誤字脱字を放置して議論が進められている(鬼怒川大水害)

2023-10-04

●国は自らのミスを訂正せずに引用している

鬼怒川大水害訴訟において、国は、2023年8月4日付けで控訴答弁書を提出しました。引用元はcall4です。

そのp16の16行目に大東判決を引用して、「寝屋川水系河川及びその実施の状況については」と書いていますが、意味が通じず、誤りです。

正しくは、「寝屋川水系河川及び谷田川の改修計画及びその実施の状況については」です。

その根拠は、大東判決(最高裁判所のサイト)のp8の6行目に「e川水系河川及びd川の改修計画及びその実施の状況については」と書かれていることです。

最高裁は固有名詞を避けて、eとdに置き換えていますが、固有名詞はeは「寝屋」でdは「谷田」です。

なお、以前にもどこかで書いたと思いますが、谷田川の読み方ですが、弁護団は原告ら準備書面(1)p4の最終行で「たんだがわ」とルビを振っていますが、根拠は示されていません。

Wikipediaの記事(https://ja.wikipedia.org/wiki/大東水害訴訟)かもしれません。

しかし、J R野崎駅前の橋の欄干の柱の標識には、「たにだがわ」と書かれています。下記グーグルストリートビューから。 https://www.google.com/maps/@34.7187362,135.6374889,3a,75y,292.48h,88.14t/data=!3m6!1e1!3m4!1sTK1Ds6FEApFfVHTqEHyCrw!2e0!7i16384!8i8192?entry=ttu

大阪府の河川管理部門に電話で問い合わせると、対応した職員は、「たんだがわ」という呼び方は知らないとのことでした。

もちろん、行政による呼称が正しいとは限らないのですが、むしろ、行政が傲慢にも地元の呼び方を無視して勝手に命名している例もあるのですが、「たんだがわ」だけが正しいという根拠も不明です。

本題に戻って、eは寝屋でdは谷田であることの根拠ですが、大東水害訴訟は、寝屋川水系谷田川の氾濫に係る事件であることは、前掲のWikipedia記事や各種の判例解説や元大阪府職員の書いた資料(下記U R L)を見れば明らかです。 https://www.japanriver.or.jp/circle/oosaka_pdf/2006_taniguchi.pdf

問題は、冒頭に示した脱字の文章が控訴答弁書で初出ではないことです。

被告準備書面(2)p10にも同じ脱字の文章が出てきます。

国は、被告準備書面(2)p10の文章を脱字があるまま引用しています。

とにかく、「寝屋川水系河川及びその実施の状況については」では意味が通りません。

このミスを2度繰り返しています。

国は、意味の通じない文章を繰り返して書いているのですから、自分が何を言っているのか分かっていないということです。

●国は弁護団の主張も誤記のまま引用している

国の控訴答弁書p41に「治水安全度の低い箇所や下流原則に則っていない箇所を優先して整備することは、この技術的制約に反していて、できない」(一審原告控訴理由書(総論)(52ページ))」と弁護団の主張を引用しています。

しかし、これでは意味が通じません。

「治水安全度の低い箇所」を「優先して整備することは」できます。「技術的制約に反して」もいません。むしろそれが河川管理者の本来の業務です。

弁護団が「治水安全度の低い箇所」「を優先して整備することは、この技術的制約に反していて、できない」と主張するのであれば、危険箇所であった上三坂と若宮戸の整備を後回しにしておくべきであった、ということであり、国の主張と同じですから、敗北宣言であり、訴訟を続ける意味がありません。

「治水安全度の低い箇所」は、「治水安全度の高い箇所」でなければ意味が通じません。

上記の引用自体は正確に書かれており、原文である弁護団の書いた控訴理由書に誤記があります。

ここでも国は、誤記があるために意味が通じない文章を、誤記をしてきして修正することをしないで引用しているのです。

もちろん国は、弁護団の上記主張に反論していますが、誤記については指摘していません。

誤記に気がついていないからとしか考えられません。

国は、弁護団の主張が意味不明のまま反論しているということです。

要するに、鬼怒川大水害訴訟で当事者が意味の通じないことを言っていても、どちらも相手方の誤記を指摘するでもなく、自らの誤記を訂正するでもなく、誤字脱字を含んだまま引用され、弁論が重ねられています。(ただし、国が提出した控訴理由書(若宮戸溢水に関する)については、誤記が多く、さすがに弁護団も控訴答弁書で指摘しています。)

私が心配しているのは、自分が何を言っているのか理解していない当事者の主張を聞いて裁判所が正しい判断ができるのかということです。

裁判所に正しい判断をしてもらうためには、弁護団は、自らの誤記を訂正し、相手方の誤記を指摘する必要があると思います。

●国は寄与度の議論を避けた

ちなみに、意外だったのは、国は控訴答弁書で、損害額に対する氾濫箇所ごとの寄与度に関する議論(弁護団の予備的主張への答弁)を避けたことです(p45〜46)。

国の主張は、「一審被告が本件溢水について国賠法2条1項の責任を負うことはないから」(p46)、寄与度を議論する実益がないというものです。

しかし、無理があります。というより無謀な主張です。なぜなら、主張の前提が成り立たないからです。

「一審被告が本件溢水について国賠法2条1項の責任を負うことはない」は、国の希望的観測にすぎません。

若宮戸溢水の責任が否定できるかは、まさに議論の最中なのですから、「責任を負うことはない」は仮定の話であり、「(一審原告の)予備的主張は理由がない」ことの理論的な理由になっていません。

結果として国が勝つのだから一審原告らの請求には理由がないという理屈が通るなら、こんな楽な話はありません。

また、三坂町での越水氾濫について国の責任を否定した一審の判断が二審で維持されるとも限りません。

国も自らの主張が希望的観測に基づくものであり、無謀であることは承知のはず。

それでも国が、損害額に対する氾濫箇所ごとの寄与度に関する議論を避けた理由は何かと考えると、国は、若宮戸の下流側溢水(L24.63k付近)について触れたくなかったからかもしれません。

寄与度の話をする以上、国は根拠を説明する必要がありますが、そうなると、氾濫箇所が実は3箇所あったことに言及せざるを得なくなる可能性があると思います。

そういう事態に立ち至るよりは、弁護団の主張に対して根拠を挙げて科学的に反論しない方が、そして、ここで負けることにより賠償額がふくらむ方が、下流側溢水に触れるよりも傷が浅いという判断があったかもしれません。

仮に国が下流側溢水に触れることをそれほど嫌がっているとすれば、弁護団はここを攻めるのが筋ですが、下流側溢水については、国も弁護団も一切無視する(触れたら自分が損をすると双方が考えている。)という奇妙な現象が続いています。

(文責:事務局)
フロントページへ>その他のダムへ>このページのTopへ