決壊地点の堤防の舗装面の高さは計画高水位以下だった(鬼怒川大水害)

2020-10-25,2020-12-07改訂

●L21kの堤防高は計画高水位以上だと思われていた

2015年9月10日に起きた鬼怒川大水害で茨城県常総市内における三つの氾濫箇所のうち、堤防が決壊した区間は、鬼怒川堤防調査委員会報告書p2−14によれば、左岸21k(「k」は「km地点」の略)の上流63mから下流137mまでの約200mとされています。

堤防の強さは高さだけで決まりませんが、250m間隔で測量した堤防の高さという要素だけを見ても、L21kの堤防は、鬼怒川下流部(44kより下流。ほぼ茨城県区間)では突出して脆弱だった可能性があります。

下図のとおり、鬼怒川L21kの現況堤防高は低下しています(横軸の間隔に意味はありません。Y.P.22.47mは1966年河川区域告示の付図からで、測量年度の1960年は推測です。)。ただし、2003年度のデータは、2001年度のそれよりも5.2cm高くなっていますが、L21k付近は地盤沈下の激しい地域なので、地盤が隆起するはずがなく、また、測量の精度が違うのでもなく、後記のとおり、測量地点(表法肩)の捉え方が違う可能性があると思います。

L21堤防高推移

2011年度定期縦横断測量によれば、L21kの現況堤防高は、21.040mです。

(鬼怒川の全区間を大々的に測量する定期縦横断測量は、1998年度、2001年度、2004年度、2008年度、2011年度、2015年度と、3〜4年間隔で実施されています。

2015年度定期縦横断測量は、鬼怒川大水害後の測量(おそらく2015年10月以降)であり、L21kの現況堤防高21.100mは、荒締切工(大雑把な仮堤防)の天端の高さを測ったものなので、2011年度のデータより高くなっています。

したがって、被災直前の定期縦横断測量は、鬼怒川大水害の4年前の2011年度(震災後)のものになってしまいます。2011年度測量は、本来は、2012年度に予定していたが、2011年3月に大地震が発生したために、急遽、1年繰り上げて実施したと思います。)

これに対し、L21kの計画高水位は、20.830mなので、2011年度における現況堤防高は計画高水位よりも、かろうじて、21.040m―20.830m=0.21m高かったことになります。

下図のとおり、2011年度定期縦横断測量によっても、鬼怒川の28kより下流部では、L21kが極端に計画高水位と接近しているので、この付近が最も危険であったことは、一目瞭然です。

鬼怒川左岸堤防高

●計画高水位を引き合いに出す意味

一般に、計画高水位との乖離度を引き合いに出して堤防の高さを議論するのは、堤防の安全性を評価するための基準が必要だからだと思います。(「計画高水位」とは、「計画高水流量が河川改修後の河道断面を流下するときの水位」と定義されます。)

堤防の標高だけを見ても、安全性は明確には分かりません。

そして、現況堤防高が計画高水位よりも低いことが直ちに河川管理の瑕疵となるか、というと、そうは言えません。堤防は、堤防と河道の両方が計画どおりに改修された後に計画高水位までの安全性を保証するものであるところ、ほとんどの河川では、堤防も河道も「河川改修後」ではないからです。

しかし、ある河川において、ほとんどの区間で計画高水位よりも相当高い堤防(山付き堤も含め)が整備されている場合に、ある区間だけは、堤防高が計画高水位以下だった、あるいは、計画高水位をわずかしか上回っていないような場合で、そこから氾濫が起きた場合には、そのような状況に至らしめた河川管理者の落ち度が問われるべきです。

その意味では、計画高水位は、水害訴訟においては、瑕疵の判断基準として重要です。

なお、想定外あるいは計画規模以上の洪水に襲われた場合には、管理者は責任を負わないとする「定量治水」の考え方を前提とすると、改修済みの河川では、洪水の水位が計画高水位を超える場合には、流量も計画高水流量を超えているので、管理者は当該洪水によって発生した水害の責任を負わないという理屈になりますが、未改修の河川では、洪水の水位が計画高水位を超えたとしても、流量は計画高水流量を超えているとは限らないので、直ちに洪水が想定外あるいは計画規模以上であるとは言えず、当該洪水による水害について当然に管理者に責任がないという結論にはならないはずです。

●計画高水位以上の堤防が98%だった

鬼怒川の2011年定期縦横断測量によると、関東・東北豪雨以前の整備状況は、計画高水位以上の堤防が整備されている割合で約98%です(被告準備書面(1)p50)。

素直に読むと、鬼怒川の直轄管理区間(3〜101.5kの98.5km)における堤防が必要な区間延長のうち、幅はともかくとして、計画高水位以上の高さを確保している堤防が占める区間延長の割合が2011年度時点では約98%だったと思いがちです。

しかし、鬼怒川では、定期縦横断測量における測量は250m間隔の距離標で実施しているのですから(例外的に堤防の変化点の地盤及び主要な構造物についても測量しますが)、「約98%」という数字は、堤防の延長を意味しないはずです。

鬼怒川の直轄管理区間には、距離標が790程度あると思いますが、そこから堤防整備不要区間(距離標が山付き堤にある場合など)の距離標を除いた数のうちの約98%という意味になると思います。

したがって、整備と未整備の単位は、「メートル」ではなく、「箇所」(距離標の)でしょう。

距離標の間に低い箇所があったとしても、「整備状況」の数字には反映されません。

整備状況の単位の問題はともかくとして、鬼怒川の堤防必要区間で現況堤防高が計画高水位よりも低い堤防は、距離標の地点で見ると、約2%しかないということです。

したがって、距離標で見て、決壊する危険性が高い箇所、あるいは決壊すれば、広範囲に甚大な浸水被害が想定される箇所が2011年度時点で、上記未整備の2%の箇所に含まれていたとすれば大問題であり、当該箇所を早期に整備(かさ上げ、拡幅等。若宮戸地区では堤防不必要区間とされていたことが、そもそも問題)しなかった責任が問われるべきです。

●L21kの現況堤防高は盛り土の頂上で測量されていた(2020-12-31修正)

結論から言って、L21kの堤防高は、形式的には、上記のとおり、2011年度には、計画高水位より21cm高かったのですが、実質的には、計画高水位より低かったと思います。その意味は、天端の舗装面が現況堤防高よりも30cm以上は低かったと思われるということです。

なお、天端の鋪装は、中三坂地先測量及び築堤設計業務報告書(2006年3月)の中の写真にはなく、2010年のグールグアースプロにはあるので、その間に施工されたと思われます。

天端の鋪装に決壊防止・遅延効果があると分かったのは、どんなに遅くとも、建設省が堤防補強を治水事業における重点施策とした1998年であるにもかかわらず、三坂地区の堤防の天端の鋪装が施工されたのが、鬼怒川大水害のわずか5〜9年前だったわけです。

下図は、平成27年関東・東北豪雨災害 〜鬼怒川水害〜からの引用です。堤防横断図です。縮尺は任意ですが、縦1:横10なのでポンチ絵ではありません。

作成時期が不明ですが、被災直後に上記サイトの管理人が情報公開請求により取得したものです。

L21kの堤防高が、舗装面ではなく、表法肩で測量されていることが明確に示されています。

2011年度定期縦横断測量成果によれば、L21kの堤防の現況天端幅は5.700mであり、現況堤防敷幅は21.700mです。

それらの数値と、下図に物差しを当てて測った「堤防高(盛り土の頂上)と舗装面の高さの差」、「天端幅」、「堤防敷幅」の長さから、比例式で「堤防高(盛り土の頂上)と舗装面の高さの差」を計算すると、「天端幅」、「堤防敷幅」のいずれを使っても、約0.31 mとなりました。

上記のとおり、下図は作成時期が不明なので、念のため、サンコーコンサルタント株式会社(ちなみに、三井鉱山株式会社の子会社だった「三鉱コンサルタント」が1963年に社名変更)が作成した定期横断測量整理簿(2002年測量、2003年5月修正。平成15年度若宮戸地先築堤設計業務報告書(2004年3月))に記載されているL21kの現況天端幅6.40mを使うと、堤防高(盛り土の頂上)と舗装面の高さの差は約0.35mとなります。

したがって、堤防高(盛り土の頂上)と舗装面の高さの差は、最低でも31cm程度はあったと見るべきです。

堤防高測量箇所

鬼怒川堤防調査委員会報告書のp2−14の図2.18(下図。2011年度におけるL21kの横断面図)を見ても、盛り土の頂上を堤防高としていることが分かります。

川表の法肩(ぴったりの表現ではありませんが)に土が盛られており、その頂上に合わせて水平の線が引かれており、その高さをもって、堤防の高さとしているという意味でしょう。

この図には基準となる標高線が記載されており、ポンチ絵ではありません。

私が測ると、舗装面は、川裏寄りでも30cmくらいは盛り土の頂上よりも低い、という結果になりました。

そして、後記のとおり、この堤防横断面図は異常です。この天端の形状では雨水の排水ができないからです。

決壊前横断図

被災当日にL21k付近を写した下の写真(清水義彦・群馬大学教授のプレゼン資料(元資料は鬼怒川堤防調査委員会報告書))を見ても、見た目ですが、舗装面と表法肩との高さの差は、草がないとしても、少なくとも30cm程度はあると思います。

越水写真

清水義彦「鬼怒川の水害調査にかかわって学んだこと」

下図(鬼怒川堤防調査委員会第1回会議資料p20)は、被災前のL21kの堤防天端の状況です。

この写真を見ると、盛り土は、舗装面よりも50cm程度高く見えます。

L21k距離標の先(下流)には、L21k―約9mを中心とした延長約18mの泥だまりの跡が茶色がかって見えます。

深入りはしませんが、この泥だまりは、国土交通省が河川工事のために、L21k付近の高水敷と底水敷で砂採取をするために、堤防の上に鉄板を敷く際、舗装面に養生砂を敷いたところ、そのうち細かい粒子のものやシルトが雨水で溶け出し、「下流から上流に向かって」流れ出し、最も低い箇所に形成されたものと思われます。本来なら、天端の雨水勾配により雨水は排水されるので、舗装面の上の雨水が約64mも流れることはないのですが、L21k付近の表法肩の盛り土は、低いながらも坂路まで続いていたようであり、その盛り土が雨水排水を阻害しています。

上記砂採取は、2013年5月5日から2014年5月30日まで行われ、約8万m3が採取されました。根拠は、三坂地区堤防決壊に係わる補足説明資料です。naturalright.orgのサイトの三坂における河川管理史 2のページで詳細に解説されています。

したがって、下図は、鬼怒川の砂利採取が再開されてから(山本晃一によれば、終わったのは1990年とされる。)5か月後の写真ということになります。

なので、鉄板までは見えませんが、坂路もダンプカーも河川敷内の通路も写っています。ヘアピン状の坂路は、素人が想像するよりも大きなカーブを描いて堤防からはみ出しており、付近住民が決壊の原因と疑ったのもうなずけます。

被災前写真

第1回鬼怒川堤防調査委員会配付資料p20

ちなみに、被災前堤防天端状況を示す上の写真(p20)は、2013年10月17日撮影のものですが、同じ写真は、p16とp19にも掲載されています。

ただし、p19の写真は他の2枚と雲の形が違いますが、明るさ等を調整すると同じ形の雲になります。また、他の2枚と重ね合わせるとずれますが、縦横の比率を変えれば重なります。

写真撮影日については、p19の写真だけが、同頁の坂路を写した2枚の写真と併せて、2013年10月13日とされていますが、堤防天端の写真が10月17日(木曜日)撮影とされる他の写真と同じであるだけでなく、2013年10月13日は日曜日なので、p19の撮影日の記述は10月17日の誤りと考えるべきだと思います。

堤防天端の写真は、下館河川事務所の職員が10月13日に日曜出勤して撮影したものであり、10月17日(木曜)撮影の方が誤りである可能性も理論的にはあり得ますが、坂路にはダンプカーも写っているのですから、職員も業者も日曜出勤したとは考えにくく、10月13日(日曜)に撮影した可能性は限りなく小さいと思います。

したがって、下図のとおり、鬼怒川堤防調査委員会報告書のp2−14には、第1回会議資料のp19の写真が使われ、撮影日も2013年10月13日と書かれていますが、17日の誤りでしょう。

鬼怒川堤防調査委員会報告書のp3−14にも、被災前のL21k付近の堤防天端の写真がありますが、こちらは、第1回会議資料のp16とp20の写真が使われており、撮影日は10月17日となっています。明るさ等を補整したため、雲の形が単純化されています。

要するに、関東地方整備局は、被災前のL21k付近の堤防天端の写真は1枚しか使っていないのですが、写真を補整して雲の形を変え、撮影日を間違えるという二つの要因が重なったことにより、当初、私は、別個の写真が存在すると思い込まされてしまったということです。

撮影日の違いは、おそらく単純ミスでしょう。鬼怒川堤防調査委員会関係の資料には単純ミスと意図的に誤解させる表現がないまぜになっているので、よくよく注意して読まないと、混乱してしまいます。

被災前写真ピンぼけ

鬼怒川堤防調査委員会報告書p2−14

下図は、同じく鬼怒川堤防調査委員会報告書のp3−37の表3.7の一部です。堤防決壊のプロセスを説明するためのイメージ図かと思っていましたが、横幅を引き伸ばすと、図2.18とぴったり重なりますので、(地質は別として)堤防の形状だけはL21kの横断面図です。天端のアスファルト舗装まで描かれています。

リアル断面図

ちなみに、鬼怒川堤防調査委員会の第2回会議(2015.10.05)で使われた資料のp25では、下図が使われています。

この時は、イメージ図だったのです。

表法肩の盛り土が描かれていません。

舗装の幅が広すぎると思いますが、普通の形状の堤防が描かれています。

パイピングによる水の吹き出しが大きく描かれています。

堤防はもっと高かったことやパイピングの規模は小さかったことを示した方がいいという配慮が後に働いたと思われます。

国土交通省で次のような会話が交わされたのではないでしょうか。

「これでは、舗装面が堤防高ということになるが、堤防高は舗装面よりも高かったことを表した方がいいんじゃないの。」
「じゃあ、リアルのL21kの横断面図を使っちゃいましょうか。」
「砂の層As1も厚すぎるよ。堤防がほぼ砂でできていたと受け取られてしまう。」(sはsand、cはclayの意味と思われます。)
「堤内地への水の吹き出しも大袈裟すぎるな。パイピングは「決壊を助長したことが否定できない」というのが結論だから、申し訳程度に描いておけばいいんだよ。」
「これだと、パイピングが砂質土As1で起きたことがあからさまだ。」
「じゃあ、パイピングが起きた地層の分類は不明ということにしましょう。」

ポンチ絵断面図 9

地質については、会議を重ねるごとに、徐々に表現が変化していくのですが、堤防の形状については、最終的な報告書の段階で、いきなりリアルな横断面図(上図)に差し替えられたのでした。

興味のある方は、国土交通省のサイトの鬼怒川堤防調査委員会のページをご参照ください。

いずれにせよ、国土交通省は、L21kの堤防高は、法肩の盛り土の頂上で測量されたので、舗装面より高かったと言いたいわけです。

●2011年度に舗装面は計画高水位より約9cm低かった

上記のとおり、2011年度におけるL21kの現況堤防高は、21.040mですが、それは表法肩の盛り土の頂上の標高であり、そこから舗装面の標高との差約0.3mを引くと、舗装面の標高は約20.74mとなります。

計画高水位は20.830mですから、2011年度には、舗装面は計画高水位より約9cm低かったことになります。

鬼怒川下流部で、堤防天端の舗装面がここまで低い箇所は他にはなかったと思われます。

●堤防高を盛り土の頂上で計測することは違法だ

そもそも正しい堤防高の測り方とは、いかなるものでしょうか。

大元の根拠法として、測量法33及び34条があります。

法律には、公共測量(国又は公共団体が負担し、又は補助して実施する測量等)は、測量計画機関が作成し、国土交通大臣の承認を得た作業規程に基づいて実施しなさいと書かれているだけです。

作業規程の準則は、国土交通大臣が示しています。

河川堤防の定期測量については、河川定期縦横断測量業務実施要領(1997 年 6 月 12 日付け建河治発第 29 号、建設省河川局治水課長通知)が作業規程に該当します。

その解説書が河川定期縦横断測量業務実施要領・同解説(1997年6月、財団法人 日本建設情報総合センター)です。

河川定期縦横断測量業務実施要領・同解説には、次のように書かれています。

堤防高測定位置解説 10

縦断測量においては、距離標高と堤防高は別に測量します(作業規程の準則第578条でもそう読めます。)。

そして、堤防高は、「堤防の表法肩において測定する。」ことになっています。

一方、堤防の天端は、通常はかまぼこ型になっているので、「堤防の表法肩において測定する。」ことは、堤防の天端の最も低い部分で測定することになります。雨水を片勾配で表法に流す場合も同様です。

雨水を裏法(堤内側)に片勾配で流す場合には、「堤防の表法肩において測定する。」ことは、堤防の天端の最も高い部分で測定することになりますが、そんな事例は滅多にないと思います。

以上により、鬼怒川のL21kについては、盛り土の頂上において測定したことは、違法だと思います。

法令は、「堤防の表法肩において測定する。」と規定しており、盛り土の頂上において測定しろ、とは規定していないからです。

●法肩への盛り土は雨水の排水を妨げる

表法肩に盛り土をすることは、天端の雨水は速やかに排水されなければならない、というルールに違反しています。

下図は、中三坂地先測量及び築堤設計業務報告書(2006年3月)からの引用で、近年では、鬼怒川では、天端での雨水の排水勾配として、舗装面を川に向かって1.5%の片勾配で下げることになっているようです(既存堤防には拝み勾配の区間も結構あります。)。

「改定解説・河川管理施設等構造令」のp122にも雨水の堤体への浸透抑制を第一の目的として堤防天端が「舗装されていることが望ましい」と書いてあります。

したがって、天端を舗装したのに表法肩に盛り土することは、雨水の排水を妨げる行為であり、勾配をつけた意味を無にするので、やってはいけないはずです。

つまり、現実には、表法肩に盛り土することによって、雨水が堤体に浸透し、堤防を脆弱化させていた可能性があります。

表法肩に盛り土することは、不注意による管理ミスというレベルのものではなく、河川管理者自らが堤防の機能を低下させる自傷行為であり、違法性が強いと思います。

計画断面 11

●かさ上げせずに堤防高を上げることは偽装だ

また、法肩に盛り土をして堤防高を変えるという方法がまかり通るとすれば、堤防のかさ上げ工事をせずに堤防高を高くする偽装を認めることになり、安全性の低い箇所を優先して工事を実施するという判例を無視することになります。

河川定期縦横断測量業務実施要領は、排水を妨げる盛り土をするようなルール違反を想定していないと思われるので、盛り土の頂上を堤防高として測量することは、数字だけの操作ではないにしても、つまり、現実に堤防の上に土を盛ってはいますが、所詮、張子の虎であり、治水には役立たないのですから、実質的には、鉛筆をなめて数字を書くのと同じで、同実施要領に違反すると考えます。

●法肩の盛り土に越水を防ぐ効果はない

堤防の法肩に盛り土することによって水害防止効果が得られるのでしょうか。

上の写真(清水教授のプレゼン資料)のとおり、表法肩の盛り土はL21k付近の数十メートルの範囲の所々にはあっただけなので、洪水の水位が上がると、洪水は盛り土のない部分から回り込むようにして舗装面を冠水させて越水するので、盛り土は島のように見えます。

盛り土のある部分だけ堤防の幅を厚くしてあれば、水圧に耐える効果は増えるでしょうが、越水を防ぐ効果はありません。

●表法肩への盛り土は常態ではない

下図は、中三坂地先測量及び築堤設計業務報告書(2016年3月)の堤防横断面図(40mピッチ)の一部ですが、ここに掲載しなかったページを見ても表法肩に盛り土されている例は見当たりません。

No.110+20.0で法肩が盛り上がっていますが、川裏側です。

27kより下流ですが、堤防横断図で探すと、堤防高が舗装面より高い箇所は、ほぼ見つかりません。

L7.25kでは、表法肩に突起物が見えますが、堤防高測量地点は舗装面であり、L21kと扱いが違います。

縦横断測量という業務は費用が高額で、2015年度には、大水害直後だったことも影響しているのか分かりませんが、下流部だけの測量でも、測量費用は、1.2億円を超えるのですが、正式な堤防自体が土の塊であるとはいえ、現況堤防高の実体が締め固めをしたかも分からない盛り土だったとすれば、そんな堤防で住民を守れるはずがなく、盛り土の頂上を堤防高として扱うことは住民への裏切りではないでしょうか。

中三坂断面図 12

●舗装面を堤防高としない箇所が他にもあったが河畔砂丘だった

ちなみに、L12.25kとL12.50kの堤防高測量箇所を見ると、堤防の外側(堤内側)の高まりを堤防高としており、確かに、舗装面より高い場所に堤防高の測量地点があるので、その意味ではL21kと共通していますが、その場所は、盛り土ではなく、常総市小山戸町(こやまどまち)の河畔砂丘であり、高い地形が連続して存在するのですから、水害防御機能があります。山付き堤なら、その山に堤防高測量地点があっても当然ですが、小山戸町の河畔砂丘を調査した人の話若宮戸以外の河畔砂丘によると、「小山戸の河畔砂丘の区間は、道路のおそらく陸地側(東側)の路肩が河川区域境界線」のようです。

これでは、若宮戸地区の河畔砂丘と同じであり、河川管理者による規制の及ばない民有地を堤防として扱うこと(人の褌で相撲を取るようなもの)ですから、許されません。実際、L12.25における「現況堤防高」は、1998年度には24.15mだったのに、2015年度には20.11mになっており、17年で4.04mも低下しています。河川区域外の河畔砂丘を人為的に掘削したものと思われます。

●2006年3月にL21kの天端の高さは20.84mしかなかった

L21kの堤防の天端の被災時の高さを別の角度から検討します。

下図は、中三坂地先測量及び築堤設計業務報告書(2006年3月、共和技術株式会社)からの引用です。その下は、拡大図です。

上記のとおり、2006年当時は、L21k付近の堤防天端は鋪装されていなかったようです。

L21kでの堤防天端の高さが20.84mと書かれています。L21kの計画高水位は、20.83mなので1cmしか高くありません。(測量時期がはっきりしていませんが、2006年までに20.84mまで下がっていたと言えます。)

2006年近辺の測量データを探すと、2004年度定期縦横断測量によれば、L21kの現況堤防高は21.19mなので、上記天端の高さ20.84mとの差は35cmになります。

2008年度定期縦横断測量によれば、L21kの現況堤防高は21.17mなので、上記天端の高さ20.84mとの差は33cmになります。

したがって、L21kの現況堤防高(盛り土の頂上の高さ)と天端(後の舗装面)の高さの差は、30cm以上と見るのが妥当だと思います。


中三坂地先測量及び築堤設計業務報告書(2006年3月、共和技術株式会社)から(引用者が赤矢印を加筆した。天端の高さと思われる。)

平面図共和技術 13

平面図共和技術拡大図 14

2015年の被災時におけるL21kの堤防の天端の高さを以下に検討します。
【2008〜2011年度の低下量からの検討】

L21kの現況堤防高(盛り土の頂上で測量)は、2008年度が21.170mで2011年度が21.040mですから、3年で0.13mも低下しています(ただし、大地震の影響を含む。)。

盛り土の頂上の高さが2008〜2011年度に0.13m低下したのであれば、その期間を含む2005〜2015年度の10年間では、更に大きく低下したはずですあり、天端面も同様に低下したはずですが、百歩譲って、10年間で0.13mしか低下しなかったとしても、つまり、7年分の低下量を度外視したとしても、2015年度における天端面の高さは、20.84m―0.13m=20.71mまでは低下していたことになるので、計画高水位20.830mよりも12cmも低かったことになります。

【両隣の距離標における現況堤防高の低下量からの検討】

2015年度測量は、被災後のデータですから、L21kについては、堤防が流失しており、堤防高は荒締切工の高さですから使えませんが、その両隣の距離標、L20.75kとL21.25kのデータは使えるはずです。

両地点の2008年度と2015年度の現況堤防高は、次のとおりです。
    L20.75k  L21.25k
2008年度  21.260m 22.140m
2015年度  21.080m 22.110m
    低下量      0.18m  0.03 m
    
    
    

したがって、両地点の真ん中にあるL21kの2008〜2015年度における堤防高の低下量は、少なくとも、量地点の低下量の平均値である10.5cmはあったと見るべきだと思います。     

そうだとすれば、被災当時の舗装面の高さは、おそらくは2005年度の天端面の高さ20.84m―0.105m=約20.7m程度になっていたと考えられ、この値は、21kの計画高水位20.830mより約13cm低かったことになります。
    
         【地盤沈下量からの検討】     

茨城県のホームページの地盤沈下のページで三坂町における地盤沈下量から検討したいところですが、茨城県は、大地震を機に三坂町(2箇所)における観測をやめてしまいました。     

そこで、中妻町地内の観測所の標高を見ると、下記のとおりです。     
    2006.1.1 →16.0435m
    2015.1.1→ 15.9201m
    沈下量  0.1234m
    
    
    

したがって、中妻町で9年で12cm沈下したなら、三坂町でもその程度は沈下したと推測してもおかしくありません。     

したがって、中三坂地先測量及び築堤設計業務報告書(2006年3月、共和技術株式会社)による、L21kの天端面の高さ20.84mは、2015年には20.84―0.12=20.72mになっていてもおかしくありません。 この高さは、計画高水位20.830mより11cm低いことになります。

しかし、三坂町は中妻町よりも地盤沈下が激しいので、この数字はかなり控え目です。

以上により、L21kの堤防の舗装面は、堤防高(盛り土の頂上の高さ)より30cm以上低く、また、2015年には、計画高水位より11〜13cm以上は低かったと考えられます。

ちなみに、仮に被災当時、L21kの舗装面が計画高水位より13cm低い20.7mだとしたら、L21kの洪水痕跡水位は推定で21.04mです(2015年度鬼怒川下流部流量観測業務報告書(株式会社新星コンサルタント))から、舗装面を34cm上回る越流水深だったことになります。

鬼怒川堤防調査委員会報告書p2−14には、「出水時の越流水深は痕跡水位と堤防高から推定すると約 20cm となる。」と書かれています。

そもそも、L21k付近は、距離標から約9m下流に大きな泥だまりができるほど不陸(おそらく10cm以上)のある堤防なのに、どの地点を捉えて言っているのかを明示しなければ、越流水深が約 20cmと言ってみても、意味がないと思います。

ここでも、「報告書や資料は分かりにくく書く」という方針が貫かれていると思います。

いずれにせよ、越流水深約 20cmという見方は、L21kの地点においてだとしても、実際の半分くらいの過小評価だと思います。

L21kの堤防の管理には、少なくとも二つの問題があったと思います。
(1)表法肩に盛り土をすることによって、堤防天端の雨水の排水を妨げ、堤防を脆弱化させたこと
(2)盛り土の頂上を測量することによって、数値の上では堤防は高かったことにしてしまい、危険の発見を遅らせたこと

●L21kの堤防は万里の長城の通路の壁みたいなもの

鬼怒川左岸21kの堤防の形状は、横から見れば、シルエットは下図のとおりだったのであり、何のことはない、大袈裟に言えば、万里の長城の通路の外側の壁みたいなもので、あるいは、切れ込みがたくさん入ったパラペット堤防みたいなものだったと思います。

「ドベネックの桶」(本来は栄養学の話ですが)を持ち出すまでもなく、堤防は、所々高くしても意味がないのです。

極端に低い所があってはならないのは堤防管理の常識だと思います。

その常識が守られなかったのが鬼怒川大水害だったと思います。

こんな形の堤防が他にあるのでしょうか。

鬼怒川L21kの堤防の形状は異常だったのです。

堤防シルエット15
L21k付近の堤防のシルエットのイメージ

万里の長城16
万里の長城(Wikipediaから)

ドベネックの桶17
ドベネックの桶(Wikipediaから)

(文責:事務局)
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