常総市議会もだまされていた(鬼怒川大水害)

2021-08-18

●国土交通省職員が常総市議会に説明した

前回記事では、鬼怒川大水害訴訟において、被告が証拠も示さずに、破堤区間に係る堤防整備のための用地調査を2014年に着手したことを、根拠を示さず、繰り返し主張する起源は国会答弁にあると思われるということを書きました。

今回は、国土交通省は、国会答弁に使ったご飯論法を常総市議会に対しても使っていたことを紹介します。

河川官僚は、国会と市議会をだましたのです。

根拠資料は、常総市議会水害検証特別委員会会議録(第12回、2016年2月29日)です。資料は、毎度のように、平成27年関東・東北豪雨災害 〜鬼怒川水害〜のサイトのお世話になっています。

上記会議が開かれた時期は、野村が答弁した2016年 2月 24日の5日後であり、説明したのは伊藤芳則・下館河川事務所所長ですが、高橋伸輔・関東地方整備局河川部河川調査官もお目付役として(?)出席していましたから、伊藤が国会での野村答弁と同じ論法で説明するのは当然の成り行きかもしれません。(国からの出席者は「参考人出席者」を参照ください。)

●国会答弁は踏襲された

伊藤所長の説明は、あらかじめ検証特別委員会から提出された「国土交通省への質問事項」に答える形で行われました。

説明の核心は、5日前の野村答弁です。

伊藤は、破堤区間に係る用地取得が2009年までに完了していた事実はおくびにも出しません。

説明のうち重要部分について見ていきます。

p2
○伊藤所長 (前略)
鬼怒川につきまして、これまで下流部の茨城県区間において連続堤防の整備による流下能力の向上を図ってきております。また、一方では流れの速い上流部の栃木県内の負荷については河岸浸食等の防止のための護岸整備、こういったものによって河岸の強化を行ってきております。さらには、上流部のダムの整備による流量の低減、こういった3本の柱によりまして対策を行うことで、川全体にわたっての安全度の向上に努めてきたところでございます。

下流部の茨城県の区間におきましては、全体的に流下能力が不足していることから、流下能力が大きく不足している箇所を優先的に順次下流から整備を行ってきたところでございます。

堤防が決壊した三坂町の地区や溢水した若宮戸地区を含む6km区間につきましても、一連区間といたしまして下流の堤防整備の進捗を見つつ、平成26年度から用地調査に入るなど整備を進めてきたところでございます。

野村の国会答弁を踏襲したのは、「堤防が決壊した三坂町の地区や溢水した若宮戸地区を含む6km区間につきましても、一連区間といたしまして下流の堤防整備の進捗を見つつ、平成26年度から用地調査に入るなど整備を進めてきたところでございます。」という部分です。

伊藤は、連続堤防と護岸とダムの整備が治水事業の3本柱だと言いますが、バランスが悪すぎたから鬼怒川大水害は起きたのです。下流の連続堤防の整備の遅れは、上流にダムを整備することでは解消されないことを被告は理解していなかったということです。

「下流部の茨城県の区間におきましては、全体的に流下能力が不足していることから、流下能力が大きく不足している箇所を優先的に順次下流から整備を行ってきた」という話も、下流原則を機械的に適用しただけで、緊急性を考慮してこなかったことを白状していると思います。

p9
○伊藤所長 (前略)
それと、若宮戸の部分についての整備が何故今までできなかったのかということですが、それにつきましては、先ほども御答弁させていただきましたけれども、鬼怒川の下流部につきましてはこれまでもずっと言ってまいりましたのは、10年に一回程度の発生する洪水を十分に流せない箇所がまだあるということで、そういった極端に低いところから順次堤防整備をするということでやってきておりまして、現在は工事をやっているのは常総市の下流部、極端に低いところの改修が進められておりまして、26年からは先ほどの答弁の繰り返しになりますけれども、三坂から上流左岸ですね、6km区間、ここには三坂町の決壊箇所並びに若宮戸の区間が入りますけれども、この区間を堤防整備するための用地調査に入っているというようなところでございまして、危険箇所から順次堤防を整備してきたという中で昨年の出水があったということでございます。

「26年からは先ほどの答弁の繰り返しになりますけれども、三坂から上流左岸ですね、6km区間、ここには三坂町の決壊箇所並びに若宮戸の区間が入りますけれども、この区間を堤防整備するための用地調査に入っている」は、野村答弁とほぼそのままです。ただし、「三坂から上流左岸ですね」(新石下地区を指します。)は、野村が「決壊した箇所のさらにもう少し下流部」と答弁したことを修正していますので、野村答弁が誤りであったということです。

「6km区間、ここには三坂町の決壊箇所並びに若宮戸の区間が入りますけれども、この区間を堤防整備するための用地調査に入っている」と言われたら、被災時には決壊箇所の用地調査に入っている状態だったと受け取るのが普通だと思います。

p10
○中村博美委員 そこは25cm低かったところから越水して決壊したということですね。それは確認していたけれども、工事はまだ手が付けていなかったということですね。計画はあったんですよね、もちろん今の話で。
○伊藤所長 用地調査に入っていると。
○中村博美委員 用地調査に入っていたところ・・・。はい、ありがとうございます。

中村は伊藤から「(決壊区間は2014年度に)用地調査に入っている」と言われて、それ以上の追及ができなくなってしまいました。ウソ話の効果はてきめんです。

伊藤は、はっきりウソを言っています。中村委員は、破堤区間について「計画はあったんですよね」と聞いています。これに対して伊藤は「用地調査に入っている」と答えたのであり、2009年までに用地取得した土地について2014年度に用地調査に着手することはあり得ないので、ウソの説明ということになります。

ちなみに、「ありがとうございます。」と言うほど丁寧な説明を受けていないのですが。

p20
○伊藤所長 まず1番目のこれまでの若宮戸の堤防計画についてなんですけれども、堤防計画についての検討については、過去のうちの事務所で平成15年くらいからだと思うんですけれども行っておりまして、その中で今ありました十一面山の関係で地元の保全活動をされている団体とも相談をさせていただいたという記録があります。今、委員の御発言の中でそういった自然保全のために堤防はつくらないというような話はありませんで、最終的には自然保全団体の方々とも合意をして堤防計画は一旦まとまっています。

それでなんで今までできないのかというのは、そこは先ほどからの説明させていただいていますように、鬼怒川のいわゆる極端に流下能力の低いところを順次下流からやってきた中で、やっと三坂の地区からのこの一連区間のところが用地調査に入った状況です。

ただ、そういう中で一昨年ですか、ソーラーパネルによる自然堤防の掘削がされて、応急対策として当方で土のう積みをし、さらに常総市から要望書が提出され、地元からも堤防をという中ではそういった御意見を踏まえて6kmの一連区間の整備をする中でも、若宮戸については今後早急に行うというようなことで準備を進めていたというところであります。

「若宮戸の整備が遅かったではないか」という話をされると、上三坂から若宮戸までの約6kmもの長大な一連区間があったことを持ち出し、2014年度に用地調査に入った翌年に豪雨に襲われたので間に合わなかった、というのが国土交通省の論法です。

「やっと三坂の地区からのこの一連区間のところが用地調査に入った状況です。」と聞くと、「やっと」が「三坂の地区」にかかると誤解しがちですが、実は、「一連区間のところが」にかかります。誤解を招く言い回しをして聞き手の誤解を利用するのがご飯論法なのです。

前半で伊藤は、若宮戸の築堤について、時期は不明ですが、地元の自然保全団体と合意していたと説明しています。

すなわち、水野委員から出た、地元団体が反対したので築堤できなかったという噂を否定しています。

2007年2月23日、利根川水系河川整備計画の鬼怒川・小貝川ブロックでの公聴会の公述人として、地元自然保全団体の代表であった吉原光夫・元市議会議員が「最近の異常気象 による記録的な雨の発生に対し、生命と財産を守る上で築堤はやむを得ないと考える。」と述べているので、伊藤は、「地元が反対したので築堤できなかった」と言うわけにはいかなかったと思います。

以上のとおり、常総市議会も国会での野村答弁の論法にだまされたのですが、誰が議員だったとしてもだまされたと思います。なぜなら、破堤区間の堤防整備のための用地取得は2009年に完了していた(鬼怒川大水害)で紹介した「三坂町地区用地取得範囲図(平成18年度〜平成21年度)」が梅村さえこ衆議院議員に提出されたのが2017年4月14日(被災から17か月以上後で、常総市議会水害検証特別委員会第12回会議から13か月以上後)であり、破堤区間に係る用地取得が2009年に完了していたことなど当時は誰も知りませんでしたし、河川官僚がよもや虚偽説明をするとは思わないでしょうから。

●その他の注目点

上記の他にも、伊藤は、注目すべき発言をしていますので、見ていきます。

p3で伊藤は、鬼怒川の氾濫シミュレーションが最初に公表されたのが2005年3月31日であり、その後、2013年に最新のデータで更新したと説明します。

なので、被災時に河川事務所のサイトに掲載されていた氾濫シミュレーションは、2013年に更新されたものということです。

p9
○伊藤所長 (前略)こういったような整備状況から再度堤防の整備を進めてきたというのが48年の堤防計画改定からの状況でございます。

問題ありです。

あたかも、1973年から再度堤防の整備を進めたかのように言いますがウソです。訴訟では、1975年頃から2000年までは、堤防の整備を休止していたと説明されています(被告準備書面(5)p11)。

p10
○伊藤所長 (前略)過去の48年以降、どういうところを整備したかというところについては、まだ十分な整理ができてはいませんけれども、少なくともここ十数年については下流からの整備ということで危険箇所の解消ということでやってきております

あまりにも非論理的だと思います。

「下流からの整備」と「危険箇所の解消」は別のことです。

伊藤が「下流からの整備」を「危険箇所の解消」とみなしているだけの話であり、「下流からの整備」=「危険箇所の解消」であるはずがありません。

●被告は「三坂町地区用地取得範囲図(平成18年度〜平成21年度)」を隠したがっている

水害検証特別委員会会議で伊藤が破堤区間に係る用地取得を2009年までに完了していたことを説明していたら、説明会の質疑応答は違った展開になっていたと思うのは私だけでしょうか。

梅村議員の関係者が「三坂町地区用地取得範囲図(平成18年度〜平成21年度)」を国から提出させたことは大いに賞賛されるべきだと思います。

被告は、上記資料を証拠として提出されることを嫌がっているはずです。なぜなら、破堤区間については、「上三坂地区の堤防についても、平成26年には用地調査に着手し、整備に向けて進めていたところであって」(被告準備書面(5)p22)と、「三坂町地区用地取得範囲図(平成18年度〜平成21年度)」と矛盾することを述べているからです。

(文責:事務局)
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