辰巳ダムに反対する元県職員は「かち殺してしまえ」

2008-06-05,2008-06-06修正

●石川県辰巳ダムに反対する元県職員を県議会議員が「かち殺してしまえ」と発言

国会議員が国会の場で他人を殺人者と呼んだ例がありますが、その議員でさえ、だれかを「殺してしまえ」と発言したことは、おそらくないと思います。

石川県は、犀川(さいかわ)に辰巳ダム(ダム便覧から)を建設する計画を進めています。辰巳ダムは、1975年に着手され、総貯水容量600万m3の穴開きダム(治水専用ということ)です。

「兼六園と辰巳用水を守り、ダム建設を阻止する会」通称「辰巳の会」のブログに、次のように書かれています。

5月23日の石川県議会土木企業委員会の質問で、宇野邦夫議員は、元県職員(下郷稔さんのこと)が辰巳ダム事業認定取消訴訟の原告(団代表)になっていることを問題視し、「石川に住めないように」「かち殺してやれ」などと発言しました。
(かち殺す=ぶっ殺すの意)

2008-05-28読売には、次のように書かれています。

宇野県議は、ダム建設日程に訴訟が与える影響などの質問で、名指しはしなかったが、「元県職員の男」を批判。「石川県からたたき出せ」「かち殺してしまえ」などと発言した。

北國新聞、北陸中日新聞、毎日新聞、朝日新聞もこの暴言を記事にしたようですが、北國新聞、北陸中日新聞、毎日新聞は、宇野県議への遠慮からか、「かち殺せ」という発言を書いていないようです。したがって、その3紙の読者は、宇野県議がどのような暴言を吐いたのか分からないことになります。ただし、2008-06-04毎日は、「宇野県議は先月23日の県議会土木企業委員会で、元兼六園管理事務所長の下郷稔さんが原告団の共同代表であることを問題視し「県からたたき出せ」「かち殺してしまえ」と発言。」と書くに至りました。

とにかく、上記ブログの辰巳ダム訴訟原告団代表を殺せの動画で宇野県議の発言をお確かめください。YouTubeでは、ダム反対派を「殺せ」 宇野邦夫議員が議会でで見られます。宇野県議は、次のように発言しています。

元県庁職員の方がね、それもそこそこの立場のある人がよ、国が許可したことがね、おかしいと、提訴しとるがね。これは一体どういうことなのか。
こんなものはお前、石川県からたたき出してしまえというくらいの方向にまでもっていかんとやな、心構えが、しとかんとダメや、中途半端な半殺しみたいなこと言うとっても。ほんとにかち殺してしまわんとダメやわいね。ダラなことばっかり言うとるやつは。ほんとやぞ。
あの人にはあの人のファンがおる、しゃべり出すとね、あっちの方が正しくて、県の言うとることが正しくないようなね、そういう、さっき私、荒い言葉で言いましたけどね、やっぱりその辺を大事にやらないとね、慎重に、しかも的確に話しとかんと、ああいう人が世間を誘導するんやがね、悪く誘導する、いい方向に誘導するならいいけど、悪い方向に誘導するようなそんな可能性を持っとるからね。

ほかの県議や執行部の職員が笑っているのも異様です。

上記ブログによると、5月27日に下郷氏らが宇野県議に抗議したところ、宇野県議は、元県職員を「兼六園の所長を長年つとめたあと広坂休憩館にいた」とまで元県職員を特定して言っているのに、抗議する下郷氏に対して「なぜあなたのことだととるのか。私は名前は挙げていない」としらを切ったというのですから、たちが悪すぎます。

●辰巳ダムの問題点

水源連は、辰巳ダムの問題点について次のように認識しています。

辰巳ダム計画にはその当初から「辰巳の会」を中心とした住民が、治水・利水両面からその必要性がないこと、文化財である辰巳用水が破壊されることを丁寧に論証して、同計画の白紙撤回を求めてきました。その問題提起が功を奏し、辰巳ダムの建設目的から利水が消失しました。しかしながら石川県は異常に高い基本高水流量を設定して治水上の必要性をでっち上げ、辰巳ダムを治水専用ダムとした上で全く科学的根拠を持たずに「河床穴あき方式ダムなので環境負荷が少ない」と偽って同ダム計画の延命を図っています。

日本共産党石川県委員会のホームページで同委員会金沢地区委員会の出した辰巳ダムに関する提案が掲載されています。そこには、「今年(1999年)4月から8月にかけて、公共事業評価監視委員会を舞台に市民団体と県土木部河川開発課の間で辰己ダム問題についていろいろな角度から議論が行われましたが、県当局は辰己ダム建設の合理的な根拠をついに示すことができませんでした。」と書かれています。

また、石川県は、「100年に一度の豪雨に対しては(犀川大橋地点で)毎秒1,920立方メートルの流下能力が必要」であることを前提としてダムの必要性を説明していますが、上記提案には、辰巳ダムが「貴重な文化遺産や自然環境を破壊する」ことのほかに、「「100年に一度の大雨」が1時間あたり92ミリという計算にはデータの流用など重大な誤りがあり、犀川大橋地点での水量1秒間に1920立方メートルという数字にも根拠がないと民間の専門家は指摘しています。これについて、県当局はきちんと回答できないままです。」とも書かれています。

時間雨量92mmを想定するダム計画というのは、まずないのではないでしょうか。

                                                                         ●建設する側の意識を象徴している

ダム建設に反対する者を「石川県からたたき出してしまえ」、「かち殺してしまわんとダメ」は、石川県の宇野県議の個人的な問題でしょうか。私はそうは思いません。ダムを建設する側の意識を象徴していると思います。

ダム事業を首長が決めて、議会が決めて、国も認めたなら、反対する方がおかしいというのがダムを造る側の意識でしょう。しかし、この考え方は、「公共事業には完成するまで公共性が必要だ」ということを見落としていると思います。首長と議会が決めれば何でもできるというのであれば、監査委員も裁判所も要らないということになります。何よりも住民運動の意義を否定していることになると思います。

公共事業は決めたからやるのではなく、公共性があるからやるのです。これを理解したくないのが族議員です。9,342kmの高速道路を造ると昔決めたのだから造らせろというのが、道路族議員の言い分です。

法律に則って公式に決めたことに反対するなという考え方は、どこから来るのでしょうか。

一つには、「王は悪を為さず」という「行政無謬論」から来ていると思います。「知事と県議が間違った判断をするはずがない」という考え方が根底にあるのでしょう。

もう一つは、「間接民主主義至上主義」というか「選挙のときだけ民主主義」というか、民主主義や民意とは何かに関する認識の問題があると思います。宇野県議も民意に基づいて行政が執行されるべきであるとは考えていると思います。首長と議員は選挙されるのだから、首長と議員の考え方が民意であるから、一般市民は、その判断に逆らうべきではないということになるのでしょう。議員の多くがこういう考え方をしているから、多くの自治体で住民投票をやろうとしても、議会が住民投票条例案を否決してつぶしてしまうのだと私は見ています。

さらに、行政の説明責任に関する認識も問題でしょう。辰巳ダムを建設することに合理性があるのか、メリットがデメリットを上回るのかという点について、石川県は県民に対して十分に説明しているのでしょうか。宇野県議が「(元県職員が)しゃべり出すとね、あっちの方が正しくて、県の言うとることが正しくないようなね」と発言しているところから判断して、石川県は説明責任を果たしていないように思います。事業の合理性や費用対効果が問題となっているときに、それらの問題に触れずに、反対する者をとんでもない人物と決めつけて追放や抹殺を提案する議員の資格が問われるのは必然でしょう。

宇野県議は、6月2日付けで、辰巳ダム事業認定取消訴訟原告団に対し抗議への回答文を寄せており、そこには次のような文章があります。

私自身、議会人として、長年のキャリアを有する者の一人であり、県民の生命、財産、さらには災害から県民を守らねばならない、という議会人としての思いは人一倍強いという自負もあり、こうした言動につながった。

「県民の生命、財産、さらには災害から県民を守らねばならない」という思いから、ダムに反対する元県職員は出て行け、殺してしまえという発言になったということです。しかし、「辰巳ダムを建設することが県民の生命、財産を守ることになるのか」が問われていると思います。「ダムに反対する者はけしからん」と言うからには、ダムを建設と県民の安全の間に因果関係があることを証明することが必要です。宇野県議としては、その議論は避けたいでしょうが、反対する者を悪と決め付ける前に、ダム建設の正当性を説明すべきだと思います。

ここまでは、ダム建設に反対する者を批判する者の論拠を推察しました。しかし、宇野県議は、一般住民がダム反対運動をすることには触れていません。元県職員がやるのはとんでもないと言っているのです。市民がやるのは仕方ないが、元県職員がやるのはいけないという根拠はどこにあるのでしょうか。

●現職・OB公務員はダム反対運動をしてはいけないのか

元県職員がダムに反対してはいけない理由を宇野県議ははっきり述べていませんが、土木部長に「同じ釜のメシを食っとってなんや(と言ってやらないのか)」と発言していますので、おそらく、「元県職員なら後輩の仕事の邪魔をしないのが当然だ」という理屈でしょう。

元石川県職員の下郷氏は、長年県民の払った税金で食べてきたのですから、県民の利益のために行動するのは当然です。

公務員の雇い主は、住民や国民なのですから、公務員が住民や国民のために行動するのは当然のことなのですが、そうは考えない公務員が相当数います。職員や職員OBは、まずもって仲間である職員の利益を最優先に考えるべきであって、行政の方針に反対する住民運動などをすること、特に職員自身や職員の属する住民団体が市を相手取って訴訟を起こすことは、他の職員に対する裏切りであり、許されないと考える鹿沼市職員は相当数います。特に現役職員が住民訴訟を起こすことはまかりならん、退職して一市民となってからやれ、役所のやることを批判したければ外からやれ、と考えている鹿沼市職員が相当数います。鹿沼市では職員が行政訴訟を提起すると、他の職員から「(お上に)弓を引いたな」と言われます。

だから、鹿沼市職員が石川県の騒動を見た場合、長年県職員をやっていて、県職員の立場をよく理解している人がどうしてダム担当の職員を困らせるようなことをするのだろうかと苦々しく思う職員が相当数いるのではないかと想像します。

職員も労働者の権利を持っていますから、職員の利益も大切ですが、「職員さえ幸せならば市民の利益はどうでもいい」と考える職員と「職員も職員である前に市民であり、市民の利益を重要視すべきだ」と考える職員との間には根本的な発想の違いがありますから、建設的な議論はできない状況にあります。労働者は労働力を売り渡しているのであり、魂(思想・良心の自由)まで売り渡すものではないということを理解しようとしない職員が多いということです。

鹿沼市職員の中には、ダムに反対する職員がダム促進室(鹿沼市では「水資源対策室」と呼ぶ。独立行政法人水資源機構が人件費等を負担している。)に異動になれば、ジレンマに陥り、自分のやっていることがいかに間違っているかに気づくだろうと言う人もいます。そういう人事異動には、反対派に隠しておきたいことが筒抜けになってしまうことを恐れる水資源機構が反対するでしょうから、100%あり得ないことですが、もしあった場合、職務命令が一見して明らかに違法でない限り、職員はその職務命令に従う義務がありますから、市長から「ダム建設に協力せよ」という職務命令があるなら、これを無視するわけにはいきません。勤務時間中はダム促進の仕事をして、5時半すぎたらダム反対運動をやるという使い分けをするしかないでしょう。

●組合の本来の役割とは(2008-06-06修正)

しかし、そうした使い分けをすることに大きな精神的負担を感じる職員もいるでしょう。そこで重要なのが職員労働組合の役割です。

鹿沼市の職員の多くは、南摩ダムが無駄であることに気づいています。南摩ダムが有害無益であることは、水資源対策室の職員が一番よく知っていると思います。それでも「お前の仕事はダム促進だ」と命令されるわけです。市民の利益にならないことをやらされるわけですから、反対運動をやっていない職員でも、大きな精神的苦痛を味わっているはずです。一人で悩んでも精神病になるだけです。一人一人でもがいていても、つぶされてしまいます。それを救うのが組合ではないでしょうか。組合がダム反対運動をするのが筋ではないでしょうか。市民の利益に反する仕事を組合員にさせないのも組合の使命ではないでしょうか。

ところが、組合には「市民の目線」というものがありません。都合のいい時だけ「市民サービスを低下させてはならない」などと市民の利益を持ち出しますが。

2007-10-19鹿職労ニュースには、「市民の目線で考えることもこれからは求められています。」と書かれており、これまで組合が「市民の目線」を持たなかったことを認めています。「いかに、市民との摩擦を避けるかが問われています。しかし、市民に対して媚びることはありません。駄目なものはノーという気構えも必要です。」とも書かれています。「市民との摩擦を避ける」とか「市民に対して媚びることはありません。」という言葉からは、市民の利益を市民の立場で考えるという姿勢はうかがえません。

「駄目なものはノーという気構えも必要です。」。そのとおりです。市長に「ノー」を突きつけてください。思川開発は必要ない、水資源対策室も必要ない、と組合は市長に申し入れるべきです。

組合としては、管理運営事項に組合は口を出せないと言うでしょう。管理運営事項の解釈の問題です。職員が市民の利益に反するような仕事をさせられて苦痛を感じているなら、ダム促進という政策も労働条件の問題と言えるはずです。職員組合には、「市民のため」は「職員のため」でもあるということに気づいてほしいと思います。

上記鹿職労ニュースの引用の仕方が恣意的だという批判が予想されますので、まとまった形で引用します。

極端な話、我々は地域住民から公共サービスを委託されている公共団体の職員にすぎません。大阪には株式会社にしている役所もあります。
例えば、自分達の公共業務は自分でやるから、その公務に携わる職員は不必要だと判断されると分限免職になりかねません。
市民への増税や保険料の負担増が生活を困窮させているなか、その反動が我々職員に矛先を向けられることが想定されます。
いかに、市民との摩擦を避けるかが問われています。しかし、市民に対して媚びることはありません。駄目なものはノーという気構えも必要です。されど、市民の目線で考えることもこれからは求められています。

福田康夫総理大臣の発言と似ていませんか。福田首相は最近になって、消費者の立場を重視した政治をやると言いだしました。これまでの自民党政治が生産者重視、供給者重視であったことを認めた上での発言です。職員の労働組合もこれまでは「市民の目線」なんて眼中になかったわけです。しかし、福田首相は、消費者重視の政策を具体化させるものとして、消費者庁構想を進めていますが、鹿沼市の組合は市民のためにどんな活動をしてくれるのか、今のところ見えていません。

(文責:事務局)
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