鬼怒川大水害訴訟において、弁護団が2024年9月2日付けで控訴審準備書面(6)を東京高裁に提出しました。
この書面は、三坂町での破堤についてのものです。
国の準備書面(13)に対して「理解と基本的な疑問を述べる」とのことですが、趣旨がよく分かりません。疑問を述べている場合ではないと思います。
とにかく、反論ではないということです。
●瑕疵判断の基準は計画の合理性ではないはず
p1〜4の「1」では、「改修計画とは何ぞや」という問題について争いはないと言っています。
その前提として、三坂町での破堤についての瑕疵の有無は改修計画の合理性で判断すべきであると考える点で争いはないということです。
しかし、破堤した鬼怒川左岸21k付近(「k」は「km地点」の略)は、天端の一部に盛り土をして、堤防高をごまかしており、実際の堤防高は、2011年度測量では計画高水位よりも10cm低かったのですから、過渡的安全性を備えていませんでした。
氾濫の原因が堤防の欠陥にある場合には、安全性の欠如そのものが瑕疵です。
根拠は、弁護団が引用している野山宏最高裁判所調査官による平作川水害訴訟最高裁判決の解説です。
判例解説はともかく、大東判決(大東水害訴訟最高裁判所判決)及び差し戻し後の大阪高等裁判所判決を読んでも、この事件は、氾濫した谷田川の堤防や氾濫箇所付近に欠陥はないとされた事例です。
法律審である最高裁は、この点について事実認定をしませんでしたが、差し戻し後の大阪高裁は、谷田川は安全性を備えていたと認定しました(大阪高等裁判所1987年4月10日判例時報1229号p27は、水の溢れた当該河川の未改修部分につき、他の箇所にさきがけて早期の改修をしなければならない特段の事情はなかったとし、その上告審である最高裁判所判決1990年6月22日判例集未登録もこれを支持しました。大浜啓吉「行政裁判法」p474から引用)。
被害者側は、谷田川の安全性の欠如を主張していましたが、裁判所はそれを否定したのですから、請求棄却で裁判は終わるはずです。
ところが、大東判決では、被害者側の主張は、過渡的安全性を備えた河川について「改修の遅れ」が瑕疵であるとする主張にすり替えられてしまった上で、過渡的安全性を備えた河川については改修計画の合理性で瑕疵の有無を判断するという判決になったのです。
だから、改修計画の合理性で瑕疵の有無を判断するという大東判決の基準(正確には大東判決要旨二)は、「過渡的安全性を備えた河川について、それでも賠償責任が認められる場合は」という前提での基準なのですが、その前提がすっ飛ばされてひとり歩きし、被害者の代理人までが、およそ水害訴訟では改修計画の合理性で瑕疵の有無を判断するのが判例だ、と言うようになったのです。(この点を、私淑する大浜啓吉早稲田大学名誉教授が「行政裁判法」で解説しない理由が解せません。大浜は、「管理の瑕疵を問題とする以上、個別の水害の原因や当該地域の実情等が瑕疵判断にとってはむしろ重要性が高いというべきである。」という真っ当なことを書いていますが、判例解釈ではないという認識で書いたと思います。また、判決の射程範囲を限定しようとする説を紹介しているのですが、過渡的安全性を備えていない場合には計画の合理性を基準としないという野山宏の判例解説の考え方は紹介されておらず、ということは、大浜は、野山宏の判例解説を読んでいなかったことになりそうです。)
大東水害では、河川は過渡的安全性を備えていたとされた事案であるのに対して、鬼怒川大水害では、河川は過渡的安全性を備えていなかった事案であるという違いがあります。
それにもかかわらず、弁護団は、決壊した堤防は「脆弱」(一審準備書面(8)p29)であったとは言っても、過渡的安全性を欠いていたと明言せず、結果的に、どちらの事案も「早期に改修を行うべきであった」との瑕疵の主張であると主張する(一審準備書面(6)p16)のですから、裁判所としては、制度的には当事者の弁論に拘束されないのですが、事実上は、計画の合理性で瑕疵を判断することになってしまうと思います。
●何が言いたいのか
p4の「2」では、堤防のスライドダウン評価は改修計画に用いるべきではないと言いたいのでしょうが、分かりにくいと思います。
「流水の通常の作用(浸透作用)」とありますが、流水の通常の作用が、なぜ浸透作用に限られるのかも分かりません。
「検討する内容として導き出せない」という結論も何が言いたいのかよく分かりません。
そもそも、三坂町での破堤の問題は、堤防に欠陥があり危険であったという問題であり、計画の合理性の問題ではありません。
●スライドダウン評価では計画堤防断面形を考慮しているのではないのか
p5〜6の「3」と「4」については、何でこんな議論をするのかについての説明がないことが問題だと思います。
改修計画を立てるには、堤防の能力を評価することが必要であり、堤防の能力は、高さだけではなく、浸透への弱さも評価すべきであるという国の主張に弁護団が反応していますが、堤防に欠陥がある場合には、改修計画の合理性の問題ではないので、国の主張に反応する必要はありません。
ただし、予備的に国の主張に反応するとすれば、吉川勝秀らの論文を論拠とすべきだと思います。そして、堤防の浸透に対する安全度に言及するなら、鬼怒川詳細点検結果を論拠とすべきだと思います。
p6の「5」では、重要水防箇所について書かれていますが、言っていることがよく分かりません。
「重要水防箇所の設定においては(中略)計画堤防断面形を考慮して評価しているのではなく、その不足自体を評価(重ね合せ)しているのである。」と言いますが、計画堤防断面形と現況堤防断面形とを重ね合わせて不足分を評価しているのですから、計画堤防断面形を考慮して評価しているのではないでしょうか。
●国の主張自体は間違いではないと言っていて勝てるのか
p6〜7の「6」では、堤防の安全度の評価の仕方について述べているのですが、四つの問題があると思います。
一つには、繰り返しになりますが、三坂町の堤防には欠陥があったのであり、その欠陥が瑕疵なのですが、弁護団は計画の合理性の問題である(工事の順番を間違えたことが瑕疵である)としていることです。
二つには、「(国の主張は)論ずべき場ないし段階を間違えているのである。」(p7)と書いていますが、それは、国の主張が「論ずべき場ないし段階を間違えている」だけであって、主張の内容自体は正しいと言っていることになり、反論になっていません。
三つには、「上下流や左右岸のバランス」を意味不明のまま使っていると思われることです。上下流や左右岸の何のバランスなのかを国が示したことはなく意味不明であり、弁護団は、意味不明なまま使っています。
四つには、「堤防の整備手順における上下流や左右岸のバランスを踏まえるか否かやその踏まえ方によって、現況堤防の危険度(安全度)に違いが生じることはないのである。」(p7)と書かれており、これは、堤防の安全度は上下流や左右岸の状況とは関係なく定まると言っていると思われるのですが、正しいとは思われないことです。
河川は、堤防高が上流よりも低く、下流よりも低い箇所や対岸よりも低い箇所で越水氾濫が起きると思われるのであり、上下流や対岸の高さを無視して堤防の安全性を評価することはできないと思います。ただし、堤防高が計画高水位を超えるか超えないかを基準にする場合には、他の箇所と関係なく安全性を評価することはできます。
鬼怒川下流部のようにほとんどの箇所において計画高水位以上の堤防や地盤の高さが確保されている河川においては、堤防高が計画高水位より低い箇所は、それだけで危険と評価すべきですが、弁護団は、三坂町の堤防高が計画高水位より低かったという主張を原則として、していません。一審準備書面(8)p29では、主張しているのですが、あくまで例外であり、他の箇所と比較して三坂町の堤防が最も安全度が低かったから優先的に整備すべきであった、というのが弁護団の攻撃パターンです。
●「鬼怒川詳細点検」を無視して浸透の問題を議論することは不可解だ
p7〜8の「7」では、改修計画を立てるために堤防の浸透への弱さについての詳細な調査を実施することが現実的かという議論をしているのですが、三坂町での破堤の問題は、計画の合理性で瑕疵を判断すべき問題ではないと思います。
予備的に言及するとしても、現実に国は、2002年度河川堤防設計指針を受けて、おそらく2006年度に、「鬼怒川詳細点検」を実施しているのに、その調査結果を無視して、調査をすることが現実に可能であったかを議論する意味が分かりません。
p8で「裏法尻地先含む」は「裏法尻地先を含む」ではないでしょうか。助詞を省略しても意味は通じますが、文学的表現は文学の世界でやるべきです。
●弁護団の主張が難解な理由
野山宏の解説によると、瑕疵についての型と判断基準は、次のように整理できると思います。
| 原告の主張の型 | 内容 | 瑕疵の有無の判断基準 |
|---|---|---|
| 内在的瑕疵型 | 河川管理者の落ち度に基づく過渡的安全性の欠如がある | 過渡的安全性が欠如しているか |
| 改修の遅れ型 | 河川管理者の落ち度に基づく過渡的安全性の欠如はないが改修計画の進め方が適切でない | 改修計画が著しく不合理であるか |
弁護団は、一審原告ら準備書面(8)p13で「当該改修段階で有すべき安全性を有すべきであるのにそれが欠如しているという主張である。」と書いています。
具体的なことは言っていないのですが、おそらくは、破堤した堤防は、過渡的安全性を備えていなかったということのなのだろうと想像します。
そうだとすると、被害者側の主張の型は、内在的瑕疵型ということになりそうです。
しかし、判断基準は「計画及びその実施」(一審原告ら準備書面(8)p13)の合理性だと言います。
つまり、判断基準は、改修の遅れ型なのです。
つまり、主張の型は内在的瑕疵型だが、判断基準は計画の合理性だということです。
このように、主張の型と判断基準の間にねじれのあることが弁護団の主張の分かりづらさになっていると思います。
そしてこの分かりづらさが敗因になっていると思います。
●ねじれていない
弁護団の主張は、実は、ねじれていないと思います。
弁護団は、上記のとおり、「当該改修段階で有すべき安全性を有すべきであるのにそれが欠如しているという主張である。」と書いているので、一見すると三坂町での破堤は、過渡的安全性を欠いていた場合であり、内在的瑕疵があったとする主張に見えますが、弁護団の見解は、当該安全性の欠如は、管理者の管理ミスによってもたらされたものではないというものです。根拠は省略しますが、弁護団に所属する弁護士はそのように言っています。
過渡的安全性の欠如が管理ミスによるものではないという見方が何を意味するかというと、過渡的安全性の欠如が存在しないということです。
ややこしくてすみません。
野山宏は、「大東判決要旨一」の前提となる考え方は、「何らかの改修工事がされた河川については、改修工事の過誤又は改修後の管理の手落ちにより、改修当時の技術水準等に照らした安全性を欠くこととなる場合には、瑕疵がある」(甲29p500)という考え方であると書きます。
つまり、野山宏のいう《過渡的安全性の欠如》とは、管理者に帰責原因がある過渡的安全性の欠如ということになります。
つまり、物理的に過渡的安全性が欠如しているように見えても、管理者に帰責原因がなければ、野山宏のいう《過渡的安全性の欠如》は存在しないことになります。
弁護団が堤防沈下とその放置について管理ミスがないと見る以上、野山宏のいう《過渡的安全性の欠如》は存在しないのであり、そうだとすると、弁護団の主張は、内在的瑕疵型ではないことになります。
弁護団が野山宏のいう《過渡的安全性の欠如》は存在しないと見る以上、弁護団の主張は、「改修がいまだ行われていないとの一事をもって河川管理に瑕疵があるとする」(大東判決)主張であり、改修の遅れ型の主張になると思います。
そうであれば、瑕疵判断の基準が計画の合理性であると主張するのは必然ということになり、ねじれはないと見ることができます。
●管理ミスではないと見ることは誤り
三坂町での破堤の原因は、L21.00kの堤防高が実質的に計画高水位より10cm低かった(2011年度測量で)こととパイピングが起きやすい状況を管理者自らが作出したことにあります。
破堤の直接的な原因が一帯の堤防高が低かったから越水したこと及びパイピングが起きたことの競合であったことは、国も鬼怒川堤防調査委員会報告書や本件準備書面で認めていることです。
堤防沈下の問題だけを見ても、鬼怒川のL21.00kの堤防高が、定期測量の結果を見ると、1963年頃には22.47m(Y.P.)あったものが、2011年度には、21.04mになり、1.43mも堤防沈下が起きたのに放置していたことを弁護団は、管理ミスとは見ていないために内在的瑕疵ではないと言う(内在的瑕疵型の主張ではなく、「改修計画及びその実施が工事の時期・順序において不合理である」との瑕疵の主張であると、一審原告ら準備書面(8)p13で書いています。)わけですが、おそらく誤りだと思います。
なぜなら、野山宏は、施設の設計・施工ミスや設置後の管理ミスがあった場合には、内在的瑕疵があると言っており、鬼怒川左岸21.00kでの1.43mもの堤防沈下の放置は、典型的な管理ミスになると思われ、もし、これを管理ミスと見ない場合には、では、どのような場合が管理ミスとなるのかが疑問になり、野山が「管理のミス」(「最高裁判所判例解説民事篇1966年度」(甲29)p495)を挙げた意味がなくなると思われるからです。
●堤防沈下の放置を管理ミスと見るか計画の合理性の問題と見るかは大違い
弁護団の考え方を想像してみると、弁護団としては、管理者が堤防沈下を放置したことを管理ミスとは見ないものの、全く問題がなかったと見ているわけではなく、計画及びその実施の合理性に問題があったと考えているのだと思います。
堤防沈下の放置を管理ミスと見るか、計画及びその実施の合理性の問題と見るかの違いはあるが、国の落ち度を指摘している点では同じであるから、大差ないと考えているのかもしれません。
しかし、大差はあります。
管理ミスと見る場合は、内在的瑕疵型の主張であり、大東判決要旨一が適用され、(管理者に帰責原因のある)過渡的安全性の有無で瑕疵が判断されるのに対して、計画及びその実施の合理性の問題と見る場合には、大東判決要旨二が適用され、計画(及びその実施)が格別不合理なものと認められないときは瑕疵がないとされるのですから、原則的に瑕疵が認定されることはありません。
若宮戸での溢水で瑕疵が認められたのは、大東判決要旨二が適用されなかったからと見ることもできます。
堤防沈下の放置を管理ミスと見ていれば、堤防をスライドダウン評価することの是非という議論に巻き込まれることもなかったと思います。
●肩すかしの議論だった
改めて、一審原告ら準備書面(8)を読むと、肩すかしの議論だったと思います。
p8には、段階的安全性・過渡的安全性を備えていなければ、河川管理の瑕疵があると書かれており、p9の中ほどにも同様の記述があります。
過渡的安全性を備えていなければ瑕疵があることにはなりません。その安全性の欠如が管理者の落ち度によってもたらされたことが必要です。
それはともかく、p8とp9では、過渡的安全性を備えていなければ、それだけで瑕疵があることになると、あれほど勇ましく強調していたので、三坂町の堤防が過渡的安全性を備えていなかったという主張が中心になって展開されるのかと思いきや、p13には、「原告らは、被告が行っている3年〜4年の間隔での定期的な堤防の測量結果に基づいて、被告の堤防整備の計画及びその実施には、堤防整備の時期・順序において格別の不合理がある、と主張するものである。」と書かれており、計画の合理性が瑕疵判断の基準であるという論理にすり替わっていて、肩すかしでした。
この辺りの理論構成が弁護団の主張の分かりにくさの原因になっていると思います。
そもそも、弁護団は、三坂町での破堤について大東判決のどの部分が適用されるべきなのかを明記していないと思います。
一審原告ら準備書面(8)を見ても見つかりませんでした。
もしも、どこでも明記していないとしたら、この点も裁判所から見たら、弁護団の主張は難解だと思います。