被告は河畔砂丘が堤防の役割を果たすことを認めている(鬼怒川大水害)

2021-10-12

●被告が河畔砂丘が堤防の役割を果たすことを認めていることの証拠は少なくとも10ある

鬼怒川大水害訴訟では、常総市若宮戸地区の河畔砂丘が堤防の役割を果たすかどうかで答弁書(2018年11月28日付け)p10の段階から現在まで延々と争っているのですが、終止符を打つことができないものでしょうか。

被告は、訴訟の中で河畔砂丘が堤防の役割を果たすことを認めているのですから、それで決まりではないでしょうか。

原告側は、被告が、河畔砂丘が堤防の役割を果たすことを認めていることの証拠として次の五つの事実を挙げます(原告ら準備書面(9)p20〜21)。

ア 2011年度鬼怒川直轄河川改修事業(甲7)p4で若宮戸地区を「山付き堤」と書いている。
イ 堤防定期縦横断測量において、若宮戸地区では、河川区域外の河畔砂丘まで測量し、その最も高い地盤高を堤防高として扱っている。
ウ 2011年度鬼怒川直轄河川改修事業p8において、若宮戸地区は、概ね20〜30年で整備する区間にすら入れていない。
エ 2011年度鬼怒川河川維持管理計画p16でも、若宮戸地区を堤防整備不必要区間としている。
オ 2003年度に若宮戸地区の築堤設計(甲4)はしたが、設計しただけで築堤しないまま大水害を迎えた。

被告が、河畔砂丘が堤防の役割を果たすことを認めていることの証拠は、上記五つのほか、次の五つが考えられます。

(1)被告は、左岸24.75k付近の140mと左岸25.25k付近の90mについては、地盤高が1/30に満たない安全性しかなかったと言っている(被告準備書面(6)p11)ので、逆に言えば、上記2箇所以外の区間では、河畔砂丘の地盤高が1/30以上の安全性を有すると言っていることになる。
(2)被告は、1966年に河川法第6条第1項第3号の規定を根拠として若宮戸地区の河川区域を指定しており、このことは、河畔砂丘の一部についてではあるが、河畔砂丘が堤防の役割を果たすことを認めていることになる。(原告側と立場が違います。原告側は、河畔砂丘は「完全に河川区域から外れている。」と言っています(原告ら準備書面(6)p27)。訴状p9では、「25.35km付近では、砂丘林の川寄り側に指定され、砂丘林のほとんどは河川区域外であった」と言っていたので、見解を変えたようですが、見解を変えるならそれなりの理由を説明してもらわないと他人には理解できません。)
(3)被告は、準備書面において河畔砂丘が堤防の役割を果たすことを認めている。
(4)「『平成27年9月関東・東北豪雨』に係る洪水被害及び復旧状況等について」p18において、「当該地には、常総市若宮戸地先の鬼怒川沿いにある、実態的には堤防のような役割を果たしていた 地形(以下「いわゆる自然堤防」という。)が形成されていた。」と書いている。
(5)被告は2015年12月頃に「実態的に堤防のような役割を果たしている地形の調査結果について(直轄管理区間)」をまとめており、その中に鬼怒川の若宮戸地区の河畔砂丘が含まれている。

今回記事では、(3)について詳述します。

●訴訟の中で被告は河畔砂丘が堤防の役割を果たすことを認めている

原告側が「被告が若宮戸に土のうを積んだのは、河畔砂丘が堤防の役目を果たしてきたことを認識していたからにほかならない」旨を述べたことに対して、被告は、被告準備書面(4)p12で「被告が若宮戸地区で土のうの設置を行ったのは、常総市等からの要請を踏まえた対応であり、河畔砂丘が堤防としての役目を果たしてきたと認識していたからであるとする原告らの主張は必ずしも正確ではない」旨を述べています。

その一方で被告は、被告準備書面(4)p14で次のように述べます。

すなわち、被告は、常総市等からの要請を踏まえ、掘削された箇所に掘削前の地盤高と同程度の高さまで土嚢を設置したのであるから、当該箇所における氾濫を抑制する効果は相応に回復したものである。


被告は、「当該箇所における氾濫を抑制する効果は相応に回復したものである。」と言いました。

「当該箇所」とは、ソーラー発電事業者の事業用地である河川区域外の河畔砂丘です。

したがって、被告は、掘削前の河畔砂丘に計画堤防と同じ効果があるとまでは言っていないとしても、一定の「氾濫を抑制する効果」があったことを認めたのです。(ただし、掘削の10年前の2004年には2箇所において計画高水位よりも低い箇所があったのですから、2014年の掘削の直前に河畔砂丘を取り込んで河川区域を指定すれば氾濫は避けられた、という話にはなりません。)

若宮戸には、河畔砂丘以外に氾濫を抑制する効果のあるものはなかったのですから、たとえその効果が計画堤防と同程度でなくても、1966年に、とりあえずは河畔砂丘のうち家屋の敷地を除いた全体を堤防類地とすべきでした。(実務者からは、そんなことをしたら、河畔砂丘の所有者から反発されるから現実的でない、という反論が来るでしょう。所有者との軋轢を避けたいなら、堤防も堤防類地が存在しないということになるので、さっさと築堤するしかなかったという話です。)

被告は、既に、2019年2月提出の被告準備書面(1)p54でも次のように主張していました。

そして、上記のような措置を講じたことにより、本件砂堆が掘削された直後の状態と比較すれば、少なくとも、当該箇所における氾濫を抑制する効果は相応に回復したといえることは明らかである。

つまり、掘削前の河畔砂丘には一定の氾濫抑制効果があることを前提に、その効果が掘削によって奪われても、土のうを積んだことにより一部回復したと言っています。

効果が「回復した」ということは、既に効果があったことを前提としているということです。

この時点で論争は終わっていたはずではないでしょうか。

●堤防類地の資格を具体的に述べるべきではないのか

確かに、原告側も、河畔砂丘がいつの時点で、どの程度の氾濫抑制効果を有していたのかを具体的に明確にして議論しないことがおそらく原因となって、被告から「この点、「堤防の役目」とは具体的にいかなる機能を指すのかが判然としないことから、的確な認否、反論は困難である」(被告準備書面(4)p12)という反論を許していると思います。

原告側は、「かつては」(訴状p9、原告ら準備書面(4)p7、同(6)p33、p38、同(9)p12)を連発しますが、このような曖昧な言葉で裁判所は理解するのでしょうか。裁判所は、「かつては」のままで事実認定をしてくれるのでしょうか。

「河畔砂丘は、氾濫抑制効果を有していたのであるから、河川区域に取り込んで指定すべきであった」と主張するのであれば、指定すべき時期は1966年時点であり、空中写真から判断して、遅くとも、1970年頃までに指定すべきである、1975年では計画高水位程度の水位となる洪水にも耐えられないと思われ遅すぎる、と主張すべきだと思います。

2014年の掘削直前に指定しておけば本件溢水は避けられたかのような誤った認識の下に主張すべきではないと思います。

堤防類地としての資格については、河川法令研究会「よくわかる河川法第三次改訂版」も「丘陵地が堤防としての機能を発揮している場合があり」(p21)としか書いておらず、機能の程度について説明していません。

一口に「堤防としての機能」と言っても、丘陵地の規模によって程度の差はありますから、実際には、ある程度の基準がないと、管理者は、山付き堤とすべきか迷ってしまい、指定ができないことになります。

本来なら、計画堤防の規格以上の高さと断面積を有している自然の地形のみに堤防類地としての資格があると考えるべきでしょうが、1966年当時には、ともかくも堤防類地を指定しなければ高水敷を河川区域に指定できないので、そうした理想を掲げてはいられないという考えから、資格のない地形を堤防類地として指定してしまい、高さ又は断面積が計画堤防の規格を満たさない場合は、その程度に応じて、暫定堤及び暫々定堤のように扱い、防災機能の小さいものから追々整備していくことにしたのかもしれません。

そうだとすれば、新河川法施行に伴う緊急避難的な便法として容認すべきなのかもしれません。

しかし、堤防類地(山付き堤)が岩山ではなく砂丘である場合には、所詮砂の堤防ですから、大きさが同じなら粘性土を主な材料とする土堤よりも弱いので、山付き堤が暫定堤及び暫々定堤に等しい状況を長期間放置することなど許されるべきではなく、特に高さが計画高水位以下になった場合には完全に危険であり、計画高水位以上の場合であっても、計画高水位を上回る部分の高さが計画余裕高の20%以下(鬼怒川の場合、30cm以下)になったら相当危険であり緊急に築堤すべきだと考えます。(高さが十分である場合でも、砂でできたカミソリ堤防では容易に崩れてしまうので、法勾配も考慮する必要がありますが、砂丘が自然の状態なら法勾配は緩いはずなので、普通は問題にならないと思います。)

独自の考えだとの批判が予想されますが、重要水防箇所の初期の評定基準の考え方であり、実務から遊離した空論とは言えないと思います。

山付き堤の場所に河川区域を指定する場合に、その資格について何らかの基準を設定するのは当然であって、むしろ、1966年当時、何も基準がなくて河川区域を指定したのが実態であったとすれば、あまりにもいい加減であり、後に問題が起きるのは当然でした。

(文責:事務局)
フロントページへ>その他のダムへ>このページのTopへ