「みなし河川整備計画」の鬼怒川部分は11行だった(鬼怒川大水害)

2020-05-01

●被害者の主張は「改修の遅れ」ではない

今回のテーマは、河川の管理の瑕疵の判断基準は何か、なのですが、その大前提として、鬼怒川大水害訴訟において、原告らの主張は、氾濫箇所の改修を高い段階に引き上げるべきだった、とか、「改修計画」が格別に不合理だった、というものでは、本来はないということを、冒頭確認しておきたいと思います。

国家賠償法第2条第1項の河川の「設置又は管理の瑕疵」とは何かについては、大東水害訴訟最高裁判決(1984年1月26日。以下「大東判決」という。)が指導的判決となっており、これを無視して水害訴訟で勝訴することは難しいと言われています。

その解釈として、野山宏・東京高裁部総括判事・東京簡裁判事が最高裁裁判所調査官だった時代に書いた平作川水害訴訟最高裁判決の判例評釈(最高裁判所判例解説民事篇(1996年度))で示した解釈が実務において支持されているような感じがします。現に鬼怒川大水害訴訟でも国は、被告準備書面(2)のp9において、野山の解説を引用しています。

野山は、水害訴訟における原告の「営造物の設置・管理に瑕疵あり」との主張は、「改修の遅れ」型と「内在的瑕疵」型に二分できると言います。

即ち、原告の主張は、「改修の後れ(より高い段階の改修がされるべきであった)の観点からの瑕疵の主張」と「内在的瑕疵(当該改修段階で予定される安全性を備えていない)の観点からの主張」に分かれるというのです。

そして、原告の「瑕疵あり」との主張が「改修の遅れ」型の場合は、改修計画の合理性で瑕疵が判断されるとし(この説には賛成できません。)、「内在的瑕疵」型の場合は、「是認しうる安全性」を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきである、というのが大東判決の趣旨だ、という解釈です。

原告にとってどちらも狭き門ですが、一般論としては、「是認しうる安全性」で勝負する方がましだと思います。ただし、鬼怒川大水害訴訟の場合、2011年度と2014年度の「鬼怒川直轄河川改修事業」(事業再評価の資料)において、工事の優先順位の誤りが明確に示されているので、当該資料で瑕疵を判断することになれば希望がある、という見方もあると思います。

私は、以前は、大東判決とは、改修計画の合理性を瑕疵判断の基準とした、という理解をしていましたが、皮相的な理解でした。

大東はん決の原告らは、2種類の主張をしていました。

一つは、野崎駅の西側の谷田川の狭窄部を解消する改修工事を早くにしておけば、水害は起きなかったはずだ、というもので、もう一つは、越流地点付近の河道内に堆積していた土砂を浚渫しておけば水害は防げた、という主張です。(大東判決では、土砂の浚渫という争点が見落とされているように思います。)

確かに、大東判決では、それら2種類の主張は、別の基準で瑕疵が判断されています。

確かに、土砂を浚渫しておくべきだった、という主張は、「より高い段階の改修がされるべきであった」という主張ではなく、河川の機能の維持の問題です。

昔あった流下能力が、現在は土砂の堆積によって低下しているではないか、という主張にすぎません。(野山が土砂の浚渫の争点についてこのように解説しているわけではありません。)

翻って、鬼怒川大水害の原告らの主張は、どちらの型に属するのか、を考えると、「より高い段階の改修がされるべきであった」ということではなく、「当該改修段階で予定される安全性を備えていない」ということだと思います。

即ち、「内在的瑕疵」型だと思います。

若宮戸でも三坂でも、昔は大きかった流下能力が低下するのを防止しなかったことが瑕疵だ、という主張になると思います。(例えば、左岸21k(三坂町)の堤防高は、1990年度測量ではY P21.60mあったのですが、2011年度測量では21.04mであり、21年間で56cm低下しています。左岸21kの計画高水位は20.83mですから、1990年度には、現況堤防高が計画高水位より77cm高かったわけです。したがって、「破堤区間のピーク水位は、ピーク水位時の越流深を 31cm とすると、堤防高 20.88+0.31= 21.19m と推察される。」(常田 賢一「平成 27 年 9 月関東・東北豪雨による鬼怒川の破堤箇所の現地調査による知見と考察」)という説によっても、左岸21k付近の堤防が1990年度の高さを保っていれば、2015年洪水の決壊地点付近のピーク水位よりも40cm程度は高いので、三坂町での堤防決壊はなかったと思われます。)

しかし、現実の鬼怒川大水害訴訟では、そのようには(原告らの主張が「内在的瑕疵」型だとは)理解されておらず、「改修計画の合理性」という土俵の上で勝負する形で進んでいるようです。

●「みなし河川整備計画」とは

そんなわけで、鬼怒川大水害訴訟では、原告らの主張が「改修の後れ」型であることを前提として、「改修計画の合理性」で瑕疵を判断することで当事者の意見が一致して、「改修計画」とは何かが争点となっています。

抽象論としては、河川整備基本方針、河川整備計画(未策定の場合は、河川整備計画とみなされる工事実施基本計画)及びそれらの下位計画であることについては争いがありませんが、具体論になると、被告は、「鬼怒川直轄河川改修事業」(事業再評価の資料)だけは、「性質が異なる」ことを理由に「改修計画」には含まれないと主張し、含まれるとする原告らの主張と対立しています。

ただし、被告準備書面(4)では、仮に「改修計画」に含まれるとしても、その内容は、改修計画として合理性を有するものである、という予備的主張を追加しています。

●被告の目論見とは

被告がなぜ「鬼怒川直轄河川改修事業」(事業再評価の資料)を「改修計画」に含まれないと主張するのかというと、含まれるとすると、そこでは、被告が若宮戸と三坂町の危険性を認識せず、その危険性を除去する工事を、そもそもする予定がない(若宮戸)、あるいは後回し(20〜30年間でやればいい)にしていた(三坂町)ことが明らかになってしまい、敗訴のおそれがあると考えたからだと思います。

被告は、「改修計画」とは、利根川水系河川整備基本方針と鬼怒川河川整備計画の二つに絞りたいのだと思います。ただし、鬼怒川河川整備計画については、大水害発生当時は未策定で、策定されたのは、鬼怒川大水害の翌年の2016年ですから、鬼怒川河川整備計画に代えて、利根川水系工事実施基本計画(1995年3月)の合理性で判断すべきだ、という主張になります。

1997年の河川法一部改定法の付則第2条第2項に「この法律の施行の日以後新法第十六条の二第一項の規定に基づき当該河川の区間について河川整備計画が定められるまでの間においては、この法律の施行の際現に旧法第十六条第一項の規定に基づき当該河川について定められている工事実施基本計画の一部を、政令で定めるところにより、新法第十六条の二第一項の規定に基づき当該河川の区間について定められた河川整備計画とみなす。」と規定されているからです。

被告が、なぜ「改修計画」とは、利根川水系河川整備基本方針及び鬼怒川河川整備計画とみなされる利根川水系工事実施基本計画(1995年3月)(以下「みなし河川整備計画」という。)の二つの方針と計画である、という主張にこだわるのかと言えば、この主張を裁判所が採用すれば確実に勝訴できると考えているから、と見て間違いないと思います。

●河川整備基本方針で「改修計画」の合理性を判断できない

河川整備基本方針は「方針」にすぎず、「方針」とは、「これから進むべき方向。目指す方向。」(大辞林)にすぎませんから、抽象的であり、そもそも裁判所が「明らかに不合理」とか「格別に不合理」とか評価するようなものには、普通はなりません。

ただし、厳密に言えば、多くの水系の河川整備基本方針では、基本高水流量を決め、ダムで制御する流量と河道で負担する流量に配分するのですから、ダム事業を多く確保するために、基本高水流量を高く設定し、ダムへの配分量を増やし、河道への配分流量を減らすというような操作をする傾向があることを、一般論として指摘したいところですが、良心的な裁判所が多少は疑問に思うことはあるとしても、「格別に不合理」と言い切れるような、誰が見てもおかしなことが基本方針に書き込まれることは、まずないと思います。

基本高水なんて唯一解ではないにもかかわらず、国土交通省に「河川整備基本方針は、長期的な観点から、国土全体のバランスを考慮し、基本高水、計画高水流量配分等、抽象的な事項を科学的・客観的に定めるものであります。」(河川整備基本方針・河川整備計画について)というウソの説明を、平然とされてしまうと、そして、御用学者を集めた社会資本整備審議会河川分科会の意見を聴いて定めたので、官僚の独善で決めたことではない、と言われると、それらの数値が「明らかに不合理だ」と言えるレベルまで逸脱していると裁判所が判断することは不可能です。

河川整備基本方針で「改修計画」の合理性を判断することは、事実上不可能です。

●「みなし河川整備計画」とは何か

被告が主張する、もう一つの「改修計画」とは、「みなし河川整備計画」(私の造語)です。

被告は、「鬼怒川直轄河川改修事業」(事業再評価の資料)を「改修計画」から除外しても、正式な河川整備計画がなかった1997年から2015年までは、「みなし河川整備計画」があるのだから、裁判所が「改修計画」の合理性を判断する上で、困ることはないのだ、と言いたいのだと思います。

しかし、その主張は成り立ちません。

正式な河川整備計画が策定されるまでは、改定前の河川法第16条第1項の規定に基づいて定めた工事実施基本計画の一部を河川整備計画とみなすことについては、被告準備書面(1)のp18〜19 に詳しく書かれています。

即ち、「みなし」の根拠は、1997年法律第69号の付則第2条第2項であること、1997年政令第342号の付則第2条第2項によると、河川整備計画とみなされる工事実施基本計画の部分は、改定前の河川法施行令第10条第2項第3号ロに係る部分だけであることが書かれています。

改定前の河川法施行令第10条第2項第3号ロは、ネットでは検索できないと思います。

改定前の河川法施行令第10条の見出しは、「工事実施基本計画の作成の準則等」となっていて、第1項は、作成に当たって考慮すべき事項が規定されていて、第2項は、工事実施基本計画に記載すべき事項が規定されています。同項第3号には、「河川工事の実施に関する事項」が規定されています。

古い河川六法で河川法施行令を見ると、次のように書かれています。

ロ 主要な河川工事の目的、種類及び施行の場所並びに当該河川工事の施行により設置される主要な河川管理施設の機能の概要

つまりは、「みなし河川整備計画」には、「主要な河川工事」と「主要な河川管理施設」についてしか記載がないのです。

しかも、本来、「計画」とは、目標と達成期限が書かれるものですが、「みなし河川整備計画」には、記載した河川工事の達成期限が書かれていません。

「みなし河川整備計画」というからには、河川整備計画に匹敵する内容が書いてあると素人は誤解してしまいます(私も見事に誤解していました。)が、そもそも具体的なことは、ほとんど書かれておらず、殊に期限が書かれていないのですから、方針に近いものです。

●改定前の河川法施行令第10条第2項第3号ロは、どう改定されたのか

ちなみに、改定前の河川法施行令第10条第2項第3号ロは、1997年に改定されてどのような規定になったのかを見ておきましょう。

改定前の河川法施行令第10条第2項第3号ロに相当する、改定後の規定は、河川法施行令第10条の3第2号イです。次のように書かれています。

イ 河川工事の目的、種類及び施行の場所並びに当該河川工事の施行により設置される河川管理施設の機能の概要

鬼怒川河川整備計画では、p26以下に書かれています。

p27には、「表 5-1 堤防の整備に係る施行の場所」が書かれています。

このように具体的に書かなければ、計画の合理性を判断できないと思います。

●鬼怒川大水害に関係する「みなし河川整備計画」は79文字だった

では、利根川水系鬼怒川河川整備計画(2016年2月)が策定されるまでに存在したとされる鬼怒川の「みなし河川整備計画」とはどんなものだったのかを見ましょう。

上記のとおり、河川整備計画が未策定の場合に河川整備計画とみなされるのは、1997年当時存在した工事実施基本計画です。

鬼怒川の場合、利根川水系工事実施基本計画です。最終改定は、1995年3月です。

利根川水系工事実施基本計画(1995年3月、建設省河川局作成)のp21 以下に、利根川水系における河川ごとに「主要な河川工事の目的、種類及び施行の場所並びに当該河川工事の施行により設置される主要な河川管理施設の機能の概要」が記載されています。

p24 に「ホ」として鬼怒川に関する記述があります。

内容部分は、11行しかありません。段落は四つです。

第1段落は、上流部についてで、ダムの話です。湯西川ダムを建設する予定を書いただけでなく、「さらに新規のダム」を建設するというのですから、「ダム偏重」の思想が表れています。

第2段落は、前半が田川合流点より上流の話で、後半が下流部の話です。「下流部」とは、44kより下流を指すと思います。

第3段落は、鎌庭に床固めを設けるという話です。

第4段落は、支流の田川についての話です。

そのうち鬼怒川大水害に直接関係がありそうなのは、第2段落の後半だけだと思います。

具体的には、次の2文です。

下流部については、堤防の拡築、護岸等を施工する。また、利根川の背水の影響をうける約17kmの区間については、堤防の拡築及び護岸を施工し、洪水の安全な流下を図る。

文字数にして79文字です。

要するに、「堤防の拡築」と「護岸」しか記載されていません。

「主要な河川工事の目的、種類及び施行の場所」を記載すべきでしたが、「堤防の拡築」と「護岸」は、「主要な河川工事」ではなかったので、「施行の場所」を記載しなかったのかもしれません。

かろうじて、「利根川の背水の影響をうける約17kmの区間」という場所的要素が記載されていますが、あまりにも漠然としています。

忖度すれば、約17km地点より下流を優先して施工すると言いたいのでしょう。(ちなみに、初代の利根川水系工事実施基本計画(1965年度)には、約17km地点より下流を「重点的に施工」することが明記されていましたが、30年経っても工事が終了しないので恥ずかしかったためか、1995年度の同計画には、「重点的に施工」の文字がありません。国が1926年から直轄工事を施行しながら、そして1965年には、特に約17km地点より下流の「堤防の拡築」と「護岸」を重点的に施工する、と宣言しながら、半世紀以上経っても工事が終了しなかった(原因はダム偏重の治水政策)ことが鬼怒川大水害の一因になっていると思います。)

下流部で「主要な河川工事」は、鎌庭に床固めを設ける工事しかなかったということでしょう。

繰り返しますが、全てについて達成期限も書かれていません。

あまりにも抽象的であり、およそ「計画」とは言えないと思います。

裁判所は、一体どうやって、「みなし河川整備計画」の合理性を判断すればいいのでしょうか。

用語として、「堤防の拡築」と「護岸」しか記載されていないのですから、裁判所の評価は、余程おかしなことが書いてないから「格別に不合理」とは言えない、ということになってしまうと思います。

そんなわけで、「改修計画」の範囲を河川整備基本方針と「みなし河川整備計画」に限定しておけば、それらが「格別に不合理」という判断を裁判所がすることは100%ないのですから、営造物の設置又は管理に瑕疵があったことにならず、鬼怒川大水害訴訟で絶対に勝訴できるというわけです。

絶対に負けないルールの下で勝負したいということです。

ところが、「鬼怒川直轄河川改修事業」(事業再評価の資料)が「改修計画」に含まれるとなると、そこでは、被告は、危険箇所に対して高い優先順位を与えないというミスを犯しているために、つまり、敗訴の可能性が濃厚になるので、裁判所がこの資料で瑕疵を判断するのは困るということです。

●被告の主張がまかり通ったら違法な裁判になる

「改修計画」の範囲を河川整備基本方針と「みなし河川整備計画」に限定するという被告の主張を裁判所が採用するとすれば、違法な裁判となると思います。

被告の上記主張は、被告が絶対に勝つルールを設定しましょうということです。

判断枠組みの段階で、被告が絶対に勝つルールを設定するのでは、裁判をやる意味がありません。

国家賠償法第2条第1項には、「道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる。」と規定されています。

わざわざ「河川」という語を出して、水害被害を例示しています。

それなのに、被告の主張を裁判所が採用し、水害被害者が提訴しても絶対に勝てないような判断枠組みを設定することは、国家賠償法第2条第1項に規定する請求権を「絵に描いた餅」にすることであり、同法の趣旨に反すると思います。

弁護士出身の阿部雅彦裁判長が不公平裁判を求める被告の主張に与することは、よもやないと思いますが。

(文責:事務局)
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