水没すると決めつける下野新聞

2006-11-21

●水没すると決めつける下野新聞

下野新聞は、現在、「とちぎ水紀行」という記事を連載中です。国(国土交通省)の広告ではなく、記事です。大きなカラー写真にキャプション(説明文)を付ける形式です。

第29景(2006-11-5)では湯西川ダムの、第30景(2006-11-14)では南摩ダムの水没予定地の写真と説明文を掲載しています。

第29景では日光市の県営湯西川発電所の写真に「ダム建設を待つ水没の地」、第30景では鹿沼市の南摩川の写真に「二度と帰れない故郷」という説明文がついています。

国、県、独立行政法人水資源機構がダムを建設する場合の手法は、既成事実の積み上げです。住民に「ここまで事業が進んだら後戻りできない」と観念させることです。上記記事は、南摩ダム、湯西川ダムを巡る問題を「終わった話」として扱うものであり、「既成事実の積み上げ」という行政手法に手を貸すものです。

下野新聞は一時期、南摩ダムと東大芦川ダムを巡る政治状況等について特集を組んだことがありましたが、今は、「終わった話」にしたいとしか思えません。

●下野新聞はなぜ「水没する」と書くのか

下野新聞は、上記湯西川に関する記事で「5年後、湯西川ダムが完成すれば、一帯は湛水(たんすい)区間として水没する」と書きます。では、下野新聞はなぜ「水没する」と書くのでしょうか。市長と知事と大臣が決めたからでしょうか。市議会も県議会も賛成したからでしょうか。そういう機関が決めた以上後戻りはできないと考えるなら、住民運動は必要ないということになります。監査委員も裁判所もオンブズ組織もジャーナリズムも必要ないということになります。下野新聞が「行政が決めたことは変えられない」と考えるのであれば、自らの存在意義を否定することになります。

●水没させないためにがんばっている人々がいる

私たちは、無駄なダムである南摩ダム、湯西川ダム、八ツ場(やんば)ダムの建設に反対し、記事で紹介された水没予定地を水没させないために昨年から栃木県を相手に裁判を起こしています。私たちは、ダム問題を「終わった話」にされてはたまらない、という気持ちで運動しています。

下野新聞が記事で紹介した風景が水没すると決めつけることは、私たちの努力を完全に無視するものです。下野新聞は私たち原告が勝訴する可能性が万に一つもないと考えているのでしょうか。そうだとしたら、その根拠を示すべきです。

私たちは、残された自然的環境を守り、税金の無駄遣いをやめさせ、鹿沼市を始めとする思川開発事業への参加団体が夕張市のような財政再建団体にしないために裁判を起こしていますが、下野新聞がその裁判の存在さえも無視するような記事を書くことは、私たち原告にとって随分失礼な話です。下野新聞は税金の無駄遣いに関心がないのでしょうか。私たちの活動の意義を否定するような記事を、私たちがなぜ購読料を払って読まされなくてはならないのか理解できません。

●ふるさとに帰れる

下野新聞は、南摩ダムの水没予定地の説明文で「ふるさとにはもう二度と帰れない」という移転住民の言葉をそのまま載せていますが、そんなことはありません。

耐震強度を偽装して設計されたマンションから移転した住民が「もう二度と帰れない」と言っているとしたら、もっともな話です。物理的にもう一度住むのは無理です。

しかし、水没予定地は水没していません。南摩ダムもありません。南摩ダムを中止して移転者が土地を買い戻せば、元のように住めます。後戻りはできます。後戻りができないと勝手に決めつけているのは、下野新聞です。

●説明文がピント外れ

第30景の南摩川の写真の説明文がピント外れだと思います。南摩川の写真を見たら、「この小川をせき止めて総貯水容量1億トン(2001年に5,100万トンに縮小されたが、それでも巨大すぎる)のダムを建設しようとした国の無謀さにあきれる」という感想を持つのが普通でしょう。小河川に巨大ダムを造る異常性に触れず、反対運動が存在し、住民が裁判を起こしていることにさえ触れようとしない説明文はピント外れだと思います。

●説明文はなぜピント外れなのか

下野新聞の記者は、水没予定地を見て、「なぜこの風景を水没させなければならないのか」と考えないのでしょうか。

新聞記事には「なぜ」という視点が必要なことは言うまでもありません。しかし、上記記事には「なぜ」という視点が欠落しています。だからピント外れどころか、税金の無駄遣いに手を貸すような記事になってしまうのです。

計画から42年経過しても、なお本体着工時期が決まらないダムが本当に必要なのか、自分たちの払う税金でこの風景をなぜ消滅させなければならないのか、という疑問が記者に起きないのでしょうか。

普段”5W1H”を念頭に記事を書いているはずの記者が、ダムの話になると”WHY”の視点が抜け落ちてしまうのはなぜでしょうか。記者に”なぜ”の視点で原稿を書いたとしても、編集の段階で下野新聞がその部分を削除している可能性もあります。

●下野新聞はなぜダム建設に疑問を持たないのか

2006年11月20日付け下野新聞に「わがまちわが道」という広告が載っています。佐野市長へのインタビュー記事の体裁をとっていますが、記事ではなく国(国土交通省)をスポンサーとする広告です。

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