赤城白川の土石流は八ッ場ダムで防げない

2015年7月15日

●八ッ場ダムの土地収用手続を進めるための公聴会が開かれた

2015年6月26日と27日の両日、八ッ場ダムに関する公聴会が東吾妻町の公共ホールで開かれました。

公聴会はダム予定地の土地や家屋の強制収用の可否を判断するために、国土交通省本省(認定庁)が土地収用法の規定に基づいて開いたもので、あらかじめ申し込みをした公述人が意見を述べ、起業者である国交省関東地方整備局に質問した公述人もいました。

2011年に行われた八ッ場ダム検証結果に関する公聴会では、ダムに賛成意見を述べた公述人は行政関係者と地元の議会や住民組織関係者で占められ、八ッ場ダムの恩恵を受けるはずの下流都県からの公述人は全員が反対意見でした。今回の公聴会でも、賛成意見の7件の公述は、下流都県の行政関係者と地元議会関係者のみによるもので、下流都県の住民はいませんでした(八ツ場あしたの会のホームページの「八ッ場ダム公聴会1日目」参照)。

●星河由紀子氏が公述した

事業に賛成する立場から星河由紀子氏が公述しました。上記八ツ場あしたの会のホームページに星河由紀子氏の公述の要約が次のとおり掲載されています。

5歳の時にカスリーン台風(1947年)で家を、父を、祖母を流され、すべてを失った。生まれは(群馬県)勢多郡富士見村。赤城白川が決壊し、兄の先導によって小高い所に逃げた。*注

長野原に嫁いで来た時、ダムはまだ反対闘争の最中だったが、下流都県に嫁いでいった妹や、就職した兄弟が利根川や荒川のほとりで生活しており、「雨が降ると川の水が凄いんだよ」という話を聞くようになった。夫の祖父母、父、夫の三代がダム反対から条件付き賛成、そしてダム賛成へと変わった姿を見てきたが、決して犠牲になったとは思っていない。人間は共存していかなければ、平和な安全な暮らしはできない。下流都県の皆さんが八ッ場ダムができることによって水の供給を受け、洪水の恐怖から逃れ、安心した生活ができるならば、ダムは決して無駄とは思わない。

八ッ場ダムのニュースを見るたびに心を痛め、政権交代でダム中止が発表された時には身の縮まる思いだった。なぜ私達がこんなに責められなくてはならないのか。移転していった方々や早くダムを見たいと言って亡くなった多くの人々のためにも、是非、八ッ場ダム、あとじさりすることなく前へ、前へ進めて、予定より早く完成させていただきたい。

長野原町が必要としているダムではない、という言葉も多く聞かれるが、このダムによって安心した生活がおくれるよう、住民が職に就けるような場をつくり、生活再建を成功させてこそ、八ッ場ダムの成功と思う。どうしたらダムを早く進めていただけるか、ここまできてもまだ反対の声が多く聞かれる中、胸を痛める町民たちの代表として述べさせていただいた。

*注:この公述が行われた翌日の公聴会で、赤城山麓の土石流は利根川の洪水軽減とは無関係であることを国交省が公述人の質問に答えて回答。


●冒頭部分を詳しく聞いてみよう

星河氏の公述は、ジャーナリストまさのあつこ氏のツイキャス「土地収用法23条・八ッ場ダム公聴会1」で聞くことができます。

星河氏の公述の冒頭部分を詳しく書き起こすと、次のとおりです。

八ッ場ダム水没住民の一人であります星河でございます。
ただいま茨城県の先生から大変、八ッ場ダムにつきましては勉強になるお言葉、ありがとうございました。
私たちは、決して犠牲になっているとは思っておりません。
私は、5歳の時に、カスリーン台風で家を流され、父を流され、祖母を流され、すべてを失ってしまいました。生まれは勢多郡富士見村です。赤城白河が決壊し、大きな水の音を聞きつけた父が竹やぶの裏へ出た時は、もう既に濁流が家へ押し寄せてきました。私たちは、速やかに兄の先導によって小高い所へ逃げましたが、逃げ遅れた祖母を助けるために父は家の中へ入り、父、祖母、家、そして田畑のすべてが濁流に飲まれてしまいました。

まだ5歳とはいえ、とても印象に残っている、一生に一度の本当の怖さを身にしみたわけですが、今、そして、今日このごろ、集中豪雨によって日本全国で濁流に飲まれるあの景色を見ますと、まざまざとあの50数年前の景色がよみがえってまいります。父は幸い、前橋市の龍蔵寺町まで流されましたが、数日経って変わり果てた姿で家へ帰ってきました。私たちは、残った物置小屋で生活を始めましたが、もう二度とこんな水害は遭いたくない、そういう思いでいっぱいでした。

そしてその数年後、今度は家が火事で焼け、本当に水と火の被害に遭ってしまいましたが、母親が、火事は家だけ持っていくからいいけど、水はすべてを持っていってしまう。水は本当に怖いものだということを常々語っていました。

私が長野原へ嫁いできましたとき、ダムはまだ反対闘争の最中でしたが、だんだんと下流都県へ嫁いでいった妹、そして下流都県へ就職していった兄弟たちが利根川のほとり、又は荒川の方のほとりで生活しておりまして、雨が降ると川の水がすごいんだよね、という言葉を発するようになりました。
(中略)
下流都県の皆さんが、八ッ場ダムができることによって、水の供給を受け、そしてまた洪水からの恐怖を逃れ、安心した生活ができるならば、私はダムは決して無駄と思ってはいません。


●星河由紀子氏は元町議会議員だった

星河由紀子氏は、一「水没(予定地)住民」として公述していますが、2015年4月まで長野原町議会議員だった人です(根拠は政治山のサイトの長野原町議会議員選挙(2011年4月24日投票))。

いつから議員だったかは分かりませんが、2007年4月には無投票で当選したことが確認できます(「広報ながのはら」2007年5月号)ので、少なくとも2007年から2015年までの2期8年間は議員でした。

しかも、2009年当時、長野原町議会の八ッ場ダム対策特別委員会の副委員長でもあった人ですので、八ッ場ダム問題に関してはプロです。

しかし、テレビや公聴会で発言するときは、議員であること又は議員であったことは述べず、一住民として発言するのが星河氏の流儀のようです。

「「ダムを嘆きの涙でいっぱいにしてやりたい」と、うまいこと言うなぁと感心させられた「地元住民」のおばさん、実は推進派の町議会議員の方でしたね。」(富士市議会議員鈴木幸司氏のサイト)と言う人もいます。

TBSテレビが放送した星河氏の映像を下記サイトで見ることができます。 http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-2347.html

私たちが星河氏の意見を聞く場合、議員であること又はあったことを自ら述べるのであれば、「弁の立つ人が特定の利益集団を代弁しているのかもしれない」という疑問を持ちながら聞くので、彼女の話をどこかにワナが潜んでいるかもしれないと思って聞くものですが、彼女が身分を明かさないで発言すると、彼女の身分に関する情報を全く持たない人に対しては、身分を明かしたときよりも説得力が増します。

公述人が身分を明かす法的義務はありませんが、同義的には問題だと思います。

例えば、今回の公聴会で埼玉県副知事と加須市副市長が公述していますが、彼らが仕事として公述しているにもかかわらず、肩書きを明かさず、下流県の一住民として公述したとしたら非難を浴びるのではないでしょうか。

仕事そのもの、あるいは仕事の延長として公述する人は、身分を明かすのが筋だと思います。そうすれば、聞く人は、「ダムで食べている人や仕事で来ている公述人は食うためには詭弁を使うのではないか」という心構えを持って聞けます。

星河氏は、幼少時にカスリーン台風の被災者であり、嫁ぎ先が八ッ場ダムの水没予定地であったという、実に同情されるべき立場の人なのですが、同時に自民党系の町議会議員として八ッ場ダムの完成を目指して八ッ場ダム工事事務所の職員とともに民主党政権と闘ってきた立場であることを述べるのがフェアだと思います。

星河氏は、議員であったことを明かさないことによって、明かした場合よりも有利な立場で公述したと言えないでしょうか。

●富士見村の水害は土石流被害だった?

星河氏の公述は、水害の体験者の話なので思わず聞き入ってしまいますが、論理のすり替えがあると思います。

星河氏の話を聞いていると、星河氏が体験した水害は、八ッ場ダムを建設すれば防げるような錯覚を持ってしまいますが、富士見村を襲った水害とは土石流だったと思われ、八ッ場ダムでは防ぐことができません。

星河氏が体験した水害が土石流だと考える根拠は、群馬県のホームページの記述です。

群馬県のホームページの「広瀬川・桃ノ木川流域」というページには、「流域の洪水被害」として次のように書かれています。

昭和22年のカスリーン台風は赤城山麓に大量の雨を降らせ、赤城白川や荒砥川などで土石流を発生させました。この時の土石流では富士見村で104名、旧大胡町で72名など多くの犠牲者が出ました。

星河氏の家族が犠牲となった災害は、上記「富士見村で104名」の犠牲者を出した土石流であると思われます。

星河氏も自分が体験した災害が土石流であることを否定しません。

ジャーナリストのまさのあつこ氏は、「(星河氏の)公述終了後、星河さんに、破堤ではなく土石流ではなかったかを尋ねると、一転して「昭和22年9月のことで小さかったので覚えていない」と述べた。」(「八ッ場ダム強制収用手続きで22名公述:賛成は全7名が公人、うち4名が「公職」を名乗らず」)そうです。

●富士見村の災害は八ッ場ダムで防げない

Wikipediaによると、星河氏が幼少時に住んでいた「富士見村(ふじみむら)は、群馬県の中部に位置した、赤城山の南面に広がる村である。2009年5月5日に前橋市に編入され、廃止された。」そうです。「赤城山の山頂周辺から南側にかけて南北に長い村域である。」と解説されています。村の位置は、Wikipediaに掲載された地図をご参照ください。

富士見村と赤城白川の場所がよく分かるホームページがあります。「群馬風便り」というサイトの赤城大沼用水<18.12.11記>というページです。

冒頭と中程に地図が埋め込まれています。

赤城白川とは、google mapを見ると、県道4号線沿いを流れる川のようです。

以上により富士見村は、その名のとおり、富士山が見えるような赤城山の南斜面にあり、しかも標高の高い所にあったと思われます。そして赤城白川は、赤城山の斜面を流れる利根川の支流です。

したがって、星河氏が体験した水害が土石流であったにせよ、赤城白川の氾濫による堤防の決壊であったにせよ、赤城山の斜面における水害であり、前橋市の市街地を流れる利根川本流の流量をいくら減らしても防げる水害でないことは確実です。

一般論としても、本流のダムで土石流被害や支流の氾濫被害を防げないことは明らかです。

八ツ場ダムを建設する契機となったのはカスリーン台風被害であり、星河氏が公聴会で語ったのもカスリーン台風被害ですが、星河氏の体験した被害は、八ツ場ダムの効果とは全く関係のないものだったということです。

●星河氏は正反対の結論を出している

上記のとおり、星河氏が体験したカスリーン台風被害は、八ツ場ダムの効果とは全く関係のないものですから、星河氏の被災体験から八ッ場ダムについて意見を述べるならば、八ッ場ダムは自分が被災したような災害の防止効果がないから中止すべきだという結論になるはずです。

一般論としても、水害統計を見れば、近年の水害は土石流と内水氾濫が大部分を占めますから、水害対策に予算を使うなら、土石流と内水氾濫への対策に使うべきだということになるはずです。

ところが、星河氏は、自身が体験したカスリーン台風被害を強調し、八ッ場ダムは無駄ではない、早く造ってくれという全く正反対のことを言っています。

5歳でカスリーン台風を体験し、お父さんなど家族を亡くされ、大変な苦労をされたと思います。しかし、その苦労を、カスリーン台風の再来時に効果のない八ッ場ダムの建設に結び付け、地域社会と温泉街と生態系と遺跡と国・地方の財政の破壊に加担するのは八つ当たりだと思います。

星河氏は、悲惨な体験から正しく学んでいないと思います。

議員であった星河氏には、貴重な被災体験から正しい教訓を得てほしかったと思います。

そして、星河氏が体験した水害を八ッ場ダムで防げないことは、八ッ場ダムが不要であることを象徴しています。

●カスリーン台風被害を持ち出すのはイメージ操作にすぎない

要するに星河氏も国土交通省も、八ッ場ダムを建設するための口実としてカスリーン台風による被害を持ち出しますが、その被害は、水害のイメージにすぎないということです。

テレビでよく見かける「イメージ映像」です。

カスリーン台風の被害のうちの主なものは、赤城山周辺の土石流と渡良瀬川の氾濫によるものです。根拠は、中央防災会議がまとめたカスリーン台風の記録のうちの第1章 カスリーン台風と利根川流域です。

そして、赤城山周辺の土石流と渡良瀬川の氾濫による被害は、八ッ場ダムでは絶対に防げない被害です。

カスリーン台風の再来に備えるという理由で利根川の治水事業が始まったのですが、八ッ場ダムは、カスリーン台風が再来した場合にカスリーン台風がもたらした被害のうちの主たる被害を防ぐことができません。

それにもかかわらず、国土交通省も星河氏もカスリーン台風被害を水害のイメージとして利用しているのが実態です。

カスリーン台風の犠牲者を、カスリーン台風が再来した場合に効果のない八ッ場ダムを造る口実にすることは、犠牲者に対する冒涜だと思います。

●「犠牲になりたい」と言っていたという情報もある

上記のとおり、星河氏は公述で、「私たちは、決して犠牲になっているとは思っておりません。」と言っていましたが、次のような情報もあります。

低気温のエクスタシー(故宮)というサイトの「やらせ疑惑のTBS「朝ズバッ!」は謝罪も説明もしなかった模様」というページによると、2009年9月には、星河氏は、次のように言っていたらしいのです。

星河由紀子町議員の主張が、
死んだ祖父・祖母がダムの完成を楽しみにしていた。
私たちは、下流流域のために、犠牲になってダムを建設したいんです。
ダム建設のために、先祖の墓を移転しました。
それを中止にするなんて許せない。

なので、星河氏が八ッ場ダムの犠牲者なのか、犠牲者でないのか、はっきりしません。


●八ッ場ダムの効果が仮定形で語られていた

確かに星河氏は、自分が旧・富士見村で体験した被害が八ツ場ダムで防げるとは言っていません。

しかし、土地勘のない人が聞くと、悲惨な水害をなくすには八ツ場ダムが必要だと誤解するように仕組まれていると思います。

星河氏の次の発言に注目してください。

下流都県の皆さんが、八ッ場ダムができることによって、水の供給を受け、そしてまた洪水からの恐怖を逃れ、安心した生活ができるならば、私はダムは決して無駄と思ってはいません。

八ッ場ダムが無駄でないと考える前提が、「安心した生活ができるならば」と仮定形で語られています。

八ッ場ダムによって洪水の恐怖から逃れることができる、とか、安心した生活ができるとは言っていません。

即ち、仮に八ッ場ダムが完成しても、水害が減らず、水が余り、世間から「八ッ場ダムの効果がないじゃないか」と星河氏が非難されることになっても、「私は、八ッ場ダムに効果があるなんて一言も言っていない。もしも八ッ場ダムによって「安心した生活ができるならば」無駄ではないと思う、と言っただけだ。」という言い訳ができるようになっています。巧妙な論法が用いられています。

●東京高裁判決とそっくりだった

星河氏の論法は、奇しくも東京都民が起こした八ッ場ダム住民訴訟での東京高裁判決(2013年3月29日、大竹たかし裁判長。以下「大竹判決」という。)で用いられた論法とそっくりです。

大竹判決の51ページには次のように書かれています。

エ 河川法63条1項に規定する「著しく利益を受ける」とは、河川の管理により、他の都府県が一般的に受ける利益を超える特別の利益を受けることをいうと解される。

そして、前記ウ判示の事実によれば、洪水により利根川〜江戸川の右岸で破堤した場合、浸水区域が東京都区部にまで達し、多大の被害をもたらす可能性があること、八ッ場ダムが利根川上流域における洪水調節によってこのような災害を防止することに有効であれば、東京都は、他の都府県が一般的に受ける利益を超える特別の利益、すなわち、同項所定の「著しく利益を受ける」ものと認められる

大竹判決もまた星河氏の公述と同様に、「八ッ場ダムが利根川上流域における洪水調節によってこのような災害を防止することに有効であれば」という仮定形を用いています。しかし、実際に有効であるかどうかを検証しないまま、都府県が「著しく利益を受ける」ことを認めるという暴論を展開しました。

星河氏も大竹判決も「八ッ場ダムが有効であれば」という仮定形を用いてダムが無駄ではないと言い、ダムが有効でないことが判明した場合の責任から逃げられるような論法を用いました。

●問題は八ッ場ダムが有効かどうかである

今回の公聴会の目的は、八ッ場ダムを建設するために事業予定地の住民を立ち退かせるべきかどうかを国土交通大臣が判断するに当たって参考にすることです。

したがって、治水という目的について言えば、八ッ場ダムがカスリーン台風が再来した場合に災害を減少させる効果を発揮するか、あるいはカスリーン台風洪水以外の洪水について効果を発揮するかどうかが議論されるべきです。

ところが星河氏の公述は、八ッ場ダムが有効かどうかについて語りません。八ッ場ダムの効果の及ぶ範囲とは関係のない地域での土石流被害の実例を語るだけです。広島県の土石流被害の実例を語るのと同じであって、八ッ場ダムの効果とは全く関係がありません。

要するに星河氏の話は、「水害は怖い。だからダムが必要だ。」というものであり、論理の飛躍であり、短絡的議論であり、目的と手段の非対応であり、論理のすり替えです。

●利権政治とはこんなもの

思えば、利権政治は、常にこうした詭弁(論理のすり替え)で支えられています。

ダム利権にせよ、防衛利権にせよ、エネルギー利権にせよ、命を守る、暮らしを守るという、誰も反対のしようのない大義名分を掲げ、そのためにダムとか海外での武力行使とか核発電とか、理論的に考えれば最適でないような手段、むしろ最悪の手段を用意して、そのために税金や公共料金をつぎ込み、その手段に関連する業界、族議員、官僚、学者、マスコミが大もうけをするという手口は、古今東西変わりません。

しかし、だからといってあきらめるわけにはいきません。

権力者の悪だくみと国民の「不断の努力」の葛藤は永遠に続くということでしょう。

(文責:事務局)
文中意見にわたる部分は、著者の個人的な意見であり、当協議会の意見ではありません。
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