瑕疵の判断枠組み論に争いはない(鬼怒川大水害)

2021-09-19

●結論(判断基準)は同じ

鬼怒川大水害訴訟における原告ら準備書面(8)で三坂町での破堤氾濫についての瑕疵に関する判断枠組みについて書かれていますが、当事者間で争いはないように思われ、議論する実益がないと思います。

p32には、次のように書かれています。

2 判断基準について
(1) 被告は、「鬼怒川は、本件氾濫当時、本件基本方針及び本件整備計画に基づいて改修が進められていたものであり、このような改修計画に基づき現に改修中の河川であったことを踏まえると、原告らの上記アの主張は、要するに、左岸20kmないし21km地点における「改修の遅れ」を指摘して河川管理の瑕疵を主張するものであり、その主張の当否を判断するに際しては、大東水害判決の判決要旨二の判断基準が妥当すると解される。」と主張する(19頁)。
(2) しかしながら、原告らの主張は、「改修の遅れ」を主張するものではない。この点については、第1で詳述したとおりであるから、これを引用する。

被告は、原告側の主張は、左岸20k〜21kにおける「改修の遅れ」を指摘して河川管理の瑕疵を主張するものであるから、大東判決要旨二が適用されると主張します。

原告側は、「「改修の遅れ」を主張するものではない。」としか反論しません。

また、詳しくは第1の記述を引用する、と言いながら、何も引用していません。

第1のp9までを見ても、三坂町での破堤がどの類型に属するのか、どの判例理論が適用されるのかが明確に書かれていません。

忖度すれば、類型としては、p6に掲げる第三図の2(予定される安全性を有しない旨の主張)に該当すると言いたいのだと思います。

そして、「以上のとおり、調査官解説第三図の横軸における各段階において、同第三図の右上がりの斜め直線で示される安全性(これがまさに段階的安全性・過渡的安全性である)を備えていなければ、河川管理の瑕疵があるといえる。」(p9)と書かれていることから、瑕疵の判断基準は、過渡的安全性が具備されているか、ということだと思います。ということは、大東判決要旨一が適用されるという主張だと思います。

しかし、第1の見出しは、「上三坂地区の堤防整備を他の箇所の堤防整備よりも後回しにした改修計画とその実施は格別不合理であり、河川管理の瑕疵であること」であり、「改修計画とその実施」の合理性を判断基準とするもののようでもあります。

また、p34では、次のように書かれています。

ここで、被告は、「距離標ごとの流下能力に基づく治水安全度を評価した上で」「治水安全度の低い箇所を優先しつつ、いわゆる下流原則に基づき原則として下流から上流に向かって」堤防整備を行ってきた、と主張する。
原告らは、一般論として、上記には異論はない。
問題は、被告が行った堤防整備が「治水安全度の低い箇所」が優先されてなされていないことである。これは、被告が行った「治水安全度の評価」に問題がある。

上の文章からは、どう考えても、河川が過渡的安全性を有していなかったことが瑕疵だ、と言っているのではなく、改修工事の順番が間違っているという主張としか読めません。

つまり、瑕疵の有無は、改修計画の合理性で判断すべきだと言っていると思います。

p36では、「そこで、以下では、原告らの側で必要な説明を補足した上で、被告が行った堤防整備が不合理なものであることについて述べる。」と宣言した上で、2012年度以降の整備について、「このような堤防整備の時期・順序は、第1に述べたのと同様に、格別不合理なものである。」(p48)と述べています。

2001年度以降の整備についても、「堤防整備の順序が格別不合理なものである。」(p49)と述べています。

原告側は、「改修計画」を持ち出したり、持ち出さなかったりで、一貫はしていませんが、結局は大東判決要旨二を適用すべきだと言っていると思います。

そして、被告の主張も、冒頭に書いたように、瑕疵の判断枠組みについては大東判決要旨二を適用すべきだというものです。

したがって、結論(適用すべき基準)は同じです。

原告側の主張が主張の型として「改修の遅れ」に関するものであるか否かは関係がないのです。

結論が同じですから、争点がないのに、「改修の遅れ」を主張するものであるかどうか(型が違うのかという問題)を争う実益はないと思います。

「改修の遅れ」を主張するものではないと言いながら、大東判決要旨二の適用を求める原告側の主張は、議論を空転させるものであり、裁判所を混乱させているのではないでしょうか。

●大東水害訴訟で原告側は他の改修部分に言及しなかったのか

原告側は、原告ら準備書面(8)p7において、次のように主張します。

そこでは、当該未改修部分につき、他の改修部分との間で改修工事の順序を変更したり、又は時期を繰り上げたりして、早期に改修工事を行うものではなく、結論的には単に早期に改修工事(河道の構築)を行うべきであった旨の瑕疵の主張がされたのであり、上記調査官解説第三図において、当該改修の遅れは、当該改修段階(A段階)より上位の安全性を有するべき旨の瑕疵の主張(斜め直線の上の白の点線囲い部分、代理人が付した@の部分)である

「そこでは」とは、「大東水害訴訟では」という意味です。

「早期に改修工事を行うものではなく」は、「早期に改修工事を行うべきものであったと原告側が主張した事案ではなく」とでもしないと、日本語として通じないと思います。

「当該改修の遅れは」は、「当該改修の遅れについての瑕疵の主張は」とでもしないと日本語として通じないと思います。

それはともかく、上の文章は、p8を読むと、前段は後段の理由として述べられていることが分かります。つまり、「主張がされたのであり」は、「主張がされたので」という趣旨です。つまり、原告側が単に早期に改修すべきであったと主張したので、より高い段階の改修がされるべきであった旨の瑕疵の主張になると言っています。

そうだとすると、上の文章には、二つの問題点があると思います。

一つは、前段に書かれた前提が成り立たないことであり、二つは、前段と後段の因果関係が理解できるように説明されていないということです。

因果関係については、結論だけで説明がないのですから、理解不能としか言えません。言葉が足りていないと思います。

したがって、ここでは、前段の前提が成り立たないことを説明します。

大東水害訴訟において、原告側は、次のとおり、「単に早期に改修工事(河道の構築)を行うべきであった旨の瑕疵の主張」をしていたわけではありません。
【下流の寝屋川と谷田川の合流点付近の工事】

大東水害訴訟の原告側は、「本件未改修部分約325米の改修を寝屋川と谷田川合流点付近の工事と並行して進行させられなかった特別なる事情が存在するのか、いずれも不明であり、いわゆる下流原則が存するとしても本件特異性に鑑みれば、右のように並行して進行せしめるべき特別の理由があるというべきであろう。」(差し戻し後の控訴審。判例時報1229号p68)と主張していました。

これは、氾濫が起きた部分の改修工事と寝屋川と谷田川合流点付近の工事を、同時並行的に進行すべきであった、と主張しており、「他の改修部分との」関係で早期に改修すべきであったと主張しています。

【上流のショートカット工事後の他の工事】

大東水害訴訟の原告側は、「この危険性はc点未改修部分を残したままでその上流部を改修することにより人為的に新たに発生した危険性である。かかる危険性の新たな発生こそが、最高裁のいうところの「谷田川の改修計画で予定された時期よりも特に早い時期に他に優先して改修すべき」こと、すなわち特段の事情にあたるものと言わねばならない。」(同p72)と主張していました。

「この危険性」とは、氾濫があったc点の上流で完成していたショートカット工事による流量増大がもたらした危険性を指します。

大東水害訴訟の原告側は、ショートカット工事よりc点の工事を先にやるべきだったとは言っていません。

ショートカット工事によって新たな危険が発生したので、それ以後は、他の工事より優先してc点の工事をすべきだったと主張しています。ただし、他の工事がどこの工事なのかを具体的に指摘はしていません。

以上により、大東水害訴訟の原告側は、確かに、ショートカット工事に関連しては「他に優先して」と述べるだけで、他の工事を具体的に特定していませんが、谷田川の合流点付近の工事については、工事を特定しており、当該工事と同時並行で進めるべきだったという形で早期に改修すべきだったと言っています。原告側は、他の工事を引き合いに出して優先順位を議論しています。

したがって、大東水害訴訟では、「単に早期に改修工事(河道の構築)を行うべきであった旨の瑕疵の主張がされた」わけではありません。

この事実は、たとえ「結論的には」という修飾語を置いたとしても、変わらないはずです。(そもそも何をもって「結論」としているのかも説明されておらず、不明です。)

ところが、鬼怒川大水害訴訟の原告側は、「結論的には」とさえ言えば、あったことをなかったことにできると考えているようです。

忖度すれば、大東水害訴訟の原告側が引き合いに出した工事の数が少ない、ということかもしれません。

鬼怒川大水害訴訟では、氾濫箇所以外での数多の工事の実施時期の妥当性をつぶさに点検しており、その点は、確かに、大東水害訴訟と異なるかもしれません。

それなら、何箇所の他の改修工事を引き合いに出せば、「他の改修部分との間で」瑕疵を主張したことになると言うのでしょうか。

いずれにせよ、大東水害訴訟では、原告側はひたすら単にc点の改修を早期に行うべきであったとだけ主張したとの認識は、事実に反するので、前段の前提は成り立たないと思います。

●主張の仕方で安全性は変わらない

原告側は、p8で次のように主張します。

しかし、このような事案ではなく、当該未改修部分につき、他の改修部分との間で、改修計画において改修工事の順序・時期において不合理であったため未改修であった、あるいは、改修計画で定められた改修工事の順序を変更したり、又は時期を繰り上げたりして早期に改修工事を行うべきであった、との瑕疵の主張の場合は、当該主張は、上記調査官解説第三図において、当該未改修や改修の遅れは、当該改修段階(A段階)で有すべき安全性を有するべきであるのに、それを有するように改修されていない旨の瑕疵の主張(斜線直線の下の白の実線囲い部分、代理人が付したAの部分)なのである。

要するに、この主張は、他の改修箇所を引き合いに出して「氾濫が起きたを先に改修すべきであった」と主張すれば、段階的安全性を有しないという主張になるが、単に早期に改修すべきであった、とだけ主張する場合には、段階的安全性を有しているが、より高い段階の改修がされるべきであったという主張になる、ということです。

しかし、被災当時の河川が段階的安全性を有していたかどうかは、当該段階で予定されていた安全性と被災当時の河川が有していた安全性に差があるか、という問題であって、当事者が他の改修箇所を引き合いに出すか出さないか、つまり、当事者がどう発言したかで左右される問題ではないと思います。

野山宏調査官解説p493には、「[第三図]からも明らかなように、未改修あるいは改修途上の河川の安全性は、原則としてその段階において予定されている安全性をもって足りると判断せざるを得ない。」と書かれています。

野山が「その段階において予定されている安全性」とは、当事者が何を言ったかで左右されるものだと考えていたとは思えません。被災当時の河川の安全性も同様です。

河道改修の過程でのある段階において予定する安全性とは、一般には、例えば、本来は1/100確率の洪水に対応する安全性を計画目標とすべきだが、当面は1/50確率の洪水に対応する安全性を確保しようとするような場合の安全性を指すのであり、水害発生後に訴訟当事者が何を言ったかで左右される性質のものではないと思います。

また、上記安全性を被災当時の河川が有していたかという問題も、河川の物理的な状態で判断すべきものであり、当事者の発言で左右されるものではないと思います。

調査官解説を読むと、原告側の主張の仕方で、瑕疵の類型、判断基準及び要件が変わるようにも読めますが、そう読むのは間違いだと思います。

例えば、原告側が被災当時の河川が段階的安全性を有していなかった(内在的瑕疵)と主張したとしても、被告が当該安全性を有していることを立証した場合には、原告側の主張は認められず、裁判所によって「改修の遅れ」型に分類されるのだと思います。

いずれにせよp8の上記記述は、原告側が氾濫箇所以外の箇所の改修工事を引き合いに出して、氾濫箇所を早期に改修すべきだったと主張すれば、被災当時の河川が段階的安全性を有していなかったことになるという主張であり、私には理解しがたいものです。

理解できないので、否定はしませんが、原告側は、ある条件からいきなり結論を導いているようにしか見えませんので、裁判所に理解させたいと思うなら、結論に至る思考過程を丁寧に説明する必要があると思います。

特に、段階的安全性を有しているかどうかの事実認定をどうやってするのかを説明しないと理解が困難だと思います。

●二分法ではなぜだめなのかが説明されていない

原告側は、p8で次のように主張します。

斜め直線直下の白の実線囲いの部分(Aの部分)は、上記の内在的瑕疵にとどまらず、当該改修段階(A段階)で有すべき安全性を欠如している瑕疵でもあるのである。

表現についてですが、「斜線」と言えば済むものをなぜ「斜め直線」と、簡潔でない言い方をするのか理解できません。

調査官解説を前提とすると、意味が分かりません。

内在的瑕疵の主張は、「当該改修段階で予定される安全性を備えていない」という観点からの瑕疵の主張です(調査官解説p501)から、段階的安全性を欠如しているという主張であることは当然すぎます。

忖度すれば、調査官解説では、原告側の瑕疵の主張は、段階的安全性を超える安全性を求める「改修の遅れ」型と段階的安全性の欠如を指摘する「内在的瑕疵」型の二分法ですが、原告側は、これに第3の類型を持ち込み、三分法とする、ということだと思います。

しかし、なぜ三分法にしなければならないのかが説明されていません。

つまり、三坂町の破堤がどのタイプかを調査官解説が説く二分法で振り分けると何が不都合なのかが不明です。

具体的には、新たな類型の瑕疵主張が段階的安全性を欠如すると主張するものであるならば、「内在的瑕疵」の観点からの瑕疵の主張と分類すべきではないのか、という疑問が起きます。

原告側は、読み手のこうした疑問に答えることなく、結論だけで、三分法を主張しているので、理解が困難です。

●類型の説明で要件論を持ち出す意味が分からない(その1)

原告側は、p8で次のように主張します。

すなわち、段階的安全性又は過渡的安全性とは、河川が通常有すべき安全性を欠く状態にあっても、そこに至る(過渡的)段階に対応する安全性(段階的安全性・過渡的安全性)を備えていれば河川管理の瑕疵があるとはいえないということを示すための表現である。

そして、その反面、その(過渡的)段階に対応する安全性(段階的安全性・過渡的安全性)を備えていなければ、河川管理の瑕疵があることを示すことになる。

当然すぎて言う実益がないと思います。

大東判決には、「未改修河川又は改修の不十分な河川の安全性としては、右諸制約のもとで一般に施行されてきた治水事業による河川の改修、整備の過程に対応するいわば過渡的な安全性をもつて足りるものとせざるをえない」と書かれています。

p5にも、大東判決を紹介する中で、「改修の不十分な河川の安全性としては、治水事業の過程における河川の改修、整備の段階に対応する安全性で足りるとせざるをえない。」と書いています。

これらを読んでいるはずの裁判所にわざわざここで言う必要があるのでしょうか。

p9には、「このことについて、(1)では、調査官解説第三図においては、A改修段階とB改修計画終了段階の2つの段階で説明されており、A改修段階における瑕疵(の主張)が棒グラフで示されていることから、これを利用して説明したものである。」として、第三図を引用した理由を述べているのですが、要らない情報だと思いますし、第三図は、瑕疵の主張の類型を示すための図であるのに対して、段階的安全性を備えていれば瑕疵があるとは言えないという話は、瑕疵の要件の話ですから、別次元の問題だと思います。

●類型の説明で要件論を持ち出す意味が分からない(その2)

原告側は、p9で次のように主張します。

以上のとおり、調査官解説第三図の横軸における各段階において、同第三図の右上がりの斜め直線で示される安全性(これがまさに段階的安全性・過渡的安全性である)を備えていなければ、河川管理の瑕疵があるといえる。

第三図は、野山が瑕疵の主張の類型を示すために描いたものだと思います。

原告側もp9まで瑕疵の要件について述べていません。

したがって、ここでいきなり「河川管理の瑕疵があるといえる」と言われたって、唐突な感じであり、読み手は戸惑うだけだと思います。

要するに、第三図を引用して瑕疵の有無を説明するのは無理です。

第三図は、段階的に予定された安全性を有しないから、有するような改修をすべきであったという瑕疵の主張をしている場合は、図示するとこうなると言っているだけで、瑕疵があるとかないとかの次元の話ではないと思います。

斜線の下側は、当事者が「予定された安全性を有しない」と主張している場合であることを示しているだけの話ですから、主張しただけで「瑕疵があるといえる」と言えるわけがないと思います。

大東判決に従う以上、「瑕疵があるといえる」かどうかは、「河川管理の特殊性」と判決要旨一で判断することになると思います。

●瑕疵の判断枠組みの説明が中途半端

書面冒頭で最高裁判決を持ち出し、瑕疵の判断枠組みの説明をするのかと思いきや、調査官解説第三図を引用して瑕疵の主張の型を説明しただけで、なぜ第3の型を考案する必要があったのかの説明もなく、三坂町の破堤に関する瑕疵の主張がどの型に当てはまるのかの説明もなく、瑕疵の有無の判断基準は何かの説明もなく、p9でぷっつりと途切れ、いきなり各論(改修計画における考慮事項)に突入するという異例の構成になっています。

総論として中途半端であり、読み手は袋小路に迷い込んだ心境になります。

せめて、瑕疵の有無の判断基準を示さないと、三段論法にならないと思います。

(文責:事務局)
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