「水危機 ほんとうの話」はほんとうの話か

2019-07-30

●「ダムからの放流によって大きな被害が出た」はほんとうか

沖大幹・東京大学生産技術研究所教授は、「水危機 ほんとうの話」(新潮選書 2012年)のp174〜175で次のように書きます。

実際「ダムからの放流によって大きな被害が出た」という言い方を好んで使うマスメディアもある。洪水中には貯水池に流入してくる量を超えて放流することは基本的にないので、貯水池から放流される水量はダムがなくても自然状態で下流に流れていたであろう水量なのである。

現実には貯水池への流入量は貯水池の水位の時間変化として把握され、放流量の調節にも多少の時間がかかる。

そのため、1分、2分という時間単位で見ると、瞬間的には放流量の方が流入量よりも多く、そして次の時間単位には流入量の方が放流量よりも多くなる、といった変動が生じる。

1時間といった単位で流入量の方が放流量よりも大きければ、貯水池はその分洪水を多少なりとも低減させた、ということになるのであるが、ダム貯水池下流で水害が生じた場合には住民感情がそれを許さない。

たとえ1分でも放流量が流入量よりも大きい時間帯があった場合、水害被害が生じたのはそのせいではないか、と文句のひとつも言いたくなる気持ちは良くわかる。

加えて、ダムが嫌いな方々やマスメディアはここぞとばかりに、その点を責め立てる。結果として、近年のダム操作では、後で責められる可能性があるからと、流入量=放流量にぴたりと調整することはやめ、放流量を流入量よりも常にやや少なめに調整して誘導するようになった。

下流に到達する流量が常に減るのだからいい、と思うかもしれないが、その分ピークを下げるのに使える容量が減り、一番必要とされるピーク時に貯留効果を発揮できなくなるおそれがある。ある意味もったいない話である。


●何が言いたいのか

何が言いたいのかをはっきりは書いていませんが、「洪水中には貯水池に流入してくる量を超えて放流することは基本的にないので、貯水池から放流される水量はダムがなくても自然状態で下流に流れていたであろう水量なのである。」というのですから、要するに、ダムがない状態で流れる水量よりも大きな水量は流さないのだから、ダムによって水量が増えることはない、したがって、「ダムからの放流によって大きな被害が出た」という話は誤解に基づく、と言いたいのでしょう。

●「自然状態で下流に流れていたであろう水量」なのか

沖は、「貯水池から放流される水量はダムがなくても自然状態で下流に流れていたであろう水量なのである。」と書きますが、ここでいう「自然状態で」の定義が問題です。普通は、ダムがなかった場合と同じ状態で、と受け取るでしょう。しかし、ダムがあると、洪水が下流に押し寄せる時期が違ってきますが、沖は、この時間的要素を無視して「自然状態で」と書いているように思われます。

「洪水中には貯水池に流入してくる量を超えて放流することは基本的にない」のであり、計画を超える洪水が発生した場合にも、「ただし書操作」によっても、放流量の上限が流入量になるだけだ、と言いたいのでしょうが、同じ水量が流れるとしても、ダムがあるのとないのとでは、下流での水位上昇の時間が違ってきます。

大きな水量が流れて、どっちみち下流での床上浸水が避けられないとしても、ダムのない「自然状態で」流れるなら、下流の水位上昇は緩やかですから、水害常襲地帯の住民は、浸水が始まってから1階の畳や家財道具を2階に上げて濡らさないという芸当もできます。

しかし、ダムがあると、洪水をためるだけためて、ピーク流量の時に一気に放流したら、下流では短時間に水位が急激に上昇し、逃げるのが精一杯です。

したがって、時間という要素は、非常に重要です。水位や水量だけで水害を議論するのは失当でしょう。

それにもかかわらず、沖が時間的要素を無視して、ダムがあっても、「自然状態で下流に流れていたであろう水量」しか流れない、と書く理由が理解できません。

●仮想敵がピント外れではないか

沖は、「たとえ1分でも放流量が流入量よりも大きい時間帯があった場合、水害被害が生じたのはそのせいではないか、と文句のひとつも言いたくなる気持ちは良くわかる。加えて、ダムが嫌いな方々やマスメディアはここぞとばかりに、その点を責め立てる。」と書きますが、事実に基づく話なのか疑問です。

「ダムが起こす水害」があるのか、という重大問題を、こんなたとえ話のような話を基に結論を出すのは、1575円を支払って「水危機 ほんとうの話」を買った私のような読者を愚弄するものではないでしょうか。

沖は、自説の正しさを証明するために、「たとえ1分でも放流量が流入量よりも大きい時間帯があった場合」に「ここぞとばかりに、その点を責め立てる」ダムが嫌いな方々やマスメディアを仮想敵(論破の対象物)として引き合いに出しますが、ダム問題に20年以上かかわってきた私は、そんなおかしなことを言う「ダム嫌い」に会ったことはないし、そんなおかしなマスメディアの報道を見たこともありません。

仮にそんなおかしなことを言う人が実際にいて、そんなおかしな報道をするマスメディアが実際にあったとしても、「ダムによる水害」があるのか、という問題にとって、1分の放流オーバーの時間帯の存在を責め立てるマスメディア等の存在を持ち出すことは、ピントが外れていると思います。

●「ダムによる水害」とは

従来言われている「ダムによる水害」とは、ダム地点上流に人家がある場合、貯水池内の堆砂により水位が上昇しやすくなることと、下流で急激な水位上昇が起き、財産を毀損するだけでなく、避難する時間的余裕がなく、命さえ奪われるおそれがあるということです。

また、子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会のサイトを見ると、川辺川ダムとはのページで浸水水位自体もダム設置後は上がるという経験が記されていますが、これは、降水量を詳しく見ないと結論が出ません。

沖は、「ダムからの放流によって大きな被害が出た」という話は「ほんとう」か、というテーマを掲げながら、上記のような「ダムによる水害」の典型例(特に洪水が一気に押し寄せるという問題)に触れません。

●国営・市房ダム(熊本県水上村)の被害者の話を知らないのか

国土交通省は、1965年7月3日の球磨川の水害について、「市房ダムの異常放流により、急激(異常)な水位上昇があった(矢黒町亀ヶ渕地点で約30分間に1.5m、人吉市内で30分ほどで一気に2m)。 」という被害者の声を公文書(社会資本整備審議会の河川分科会の資料「市房ダムの洪水調節」)に記載せざるを得ませんでした。

つまり、市房ダム(1959年完成)の放流により、下流で急激な水位上昇があったという事実を国土交通省も認めざるを得ないということです。

もしも、被害者の勘違いなら、その旨の説明を建設省がしているはずであり、水害から41年後の磨川水系河川整備基本方針の検討資料に当該被害者の声を掲載することはないはずです。

子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会のサイトにも次のように書かれています。

被害住民が恐れるダム洪水
川辺川ダムは1965年の人吉大洪水をきっかけに計画されました。しかし、その洪水の時「30分ほどで一気に2mも水位が上がった」という数々の証言から、「市房ダムからの急激な放流が被害を大きくした」と水害体験者は考えています。市房ダムに加えて、その3倍の大きさの川辺川ダムが造られると、下流の住民は、これまで以上に洪水の恐怖におびやかされることになります。

つまり、川辺川ダム建設のきっかけとなった1965年の人吉大洪水は、皮肉にも、「市房ダムからの急激な放流が被害を大きくした」と言われており、国もこの事実を否定できません。

近藤徹・元建設省河川局長は、「ダムと社会との関わり」という論文においてダム湖の水位曲線やハイドログラフを示し、「図を見る限り測定水位が洪水のピークまで一貫して時間とともに上昇しているので,貯水池からの放流量は貯水池への流入量を下回っている確かな証拠である。その点が水害体験者に理解されていないことが明白である。」と書き、被害者は誤解していると言いたいようですが、放流量<流入量だからといって、ダムが免責されることにはなりません。

確かにハイドログラフを見ても、ダムはパンクしておらず(流入量=放流量となっていない)、ただし書操作をしていないようですが、だったら30分で2mという急激な水位上昇はどうやって説明するのでしょうか。

「30分で2m」という住民の情報はウソだとでも言うのでしょうか。

近藤は「グラフから見て急激な水位上昇はあり得ない」と言うのかもしれませんが、そんな説明で急激な水位上昇を体験した住民が納得するはずがありません。

机上論で説明できないからといって、事実を無かったことにするわけにはいきません。

それにしても、1965年7月洪水時の市房ダムは、最大流入量862m3/秒に対して最大放流量521m3/秒ですから、ダム地点では洪水を40%も削減したことになりますが、それでも人吉地点での水位低下効果量は、最高想定水位5.12mに対して最高実績水位5.05mなので7cm(約1.4%)にすぎません。

わずかな水位低下効果しか期待できないのに、鉄砲水のような急激な水位上昇という副作用を伴うダムが必要だったのか疑問です。

●なぜ市房ダムの例に言及しないのか

日本自然保護協会のサイトの昔の洪水、いまの水害のページには、次のように書かれています。

未曾有の水害体験をした人たちは、「30〜40分で2メートルも上がるような水はいったいどこから来たのか?」と疑問を投げかける。急増水の前に「市房ダムが放水されますので十分注意してください」という消防署の広報車の警告を聞いていることから、急増水は市房ダムの放水が原因だと体験者の多くが考え、河川管理者である建設省を長年にわたって追及してきたが、いまだに真相が明らかになっていない。

私は、沖が「ダムからの放流によって大きな被害が出た」という話は「ほんとう」か、というテーマを掲げる以上、「30〜40分で2メートルも上がるような水はいったいどこから来たのか?」といった疑問にまともに答えるものと期待していました。

博識の沖がダムによる水害の典型例と目される市房ダムの例を知らないはずはないのに、言及することもなく、放流量>流入量の時間が1分でもあると責め立てる、誰が見てもおかしなマスメディア等の例を挙げるだけで、「ダムからの放流によって大きな被害が出た」という話は「ほんとう」ではない、と結論づけるやり方は、科学者の用いる論法とは思えません。

なお、水問題の全てを研究対象とする博識の沖が、2008年に発行された「ダムは水害をひきおこす ダムは洪水を防いだか? 球磨川・川辺川の水害被害者は語る」(球磨川流域・住民聞き取り調査報告集編集委員会)の中で「ダムによる水害」が語られているのを知らないはずがありません。知らないとしたら、「ほんとうの話」は書けないはずだからです。

●20分で2mの水位上昇が起きた

2018年7月の西日本豪雨災害についてWikipediaには、次のように書かれています。

愛媛県では、西予市野村町で7日朝、野村ダムが満水に近づいたため放流量を急増させたところ肱川が氾濫し、逃げ遅れた5人が死亡した。(略)国土交通省四国地方整備局によると、6時20分からダムへの流入量と同じ量の放出を開始し、6時20分時点で毎秒439立方メートルで放流していたのが7時50分には毎秒1797立方メートルに達した。

テレビ報道(日本テレビNNNドキュメント)では、7月7日6:20〜6:40の20分間に肱川の水位が2m上昇したと言っていました。

「野村ダムでは、朝6時まで300m3/秒、6時20分には440m3/秒、6時40分には 1400m3/秒」(下記文献)が流れたといいます。

こんな現象がダムなしに起きるとは思えません。

それでも沖は、ダムがあったためにかえって被害が大きくなることはあり得ない、と言うのでしょうか。

下図は、1:東京大学生産技術研究所, 2: 名古屋大学, 3: 東京大学大学院工学系研究科, 4: 東北大学, 5: 東京工業大学, 6: 芝浦工業大学, 7:宇宙航空研究開発機構が2018年7月26日に作成した「2018年7月豪雨に関する資料 分析 第1報(高梁川・肱川に着目)」(年表記は筆者が編集)からの引用です。野村ダムのグラフには時間軸の表記がないので鹿野川ダムのグラフも引用します。鹿野川ダムでも、ためた洪水を一挙に流すという現象が起きています。

野村ダムグラフ

緑の破線が放流量です。ほぼ垂直に立っています。短時間に放流量を増やしたということです。

「野村ダムでは、朝6時まで300m3/秒、6時20分には440m3/秒、6時40分には 1400m3/秒」が流れたことが、グラフからも分かります。

20分間で流量が960m3/秒(約3.2倍)増えたのです。

こんな現象が「自然状態で」起きるものでしょうか。

西日本豪雨災害についてはマイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」が優れた分析をしていますので、詳しくはそちらを参照ください。

上記サイトの野村ダムに関する記述の要点を引用すると、次表のとおりです。数値は、国土交通省の発表によるそうです。筆者とは、上記ブログの著者です。

野村ダム流量表

2018年7月7日6時20分〜40分の20分間で野村ダムへの流入量は1.3倍程度しか増えていないのに、放流量は3.2倍程度に増えています。だからといって、放流量が流入量を上回っていたわけではありません。貯留中でした。

ダムがなければ、上記20分間の流量増加は1.3倍で済んだのではないでしょうか。

20分間で流量が3.2倍に増えたら、避難する時間はありません。実際、5人が犠牲になっています。

沖は、このような肱川の急激な水位上昇が野村ダムのない「自然状態で」起きると言うのでしょうか。

「水危機 ほんとうの話」には「ほんとうの話」が書かれているのでしょうか。

(文責:事務局)
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