栃木県知事発言は理解不能

2011年01月10日

●「検討の場」幹事会が開かれた

2010-12-24付け読売は、次のように報じています。

南摩ダム 5都県で協議20101224読売

建設凍結 きょう「検討の場」幹事会

 昨年10月、前原国土交通相(当時)が建設を一時凍結した全国48ダムの一つ、鹿沼市の南摩ダム(思川開発事業)の必要性について、国と関係5都県8区市町の首長らによる再検証が行われる。国交省と同ダムの事業主体である独立行政法人・水資源機構は、自治体がそれぞれの意向を表明する「検討の場」を設置。第1回は都内で24日、5都県の担当部長らを集めた「幹事会」を開催する。

 南摩ダムは1994年、思川や利根川の洪水防止や、渇水時の水量確保を目的に事業認可。鹿沼市の南摩川上流に建設予定で、水没予定地などに住んでいた80世帯の移転と、約380ヘクタールの用地買収はほぼ完了している。2015年度に完成予定だった。

 昨年3月、仮排水路トンネルなどの関連工事に入ったが、ダム本体は未着工だった。昨年10月、前原国交相が「できるだけダムにたよらない治水」に政策転換を進めようと一時凍結を表明し、南摩ダムは本体工事には進まないことになった。同年12月、既に本体工事に入っていた日光市の湯西川ダムは「事業継続」と決定。一方で南摩ダムは「検証対象事業」と判断された。

 国は、ダム事業の再検証方法を考える有識者会議を開き、今年9月に再評価の「細目」を発表。これを受け、南摩ダムの関係5都県8区市町の首長らを集める「検討の場」が設置された。

 水資源機構によると、「検討の場」では自治体から意見を集約し、国交省に報告。最終的に事業を進めるか、中止するかは国交相が判断するという。また、今後の「検討の場」の開催日程や、意見をまとめる時期は「未定」としている。

 南摩ダムについて、福田知事は21日の定例記者会見で「県としては『いる(必要)』という判断だが、下流域の人がどう考えているかが問題だ」と話している。

まず分からないのが「検討の場」という組織です。検討会でも検討委員会でもないんですね。私は、「検討の場」という組織名称を聞いたことがありません。

「思川開発事業の関係地方公共団体からなる検討の場規約」を読むと、権限を持たせないように腐心している様子がうかがえます。

●『いる(必要)』という判断は近所付き合いか

それはともかく、私が理解できないのは、「南摩ダムについて、福田知事は21日の定例記者会見で「県としては『いる(必要)』という判断だが、下流域の人がどう考えているかが問題だ」と話している。」という点です。

2010年12月22日付け下野でも、福田知事は、「「下流域でどんな水需要への考えをお持ちかが重要になる」と指摘」したそうです。

「問題だ」とか「重要になる」という表現は、下流域の人の意見によって自分の意見を変えるという意味でしょうか。国が問題視する、重要視するという意味でしょうか。国(民主党政府の国土交通大臣)が問題視や重要視をするかどうかは、福田知事には分からないと思います。

「下流域の人がどう考えているかが問題だ」と言うなら、下流域の人が「南摩ダムは不要だ」と言ったら、福田知事も不要という意見に変更するのでしょうか。

それはおかしいと思います。福田知事は、「県としては『いる(必要)』という判断だ」と言っているのですから、他県が要らないと言っても栃木県だけは南摩ダムに参画すると主張すべきです。

他県の人が要らないと言ったら、栃木県もやっぱり要らないと言うのなら、『いる(必要)』という判断は、その程度の軽い判断だったということになります。

『いる(必要)』という判断は、他県にお付き合いしたというだけの話なのでしょうか。付き合いで何百億円もの公金を使われたのでは、県民はたまったものではありません。

「下流域の人がどう考えているかが問題だ」という表現が栃木県の判断が下流県の判断で変わるということではなく、栃木県として南摩ダムがいくら必要だという判断をしても、下流県が不要という判断をしたら、建設は中止されてしまうであろうという認識を示したということであるならば、中止に備えた代替案を今から県民に提示するのが知事の責任ではないでしょうか。

それとも、南摩ダムが中止になったら、利水事業に参画していた自治体は今までどおりの水源を使えばいいということになるのでしょうか。代替策が要らないのだとすれば、今までの「南摩ダムが必要だ」という県の主張はなんだったのかということになります。

東大芦川ダムの場合も、大芦川の治水のためにはダムが絶対に必要だと県は宣伝していたのに、2003年に中止が決まってから大水害は起きていませんし、ダムなしで大芦川の治水はやっていけるということになってしまいました。

●八ツ場ダムと一体不可分の意味が分からない

上記下野記事に次のように書かれています。

検討作業が先行している群馬県の八ツ場ダムと南摩ダムが「(水需要の面で)一体不可分」として、来秋にも対応が決定する八ツ場ダム次第で、南摩ダムの検討結果が左右されるとの認識を示した。

私は「(水需要の面で)一体不可分」の意味が分かりません。

両ダムの利水容量を一体として考えるという意味でしょうか。ということは、両ダムによる水利権を買ったら、過剰な水源を確保することになるから、どちらか一方のダムしか要らないという意味でしょうか。

しかし、下流県はこれまで、両ダムの水が必要だと言って両ダム事業に参画してきました。両ダムへの参画水量の合計は承知のはずです。

ダム訴訟の中でも、各県は自分たちの水需要予測は正しいと主張してきたのですから、今更「両ダムの水を買っちゃうと多すぎるから、片方のダムの水で十分だ」という議論にはならないはずです。

●栃木県にとって両ダムの利水容量は一体不可分ではない

百歩譲って、埼玉、茨城、千葉の下流県には、八ツ場ダムの水を買うか、南摩ダムの水を買うかという選択肢が物理的に認められますが、栃木県にとっては、八ツ場ダムの水を買うという選択肢はありません。

南摩ダムが中止になった場合に、八ツ場ダムに参画するという選択肢はないのです。

栃木県には、南摩ダムに参画するかしないかという選択肢しかないということです。

そして知事は、「県としては『いる(必要)』という判断だ」と言っています。そこまで言うなら、そして今後「下流域の人がどう考えているか」によって、南摩ダムが中止になる可能性もあると考えるのであれば、中止になった場合の代替水源の確保策を提示すべきだということです。提示しないということは、栃木県が南摩ダムに参画する必要がなかったことを意味すると思います。

●建設の大合唱とはならなかった

ところで、前原誠司前国土交通大臣の私的諮問機関である「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」が2009年12月3日に発足しました。

2010年9月にその中間とりまとめが決まりました。

その骨子は、「関係地方公共団体からなる検討の場」を設けて検討内容の認識を深めるというものですから、「検討の場」では、「ダムを造れ」の大合唱になると予想していました。

ところが2010年12月25日付け読売は、次のように書いています。

南摩ダム必要性 4県訴え
 国と5都県、初の幹事会
(読売新聞栃木版 2010年12月25日)

 建設が一時凍結されている鹿沼市の南摩ダム(思川開発)の必要性について国と5都県が再検証する第1回幹事会が24日、都内で開かれた。国側はダムを造らない治水対策案と比較して再検証していく方針を説明。

4県は治水問題などからダムの必要性を訴えたが、東京都は「予断を持たず進めてほしい」と慎重な姿勢を示した。

東京都は、思川開発事業に利水で参画していません。同事業の1994年の見直しにおいて東京都は同事業からさっさと撤退してしまいました。

だから東京都は、南摩ダムの治水容量の建設費を負担させられるということになります。(ここで「治水容量」とは、洪水調節容量と流水の正常な機能の維持のための利水容量を意味します。)

その東京都が「予断を持たず進めてほしい」と言っているということは、南摩ダムを建設しても都内の洪水被害が減るわけでもないし、農業用水で困ることにもならないと東京都として判断している可能性があるということです。

「予断を持たず進めてほしい」は、限りなく中止を意味すると思います。

国土交通省は、まともな検証を避けるために関係自治体の首長だけを集めた「検討の場」を設置したのに、関係自治体から「ダムありき」でない、まともな検証をやってくれと言われたのは誤算だったと思います。

思川開発事業(南摩ダム)は、関係自治体の「ダムを造れ」の大合唱にさえならないようなポンコツな計画だということです。

(文責:事務局)
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