2015年度鬼怒川下流部定期測量は被災後に実施された(鬼怒川大水害)

2021-10-27

●原告側は2015年度鬼怒川堤防定期縦横断測量は被災前になされたと言っている

原告側は、原告ら準備書面(6)p29において、次のように主張します。

同図において,若宮戸地区の砂丘林がある25.25km地点の堤防高を見ると,2001年度と2011年度は計画高水位より1m以上高くなっているが,2015年度は計画高水位より2m以上低い値になっている。この堤防高の大幅な低下は2014年3月にソーラー発電事業者が行った砂丘林の掘削によるものである。

「同図」とは、下の「図7」のことです。

堤防高グラフ

「25.25km地点の堤防高を見ると,2001年度と2011年度は計画高水位より1m以上高くなっている」と言いますが、両年度をひっくるめて「1m以上」と言うのは誤りです。

なぜなら、L25.25kの2001年度の堤防高(測量データ一覧表の堤防高欄の数値のこと。実際は地盤高。以下同じ。)は23.430mで計画高水位22.350mより1.08m高いのですが、2011年度には23.250mなので計画高水位より0.9mしか高くないので、2011年度においては、「計画高水位より1m以上高くなっている」とは言えません。

次に、「この堤防高の大幅な低下は2014年3月にソーラー発電事業者が行った砂丘林の掘削によるものである。」と言えるのかが問題です。

原告側は、2015年度の鬼怒川の堤防定期縦横断測量は、2015年4月1日から9月9日まで(大まかに言って上半期)になされたと言っていることになります。

なぜなら、被災後は氾濫水により掘削後の地形が大きく改変されているので、被災後に測量したのでは、掘削から被災までの状況を測量することはできないからです。

「鬼怒川堤防関連データ(平成27年度)」(甲16)の証拠説明書にも、次のとおり、上記本文と同様の記載があります。(甲16の「作成年月日」が「2011年度」とあるのは「2015年度」の誤りです。)

本書証は、国土交通省が平成27年度に鬼怒川左岸右岸の堤防高を250m間隔で測量した結果を示すものである。距離標25.25kmの左岸は堤防がなく、堤防のような役割を果たしていた砂丘林が掘削された後の状態を示している。この地点の堤防高として記されている20.190m は、、同地点の計画高水位22.350mより2m以上低くなっており、堤防として扱っていた砂丘林がなくなったことを示している。

原告側は、原告ら準備書面(9)において次のように主張します。

図7は被告による鬼怒川堤防高調査結果から、2001年度、2011年度、2015年度について鬼怒川左岸下流部の堤防高の推移をグラフで示したものである。堤防高の調査は250m間隔で行われている。図7において、若宮戸地区の砂丘林がある25.25km地点の堤防高を見ると、2001年度と2011年度は計画高水位より1m以上高くなっているが、2015年度は計画高水位より2m以上低い値になっている。この堤防高の大幅な低下は2014年3月にソーラー発電事業者が行った砂丘林の掘削によるものである。

したがって、被告は、2014年より前は砂丘林を堤防として扱い、その高さをこの付近の堤防高として扱っていた。

ここでも、「2011年度は計画高水位より1m以上高くなっている」は、誤りです。

原告ら準備書面(8)の図4の中の(注)においても、次のように書かれています。

2015年度25.25kmの現況左岸堤防はY.P.20.19m(計画高水位―2.16m)で、著しく低くなったのは2014年3月頃に若宮戸において砂丘林の掘削が行われたことによるものである。

「原告の訴状、準備書面の図(グラフ)の作成についての報告書」というタイトルの意見書にも上記図4が引用されています。

つまり、L25.25kの「堤防高」が計画高水位より2m以上も低いのは、2014年3月頃に若宮戸において砂丘林の掘削が行われたことによるものである、という主張を5回も繰り返しています。

●2015年度定期縦横断測量は被災後に行われた

しかし、2015年度の測量データは被災後のものであり、氾濫があった区間では、測量時点では堤防や堤防に代わるものはなくなっている(仮堤防はあるが)ので、若宮戸地区における2015年度測量の「堤防高」のデータは、河畔砂丘の掘削後から氾濫までの期間における地盤高表すものではありません。

したがって、2015年度の鬼怒川の堤防定期縦横断測量のデータを見て、河畔砂丘を掘削した結果であると見るのは誤りです。

2015年度の定期測量の実施時期について、関東地方整備局の職員は、電話での問い合わせに対して、被災後に行ったと答えましたし、その際、L21.00kにおける堤防高が21.100mとなっており、2011年度の21.040mより6cm高いのは、仮締め切り堤防の天端を測ったからだと答えました。

また、原告側弁護士も口頭弁論(2020年10月だったと思います。)において、「2015年度測量のデータは、水害後のものである」と説明していたのを、傍聴していた私は聞いています。

文書による証拠もあります。

【25.25kの横断図】

下図は、25.25kの横断図です。測量時期は、2016年1月であり、2015年度定期縦横断測量の成果だと思われます。

左岸側(左側)に東西に延長10m程度で深さ2m程度(最深部とは限らない。)の窪みがあります(図の縦横の比率は10倍)。その手前(西側)のヘリの部分の高さが20.19mです。

原告側は、上記甲16の証拠説明書でL25.25kの「堤防高」が20.190mであると言っているのは、この数字です。

この値は、水害後である2016年1月に測量した数値ですから、氾濫後の状況を示すものであり、掘削後、氾濫前の状況を示すものではありません。

横断図

表題部

左岸拡大図
上図のうちの左岸側拡大図

堤防高地点
「堤防高」とされている地点の拡大図

数値拡大図
「堤防高」とされている数値の拡大図

自信はないのですが、2015年度定期測量におけるL25.25kの「堤防高」の測量地点は、下図のとおり、ソーラーパネルの東側のおっぽりの西側のヘリだった可能性があると思います。

地理院写真
鬼怒川左岸25.25k付近の被災後の状況(国土地理院地図から)


【定期測量業務委託契約書の履行期間は9月25日から】

測量時期が水害後であることの根拠は、下図のとおり、「H27鬼怒川下流部縦横断測量業務」の履行期間が2015年9月25日から始まることです。(契約締結日が10月26日で履行期間の開始日が9月25日になっているのは不可解ですが。)

この測量業務契約は、以後、3次の変更がなされ、最終的には、契約金額は7635万600円から1億2787万2000円になり、履行期間は「2015年9月25日から2016年1月29日まで」から「2015年9月25日から2016年5月31日まで」と、複数年度契約になりました。

いずれにせよ、測量は9月25日以降にされたのですから、氾濫が起きた若宮戸地区では、氾濫前の地形を測量することはできません。

定期測量契約書

【L25.00kの堤内地盤高が上がった】

L25.00kは、鶏舎とパゴダ(慰霊塔)の間にあり、L25.35k付近を中心とした発電事業用地と関係のない地点です。

そこでの堤内地盤高(堤防に隣接する堤内の土地の地盤高。根拠:各務原市準用河川管理施設等の構造の技術的基準を定める条例第6条第1項)は、2011年度が17.700mで2015年度が19.536mですから、1.836mも高くなっています。無堤防区間の若宮戸地区で「堤防に隣接する堤内の土地の地盤高」とは、具体的にどこを測量したのかは不明ですが、それにしても、発電事業用地と無関係な場所で測量データがこれほど大きく変わったということは、氾濫という大事件があったからだと考えるのが合理的です。(なお、L25.75kでもL26.00kでも堤内地盤高は大きく動いています。)

【L32.75kの地盤高が上がった】

2015年洪水では、鬼怒川左岸32.8k付近(下妻市前河原地先)の無堤防区間でも溢水が起きました(被害報告書p9)。

そこで、L32.75kの「堤防高」(実際は地盤高)の変化を見ると、2011年度が27.010mで2015年度が27.600mなので、59cm高くなっています。

ここでもどこを測量したのが不明ですが、無堤防区間の地盤高にこれほど大きな変動量が生じるのは、ここで氾濫があったから(2015年度測量は氾濫後)と考えるのが合理的だと思います。

関東地方整備局の職員が2015年度測量は水害後に実施したと言い、水害後に測量業務の委託契約を締結した証拠もあるのですから、それらで結論は出ているのですが、測量データをながめただけでも、2015年度測量は水害後に実施されたことが分かるということです。

●L21.00kの堤防高の増加の説明がつかない

L21.00kの堤防高は、2011年度の21.040mから2015年度の21.100mへと6cm増加しました。前掲の図7では、線が重なってしまい、増加は読み取れませんが。

原告側は、若宮戸の「堤防高」を説明する際には、2015年度測量を持ち出すのに、三坂町の堤防高を説明する際には、2011年度測量を持ち出しています(例えば、原告ら準備書面(8)p29)。

●2014年の掘削後の地盤高は21.4m程度だ

2014年の掘削後の「堤防高」がどうだったかは、2014年度の測量成果(土のう積みの工事中に測量された。梅村さえこ衆議院議員によるヒアリングで提出された)を見るしかありません。

下図のとおり、L25.25kに最も近い横断測線は、測点No.33とNo.34の間のE C3と思われ、そこの横断図からは、最高地点は、土のうの西側の段差の上部(金網フェンスが立っている。)であり、定規で計測すると、20.7m程度です。

そうだとすると、計画高水位22.350mよりも1.65m低いことになります。

2011年度のデータと比較すると、上記のとおり、2011年度のL25.25kの「堤防高」は、23.250mなので、メガソーラー事業者による河畔砂丘の掘削により、2.55m(=23.250m―20.7m)も低下したことになります。

2014年度測量平面図
2014年度測量の基準測線を示す平面図

EC3横断図 10
25.25kに最寄りのE C3の地点の横断図

いずれにせよ、計画高水位を基準として言えば、原告側は、メガソーラー事業者による河畔砂丘の掘削によって、L25.25kの「堤防高」が計画高水位より2.16m低くなったと言いますが、それは誤りであり、実際には、1.65m低くなったということになると思います。

参考までに、下図のとおり、L25.25kに近い部分の横断図が2004年1月測量のものと2014年測量のものとを並べて、変化が比較できるようにしてみました。

鶏舎の東側にあった河畔砂丘の畝(R2)をほとんどなくしてしまったのですから、確かに、発電事業者は大胆なことをしました。

河畔砂丘は、2004年1月には、鶏舎の軒くらいの高さがあり、住宅街からは、鶏舎の屋根が見える程度だったのが、2014年には、鶏舎の敷地から約60cm高いだけの約20.7mになってしまい、鶏舎の壁が丸見えになってしまいました。(若宮戸河畔砂丘掘削の実態(鬼怒川大水害)下流側の写真参照。特に、145.JPEGと222.JPEG)

しかし、この数値は、被災後に測量した2015年度定期測量の成果には表れないということです。

なぜなら、2015年度定期測量(実測時期は2016年1月)では、下図(方眼紙ベース)のとおり、河畔砂丘の掘削後にはあった20.7mの高まりまで2015年洪水で削られてしまったのですから。

いずれにせよ、河畔砂丘の掘削後の最高地点と氾濫後の最高地点では、そもそも場所が違うということを認識すべきだと思います。

横断図比較 11

2015年度横断図 12

●発電事業者が掘削した砂の量を計算してみた

ちなみに、発電事業者が掘削した砂の量を計算してみました。

発電事業者は、掘削した砂を売ったのではなく、事業用地の盛り土に使ったことが付近住民の撮った写真から分かります。

2004年1月測量図から事業用地の平均の地盤高を19mと仮定します。

それが2014年には、平均して19.7mとなったとされています(被害報告書p22)から、盛り土の厚さは平均して0.7mと仮定します。

次に事業用地の面積ですが、事業者Bが2014年4月2日に常総市に提出した小規模林地開発概要書から、全体で33,089m2であり、そのうち森林の面積が7,129m2なので、盛り土した土地の面積は、33,089m2―7,129m2=25,960m2だと思われます。

そうだとすると、盛り土に使われた砂の量は、25,960m2×0.7m=18,172m3程度だと思われます。

●2015年度定期測量成果の使い方

鬼怒川大水害訴訟においては、被災時の状況を示すために、あるいは、2011年度以降被災までにどのような改修工事がなされたのかを示すために、被災後4か月経ってから測量した2015年度定期測量成果を使うことがあってもおかしくないと思います。なぜなら、氾濫が起きなかった区間においては、被災時と4か月後で堤防高や地盤高に大きな違いが生じるとは思えないからです。

しかし、氾濫のあった区間では、被災から4か月後に測量しても、被災時の状況は分からないのですから、2015年度定期測量成果を使う場合には、氾濫した箇所のデータは抜いて使うべきだと思います。

ところが、原告側は、2015年度定期測量成果をそのまま使い、加えて、測量時期が被災前であるかのように繰り返して強調していますが、その意図は不明です。

(文責:事務局)
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