南摩ダムの付け替え県道工事は凍結すべきだ(その3)

2010-08-29,2010-09-06修正

●栃木県知事に無駄の観念はないのか(2010-09-06修正)

2010-08-25下野が次の記事を載せました。

南摩ダム付け替え県道工事の進ちょく状況については、南摩ダム・上南摩にてというサイトが詳しく報告しています。そこで「思川開発事業計画図」も参照してください。

南摩ダム付け替え県道工事/知事「検証中も続行」

中止含みの一時凍結となっている鹿沼市の思川開発事業(南摩ダム)に伴う付け替え県道整備事業について、福田富一知事は24日の定例記者会見で「仮にダムが中止になったとしても、地域の利便性に寄与する」として、凍結期間中でも工事を続ける方針に変わりがない考えを示した。

付け替え県道整備は総事業費約130億円。延長6・4キロのうち約1・1キロが完成している。事業主体の水資源機構と県の共同事業で、本年度はトンネル2カ所、橋3カ所の工事を行う。ダム建設に反対する市民団体などから「検証の結論が出るまで工事を中断すべきだ」などと批判が出ている。

知事は、南摩ダムのほか本県が建設事業費の一部を負担している群馬県の八ツ場ダムと合わせて「国は治水利水の検証作業を早期に開始すべきだ」と指摘。一方で「(道路などの)生活関連事業は地元の不安を招かないよう、国の責任において確実に実施するべきだ」との考えを重ねて示した。
(宗像信如)

「地域の利便性に寄与する」の意味が分かりません。

「地域」とはどこでしょうか。南摩地区や加蘇地区でしょうか。「利便性」とは何を指すのでしょうか。ダム建設予定地を通って両地区に行き来できるということでしょうか。

そうだとしたら、そのための県道は既にあります。この県道がダムで水没しなければ、今後も使えます。したがって、南摩ダムが中止になれば、付け替え県道が無駄になることは明らかです。

「利便性に寄与する」とは、今までより便利になるということでしょうか。そうだとしたら、そうはならないと思います。

付け替え県道は、ダム湖を迂回するための道路ですが、現在の県道よりも距離は若干短くなるようです。しかし、高い所を通るので、通行する車両のガソリンの消費量が減るかどうかは分かりません。徒歩、自転車、バイクで通るときは、現在の県道の方が使いやすいと思います。福田知事は、「利便性に寄与する」と言っている意味は、「利便性が増す」という意味ではないのでしょう。

つまるところ福田知事は、「総事業費130億円の付け替え道路は通れる」と言っているにすぎないと思います。

通れるというだけなら、既存の県道でも通れるのですから、130億円の公金を投じる環境破壊をしない方が、市民や県民や国民にとって得です。

そんなことが福田知事に分からないのでしょうか。分かると思います。

ではなぜ福田知事は付け替え県道の整備を勧めるのか。福田知事にとっては、市民や県民や国民にとって得かどうかには関心がないのだと思います。建設業者にとって得かどうかを優先させているとしか思えません。

福田知事に費用対効果という観点はないのでしょうか。

「とちぎ元気フォーラム(高校生版)【ふれあい活動高校生のつどい】」の結果内容には、「栃木県内に風力発電の設置は費用対効果を考えるとあまり期待できません。」という知事の発言が紹介されています。福田知事は、費用対効果という言葉を使っています。

福田知事は、一方では費用対効果を説き、他方ではダム事業が中止になれば無駄になる道路を、「仮にダムが中止になったとしても、地域の利便性に寄与する」としてその整備を進めるのは矛盾すると思います。

福田知事は、あからさまに建設業界の利益のために付け替え県道工事を推進するとは言えないので「地域の利便性に寄与する」と説明しているとしか思えないのですが、県道は既にあるのですから、「地域の利便性に寄与する」は、130億円を投資する理由になっていないと思います。

福田知事は、「(道路などの)生活関連事業は地元の不安を招かないよう、国の責任において確実に実施するべきだ」とも言っていますが、地元の人は、おそらくだれも(建設業者は除いて)、「八つの橋と四つのトンネルを使ったスカイラインを建設してくれ」なんて言っていないと思います。

「付け替え県道は生活関連事業だ」と福田知事は言いたいのかもしれません。確かにダムが完成すれば、付け替え県道は、地域の生活に必要な道路でしょうが、ダム事業を検証している間は、南摩と久我を結ぶ県道は既にあるのですから、付け替え県道はバイパスにすぎず、生活に是非とも必要な道路ではありません。

南摩ダム建設に伴う付け替え県道工事には、道理も民意もありません。

このような工事を福田昭夫衆議院議員も松井正一栃木県議会議員も推進しようというのですから、民主党政治は不可解です。

福田昭夫議員は、「(ダム事業を)全部見直すという大方針は大賛成で、本体工事をストップさせることが大事。ただ地域振興や橋、道路の付け替えといった生活再建は続ける。」(2009-09-30下野南摩、湯西川、中止すべき ダム建設で民主・福田氏)と言っています。見直しの結果、ダム事業が中止になるかもしれないのに、道路の付け替えがどうして「生活再建」事業になるのか、私には理解できません。

●福田知事は説明責任を果たせ

福田知事は、「仮にダムが中止になったとしても、地域の利便性に寄与する」と言っています。一方、2010-07-28下野論説では、「仮にダム事業が中止になれば無駄な工事の責任は誰が取るのか」と指摘しています。

ダム事業が中止になった場合、福田知事は「地域の利便性に寄与する」と言い、下野論説は「無駄な工事」になると書きます。どちらが正しいのでしょうか。

ダム事業が中止になった場合、付け替え県道工事が無駄になる理由は明らかです。県道は既にあるからです。

福田知事は、「仮にダムが中止になったとしても、地域の利便性に寄与する」と言いますが、130億円かけて得られる「地域の利便性」とは何なのかを説明していません。説明すべきだと思います。

付け替え県道なら大型バスがすれ違えるなんて言いだすのかもしれませんが、それが地域住民の生活とどう関わるのかを説明すべきです。

●下野「雷鳴抄」でも付け替え県道の無駄指摘

2010-08-26下野「雷鳴抄」には、次のように書かれています。

往年の人気漫画、赤塚不二夫の「天才バカボン」に登場するバカボンのパパの口癖は「これでいいのだ」だ。何をしでかしても「これでいいのだ」だからいいかげんと言えばいいかげんなのだが、限りない自己肯定と明るさで、人気があった▼とはいうものの、そんなことが許されるのは漫画の世界限りで、現実には通用しそうもない。しかし最近、「これでいいのだ」というせりふがよく聞こえるような気がする。もちろん空耳に違いないのだが、どうもお役所方面から聞こえてくる▼鹿沼市の南摩ダム建設予定地で行われている県道の付け替え工事。現在の県道はダムができれば水没するので、ダムの水位より高い位置に新たな県道を造る。水資源機構と県が費用を分担する▼トンネルや橋が多くなるためわずか6.4キロで、130億円かかる。ダムそのものは、国のダム事業見直しで、建設が中止される可能性もある。そこで市民団体が「ダム建設が中止になれば、無駄になる」として県道工事を一時見合わせるよう訴えている▼もっともな訴えと思えるが、水資源機構も県も耳を貸すつもりはないようだ。それにしても山奥の6.4キロに130億円。1メートル当たり約200万円かけて、どれほど利用されるのか。本当にこれでいいのだろうか。

極めて真っ当な意見ですが、共産党議員以外は、市長も知事も議員も「無駄」という言葉の意味を理解しようとしません。

(文責:事務局)
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