国土交通省は鬼怒川を管理していたのか(鬼怒川大水害)

2019-06-09

●作成の都度違う河川区域

国土交通省が公表する鬼怒川の河川区域境界は、それぞれ微妙に異なります。

下の2枚は、株式会社建設技術研究所が2015年3月に国に提出した報告書(2014年度三坂地先外築堤護岸設計業務報告書)からの引用です。

境界1

境界2

次の2枚は、2015年10月頃に行った「実態的に堤防のような役割を果たしている地形の調査」の結果をまとめる際に、関東地方整備局がまとめた資料(実態的に堤防のような役割を果たしている地形の調査結果のうちの関東地方整備局管内に係るものとして公開された資料)からです。

境界3

境界4


どこが違うかという細かい検証はしませんが、それぞれ微妙に違います。

●「河川公図」に正しい境界線が引かれているはずだ

「鬼怒川河川敷地の境界確定の留意点について」(下館河川事務所 占用調整課 専門官 手塚 友久。執筆年不明)によれば、下館河川事務所は、旧法認定線(旧河川法第2条第1項により知事が河川区域と認定した土地の境界線)を現在の公図に重ねて作成した「河川公図」を持っています。

そして、梅村さえこ議員ヒアリングでの2016年9月9日付け国土交通省回答によると、茨城県区間における河川区域は、国土交通大臣が「茨城県が管理していた区域を踏襲して、1966年に河川区域の指定を行ったものと推測されます。」(年表示は引用者が加工)。

そして、それ以降は河川区域の変更をしていないとのことなので、上記河川公図に正しい河川区域境界線が引かれているはずです。

それなのに、国土交通省又は設計業者が作成した図面の境界線が作成の都度違うのは、河川管理者が管理する範囲が不明確であるということであり、自分の守備範囲が分からないということです。

河川管理者は、管理する範囲が不明確なままで河川を管理できるものでしょうか。国土交通省は、鬼怒川を管理してきたのでしょうか。

●境界線が統一できない理由は「公図と現況とのずれ」か

河川区域の境界線が統一できない理由、言い換えれば、河川公図に引かれた境界線が正解とならない理由として考えられるのは、「公図と現況のずれ」の問題です。

国土交通省の「公図と現況のずれQ&A」(2015年か)によれば、「公図(不動産登記法第14条に基づく精度の高い地図)は、地図が備え付けられるまでの間、「地図に準ずる図面」として地図に代わって備え付けられている図面で、土地の大まかな位置や形状を表すものです。公図の多くは、明治時代の地租改正に伴い作成されたもので、現況と大きく異なる場合があります。」(括弧書きは引用者)。

そして、全国の公図329,558枚のうち「大きなずれのある地域」(ずれが1m以上10m未満)は164,057枚(49.8%)もあると書かれています。

つまり、鬼怒川周辺の公図も現況とのずれが大きかったために、河川区域の境界線を統一できなかった可能性が考えられます。

しかし、国が1965年に管理を開始してから鬼怒川大水害発生まで半世紀の時間的余裕があったのですから、守備範囲をはっきりさせる作業を終えておくべきだったと思います。

●河川区域内の国有地には民有地として登記されているものがあるというのが国の見解らしい

上記図4.3を見れば分かるとおり、若宮戸地区では、河川区域内に多くの民有地が存在するように見えます。

しかし、上記論文で手塚専門官は、次のように書いており、実際には国有地が民有地として登記されているだけだと言います。

4.鬼怒川における境界確定の留意点について
鬼怒川河川敷地と私有地等の境界確定にあたっては、大きく次の二つの問題点がある。

1 旧法認定地(国有地)が私有地として登記されている。 2 公図の筆界線の未記入及び正しい境界を示していない箇所が多く存在する。

4.1 旧法認定地とは
1896年4月8日に旧河川法が制定され、第2条第1項により河川区域と認定された土地については、同法第3条により私権が排除された。 栃木県内の鬼怒川については、1929年から1938年にかけて5回にわたり栃木県知事が河川区域の認定を告示した。(当時は地方行政庁が河川区域の告示行為を行っていた。)本来であれば、告示を行った後に遅滞なく河川区域内の私有名義の土地の土地登記簿を閉鎖すべきであったが、強権的な行為であったこと及び第二次世界大戦による混乱等により、その大部分の土地が閉鎖されないままになってしまった。

その後、1964年7月10日に新河川法が制定され、河川区域内の民有地も認められることとなったが、同時に施行された河川法施行法第4条により、旧法により河川区域に認定された土地については、国に帰属される土地となったものである。

ただし、旧河川法時代の不動産登記法第90条では、河川区域に認定された土地は、当該官庁が職権で土地登記簿の閉鎖を行うことができたが、新河川法が制定されたと同時に不動産登記法第90条も改正され、職権では土地登記簿の閉鎖を行うことができなくなった。

そのため、国有地であるのに土地登記簿はあたかも民有地のような状況になってしまっており、公図も分筆が行われず筆界線が未記入のままである。
(年表示は引用者が加工)


●河川法施行法第4条の意味

河川法施行法第4条は、次のとおりです。

(旧法による河川敷地等の帰属)
第4条 新法の施行の際現に存する旧法第1条の河川若しくは同法第4条第1項の支川若しくは派川の敷地又は同条第2項の附属物若しくはその敷地(以下「旧法による河川敷地等」という。)で、同法第3条の規定により私権の目的となることを得ないものとされているものは、国に帰属する。

この規定は、「旧法による河川敷地等」における所有権等の権利を新たに奪ったのでしょうか。

旧河川法第3条には、「河川並びにその敷地若しくは流水は、私権の目的となることを得ず。」と規定されており、手塚論文によれば、「第2条第1項により河川区域と認定された土地については、同法第3条により私権が排除された。」と解釈されていたのですから、「旧法による河川敷地等」の上に民有地は存在しないはずです。要するに、堤外民有地の存在を許さないとするのが、旧河川法の制度設計だったはずです。

したがって、河川法施行法第4条において、「同法第3条の規定により私権の目的となることを得ないものとされているものは、国に帰属する。」とわざわざ規定する必要があったのか、そして同条が新たに権利を変動させたのか疑問です。

おそらくは、新河川法においては、「河川の流水は、私権の目的となることができない。」(第2条第2項)とするのみで、河川区域内の土地所有権等の私権の存在を認める立場なので、新河川法施行後に河川区域を拡張した場合には堤外民有地は存在しうるが、旧河川法時代に私権が奪われた土地は、新河川法が施行された後も私権が奪われたままであり、復活することはないことを念押しするために設けられたのではないでしょうか。

●手塚論文の論理的帰結

手塚論文によれば、旧河川法の時代に河川区域内として認定された民有地は、当該認定の時から国有地となったが、土地登記簿の閉鎖が強権的であったことや戦争による混乱等の事情により、大部分の土地の登記簿は私有名義のままとなったので、河川法施行の際、当該私有名義の土地は国有地のままであることを改めて宣言したということだと思います。

そうだとすると、その論理的帰結として、国は、登記名義を国にするための努力をすべきだったことになります。そして、河川区域内の私人名義の土地を買収する必要はありませんでした。

●衝突を避けたか

しかし、国は、鬼怒川では1965年以降も河川区域内の表面上の民有地(実際は国有地)の名義を国に変える努力をしませんでした。

それだけでなく、新河川法施行当時から河川区域内に民有地が存在することを前提として、所有権者等に砂の採取等の利用を認めてきたと思います。

法律論を通そうとすれば、登記名義人と衝突することは必至であり、国は、その衝突を避けたかったのだと思います。上記手塚論文が書かれた以上、少なくともそう考えた時期があったと思います。

●職員は手塚論文を知らなかった

ただし、私は、2016年に開かれた堤防説明会の折、下館河川事務所の幹部職員に「堤外民有地問題」について質問したことがありますが、その職員は、上記手塚論文を知らないとのことでした。

上記のとおり、手塚論文が書かれた時期が不明であるとはいえ、河川事務所の幹部職員が、同じ河川事務所の職員が書いてネットで公表している論文を知らないとは意外でした。

●堤外民有地の存在を認めることは違法な支出なのか

「法治国家」、「悪法もまた法なり」という立場で法律論を貫くならば、既に国有地になっている土地を民有地として扱うことは、違法となるはずです。

しかし、下館河川事務所は、鬼怒川における堤外民有地の存在を認めてきました。

旧河川法第3条があまりにも強権的だったことを考えると、国がこの規定を無視して堤外民有地を認めてきたことは、是認すべき対応だったのかもしれません。

同じ問題は、鬼怒川以外の河川でも起きているはずです。他の河川事務所では、どのような対応をしているのか知りたいものですが、そもそも各河川事務所が個別に悩む問題ではないはずであり、堤外民有地の問題について所管大臣、あるいは内閣がこれまでに公式見解を示していないとすれば、そのこと自体が問題だと思います。

また、会計検査院は、国有地になっているはずの登記名義上の堤外民有地を問題視したのかが気になるところです。ググっても見つかりません。

●固定資産税が課されている

ちなみに、常総市は、現在、堤外民有地に固定資産税を5円/m2で課しているそうですから、税率0.014で割ると約357円/m2で評価されていることになります。

そうだとすると、常総市も旧河川法第3条を無視していることになります。河川管理者が無視している以上、仕方がないことかもしれません。

固定資産税の課税権者である常総市は、堤外民有地が堤外であるかどうかを、現況を見に行って判断しているそうですが、堤防が整備されている区間は、通常は、堤防の川裏側の法尻が河川区域境界でしょうから、それである程度は判断できますが、若宮戸地区のような無堤防区間では、現地を見ても河川区域境界は分かりませんから、下館河川事務所で河川公図を見せてもらって、堤内と堤外の振り分けをしたと思います。

常総市は河川区域境界線を引いた地図を保有していない、と担当者は言いますが、一筆の土地の一部が河川区域又は河川保全区域に含まれる場合もあるのですから、河川公図を閲覧しただけでは振り分け作業は無理であり、常総市は、河川事務所から河川公図の写しをもらってこないと、正確な課税処分ができないと思います。

なので、常総市が河川区域境界線を引いた地図を保有していない、という話は不可解です。

●地方税法の解釈

新河川法施行後に河川区域を拡張した場合に、市町村が堤外民有地に課税することは間違いではないようです。

地方税法348条2項1号 には、「国並びに都道府県、市町村、特別区、これらの組合及び財産区が公用又は公共の用に供する固定資産」は、原則として非課税であると規定しています。

堤外民有地が「公共の用に供する固定資産」に該当するとして課税処分の取消しを求めて訴えた人がいたようですが、福岡地裁1995年9月8日判決は、『公共の用に供する』とは、国又は地方公共団体等が右固定資産を公共の用に供することによってその所有者による使用収益の可能性がない状態にあることをいうと解するのが相当である。」、「堤外民地といえどもその制限された範囲内 において、その所有者がこれを自由に使用収益し得るのであるから、そこに資産価値が認められることは明らかであり、ひいては担税力を認め得ることも当然である。したがって、 堤外民地ということであっても、同号の『公共の用に供する固定資産』に該当すると認めることは、許されないことになる。」(「固定資産税の判例に関する調査研究」2003年3月、財団法人資産評価システム研究センター) と判断しました。ただし、この事案の堤外民有地が、旧河川法下で河川区域に入ったものかは不明です。

公衆用道路敷内の民有地が一般には使用収益の可能性がないのに対して、堤外民有地では一般に使用収益の可能性があることから、原則的には固定資産税を課すべきだというのが下級審判例のようです。

堤外民有地に固定資産税が課されているとすると、所有者は河川管理者に使用収益を許可せよ、と言うでしょうし、河川管理者は、できるだけ許可することになると思います。

●手塚論文の気になるところ

手塚は、「栃木県内の鬼怒川については、1929年から1938年にかけて5回にわたり栃木県知事が河川区域の認定を告示した。」とサラッと説明しますが、なぜ栃木県内のことだけを説明するのか不可解です。なぜ、茨城県内の河川区域認定の経緯を説明しないのでしょうか。記録がないだけなのか、栃木県とは経緯が異なるのかが説明されていません。

旧河川法第3条及び河川法施行法第4条にからむ問題は、鬼怒川特有の問題ではなく、全国的な問題であるはずなのに、なぜ他の河川との比較をしなかったのかも不可解です。他の整備局のことには言及しないという役人の掟でもあるのかもしれませんが、市民には関係ない、くだらぬ掟を守って論文の質を自ら下げているのだとすれば、市民にとって不幸なことです。

●守れない法律だった

手塚論文を基に堤外民有地問題をここまで考えてきて思うことは、旧河川法第3条は所詮守れない規定だったのではないか、ということです。

旧河川法は1896年に制定されました。大日本帝国憲法が施行された1890年の6年後のことですから、支配する側が国家公共のために私権を簡単に制限したと思いますが、奪われる側の反発も強く、現場の公務員は、法律の建前を貫くことができなかったのではないでしょうか。全くの想像ですが、手塚論文が「(私権剥奪を完結させるための登記簿の閉鎖が)強権的な行為であった」と言っているのはそういう意味ではないでしょうか。

ということで、私権剥奪を内容とする旧河川法第3条は、旧憲法下でさえも、あまりにも強権的であり、そもそも守れない規定だったのではないでしょうか。

●堤外民有地の扱いに関する制度設計のまずさが鬼怒川大水害の遠因になっていないか

代案があるわけではありませんが、堤外民有地の扱いに関する制度設計の拙劣さが無堤防区間における河川区域境界を曖昧なまま放置することにつながり、ひいては、若宮戸溢水の遠因になっているように思います。

●参考資料

読んでもよく分らなかったのでお勧めはしませんが、参考までに、堤外民有地問題を採り上げた1966年2月23日開催の衆議院建設委員会の会議録の抜粋を転載します。原文は小さい字が詰まっているので、どこかにコピペしないと私には読めないので、ほぼ私自身のための転載です。

言葉の省略が多いせいか、意味がよく分かりませんが、堤外民有地問題が全国的な問題であったことがことが分りますし、当時の混迷ぶりが伝わってきます。

質問者は、栗原俊夫議員(日本社会党)です。

一片の条文で土地を奪っておいて、1年近く経つのにどれだけの土地を奪ったのか示せないとは何事かと憤っています。

奪った土地のリストがないのですから、損失補償もしていないことが推察できます。

○田村委員長 これより会議を開きます。
建設行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
質疑の通告がありますので、順次これを許します。栗原俊夫君。
○栗原委員 新しい河川法ができて、昨年の四月一日から実施されておるわけでありますが、時たまたま河川に関連して砂利ブームが起こって、砂利採取をめぐっていろいろと問題が起こっております。特に新しい河川法では、河川区域の認定によって私権を排除された土地が国有になる、こういうような問題があり、一方ではこれと時を同じゅうして国土調査法の調査というものがかなり広く実施されて、登記面では公図の上で白地図地帯ができるというようなことなどが相重なって、河川付近の現場ではいろいろと混乱が起こっておる。こういうことにかんがみまして、この際特に当局を追及するとか何とかいう意味ではなくて、ひとつ事態をはっきりさして、第一線の行政の執行、またこれに関連する地域の人たちの理解のある、安心した協力ができるような態勢をつくりたい、こういう気持ちでこれから質問を進めようと思います。
まず第一にお尋ねするわけでありますが、俗に川について河川敷、河川敷ということがいわれております。この俗に言っておる河川敷とは河川法上どういうものであるか、これをひとつ明らかにしていただきたい。

○古賀政府委員 河川敷と称しますのは、流水の流れるところ並びにその流水を制御し、あるいはいろいろなところで停滞せしめるとか、いろいろな作用をさせるために堤防とかいろんなものを築きますが、そういう堤防あるいは流水敷を含めまして河川敷と称しております。

○栗原委員 まことにわかったようでありますけれども、どうももう一つわからぬ。結局河川を管理するために施設されておる堤防の敷も河川敷である、こういうことでありますか。

○古賀政府委員 さようであります。

○栗原委員 もっと法律的にいえば、河川区域の地域、こういうものが河川敷なんですか。

○古賀政府委員 河川区域の問題ですが、これは「河川の流水が継続して存する土地及び地形、草木の生茂の状況その他その状況が河川の流水が継続して存する土地に類する状況を呈している土地」そういったものが第一号にありまして、それから第二号に、「河川管理施設の敷地である土地」、それから第三号に「堤外の土地」ということで、第一号、一番最初に申し上げました区域と一体になって管理を行なう必要があるもの、そういったものを河川区域といっておりまして、その区域上の土地を河川敷と称しております。

○栗原委員 つまり私が質問したのは、河川区域の土地はすなわち河川敷だ、これでいいのですか。

○古賀政府委員 そうであります。

○栗原委員 そうすると、河川区域の認定のない川がかりにあったとすれば、そこには河川敷というものはないのですか。

○古賀政府委員 河川区域の認定が行なわれるという条件もありますが、河川は通常そういうぐあいで自然に流路を形成しておりますし、通常常識的に考えられる第一号に掲げてあります「河川の流水が継続して存する土地及び地形、草木の生茂の状況その他その状況が河川の流水が継続して存する土地」というものは、通常河川区域に認定しなくても河川区域と称せられるものだと思います。ただ認定事務が必要かどうかということは別問題だというふうに解釈しております。

○栗原委員 それでは次に法務省にお尋ねしますが、河川敷なるものは土地である。土地である限り、河川敷は登記上どういうぐあいに取り扱っておりますか。私の常識では、少なくとも土地には地番があり地籍がある、こう考えるのですが、河川敷なるものは、すべてこれは登記上、登記にのぼり、また公図上は公図に載せられておる、こう思うのですが、これはどうなっておりますか。

○住吉説明員 お答えいたします。
旧河川法時代の登記法上の規定は、登記法上、いわゆる国有地と申しますか、公有地と申しますか、これにつきましては、原則として登記をすることをいたしません。したがいまして、旧河川法当時の不動産登記法の規定は、先生のおっしゃる河川敷、河川区域に認定されますと、河川管理者からその旨の登記の嘱託がございます。そういたしますと、この該当土地の登記薄を閉鎖する、すなわち登記簿からそれを除きまして別とじにいたしまして、それは生きていない登記だ、こういう扱いにいたしております。それからたとえば民有地が河川敷になった、こういうことになりますと、やはりその旨の登記の嘱託がございますが、もちろんいま言いますような規定になっておりますので、そこに新たに地番をふってこれを閉鎖してしまうというようなことはいたしておりません。

○栗原委員 どうも答弁に立つのに、何かあらかじめこう聞いてくるだろうという予見を入れて答弁しているようですが、そういうことを聞いているんじゃないのです。いろいろと国有財産の審議会の審議の経過等を見ても、同じ国有地でも河川敷になった場合には、ちゃんと所管がえというような手続までとっている。したがって、別に不動産登記法ができたから川が生まれたわけでもなく、河川法ができたから川が生まれたわけでもないのです。初めから川というものがあって、それにまつわって河川法もできてきただろうし、また制度上不動産登記法もできてきたのだから、河川敷というものは原始的にあるものだと思うのです。そういう中で、一体河川敷なるものは、登記法ができたときにもともとのものはどういう取り扱いを受けたのだ、こういうことを聞いているのです。だから、日本の国土の中に、登記簿に登載されない、地番も何もついていない土地というものが原則的に存在しておるのかどうか、本来的にはすべての土地に地番がつき、それがたまたま河川敷になっていれば河川敷なんだ、こういうぐあいに扱っているのか、その辺はどうなのか、ここのところを聞いているわけです。

○住吉説明員 先ほど申しましたように、国有地は原則として登記されてありません。したがいまして、またそこに地番を付するというようなことはいたしておりません。現実には不動産登記は御存じのように、対抗要件でございますから、未登記の土地というものもずいぶんございます。それから登記をする必要のない土地、すなわち国有地がその一例でございますけれども、これもまた登記はされておりませんので、そういうものについては地番を付しておりません。

○栗原委員 そうすると、国有地には本来的に地帯は付していないのですか。ほんとうかね。そんなことを言っていて大丈夫かね。国有地に地番がついていないの。それじゃ国有地を民間に払い下げるときに、初めて地番をつけてやるのかね。

○住吉説明員 民有地を国が買収いたします、そういう場合にはもともと民有地に地番がございますから、そういうものは地番としてあるいは残る、そういうことは言えます。それから無番地の国有地の地番の付されてない土地を民間に払い下げるといいますか、処分いたします、そういう場合には、登記所で地番を付します。

○栗原委員 そうすると、国有地を国有地だと主張するときに、それはどうやって主張するの。

○住吉説明員 もし問題の土地が国有地であるかどうかということについて争いがございますれば、すなわち、民間人がその土地は自分のものだ、一方、国のほうで、いやそれは国有地だということで争いになるといたしますならば、これは公権的に確定する方法としては、訴訟による以外には方法はございません。

○栗原委員 これはいま両院の決算委員会で国有財産の問題が非常にうるさくなってきているときに、どうも何か国有地の保全の方法としておかしいように思うのだな。いま言う一方で、民有地が国に侵されているときには、民有地の権利に基づいておれは侵されていると主張する。しかし国有地のほうからは、民間から侵された場合にそれでは主張していく根拠がないように思うのだけれども、これはどうなんだ。国有地がその他から侵された場合に、国有地が侵されておるぞと言って出発する出発点の根拠がないように思うのだけれども、そこはどうなんだ。

○住吉説明員 土地の所有権につきましては、国も民間人も、やはり一つの権利主体としては対等の立場に法律的には立つわけでございます。したがいまして、もし国のほうでその土地は国有地であるということを主張し、またそのことを一般に確定するにはやはり国自身が訴訟の当事者となって、それを裁判上はっきりさせるという以外に方法はないだろうと思います。それから国有地の管理といいますか、その面からその主張をするということの御質問であるとすれば、それだけでもってそれが国有地であるということを、すなわち所有権という実体的な権利は国にあるのだということは一方的な主張にとどまる、こういうふうに思います。

○栗原委員 いまあなたの説明しているのは、一般国有財産としての土地に関しての説明なんですか。それとも河川に関連しての国の所有地としての問題についての説明なんですか。

○住吉説明員 私が御説明申し上げましたのは、別に国有財産あるいは河川区域あるいは河川敷としてのことではございませんで、土地の所有権、それが国にあるか民間にあるかということを確定する方法としては、これは民法及び民事訴訟法の規定によりまして訴訟によって確定する以外に方法はないという趣旨のことを申し上げたわけでございます。

○栗原委員 いま少しはっきりしておると思って、つまらぬことでこれはわき道にそれてしまって時間を食っているわけですが、お話を聞いてみると、国の財産に対する対抗要件としての登記の関係というものがきわめてどうも甘いというか、弱いというか、俗なことばで言えばなっていないというような状況のような気がするので、これはあらためて場をかえて決算委員会の国有財産の問題のところでみっちり掘り下げさしていただくことにいたしたいと思います。

そこで、いろいろ国有財産が問題になっており、特に国有財産としての土地が問題になっておるときに、昨年四月一日に初めて法律によって国有にするという明文でうたわれて、旧河川法によって私権を排除された民有地、これがスタートからはっきりしていないようなことでは、あとの維持管理ができるはずはない。したがって、昨年の四月一日から国有になった、旧河川法の河川区域認定によって私権を排除した区域はどのくらいあるか。そしてその面積はどのくらいあるか。実は下打ち合わせをすると、いま完全に掌握し切っていないようでありますけれども、もしお答えができるならば答えていただきたい。

○古賀政府委員 旧河川法によりまして私権が抹消した地域、それの調査につきましては、部分的には若干わかっているところもありますが、完全に掌握しておりませんので、これも新河川法の施行と同時に民有地の関連において非常に重大な問題でございますので、早急に把握したいというふうに考えております。

○栗原委員 これは事情は一応わからぬのではないのですけれども、かりにも一つの行政行為によって所有権を奪った土地、こういう土地がはっきりと国有になるということが法文で明定されて、一カ月、二カ月ではそれは無理だろうが、すでに一年になんなんとしておるわけですよ。そういうものがいまだにわからぬというのは、これは一体どういうことなんですか。その辺の路上に落っこっているものがどうなった、こうなったというものとは違うのですよ。登記上の保護を受けた所有権の中心をなす不動産である土地の問題ですからね。しかもそれを一行政行為で奪っておきながら、これがあらためて国有になったという瞬間に、それはこれですと出せぬような、そんなざまじゃしょうがないじゃないですか。どうなっておるのですか。

○古賀政府委員 その点につきましては、まことに残念でございますけれども、明瞭にお答えできないわけでございます。ただ河川の場合に非常に困りますことは、従来から河川区域を認定しましてくいを立てていたわけでございますが、それが洪水等によって流失をする等いろいろな問題がありまして、その辺の境界の指定の問題がなかなか打ち合わせできない、あるいは民地との境界の問題もなかなかむずかしい、そういう問題もございまして、現実において解決がなかなか困難な点がございましたので、その点もありまして、おくれておるというような状況であります。しかしながらこれは早急に煮詰めるべき問題でございまして、われわれとしまして河川台帳の作製を早急に急ぎまして、さような問題を解決していきたい、かように考えております。

○栗原委員 苦しい答弁をしておるのですけれども、それはまるで逆なんですよ。現地において、現地の区域がよくわからないということは、私にも十分理解できるのだ。しかし少なくとも行政行為によって相手の所有権を排除したその瞬間にはちゃんと台帳ができていなければならぬし、したがって現地において区域がなかなかはっきりさせられなくても、少なくとも事務の手続上、書類上では何帯地は私権を排除し、その面積は幾らであるということの集計によって、個所は幾カ所、その面積は幾ら――ただ現地では、その境界がなかなか具体的にはっきりすることがむずかしいという段階でなくちゃならぬはずなんだ。これは一体どうなんですか。

○古賀政府委員 これも非常に言いわけがましくてたいへん恐縮でございますけれども、現在、河川におきまして台帳が非常に整備ができていないという点がございまして、それでできないという点もございます。それからまた先ほどありましたように、現地で境界の設定が非常にむずかしいという問題もございます。台帳につきましてその整備を、先ほど申し上げましたように、できるだけ急いでいくということをわれわれとしましては考えておるわけでございます。現地も並行してその問題を解決していくように努力したい、かように考えております。

○栗原委員 私はいまのような答弁の中から非常に疑問を持つのです。台帳も整っていない、現地もここだということが言えない。そういうことで今後どうやって国有はここなんだということを出していけますか。台帳も整っていない、文書上にも明らかになっていない、現地でも明らかになっていない。どちらかがはっきりしていればいいですよ。具体的に現地でここからこっちは私権を排除した。したがって昭和四十年四月一日から国有になったのはここだということがはっきりしておれば、それに基づいて、これから書面上整理はしていける。ところが書面上でも明らかでない、現地でも明らかでない。どこから明らかにするのですか。大体そういうくだらない行政行為というものは効力もないのだ、どっちもわからぬようなものは。どうなんですか。

○古賀政府委員 そういう確認の問題でございますが、河川台帳等の不備の点もございますが、不動産登記法とかあるいは公図等によりまして国の所有であるかどうかということを確認して、できるだけ行なっていきたいというふうに考えております。

○栗原委員 いや、それは何によって確認するのか。出てきたものは行政行為であるところの憲法その他公な告示行為、これによってきまったはずなんですよ。それによってきまって、そしてそのものから展開される権威のある関係書類でどうにもわからぬのでしょう。それがわかっておれば計算が出るはずなんですよ。したがって、行政行為を行なった当時の所有権を排除した相手方の持っておった地番もわからなければ地域もわからない。何もわからない。いうなれば、くいを打ったりいろいろなことをした。そのくいは流れちゃった。しかも流れちゃったくいが、学問的に建設省のある学者の書いた本などを私もずいぶん読んでみましたが、それはくいで打つ方法もある。しかしこれは流れるから、何回流れても再現できるような規定をしておかなければだめだ。こういうことをはっきりうたっているのですよ。それはもよりの災害があっても不動の地点である。いうなれば、三角点から一番ぐいを規定していく。どの角度の何メートルの上に一番ぐいを打つ。二番ぐいは、そのくいから何度の角度に振って何メートルに打つ。これなら流れてもどうなっても現地では何回も同じことが再現できるわけですよ。そういうこともできない。一方には、何番地が河川敷になったのだというそういう明示もない。これからどうやっていきますか。

○古賀政府委員 先ほど、河川区域に認定したために私権が抹消されました地点につきましては、河川区域を認定した図面はあるわけです。だから、その認定の図面に基づきまして、現地にどう落としていくかということは、今後の問題になるかと思いますけれども、非常に集計がそういう点でむずかしいということを申し上げておるわけでございます。

○栗原委員 そこで、いろいろと河川局長も苦労しながら、援助を受けながら答弁しておるのですが、二つに分かれるのですよ。ということは、その認定した図画とか書類がある。これを公告の中で完全に一般に縦覧に供した図面、一般に縦覧に供した書類、こういうことがはっきりうたってある場面と、そういうものが全然うたっていない、ただ、くいを打ちっぱなしで、そのくいを見通した線の中の地域、こういう二つの場面がある。私は、一般に縦覧に供したという、その縦覧に供した根拠があれば、この根拠によってやっていけると思うのだけれども、全然そういう公告の中に、他に書類があるということを何ら規定していない公告では、これはまるで立つ根拠というものはゼロであると私は思う。しかしこの点は十分ひとつ研究してもらいたい。

そこで、問題は、具体的に入っていきますが、そういうところで、いま砂利採取の問題でいろいろ問題が起こっておるわけです。区域がはっきりしないのに、砂利採取については一括的に地域をきめて採取許可を出し、しかも都道府県は、建設省の採取許可を受けて、山代と称してお金をとっておるわけだ。ところが、あとになって、これが国有地でないとなったらこれはどうなるのですか。

○古賀政府委員 砂利採取と土地の所有権は別個なものだとわれわれは考えております。

○栗原委員 それは土地を持っておるから、黙ってとっていいとは考えていない。河川管理上これは支障がないという許可を得なければ、たとえ所有権を持っておってもみずからの土地の砂利採取もできない。しかし河川管理上これはとっていいからといって、国が他人の土地の砂利をとっていい、銭をとれ、そんなことができますか、どうですか。

○古賀政府委員 河川管理者は、河川管理上支障がないということをうたうわけでございまして、当然当事者間におきまして、土地の所有権者と協議事項となることと思います。

○栗原委員 そういうことになると、ものごとはそれでいいわけなんだけれども、ものははっきりしていればそれでいいんだが、国のものか民地であるかわからないところを総括的に建設省が、これは河川管理上支障はないんだといって業者に許可を与えることは、あとからそこははっきりしてみたらまるで民地だということになる危険を包蔵するでしょう。こういうことをわれわれは再三警告するんだけれども、ぬけぬけとやっている。これは一体どういうことなんですか。

○古賀政府委員 その砂利採取を許可する場合には、河川管理者としましでは、これは二級河川時代でございますと知事が管理していたわけでございますが――河川法の施行前の問題もありますし、したがいまして、その時代に行なわれた採取許可もありますから、でございますが、そのような場合には、河川敷であることあるいは民有地でないことを公図とかいろいろな点におきまして確認しまして、それで、そういう所有者との関係のいざこざが生じないようにということでやってきたわけでございますけれども、今後もそういう官民境界を十分明らかにして、そういう民有地のところにつきましては、たとえば所有者の承諾を得るとかそういったことによって処理していきたいというふうに考えております。

○栗原委員 それは民地と官地が明らかになっておれば、これはきわめて簡単なんですよ。ところが、明らかでない。特に明らかでない問題を伏在しておるのは、さっきも少し触れました、同じ河川区域の認定行為の中で、一般に縦覧する公図とか一般に縦覧するところの地域名簿とか、こういうものを規定していない河川区域の認定によって認定したところを、一方では、行政の関係者は、これはこれで有効なんだからどこかに河川区域の線があるはずだという主張をし、一方では、それは区域の認定はしておるけれども、区域の確定がないから、これは効力がないんだというような主張の中から争いがある。こういうところについては、きわめて危険な問題がやはり伏在する。こういうところは、率直に言って、業者がすでにプラント等を持ち、そして業を行なっておるから、全部ストップということは、それはたいへんではありましょうけれども、でき得る限り絶対に間違いのないという地域で仕事を続けさせて、一日も早くそういう問題は明らかにしていく、こういう方向をやはりとるべきだ、こう私は考えておるわけなんです。

そこで、その点はそういうことにしておいて、次に今度は経済企画庁の方にお伺いするわけですが、それはどういうことかというと、地域によって国土調査が行なわれて、その結果、公図上白地図地帯というのがたくさんできました。ところが、河川法の改正と相呼応して、白地図になったところは本来的にこれは国有地になるんだ、こういう説が行なわれて、なかなかこれらの問題が入り乱れておるわけです。

そこで、国土調査を担当された経済企画庁のお方にお尋ねするのだけれども、あの国土調査を行なうときに、地元の官庁とか区長とかあるいは農業関係の実行組合長とかにいろいろ協力さして調査を行なったわけですが、このときの説明は、これは実態を調査するのであって決して所有権には関係ないんだ、どのような答えが出ても所有権そのものには関係ないんだ、こういう説明をしながら調査を進め、そして出た結果は、区画が不分明になったというような形の中で白地図地帯ができた。白地図地帯で区画もわからないんだから、これはもう所有権はなくなったなどと言われておるんだけれども、ほんとうはどうなんだ。ここで国土調査と所有権の関係について明らかにしていただきたい。

○小西説明員 お答え申し上げます。
国土調査につきましては、ただいま先生もおっしゃいましたように、その実態を明らかにするということで、実際上の作業といたしましては、土地登記簿にございます資料をもとに調査をいたしまして、その結果に基づいて実態調査をいたしまして、地図あるいは地籍図をつくったわけでございますが、ただいま申し上げましたように、土地の所有権につきましては、これは土地不動産登記簿を基礎といたしておりますので、所有権が変更するということはないわけでございます。したがいまして、ただいまも白地図につきましては、土地登記簿にないというものにつきましては、国土調査の対象にいたしておらないわけでございます。

○栗原委員 法務省にお尋ねします。ただいま企画庁のほうで行なった国土調査に基づいて公図等が白地図になった部分がある、これを受けて登記関係のほうではどのような取り扱いをしておるか、この点について概略を御説明願いたい。

○住吉説明員 国土調査の結果、地籍図という、現在登記所にございます税務署から引き継ぎましたいわゆる公図、これよりもより精度の高い図面がまいります。したがいまして私のほうではその地籍図を、今度は従来あります公図と振りかえまして、それによって事務を処理するということになります。

それから、ただいま先生のおっしゃる、白図ができた場合にどうするかということでございますが、白図ができたからといって、たとえば関係土地の地籍を登記所が積極的に何割増しで面積をふやすというようなことは登記所としてはできません。したがいまして、その白図の土地がだれの土地であるかということは、先ほども申しましたように、実体的に権利を確定していただいて、その上で登記の申請があればそれを受け付ける、こういう扱いになります。

○栗原委員 いま末端の登記所へ行くと、公図は白地図になっておる。登記簿には登記簿を閉鎖して滅失という字を使っておる。この滅失という字がどういうことを意味するのかわかりませんが、区画は確かに滅失している。区画は滅失したから、結局白地図にならざるを得ない、こういうことなんですが、区画滅失とただ単に滅失ということは、受け取る側にとっては非常に重大な感じを与えるのであって、区画が滅失しておるから、地籍によるところの抄本等は、これは出せないという形で閉鎖になっておるのか、実際そういう所有権の対象としての土地が滅失したという意味の滅失なのか、そんなことがあってはならぬと思うのですが、この辺の御指導やら、また区画滅失という字を使うべきだが、単に滅失という字を使っておることについての考え方、こういうところをちょっと述べていただきたい。

○住吉説明員 旧河川法下においての滅失と申しますのは、先ほども申しましたように河川管理者から当該土地は河川区域に認定されたという趣旨の登記の嘱託がございますと、一般取引の対象になりませんので、それは別とじにいたしまして、閉鎖登記簿に入れる。その原因を俗に滅失と言っております。ところが新河川法の制定に基づきまして、いまおっしゃるように厳密に土地が、たとえばそこが流水地区になって客観的に土地がなくなったという場合には、厳密にこれを滅失と言っておりまして、旧河川法当時と現行法当時とは登記簿上の取り扱いが違っております。

○栗原委員 ただいまの御説明の中で、客観的に土地が滅失したというのはどういうことなんですか。たとえば北日本のようにどんどん河底に沈んでしまって、安宅関が海の半道も奥にあるというふうな、その付近に土地があるというふうなことはわれわれは考えませんが、田畑が流れて荒れ地の形になったのは、これは滅失ではなくて荒れたのだ、こう理解しておるが、この辺はどうなんですか。

○住吉説明員 私、新河川法を受けまして、滅失ということは厳密に客観的に土地が滅失した場合とこう申し上げましたが、それはいわゆる河床になった、そこにたとえば河川が経路を変えまして新たに水が流れてきたというような場合に、それが土地としての利用効果がなくなりますと、それを厳密な意味で滅失と言っております。したがいまして、たとえば田畑が荒れて荒地になったという場合は、これは地目の変更でございまして滅失ではございません。

○栗原委員 新河川法によれば、たとえ河川区域の認定がなくても――今度は河川区域の指定ですが、指定がなくても、そこに常時水が流れるような状態ならば、そこは当然河川区域である、こういうぐあいに一号の河川区域というようなことでなるわけですが、しかし、そのことによって河川区域――今度の河川法では、水が流れているけれども私権は排除されないのだ、水が流れていても、土地は水の流れる土地だ、なぜならば池をつくっても、池だから土地がないのではなくて、土地の上に池ができているのだから、そういう意味からいえば、滅失という概念は私はどうも解せない。滅失すれば対象でなくなるわけですから、やはり対象として所有権はある、あるけれども、そこは水が流れており、積極的に河川区域に指定されなくても、河川区域になるのだ、こう理解しているのですけれども、この辺の法務省の理解はどうなんですか。

○住吉説明員 ちょっとこまかい議論になって恐縮でございますが、不動産登記法の八十一条ノ八という、新河川法を受けまして登記法の一部を改正した条文の第二項に、「河川法ノ適用又ハ準用セラルル河川ノ河川区域ノ土地ガ滅失シタルトキハ河川管理者ハ遅滞ナク滅失ノ登記ヲ嘱託スルコトヲ要ス」こういう規定を設けております。ここでいいます滅失は、先ほど申しました、それがいわゆる河床になりまして、たとえばあるときは川が流れ、あるときはかれてそこで耕作も可能である、こういう状態の場合は想定はしておりません。常時そこに流水があるという状態の土地でございます。

○栗原委員 これはひとつ、大臣もせっかく見えたのだから、いまの議論を聞いておってお答え願いたいのですが、私は河川敷の滅失という概念というものは多くの場合はない、たまたまその河口付近で河口が陥歿して、たとえば信濃川の河口がどんどんラッパ状になっていき、二度と再び陸地的な姿にならないところ、こういうところは海岸線の陥歿と同様に滅失という概念の中に入れても、これは無理ではないと思うのですよ。しかし、河川の中流、上流方面でたまたまその流水が流れているその地を、これは河川の水の流れる場所になったとして滅失だというがごときは全然これは間違いである、こう考える。大臣、どうですか。

○瀬戸山国務大臣 法律のこまかいことは承知いたしておりませんが、問題はその所有権関係がどうなるかということじゃないかと思います。いま聞いておりまして、田畑の姿が、河川の流域の変更によって田畑等としていわゆる常識的には使用できない、こういう場合を滅失というふうに法律がなっている、あるいは解釈されておる、こういうふうに聞いたのですが、その際に、御承知のとおりさらに河川を整理して耕地に復旧するのかどうかという問題もあり得ると思います。だから、その所有関係がどうなるかということにかかっておるのじゃないかと、私はいま聞いたばかりですから、思います。その点をもう少し専門家からお聞き取りを願いたいと思います。

○栗原委員 大臣いま来たばかりでよくその成り行きがわかっておらぬと思いますが、私の常識的に言えば、河川が荒れてそして付近を荒らした場合、たとえば近くは伊豆半島の狩野川のような問題、ああいうふうに荒れた場合には、本来的には土木建設を担当する国の機関である建設省が原状回復するのが本来の姿だと思うのですよ、しかし、いろいろ金もかかり、そうもやり切れないという場面も出てくる。本来は原状回復を公共事業としてやるべきものを、金がかかるからできぬといって、一部はやって一部はやらない。やらないほうはこれは水が流れているのだから、おまえの所有権はないのだぞ、これでは話にならぬと思うのです。だから、本来的には、原状回復をするものは原状回復をして、原状回復のでき得ないものは、それは本来的にはたとえ幾らでも金を払って国が買収して河川敷に編入すべきものだ、こう思うのです。

そしてまた新しい河川法は河川の姿の中で所有権を排除するという姿はあり得ないはずだと思っているのですけれども、登記の面から、登記のほうの手続上、滅失というような文字がある。滅失はすなわち所有権の対象ではなくなるわけですから、しいて言えば、そこに河川の問題に関連して、所有権がみずからの意思に反してでも失われる場面があるようにいま初めて聞いたわけなんですけれども、実際にはそういうことはあり得ないのであって、みずから放棄をすれば別のこと、それはやはり水が流れておっても、河川区域にはなっても所有権はそのまま存在する。ただ、いろいろ関係もあるから、区域等も不分明になる。国土調査法でまたそこをやれば、おそらく白地図になるだろう。そういうことから当然そこは登記簿は閉鎖されて、何らかの新しい事態ができるまではそれは変わってくる、こういうような姿になるのなら話はわかるのだけれども、どうも川が荒れた。その結果滅失ということが起こり、滅失ということすなわち所有権がなくなるということが起こるとは考えられないと思うのですけれども、この点、大序どうですか。

○瀬戸山国務大臣 河川局長からもう少し突っ込んだ答えをすべきかと思いますが、私、実例を申し上げます。
その際にも所有権はなくならない、こう私は思っております。ただ、先ほど申し上げましたように、いま栗原さんがおっしゃったように、河川の流域が変更した、そういうことがしばしばあります。それをもとに戻すということは、河川の形状からいって、河川は比較的自然に従って流れますから変更された河川のほうが適当であると思っております。こういう場合があるかと思います。そうしますと、もとの河川に復旧するにはきわめて膨大な経費がかかる。さらにそれを耕地等に復旧するのにも金がかかる。こういう実例があるわけであります。私もそういう実例にあったことがあります。そういう際に、そのままにしておけば事実上なかなか耕地が復旧はできない。そこで、河川の形状を、この際流域を変えたほうがいいという場合には、そこで堤防をつくる。したがって、堤防敷あるいは河川敷になってしまうもと耕農地等があるわけでございます。ただ、その際、所有権はなくならないと私は思うのです。

問題は、その河川敷あるいは堤防敷にするものといわゆる耕地等であったところを、それでは河川敷として国有地にすべきかどうか。私は国有地にすべきだと思っております。ただ、問題はその際に国有地として買い上げと申しますか、対価をどのくらいに算定するかという際に、実例としては非常に問題になる。なぜかというと、現に耕地でない、自然の力によってそうなったわけでありますけれども、耕地でないから、耕地としての、農耕地としての買い上げをする、対価を払うわけにいかないという問題がありますが、どのくらいに値段をきめるかは別として、所有権がそれでなくなってしまうということは私はちょっと考えられない。そういう実例がありまして、耕地としての対価を払わないけれども、しかし河川敷として有効であるから、それ相応の対価を払うという処置をした実例はございます。ただ、そういう際に、これは理論とはちょっと別でありますけれども、もと河川を耕地整理をして、そういういわゆる滅失したものに代替地を与えて、そうして新しい河川敷になったところは安い補償でするのだ、こういう実例がありますが、私は取り扱いとしてはそれが適当である。登記の問題とは別であります。登記処理とは別であります。

○栗原委員 大臣の説明でまずまず納得をいたしました。
次に、ちょっとこれはやはり河川局長のほうへお尋ねするわけなんですが、河川で支川、派川というような姿になっておって、支川、派川の認定は受けておるけれども、河川区域の認定が随伴していなというようなものがありますか、ございませんか。この辺どうですか。

○古賀政府委員 支川、派川で、旧法時代は区域認定を行なっていないところがあったかもしれませんが、新法では六条の一号と二号ですね、これにつきましては認定必要ないので、認定しなくても当然河川区域はきまってくるだろうというふうに考えます。

○栗原委員 なぜ私がこういうことを聞くかというと、かなり大きい支川、派川の中で、いわゆる河川区域なるものが、今度の新河川法では付近地が保全地になり、河川区域もおのずから一号ではきまる、こういうことになるわけなんですけれども、いわゆる砂利採取の問題と関連してくるわけなんです。そこで先ほど法務省のほうから言うと、本来的な河川敷については登記上主張する根拠は登記簿には載っていない、こうおっしゃっているのだけれども、そういうところで、一方では民地がずっと迫っておる。そこで現在では河川状況になっておって砂利採取が行なわれておる。従来県が管理しておって、そこをわがもの顔に砂利採取の許可を与えてとっておる。ところが新河川法ができたので国有地になる、ならぬかというところから、河川敷に対する所有権の権利意識というものがぐっと逆に今度は出てきているわけです。あれはおれのものだ、こういうことの中から、じゃ、どこが境だというようなことが非常にいろいろ問題になるわけです。

河川区域の認定がしてあると、河川区域の認定の中で、旧民地は国有地になるという問題が起こってくるわけですが、河川区域の認定のしてない河川になるとそういうことがないでしょう。国が買い上げるとかなんとかによって国有地になったというところは、これは国のものだ、しかしその他は全部民有地だ、こういう形の中で、これは実際問題としてはなかなか容易ならない問題が現に起こっているのです。それは中央におれば、書類だけながめておれば事が済むわけだけれども、第一線の者はなかなかそうはいかない。第一線の役人衆は、ほんとうによわってしまって、サンドイッチ式に締め木にかけられているような目にあうわけです。いままで既存の業者にプラントをつくらしてやっておる。大体ここを掘ろうと思って待っておった、ところが新しい所有権を次から次へと買い上げて、そうしてここはおれたちのものだ、こういう形が出てくる。一体こういう問題をどうするか。これは実際問題としてなかなか容易ならない問題なんです。こういう点をどう処理なさっていこうとするか。これは河川行政上、非常に大きな問題になってくると思うので、基本的な態度というか、姿勢というか、方向というか、そういうものをひとつ明らかにしていただきたい。

○古賀政府委員 従来からの旧河川法時代の例の河川法第二条の土地と申しますか、河川区域を認定されたために私権を排除された、これにつきましては当然新河川法によって国有地になるわけでございまして、これは新河川法に基づく砂利採取の許可全般と同じように処理していきたいというふうに考えております。したがいまして、私権が排除された土地であっても、ほかの官有地と同じように処理いたしていきたいと思います。砂利採取の問題の全般的な問題につきましては、河川ごとに砂利採取の基本的な計画を立てる必要があるというふうに考えます。さらに個所個所によりましては砂利採取の採取の準則が必要であろうというふうに考えます。したがいまして、そういうものを逐次整備していきまして砂利採取の円滑な指導に当たりたいというふうに考えます。

○栗原委員 それがやはり、いま河川局長が言うけれども、川のかっこうになっておるところはおれたちの権利なんだというような潜在意識に基づいた発言なんだな。そこへはっきりと所有権というものがぐっと出てきた場合のその私権との関係をどう調整するかという問題なんだ。これはなかなか問題で、国有で一切の権限を建設省が持っているものについては、これは問題ないことは明々白々なんだけれども、ここに私権ががんとがんばっているものを、河川管理ということだけで銭をとって金もうけをする者に許せるかどうか。これを取り除くことが河川管理上必要だということだけで公共のために河川管理上行なうなら、これは話はわかるのだけれども、金もうけの営業者に利権として分かち与えることと私権とは、これはがっちりとぶち当たるわけなんだな。ここのところをどうするかという問題なんだ。これはなかなか一ぺんには言い切れぬだろうけれども、基本的な方向、そういうことをひとつこれは指導するよりほかしようがないと思うのですよ。所有権なんですから、こうせいという命令はできぬと思うのですよ。その点をひとつ……。

○古賀政府委員 最近、河川の敷地で私権のあるところにつきまして、砂利採取を行なっているところは多々あるわけです。したがいまして、おっしゃられましたようないろいろな問題が生じております。ただ、こういう砂利採取を、河川管理上支障がなければ採取を許可していってもいいと思いますが、河川管理上支障がある場合にはこれは河川法の適用をしまして、取り締まっていきたいと思います。しかし、相手側は私権を主張されますし、その辺の調整が非常にむずかしいのですが、これは強力に行政指導していきたい。先ほど申し上げましたように、採取の基準とかいろいろなものをつくりまして、それに基づいてやっていくようにいたしたいと思います。なお、今後砂利採取は非常にふえてまいります。したがいまして、そういった問題が今後とも起こると思いますが、先ほど申し上げたような基本原則に従いまして指導していきたい、そういうことで強力に進めております。

○栗原委員 冒頭にお願いしました新河川法によって国有になる河川区域の認定の個所数並びに国有になる総面積、そして現にこの時点までに処理された個所数と面積、こういうものを資料としてあとから出していただきたいと思います。

最後にいま一点お尋ねするのですが、新河川法ができるときに、今度は河川法の施行規程ではなくて施行法ですか、施行法の第十九条に、前の施行規程の九条、十条は新河川法になっても生きておるんだ、こういう規定があるわけです。それは私権を排除された土地に対する占用権の優先権を規定した条項です。この解釈について、前に河野さんが建設大臣のときに一議論やったことがあります。新しい河川法では、河川区域に認定されても、今度は私権を排除しないのだ。旧河川法では、私権を排除して所有権まで奪ってしまうのだ。あまりに均衡を失するではないか。

したがって、占用権についての、荒れ地にあらざるものの解釈をどう解釈するかということで実は論争いたしました。私は、行政慣例から言うと、荒れ地にあらざるものというのは、行政解釈では、畑が畑でなくなったものは荒れたものだ、こういう解釈をして今日まで行政をしてきておる。しかし、新河川法では、そういう解釈では均衡があまりにもとれない。そこで荒れ地とは、旧所有者がそこに価値を認めなくなったものが荒れ地なんだ。所有者が価値を認める限りは荒れ地でない、こう解釈すべきではないか。もっとざっくばらんに言えば、今回河川区域に認定されても所有権を排除しないゆえんのものは、河川管理上必要な一切の制約に服すれば、その他は所有権を持たしておいてもいいではないか、こういうことに発しておるはずなんだから、私権を排除したときにも、私権を排除したという形式上の姿はとっておるけれども、実質上は、河川管理上必要な一切の制限に服すれば、その他のものは占用権という名前で旧所有権者に与えてもいいではないか、こういう解釈のしかたをしたらどうだという議論をしたわけです。

当時河野建設大臣は、原則としてはと、特に頭へつけ加えて、そのとおりでございます。こう答えておるわけなんですが、今日この時点で河川局長並びに大臣はどのようにお考えになるか、ひとつ明らかにしていただきたい。

○瀬戸山国務大臣 最後に栗原さんがお話しになったような解釈でけっこうだと思います。

○古賀政府委員 大臣の御意見と同じでございます。

○栗原委員 まだなかなか尽きないことも多いのですが、本日は以上をもって質問を終わります。ありがとうございました。     
(文責:事務局)
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