本題に入る前に前回記事について書いておきます。
前回記事の「●若宮戸での計画高水位は1973年度に変更されたのか」の見出しで、弁護団は、控訴審被害者側準備書面(5)p14で、25.35k(「k」は「km地点」の略。「22.35k」は「25.35k」の誤記であることは明らかです。)での計画高水位が1973年に80cm引き上げられたと言っているが、その根拠が分からない、と書きました。
その根拠は、弁護団自らの主張だったかもしれません。
一審での原告ら準備書面(11)を見ると、p8に次のように書かれています。
その後、1973年(昭和48年)に、基準地点石井における鬼怒川の計画高水流量を毎秒4000立方メートルから毎秒6200立方メートルに増加させたことから、計画高水位を高くしなければならなくなった。
(6行省略)
そこで、この新基準に沿って、下流部からの堤防の整備が開始された(被告準備書面(5)12頁)。
控訴審準備書面(5)で弁護団が、鬼怒川25.35kでの計画高水位が1973年に80cm引き上げられたと言ったことの根拠が原告ら準備書面(11)に書かれていたようにも読めます。
ただし、そこでは「計画高水位を高くしなければならなくなった。」と言うだけで、上げ幅の80cmという数字には言及していません。また、「一律に」とは言っていませんが、何の限定もつけずに「計画高水位を高くしなければならなくなった。」と言っていることから、「一律に計画高水位を高くしなければならなくなった。」と言っていると解さざるを得ません。
また、「計画高水位を高くしなければならなくなった。」理由は、石井での計画高水流量を2200m3/秒増加させたからだと言いますが、被告は被告準備書面(1)p32〜33において、中流区間については、1973年度に計画高水位を80cm引き下げたことがうかがえ、一律に計画高水位を高くしたという事実はありません。
したがって、弁護団が原告ら準備書面(11)に上記のように書いた根拠は、不明のままです。
そして、被告の説明は、前回記事に引用した1973年度利根川水系工事実施基本計画(乙31)p20の記述に符合します。
そこには、「川島下流は現在HWL .上流は現在HWL−80(cm)」と記載されています。
この記述は、茨城県筑西市川島地点より下流では現在の計画高水位を維持することとし、それより上流では現在の計画高水位から80cmを減ずる方針だというようにしか読めません。
「2011年度鬼怒川 直轄河川改修事業」p3によれば、鬼怒川の石井での計画高水流量は、次のように変遷しました。
1949年 4000m3/秒
1973年 6200m3/秒
2006年 5400m3/秒
弁護団が1973年に計画高水流量が2200m3/秒増えたことに伴い、計画高水位が80cm上がったと考えるのであれば、2006年に800m3/秒減ったことに伴い、計画高水位が何cm下がったと弁護団は考えているのでしょうか。
弁護団の考えによれば、計画高水流量に変更があった2006年にも計画高水位の変更がなければならないはずですが、事実としては、変更された形跡はありません。
問題なのは、弁護団の見方によれば、堤防の高さが1973年からは1.1mも過小評価されるということです。
弁護団の見方によれば、1973年に鬼怒川の計画高水位が80cm上がり、加えて、計画堤防高余裕高が1.2mから1.5mに変更されることにより30cm増えると、計画堤防高と対比して、合計で1.1mも現況堤防高を低く評価することになります。
つまり、現況堤防高を1973年にいきなり1.1m削られたことになります。
1973年度以降の鬼怒川での計画堤防とは、高さについて見れば、計画高水位に計画堤防高余裕高1.5mを加えた高さを満たす堤防です。
弁護団の見方が正しいとすると、鬼怒川の計画堤防の整備率は、1973年度に極度に低下したはずです。
しかし、被告準備書面(1)p33によれば、1973年度の計画改定前後の計画堤防高の確保状況について比較すると、計画堤防高を確保している区間の割合(距離標地点の数で見ていると思います。)は、鬼怒川下流区間では約78%から約56%へと22ポイント減少し、鬼怒川中流区間では約83%から約94%へと11ポイント増加したと書かれています。
もしも、鬼怒川の現況堤防高が1.1m切り下げられたなら、鬼怒川下流区間での計画堤防高確保率は22ポイントの減少ではすまなかったと思います。
計画堤防高余裕高を30cm増やしたことにより22ポイント減少したと見るのが穏当だと思います。
●被害者側が準備書面(7)を提出した
以下、本題です。
鬼怒川大水害訴訟の控訴審において、2024年10月30日付けで被害者側が準備書面(7)を東京高等裁判所に提出しました。
常総市三坂町での破堤について、一審原告ら準備書面(1)p64〜65における主張に国が反論したので、弁護団が再反論したというわけです。
●河川管理の瑕疵は計画の合理性で判断すべきでない
この書面は、大前提として、河川管理の瑕疵を計画(計画がない場合は河川整備の実施状況)の合理性で判断するという立場です。
だから、この書面の結論は、「このような堤防整備の順序は、・・・明らかに不合理である。」(p5)となっています。
しかし、弁護団は、野山宏の判例解説を引用しており、野山は、管理者の落ち度により河川が過渡的安全性を有しない場合は、過渡的安全性の有無で瑕疵を判断すると言っているのですから、弁護団は過渡的安全性の有無で瑕疵を判断すべきであると主張するのが筋です。
つまり、弁護団が計画の合理性で瑕疵を判断する立場にあることが不可解です。
その上で、仮に計画の合理性で瑕疵を判断するとしても問題だと考える点を以下に記します。
●流下能力は安全性評価要素の主軸とすべきでないことを指摘すべき
p2で鬼怒川右岸13k〜15kにおいて、堤防整備をしていないのに、安全度が勝手に向上したという話が書かれています。
国は、土砂の堆積等により再び治水安全度が低くなる可能性もあると反論しました(控訴答弁書p43)。
以前にも書いたように、流下能力は自然に伸び縮みをするのですから、安全度評価要素の主軸とすべきではないことを指摘するのが筋だと思います。(高さだって地盤沈下や地殻変動で自然に変化しますが、普通は低下する一方であり、隆起することはまれなので、高さを基準に危険度を判定していれば、危険度の順位が大きく入れ替わることはないと思います。)
下能力で安全性を評価すべきでない理由としては、原判決p40〜42でも堤防決壊に関する知見として吉川勝秀らの論文(甲49)を事実認定しており、吉川らは、利根川水系では、堤防が低かったことが堤防決壊の原因になった場合が圧倒的に多いとしていることもあります。
また、国も、2002年度の事業再評価資料である「鬼怒川改修事業」p 13 において、「堤防高が不足している区間から築堤を実施」、「ただし、流下能力については、本川・支川のバランスを図りながら実施」と書いています。
堤防整備の順序は、原則として堤防高で決めると言っています。
流下能力は、副次的な参考事項にすぎないと言っていることになります。
国は、2002年に自ら言ったとおりに堤防整備を進めていれば、上三坂地区と若宮戸地区の整備は2015年洪水の起きる前に完了していたはずであり、本件水害を防げていたはずです。
●鬼怒川右岸の整備の優先順位は低い
河川整備に当たって、地形を考慮すべきことは言うまでもありません。
地形を考慮して方針や計画を策定すべきことは、河川法施行令第10条第1号に規定されていますし、大東判決要旨一では、地形も考慮して過渡的安全性の有無、すなわち瑕疵を判断すべきであると言っています。(鬼怒川の管理者は地形を考慮した形跡がありませんし、弁護団もこの問題を軽視していると思います。)
鬼怒川の26kより下流の地形は、右岸側には結城台地があり、ほとんどの家屋は台地の上にあります。
そのため、鬼怒川右岸側で氾濫しても、甚大な被害が発生しにくいという地形的な特徴があります。
それに引き換え、左岸側は、鬼怒川と小貝川に挟まれた低地であり、水はけが悪く、人口と資産が集積しており、氾濫が起きれば甚大な被害が発生します。
したがって、右岸側のいわゆる被災ポテンシャルは低く、整備の優先順位は低くなるべきです。
弁護団は、こうした主張をしてこなかったと思います。
一審での原告ら準備書面(8)p18で若干言及してはいますが、右岸側の被災ポテンシャルは低いとまでは言っておらず、説明が不十分だと思います。というか、弁護団は,右岸も左岸も対等に氾濫を防止すべきだと考えているように思います。なぜなら、右岸の整備は後回しでいいと言ったことがないと思うからです。
右岸側と左岸側の地形的な条件に言及せず、堤防高と流下能力だけを取り出して安全性を議論することが妥当かは疑問です。
この書面では、あえて流下能力だけを取り出して議論しているのかもしれませんが、全体的な説明がないと、問題の本質が裁判所に伝わらないと思います。
●精査しないと落ち度が明らかにならないようでは計画が格別に不合理とは言えない
p2には、「スライドダウン流下能力について精査したところ」と書かれています。
精査したところ、スライドダウン流下能力で比較しても、破堤区間の安全性は低かったことが判明したということです。
しかし、精査しないと落ち度が明らかにならないようでは計画が格別に不合理とは言えないと思います。
この準備書面の結びは「このような堤防整備の順序は・・・明らかに不合理である。」(p5)ですが、精査しなければ分からないような不合理が「明らかに不合理」と言えるのか疑問です。
●最小流下能力で比較すべき
国は、流下能力を考慮する、という言い方をする場合には、最小流下能力を指している(地裁の判決書p17)のですから、つまり、最小流下能力を考慮して整備の順序を決めたというのが国の主張でしょうから、流下能力で整備の順序を決めたとしても、国の順序の決め方には著しい不合理があると主張する場合には、最小流下能力で比較するのが筋だと思われ、スライドダウン流下能力で危険度を論じるのは筋が違うと思います。
●日本語として成り立たない
p2〜3に、「そこで、一審原告らは、既に行っている現況堤防高及び同流下能力並びに詳細測量による現況堤防高だけでなく、スライドダウン流下能力について、下記の主張をした」(括弧書きは省略)と書かれていますが、日本語として成り立っているとは思えません。
「既に行っている」がどの言葉にかかっているのかが分かりません。
●計画高水位未満の箇所をなぜ1箇所にしぼるのか
p2で「(左岸20.98kは、現況堤防高がこれ以上なければならない高さの計画高水位を下回っていた)」と書かれています。
これも再三書いてきたことですが、弁護団は、破堤区間で堤防高が計画高水位未満だった箇所が少なくとも2箇所は確認できるのに、なぜか1箇所にしぼって主張するのが常です。
2箇所だったことは、一審での原告ら準備書面(8)に書かれているのですが、それ以降は、1箇所にしぼった主張をしています。
弁護団は、破堤については、計画の合理性で瑕疵を判断すべきであるという立場であり、結果的に大東判決要旨二の適用を求めているのですが、大東判決要旨二には、「右の見地からみて」と書かれており、つまり、大東判決要旨一に掲げた要素を考慮せよと言っているのですから、緊急性があったか、つまり、安全性がどれほど欠如していたかについての証明をおろそかにしてはならないはずです。
●いきなり数字を丸めるのには違和感あり
p3で「2881」を「2880」という具合に数字を丸めていますが、唐突であり、違和感があります。
p2の表と違う数字を書くのですから、何らかの説明をするのが筋だと思います。
●「3750」ではない
p3で「3140〜3750」とありますが、「3141〜4151」ではないでしょうか。意図的にR13.00kの「4151」を度外視したのかもしれませんが、それなら、それなりの説明が必要だと思います。
●「スライドダウン堤防高−1.5mの流下能力も参照」の意味が不明
「スライドダウン堤防高−1.5mの流下能力も参照」ということは、つまり、「も」ということは、それまでの記述で「スライドダウン流下能力」と称してきた言葉は、「スライドダウン堤防高−1.5mの流下能力」ではないということになります。(例えば、「私も行った。」という文章は、私以外の誰かも行ったことが前提の文章です。)
しかし、弁護団は、一審での原告ら準備書面(10)p7で「列番号10(スライドダウン流下能力)は、計算してみると、スライドダウン堤防高(左岸)−計画余裕高1.5mによって計算していることが分かったので、原告らもこれに従った。」書いています。
そうであれば、「スライドダウン流下能力」=「スライドダウン堤防高(左岸)−計画余裕高1.5mを水位とする流量」ということになるはずです。
そうであれば、「スライドダウン流下能力」を見てほしいと言えば足りるのであり、「スライドダウン堤防高−1.5mの流下能力も参照」と言う必要はないはずです。
●データが表とグラフで一致しない
p2の表の中の数字とp3のグラフが一致しません。
この齟齬についての説明が必要だと思います。
数字が一致しないのですから、表とグラフの関係を東京高等裁判所は理解できないと思いますし、理解できない弁護団の主張は採用されないと思います。
●国は効率性を考慮して堤防整備の順序を決めた
p4の「3」では、国の主張が紹介されています。
国は、堤防整備の順序については、
・治水安全度
・下流原則
・用地取得の状況や周囲の堤防整備の状況等を踏まえた堤防整備の効率性
といった要素も考慮して決定されるものであると言います(国の準備書面(13)p22)。
その根拠は、そのp21〜22において、次のとおり、説明しています。
大東水害判決及び平作川水害最高裁判決は、・・・技術的制約の判示箇所において治水安全度や下流原則といった一般的な考え方につき触れられてはいるものの、これを他の制約に優越して河川整備の推進を拘束するものとしては位置づけていないのであって、他の事情を踏まえた河川の合理的な改修のあり方を禁止するものとしては判示していない。むしろ、堤防整備の効率性を一切考慮できないとすれば、財政的制約や時間的制約上の支障を増大させ、ひいては改修計画に基づく河川改修の実施の遅延をも招きかねないのであり、そのようなことを上記各最高裁判決が企図しているものとは解されない。
そうすると、堤防整備の順序について、治水安全度や下流原則を考慮しつつ、用地取得の状況や周囲の堤防整備の状況等を踏まえた堤防整備の効率性といった要素からも検討することは否定されるべきものではない。
国は、「効率性」という言葉をどのような意味で使っているのかを検討する必要があると思います。
「効率」とは、デジタル大辞泉によれば、「1 機械などの、仕事量と消費されたエネルギーとの比率。2 使った労力に対する、得られた成果の割合。」です。
訴訟では、物理学の議論をしているわけではないので、「使った労力に対する、得られた成果の割合。」の意味で「効率性」を持ち出していることは明らかです。
では、国は、堤防整備によって「得られた成果」をどう捉えているのでしょうか。
解答の選択肢としては、(1)河川の安全性を高めること、(2)堤防整備率(堤防を整備すべき区間における完成堤防の設置区間の割合)を高めることが考えられます。
手がかりは、国の上記主張における次の文言にあると思います。
「治水安全度や下流原則といった一般的な考え方につき触れられてはいるものの」
「他の事情を踏まえた河川の合理的な改修のあり方」
「財政的制約や時間的制約上の支障を増大させ」
「河川改修の実施の遅延をも招きかねない」
「治水安全度や下流原則を考慮しつつ」
以上の記述から、国は、「堤防整備の効率性」を「治水安全度や下流原則」と対置させていることが分かります。
元々この議論は、弁護団が、国は安全度の低い箇所から整備していないことが著しく不合理であるという指摘に対して国が「堤防整備の効率性」を持ち出してきたという経緯があるので、安全性と効率性を対置させるのは当然と言えます。
したがって、国のいう「堤防整備の効率性」とは、安全性を度外視した整備率の向上と解さざるを得ません。
国の主張を平たく言えば、「被害者側は、安全性を考慮して、危険な箇所から整備しろと言うけれど、用地取得が完了した箇所や道路工事に便乗して安くできる箇所からどんどん整備しなければ、短期間に整備率を向上させることができない。」ということでしょう。
●国は判例違反を自白した
しかし、着手しやすい箇所から堤防を造りまくっても、肝心の危険箇所を放置していては、河川はちっとも安全になりませんから、着手しやすい箇所から整備したから水害が起きても免責されることにはなりません。
事業評価監視委員会も「危険箇所を放置してもいいから、とにかく早く堤防整備率を上げるべきだ。」とは言ってこなかったはずです。
安全性をさておいて、用地取得が完了することなどにより、できるところから手当たり次第に整備していくことは、河川管理者としてやってはいけないことのはずです。
手当たり次第に整備していいなら、専門知識は不要です。
だから、最高裁判所は大東判決で「(治水事業は)緊急に改修を要する箇所から段階的に、また、原則として下流から上流に向けて行うことを要する」と判示しているのです。
国もまた、(氾濫を避けるための技術的制約である)下流原則に従ったことを再三にわたり強調してきました。 しかるに、上記判決の「緊急に改修を要する箇所から」という部分を無視して、安全性よりも効率性を優先させる場合があってもよいはずだと言い出すのですから、矛盾していますし、判例違反の主張を堂々としていることになります。
国は、安全性を度外視(軽視ではありません。計画高水位未満の箇所(若宮戸地区と上三坂地区)を放置したのですから。)した効率性を考慮して右岸13k〜15kの区間の整備を、越水破堤の危険が迫っていた左岸21k付近の整備よりも優先させたことを自白していますが、大東判決は、効率を考慮事項としていません。
確かに、大東判決の挙げる考慮事項は例示列挙であり、例示されていない事項を考慮することも許されるので、仮に効率、具体的には整備率の向上を考慮事項とすることを許すとしても、安全性という考慮事項よりも優先させることは許されないと思います。
なぜなら、もし許されるとしたら、大東判決の「緊急に改修を要する箇所から」治水事業を実施すべきであるという大東判決の文言が空文化するからです。
国は、「大東水害判決及び平作川水害最高裁判決は、・・・技術的制約の判示箇所において治水安全度や下流原則といった一般的な考え方につき触れられてはいるものの、これを他の制約に優越して河川整備の推進を拘束するものとしては位置づけていない」(準備書面(13)p21)と言います。
下流原則は、大東判決要旨一には挙げられていません。また、下流原則は、現実には、用地買収の進捗状況によって例外を認める運用がされるほど融通無碍に適用される原則なので、裁判の規範となるのか疑問のある原則です。
しかし、大東判決要旨一には「緊急に改修を要する箇所から」改修しろと言っているのですから、下流原則はともかくも、緊急性は、紛れもなく考慮事項です。(もっとも、何を基準に緊急性を判定するかが問題ですが)
●安全性を度外視した効率性を考慮することは異常だ
国は、「むしろ、堤防整備の効率性を一切考慮できないとすれば、財政的制約や時間的制約上の支障を増大させ、ひいては改修計画に基づく河川改修の実施の遅延をも招きかねないのであり、そのようなことを上記各最高裁判決が企図しているものとは解されない。」と言います。
つまり、安全性を重視し、効率性を軽視していたら、河川改修の実施の遅延をも招きかねないと言っているわけです。
注意すべきは、国のいう「効率性」とは、上記のとおり、国は安全性と対置させているので、安全性を度外視した効率性です。
治水事業の目的が河川の安全性を高めることだと考えれば、効率的な堤防整備とは、緊急性のある箇所から整備することであるはずです。
鬼怒川下流部では、堤防高と地盤高が計画高水位より低かった上三坂地区と若宮戸地区を優先して整備することが効率のよい堤防整備のはずです。
しかし、国は、安全性を重視してそんなことをしていたら「河川改修の実施の遅延をも招きかねない」からダメだと言っていることになります。
国がなぜ安全性を度外視した効率性を重視するのか理解できません。
●「治水安全度や下流原則を考慮しつつ」は事実に反する
上記のとおり国は、「そうすると、堤防整備の順序について、治水安全度や下流原則を考慮しつつ、用地取得の状況や周囲の堤防整備の状況等を踏まえた堤防整備の効率性といった要素からも検討することは否定されるべきものではない。」(準備書面(13)p22)と言います。
つまり、国は、「治水安全度や下流原則を考慮しつつ」堤防整備の順序を検討して整備を進めてきたと言いたいわけです。
確かに国は、鬼怒川下流部においては、2015年までに左岸20kより上流での整備には着手しなかったという意味においては下流原則は守ってきたかもしれませんが、治水安全度を考慮しつつ、という主張は事実に反します。
治水安全度を度外視して整備を進めたからこそ、堤防高と地盤高が計画高水位より低く、緊急性の高かった上三坂地区と若宮戸地区での整備が遅れたのです。
要するに国は、治水安全度を考慮に入れた上での堤防整備の効率性も考慮要素だと言っているのですが、実際にやってきたことは、治水安全度を度外視した堤防整備だったのですから、言っていることとやっていることが違うのであり、裁判所は国の主張を採用してはならないはずです。
そして、弁護団は、国の、治水安全度を考慮しつつ、という主張は事実に反することを指摘すべきだと思います。
●緊急性で攻めているのか
p4で「必要性・緊急性の程度の高いものつまり安全性の低いものから逐次、段階的に実施していく」と言いますが、弁護団は、緊急性を旗印にして攻めていたでしょうか。
緊急性で攻めるなら、上三坂地区の堤防は、高さが計画高水位以下であったので危険だったから緊急に整備すべきであったと主張すべきだったと思いますが、弁護団がそのように攻めてきたとは思えません。
弁護団は、上三坂地区の堤防は他の箇所と比べて相対的に低かったと主張してきたと思います。
L21.00kの堤防高は、2011年度定期測量で21.040mであり計画高水位20.83mよりも21cm高かったというのが弁護団の認識です。
弁護団が破堤区間であるL21.00k付近の堤防高は、計画高水位を4〜10cm下回っていた(2011年度の詳細測量で)から危険だったことを核として攻撃しないのは、若宮戸地区では、地盤が計画高水位を、河川区域内では2m程度、河川区域外では1m程度(2004年時点)低かったとしても安全だったと主張していた(原告ら準備書面(9)p17)からだと思います。
●「堤防整備の効率性」の意味を明確化すべきだった
p5では、「(国は)単に堤防整備の効率性を主張するだけである。」と言いますが、「堤防整備の効率性」の定義を明確にしてから反論しないと理解してもらえないと思います。
弁護団は、p5で「堤防整備の効率性からも実施すべき」と言っていますが、ここでの「堤防整備の効率性」とは、安全性に配慮した上での効率性という意味だと思われます。(そうでなければ、弁護団が単なる闇雲な整備率の向上という意味での効率性を是認していることになると思いますが、それは弁護団のこれまでの主張と矛盾すると思います。)
つまり、両当事者が異なる意味で「効率性」という言葉を使っていると思われ、それでは裁判所が理解できないと思います。
●相対的に安全性が低いことの証明は緊急性があることの証明ではない
p4に「改修の必要性・緊急性の程度の高いものつまり安全性の低いものから」と書かれています。
「つまり安全性の低いものから」は、「つまり他の箇所と比較して安全性の低いものから」という意味です。
なぜなら、弁護団の論法は、他の箇所と比較して安全性を論ずるのが特徴だからです。
原告ら準備書面(6)p16に「他の改修部分との間で」と書いてあることからうかがえるように、氾濫箇所を他の改修部分と比較することをウリにしています。
弁護団は、破堤区間が他の箇所と比較して安全性が低かったことを証明して、証明が終わったことにしているように思います。
しかし、大学受験に例えると、「うちの子は、所属する高校の学年で一番だから東大に受かる」という話は、その子が東大に受かる学力があることの証明にはなっていません。
どこかの高校の3年生で学業成績が1位であることは、その高校のその学年の生徒と比較して相対的に1位であるということですが、それでも東大に受かるとは限らない、つまり、その生徒が格別に優秀であることの証明にならないことは誰でも分かっていることです。
相対1位イコール絶対1位ではありません。
そんなことは誰でも分かっていると思いますが、なぜか弁護団の攻め方は、相対的に最も危険な箇所は緊急性があるでしょ、という攻め方にしか見えません。
河川に話を戻すと、緊急に改修を要する箇所とは、他の箇所と比べてみれば安全度が最も小さいよね、という程度の箇所ではなく、裁量の余地がないほどの特別に危険な箇所だと思います。
「特別に」と言っても、「緊急性」は大東判決要旨一における「是認しうる安全性」の有無を判断するための考慮要素なので、つまり、「改修の遅れ」を前提としていないので、大東判決要旨二における「格別不合理」や「特段の事由」ほど厳しい要件ではないと考えます。
「緊急に改修を要する」ほどの特別性とは、河川によって異なると思いますが、鬼怒川下流部においては、次の三つの事実があると思います。
常総市東部は、地形的に鬼怒川・小貝川低地であり、人口と資産が集積する地域であり、ここで氾濫すれば甚大な被害が生じること。つまり、鬼怒川・小貝川低地は、鬼怒川において被災ポテンシャルが最大の地域であったこと。
さらに、鬼怒川・小貝川低地は、氾濫域が同一で、なだらかに傾斜しているので、上流側で氾濫するほど浸水面積が大きくなること。
若宮戸地区と上三坂地区では、地盤高と堤防高が計画高水位よりも低かった(L21.00k付近では計画高水位よりも4〜10cm低かった)こと。
緊急性の他にも、被告は土砂採取のため破堤区間の高水敷を掘削し、堤防のパイピング破壊が起きやすい状況を自ら作出したことやL21.00k付近の堤防天端に盛り土をして堤防高を偽装したことも主張すべきだと思いますが、工事の順序が間違っていることを主張すれば必要かつ十分だと弁護団が考えているとすれば、それらが論点となるはずもありません。
●土砂採取は外力ではない
被告が土砂採取のため破堤区間の高水敷を掘削し、堤防のパイピング破壊が起きやすい状況を自ら作出したことについて、時間的不可抗力に当たると考えている人がいるかもしれないので、念のため書いておきます。
パイピングを招いた土砂採取については、下記の過去記事を参照ください。
土砂採取が破堤の原因だった(鬼怒川大水害)
被告自身による破堤区間での土砂採取は、2013年7月から2014年5月までに行われたので、パイピングが起きやすい状況は、鬼怒川大水害が発生する1年数か月にできたのであり、どうあがいても、パイピングの発生は防げなかったから、そんなことを言ってみても、時間的不可抗力の理論により被告が免責されてしまうと考える人がいるかもしれません。
しかし、高水敷を約4mも掘り下げてパイピングが発生しやすい状況をつくったのは、他でもない、被告自身です。つまり、土砂採取は外力ではありません。
被告がそんなことをしなければ、パイピングの発生は防げたのですから、結果回避可能性はあったのであり、不可抗力になるはずがありません。
●弁護団は緊急性を主張・立証しているのか
弁護団は、上記のとおり、相対的な1位は絶対的な1位である、大学受験に例えれば、「うちの子は学年で1番だから東大に受かるはずだ」と言っているようにしか聞こえず、破堤区間が改修の必要性・緊急性の程度の高い箇所であるという主張・立証をしているのか疑問です。
破堤区間の状況を最も詳しく述べている原告ら準備書面(8)p29でも、L21.00k付近の堤防が「(河川横断図を見ると管理道路部分の高さは低く、横断的に)脆弱な天端構造」であったとしています。ただし、p28では「横断方向にも危ない状態にあった」と書かれていますが、p29では「脆弱」という表現に変わります。「危ない」と「脆弱」では意味が違うと思います。危険だ、と言いたいのか、ちょっと弱いところがあるよね、と言いたいのか不明です。
原告ら準備書面(8)で、緊急性が高いことを主張しているのは、「20km〜21kmは、現況堤防高が低くて、最も現況余裕高と現況堤防高流下能力が小さい箇所を含む区間であり、それも低い堤防高と小さい余裕高が約1kmにわたって連続している区間であり、最も治水安全度が低く、堤防嵩上げをする緊急性が高い区間であるのに、被告はこれを無視している。」(p21)という部分だけです。
他の区間と比較して「最も治水安全度が低」いと主張しているのであって、高さについては定量的に主張しておらず、堤防は計画高水位以下の水位の流水による作用に耐えるものでなければならないという視点を強調していません。
ちなみに「低い堤防高と小さい余裕高」とは同じではないでしょうか。
堤防高が低いとはどういうことでしょうか。
堤防高の絶対値を見ていても、高いか低いかは分かりません。
絶対値を比較すれば、上流の堤防の高さの方が高いに決まっていますが、上流の堤防の方が安全ということにはなりません。
なので、堤防高が高いか低いかは、堤防高と計画高水位と比較して、その差、つまりどれだけ余裕があるかを見るしかないと思います。
それは、現況余裕高の大きさを見ることに他ならないと思います。
「低い堤防高と小さい余裕高」が同じ意味であるとすれば、このような分かりにくい表現をする必要はないと思います。
たとえて言えば、「氏名と名前を書いてください」と言われたような戸惑いを感じます。
●計画高水位未満の地点を1箇所にしぼっている
弁護団は、p5でも「(左岸20.98kは、現況堤防高がこれ以上備わっていなければならない高さの計画高水位を下回っていた)」と言い、破堤区間において計画高水位を下回っていた箇所を1箇所しか指摘しません。
2011年度の「詳細測量」によれば、破堤区間において計画高水位を下回っていた箇所は2箇所だったのですから、2箇所を指摘すべきであり、1箇所にしぼる理由が分かりません。
実際、原告ら準備書面(8)p28には、「2011 年度の測量結果により、左岸 21 km付近では、現況堤防高が計画高水位を下回ってしまった箇所が、約 20.98 km(Y.P.20.75m)と約 21.04 km(Y.P.20.80m)の2か所あることが判明していたのである。」と書かれています。(ところが、図7を説明するp29では、「20.98km の高さは、Y.P.20.75mであり、計画高水位Y.P.20.82mを約 7 cm 下回っている。」と書かれており、「約 21.04 km」地点の無視がここで早くも始まります。)
控訴審で提出された「原告からの主張」(甲72)のp9では、グラフの中に「21km付近に現状堤防高(原文のママ)が計画高水位を2か所下回っている」と書かれており、L21.00k付近で計画高水位より低い箇所が2箇所あったことを指摘しています。
そういう指摘をしたくなるのが人情であり、1箇所にしぼる弁護団の発想は独特だと思います。
●原告本人も水戸地方裁判所も同じ誤記をしている
ちなみに、甲72は、全体としてはよくできているのですが、L21.00kの上流側のCの地点をL21.47km地点としているのは誤りです。C地点は、グラフの横軸では、21.0kと21.2kの間に表示されているのですから、C地点の位置と表記の数字が矛盾しています。
矛盾しているのは分かりますが、どちらが正しいのかを裁判所は読み取れないと思います。
L21.47km地点は、破堤区間にある距離標地点L21.00kから470mも上流の地点のことであり、そこは破堤区間よりはるか上流の地点ですから、そこでの堤防高が計画高水位未満であったとしても、有効な攻撃材料になりません。
正しくは、おおよそL21.047km地点だと思います。
根拠は、甲30です。過去記事「堤防の高さが計画高水位以下でも安全だと判示した(鬼怒川大水害)」を参照。
上記のとおり、原告ら準備書面(8)p28でも「約21.04km」と書かれています。(これなら破堤区間に含まれます。鬼怒川堤防調査委員会報告書p2−14では、破堤区間がL20.863k〜21.063kであるとされているので。)
ところが、弁護団も「21.47km」という誤記を含んだ準備書面(8)を作成したことがあります。根拠は省略しますが。
そして、水戸地裁の判決書p27にも「本件氾濫までの間に、左岸19.5kmないし21.5km地点付近である約20.98km地点及び約21.47km地点においては、現況余裕高がない状態になっていたばかりでなく、本件上三坂地区付近における堤防の天端の高さは均一ではなく、堤防の本体というべきアスファルトで舗装されている部分の高さは計画高水位を0.08m下回っていた。」と書かれています。(なお、地裁は計画高水位未満の箇所が3箇所であったという主張がなされたという記述をしてくれています。)
つまり、弁護団も水戸地裁も原告本人も「21.47km」という誤記をしています。偶然の一致でしょうか。
●誤記を指摘しない理由とは
弁護団は原判決の誤記を指摘するどころか、上流側の計画高水位未満の地点であるL21.047kを無視しています。
水戸地裁も原告本人も鬼怒川左岸21.00k付近には、堤防高が計画高水位未満の値が測量された地点が3箇所又は2箇所あったことを指摘しており、いいことを言っているのですが、L21.047kについては、数値を間違っているので、意味不明な文章になっており、残念です。
弁護団は、堤防高が計画高水位未満の地点については、下流側のL20.98kだけを主張すれば必要かつ十分と考えているから、L21.047kという地点の誤記については、指摘する実益がないと考え、原判決の当該誤記を無視したのだと思います。
しかし、一審ではその主張では勝てなかったのですから、控訴審において、その主張を繰り返すことで必要かつ十分なのかは疑問です。