sと既存6ダムの洪水調節効果1000m3/sを比較することから結論される。国交省は基本高水流量が22000m3/sであるとしているが、この値が過大であることは明らかである。八ツ場ダム訴訟の原告は16000m3/s乃至17000m3/sであると主張しているが、この値は過小評価していると考える。国交省は基本高水流量が22000m3/sであるとして、八ツ場ダムは必要であるとしてきた。

この両者の値の間に治水安全度1/200における適切な基本高水流量があると思われるが、その適切な基本高水流量は求められていない。「河川砂防技術基準」を正確に適用することで適切な基本高水流量が算出可能であるが、前原大臣が「基本高水流量の算出法も見直す」との発言があったものの、「できるだけダムに頼らない治水」の基準作りをしている有識者会議でも見直しの動きは見られない。

私の試算によれば、治水安全度1/200における適切な基本高水流量は18300m3/s程度になる。その結果によれば八ツ場ダムの洪水調節効果は期待される。そうであれば中西氏の式より建設継続の結果になることは明らかである。治水のメリットについては費用対効果が計算されているが、その際の基本高水流量は22000m3/sであったはずなので、改めて適切な基本高水流量で再計算する必要はある。

そもそも八ツ場ダムの場合は、ダム本体の工事費を付帯工事費が大きく上回っているので、既に実施された付帯工事費をサンクコストとしたら、圧倒的に建設継続の結論になると思われる。当初基本高水流量22000m3/sで費用対効果が計算され、ダムの建設が決定(裏付け)された事実は取り消しようがない。建設継続か中止かの決定はサンクコスト理論で行うしか手段はない。

同時に適切な基本高水流量に対してダム以外の治水対策費用も算出しダム中止の諸費用を加えた上で、今後の建築費との比較をすべきであることは言うまでもない。

有識者会議のたたき台でも、建設継続か中止かについてサンクコストの考えが入っているが、その考えは根本的に間違ってはいない。問題は八ツ場ダムの事例と同じで、全国的にダム建設の前提となっていた治水安全度に見合う基本高水流量が過大になっていたことである。適切な基本高水流量を算出し、改めて中西氏の式での検討を実施すべきである。

その場合に適切な基本高水流量について、ダム以外の治水対策の費用+中止に伴う費用を計算し、今後必要となる建築費との比較も実施し最終的な結論を出すことになろう。

今までダム建設反対派が治水安全度に見合う適切な基本高水流量の検討を熱心に実施してこないで、むしろ基本高水流量不信論や懐疑論の立場を取ってきたことへの反省が必要であることを付け加えたい。

以上

以下、読者(Kさんとしておく)の意見が正しいかを見ていきます。

●八ツ場ダムにとって利根川の治水安全度1/200は不可欠の議論か

八ツ場ダムの建設続行に賛成の民主党がサンクコスト理論を持ってその理由としていることに異議を唱えているが、一番肝心な八ツ場ダムが利根川の治水安全度1/200の洪水に対して必要か否かの問題を無視していることより、根拠のない議論となっていることを指摘したい。

「八ツ場ダムの建設続行に賛成の民主党」と書かれていますが、私は「民主党が八ツ場ダムの建設続行に賛成している」と書いていません。「八ツ場ダムの建設続行に賛成の民主党」の根拠を教えていただけませんでしょうか。

「民主党がサンクコスト理論を持ってその理由としている」という記述も根拠が不明です。

「(私が)一番肝心な八ツ場ダムが利根川の治水安全度1/200の洪水に対して必要か否かの問題を無視している」とのことですが、私は、利根川の治水計画が虚構であることを八ツ場ダムのウソに書いていますから、「無視している」とか「根拠のない議論となっている」という指摘は当たらないと思います。

みんなの党が八ツ場ダム推進というページは、八ツ場ダムの問題のすべてを検証するものではなく、サンクコスト理論で八ツ場ダムの建設の是非を判断することが妥当かどうかを考察したものです。八ツ場ダムに関する問題点については、過去記事で何度も触れていますので、お読みいただければ幸いです。

ダムを建設する理由がいくつもある以上、ダムを否定する論拠も一つではないということです。

ダム建設の是非は、治水計画そのものが妥当かという観点から検証するのは結構ですが、費用対効果が得られるかという観点も重要な判断基準です。

費用対効果の問題を検討することについて、治水安全度など治水関係の問題を無視しているとか「根拠のない議論となっている」とか批判される意味が分かりません。

八ツ場ダムの利水容量は、洪水期では2,500万m3ですが、非洪水期では9,000万m3もあります。一方、洪水調節容量は6,500万m3です。八ツ場ダムは、利水ダムでもあります。八ツ場ダム計画の発端はカスリーン台風ですが、治水問題が「一番肝心」と言えるのか疑問です。栃木県を除く関係都県は、水利権確保を推進の大きな理由としています。

Kさんの批判が妥当であるとするならば、「Kさんは、利水の問題を無視していることより、根拠のない議論となっている」という批判も成り立つことになります。

●意味不明

八ツ場ダムの建設が必要であるとの立場からは、中西準子氏の言うごとく、

環境破壊+今後必要となる建築費>治水のメリットの場合には中止、<の場合は継続の判断をすることは正しい。

ここにおいて八ツ場ダムの建設が不要であるとの立場からは、上記の二つの式を議論することはできない。

理解しがたい文章です。「八ツ場ダムの建設が必要であるとの立場」の人がどうして「中止」の判断をすることがあるのでしょうか。

そもそも中止か継続かの判断基準を議論しているときに、「八ツ場ダムの建設が必要であるとの立場」や「八ツ場ダムの建設が不要であるとの立場」の人を登場させる意味が分かりません。

●「河川砂防技術基準」は金科玉条ではない

八ツ場ダムの建設が治水の観点から必要か否かの議論は、専ら国交省の「河川砂防技術基準」に基づいて、治水安全度1/200における基本高水流量を適切に算出し、基準点八斗島における流下能力16500m3/sと既存6ダムの洪水調節効果1000m3/sを比較することから結論される。

国交省は基本高水流量が22000m3/sであるとしているが、この値が過大であることは明らかである。八ツ場ダム訴訟の原告は16000m3/s乃至17000m3/sであると主張しているが、この値は過小評価していると考える。国交省は基本高水流量が22000m3/sであるとして、八ツ場ダムは必要であるとしてきた。

Kさんは、「八ツ場ダムの建設が治水の観点から必要か否かの議論は、専ら国交省の「河川砂防技術基準」に基づいて、治水安全度1/200における基本高水流量を適切に算出し、基準点八斗島における流下能力16500m3/sと既存6ダムの洪水調節効果1000m3/sを比較することから結論される。」と言い切っていますが、「河川砂防技術基準」を金科玉条のように考えており、国土交通省に洗脳されているのではないでしょうか。

治水安全度1/200も絶対的に正しいというものではありません。

「河川砂防技術基準」と関係なく治水を考えることは可能です。流域住民が既往最大の洪水を流せる能力を河川に持たせようと合意すれば、それも立派な治水計画だと思います。「河川砂防技術基準」に基づいていない治水計画は正しい計画ではないなどという議論は全く成り立たないと思います。

もっとも利根川の基本高水22,000m3/秒も鉛筆をなめた数字であることは、虫明教授らも認めているところです(御用学者も観念した参照)。

高橋裕著「河川工学」の「基本高水」の項には次のように書かれているそうです。

洪水調節ダムが存在しなかった時代には全河川を通じて計画高水流量が治水計画の基本であり、まずこれを決定していた。第二次大戦後ほとんどの主要河川において洪水調節ダム計画が樹立されたため、ダム群ではまず洪水流量が調節され、その計画貯留量まで考慮した基本高水流量と、貯留後の下流河道の計画高水流量とを区別することとなった。

したがって、治水計画においては、まず基本高水を定め、基本高水流量をダム湖や遊水地の貯留施設負担分と、河道を流下させる負担分とに分ける。ダムや遊水地が計画にない場合は、洪水流はすべて河道で負担し、基本高水流量をそのまま河道における計画高水流量とする。

この記述によると、基本高水はダム行政の産物であるから、基本高水にとらわれる発想は「ダムありき」であるという見方も可能です。

ご自分で基本高水を計算できるほど基本高水について造形の深いKさんですから、基本高水概念のこのような生い立ちについても詳しくご存知のことと思います。ご存知の上で、基本高水にこだわる理由を教えていただければ幸いです。

●結論だけ

この両者の値の間に治水安全度1/200における適切な基本高水流量があると思われるが、その適切な基本高水流量は求められていない。「河川砂防技術基準」を正確に適用することで適切な基本高水流量が算出可能であるが、前原大臣が「基本高水流量の算出法も見直す」との発言があったものの、「できるだけダムに頼らない治水」の基準作りをしている有識者会議でも見直しの動きは見られない。

利根川の基本高水流量は、16000m3/s乃至17000m3/sと22000m3/sの間に正解があるという話ですが、根拠が書かれていないので建設的な議論ができません。16000m3/s乃至17000m3/sでも過大かもしれませんよね。

●風が吹けば桶屋が儲かる

私の試算によれば、治水安全度1/200における適切な基本高水流量は18300m3/s程度になる。その結果によれば八ツ場ダムの洪水調節効果は期待される。そうであれば中西氏の式より建設継続の結果になることは明らかである。治水のメリットについては費用対効果が計算されているが、その際の基本高水流量は22000m3/sであったはずなので、改めて適切な基本高水流量で再計算する必要はある。

利根川の基本高水流量が18300m3/s程度だから、「八ツ場ダムの洪水調節効果は期待される」という「風が吹けば桶屋が儲かる」式の理屈も理解できません。問題は、八斗島に18300m3/s程度の流量があったときに、八ツ場ダムサイトの上流にどれだけの雨が降るかです。カスリーン台風のときの雨の降り方で検証したら、八ツ場ダムの洪水調節効果はゼロだったと政府が国会答弁で認めているのですから、基本高水が22,000m3であろうと18300m3/s程度であろうと、「八ツ場ダムの洪水調節効果は期待される」ということにはならないと思います。

要するに、「治水安全度1/200における適切な基本高水流量は18300m3/s程度になる。その結果によれば八ツ場ダムの洪水調節効果は期待される。そうであれば中西氏の式より建設継続の結果になることは明らかである。」という文章には論理の飛躍があり、読み手には全く理解できません。

また、「適切な基本高水流量は18300m3/s程度になる」ことから、「中西氏の式より建設継続の結果になることは明らか」であると言えるのなら、費用対効果を「改めて適切な基本高水流量で再計算する必要」はないと思います。

●なぜサンクコスト理論は正しいのか

そもそも八ツ場ダムの場合は、ダム本体の工事費を付帯工事費が大きく上回っているので、既に実施された付帯工事費をサンクコストとしたら、圧倒的に建設継続の結論になると思われる。当初基本高水流量22000m3/sで費用対効果が計算され、ダムの建設が決定(裏付け)された事実は取り消しようがない。建設継続か中止かの決定はサンクコスト理論で行うしか手段はない。

「建設継続か中止かの決定はサンクコスト理論で行うしか手段はない。」とのことですが、理由が書かれていないので、建設的な議論ができません。

「当初基本高水流量22000m3/sで費用対効果が計算され、ダムの建設が決定(裏付け)された事実は取り消しようがない。」が「建設継続か中止かの決定はサンクコスト理論で行うしか手段はない。」の理由でしょうか。

「当初基本高水流量22000m3/sで費用対効果が計算され、ダムの建設が決定(裏付け)された事実は取り消しようがない。」という命題は正しいとは思えません。カスリーン台風が発生したのは1947年、八ツ場ダムが計画発表されたのが1952年です。費用対効果の計算なんてダムの建設が決定されたずっと後のことではないでしょうか。

この命題が正しいかどうかはともかく、この命題が「建設継続か中止かの決定はサンクコスト理論で行うしか手段はない。」の理由になるとは思えません。

もう一度書きますが結論だけの議論では意味がありません。「建設継続か中止かの決定はサンクコスト理論で行うしか手段はない。」の理由を教えてください。

●ここでも基本高水が金科玉条

同時に適切な基本高水流量に対してダム以外の治水対策費用も算出しダム中止の諸費用を加えた上で、今後の建築費との比較をすべきであることは言うまでもない。

ここでも基本高水が金科玉条とされています。

●「サンクコストは正しい」は結論の繰り返し

有識者会議のたたき台でも、建設継続か中止かについてサンクコストの考えが入っているが、その考えは根本的に間違ってはいない。問題は八ツ場ダムの事例と同じで、全国的にダム建設の前提となっていた治水安全度に見合う基本高水流量が過大になっていたことである。適切な基本高水流量を算出し、改めて中西氏の式での検討を実施すべきである。

「有識者会議のたたき台でも、建設継続か中止かについてサンクコストの考えが入っているが、その考えは根本的に間違ってはいない。」も結論だけです。サンクコストの考え方が間違っていない理由を教えてください。

「適切な基本高水流量を算出」することには基本的に賛成ですが、利根川の基本高水は、御用学者の松浦茂樹教授でさえ17,000m3/秒であると言っているのに、Kさんは18,300m3/秒程度だというのですから、どこが適正なのか分かりません。

●流量の話かカネの話か

その場合に適切な基本高水流量について、ダム以外の治水対策の費用+中止に伴う費用を計算し、今後必要となる建築費との比較も実施し最終的な結論を出すことになろう。

意味不明の文章です。「基本高水流量について」は、どこにかかるのでしょうか。流量の話なのかコストの話なのかはっきりさせてください。

●基本高水流量不信論や懐疑論のどこが悪いのか

今までダム建設反対派が治水安全度に見合う適切な基本高水流量の検討を熱心に実施してこないで、むしろ基本高水流量不信論や懐疑論の立場を取ってきたことへの反省が必要であることを付け加えたい。

私も、基本高水を適正に算出すれば、ほとんどの河川でダム不要という結論が出ると思いますので、総論的にはKさんの考え方に賛成です。基本高水は、まるきりイカサマの理論とは思いませんので、正しく使えば有用な概念だと思います。

しかし、Kさんは、利根川については、18,300m3/秒程度が基本高水だとして、八ツ場ダムが治水上必要だと言いますので、各論的には私と意見が一致しません。カスリーン台風以降、利根川の八斗島で10,000m3/秒以上の流量は観測されていないのですから、18,300m3/秒程度の基本高水を設定することに意味があるとは思えません。結局、Kさんは、基本高水という概念を使って、八ツ場ダムを正当化しています。いっそ、「基本高水」なんて概念は捨てちまえ、という議論が起きて当然ではないでしょうか。

Kさんは、治水を議論するときには、基本高水流量の議論は欠かせないとする考え方ですが、あまりにも硬直的な考え方だと思います。

上記のように、基本高水の概念は、ダム計画を正当化するために編み出されたという生い立ちを考えれば、「ダムありき」の発想に立たない限り、必ずしも必要な概念ではないと思います。

結局、Kさんは、「河川砂防技術基準」が正しい、基本高水を基礎とする治水論が正しい、サンクコスト理論が正しいと言っているわけですが、理由は述べられていません。結論の押しつけですから、説得力はありません。

●サンクコスト理論はどこが間違っているか

費用対効果とは、事業にかかる費用と事業から得られる利益とを比較することです。サンクコスト理論は、既に使った費用は、費用として考えないとするのですから、推進派にとって極めて有利な結論をもたらします。

サンクコスト理論は、過去の費用を無視するので,総論としては、「これまで払った費用が無駄になるから事業を完成させないともったいない」という意見を排除する効果があり、事業中止に導く理論のように思えますが、各論になったら、推進派に圧倒的に有利に働きますから、サンクコスト理論で事業評価をしたら、中止になる事業なんてほとんど皆無になると思います。

サンクコスト理論は、これまでのコストの概念を変更する理論です。

私たちは、無駄な公共事業はやめろという立場です。その「無駄」の概念を変更する理論に与すれば、私たちの活動の意義が一部はなくなります。私たちの活動に意味がなければ、活動をやめたっていいのですが、これまで支払ったコストを見据えた考え方が間違っているとは思えません。  

(文責:事務局)
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