「河畔砂丘」は未だに理解されていない(その3)(鬼怒川大水害)

2025-04-15

●第3弾を書くことになった

鬼怒川大水害訴訟では、若宮戸地区の河畔砂丘が堤防類地の要件を満たすかが争点となりましたが、「河畔砂丘」という言葉の意味を、学者やジャーナリストなどの知識人が理解することは難しいようであり、私はこれまで、「「河畔砂丘」は未だに理解されていない(鬼怒川大水害)」及び「「河畔砂丘」は未だに理解されていない(その2)(鬼怒川大水害)」を書きましたが、被災から9年以上が経ち、高裁判決が出た現在でもその状況は変わらず、今回、(その3)を書くことになってしまいました。

とにかく、河畔砂丘については、訳知り顔にトンチンカンなことを言う人が多すぎます。

●混乱の最大の原因は国が作成した報告書だろう

確かに、河畔砂丘を検索すると、矛盾することが書かれており、検索する人は混乱します。

国土地理院のサイトの「地形判読のためのページ」では、「乾燥した砂床があり、飛砂を起こす風が吹くような場所ではどこでも見られる。」と書かれていますが、サードペディア百科事典では、「日本では特に湿潤な気候条件のもとで形成され、この特性から河畔砂丘は国内でも非常に珍しい存在と言えます。」と書かれており、矛盾しています。

河畔砂丘は、「どこでも見られる」ありふれた地形なのでしょうか。それとも、「国内でも非常に珍しい存在」なのでしょうか。

また、サードペディア百科事典では、「河畔砂丘は低地にある微高地であるため、自然堤防と似た点が見られます。」とも書かれていますから、両者を混同するのは仕方がないのかもしれません。

しかし、人々が「自然堤坊」と「河畔砂丘」の区別がつかない最大の原因は、国(国土交通省関東地方整備局)が作成した「『平成27年9月関東・東北豪雨』に係る 洪水被害及び復旧状況等について」のp21の記述でしょう。

「若宮戸地先の下流部(24.75k)からも溢水。いわゆる自然堤防※1が失われ、深掘れ(6m程度)が発生」と記述し、「いわゆる自然堤坊」を「※1 洪水時に河川が運搬した粗粒~細粒の物質が流路外側に堆積したもので、低地との比高が 0.5~1m程度以上のもの(出典:治水地形分類図 地形分類項目、http://www1.gsi.go.jp/geowww/lcmfc/lcleg.html) 」と注記しています。

つまり、国は、「いわゆる自然堤坊」を「自然堤坊」そのものとして解説しています。

「いわゆる自然堤坊」が「自然堤坊」そのものであれば、「いわゆる」は不要です。

国は、なぜ「いわゆる自然堤坊」という言葉を使ったのか理解できません。

ともかく、国は、若宮戸地区の河畔砂丘を自然堤坊だと認識しているのです。

国は、目くらましのために、わざと間違ったことを書いているのだ、という説もありますが、河畔砂丘と自然堤坊の違いを理解できていない可能性もあると思います。

なお、国は、上記報告書では、自然堤防の定義の出典を治水地形分類図としていました。

ところが、控訴理由書p24では、「自然堤坊」とは土木用語にすぎず、河川法上の概念ではないと言い出しました。

つまり、国には、自然堤坊が治水用語であり、地理用語でもあるという認識がないということです。

もちろん、自然堤防や河畔砂丘という用語を解説している国土地理院の職員は治水用語を理解しているのですが、治水部門の職員が理解していないということです。

学者や記者は、国土交通省関東地方整備局職員が書いた報告書のトンチンカンな記述を読んで、表面的な理解をしてしまうことが問題の根底にあるように思います。

専門家の理解が混乱している例を具体的に見ていきましょう。

●河野 博子の場合

河野 博子 という ジャーナリストが2025年2月27日に「鬼怒川水害「二審勝訴」でも原告に笑顔ない事情 堤防整備のあり方を問題視したが、認められず」という記事を東洋経済オンラインに書いています。

鬼怒川大水害訴訟の東京高裁の判決が出たのが同月26日で、その翌日に記事を発表するのですから、その心意気は見習うべきだと思います。

次のように書かれています。

大昔から川が氾濫するたびに砂が押し寄せられてできた微高地が川沿いに形成されていることがある。人工的に作られたものではないが堤防の役割を果たしているため、「自然堤防」とも呼ばれる。コンクリートで整備された堤防に隣接して微高地がある場合、河川区域に指定して掘削・整地などが行われないよう管理する方策が、河川法上、備わる。

「自然堤防」の説明としては正しいのですが、溢水があった若宮戸地区にあったのは「河畔砂丘」であり、「自然堤防」ではありませんし、自然堤防を堤防類地として河川区域に取り込むことを河川法は想定していません。

河川法が想定しているのは、丘陵地です。「よくわかる河川法」参照。

自然堤坊が堤防類地にならない理由は、「大昔から川が氾濫するたびに砂が押し寄せられてできた微高地」だからです。

つまり、自然堤防は、たびたび氾濫が起きる場所であり、危険な場所だから、堤防を設置したのと同一の状況にはなり得ないのです。

その点、河畔砂丘は、風で飛ばされた砂が積もった砂丘ですから、水成の自然堤防よりも高くなるものであり、洪水が到達する高さよりも高くなるので、治水上、安全な地形であると見られています。治水地形分類図解説書を参照。

とにかく、自然堤防は堤防類地の資格を有しないのであり、自然堤防を河川区域に指定する制度は、河川法にはありません。

●白川直樹の場合

2025年3月31日付けの毎日新聞に白川直樹・筑波大准教授のコメントが掲載されています。

記事の見出しは、「専門家「国のやり方不十分と判断」 鬼怒川氾濫訴訟判決、ポイントは」です。

白川は次のようにコメントしています。

砂丘は大雨で川が増水した時に川の外側まで水と砂が運ばれ、水だけ引いたためにできたものだ。同じような場所がどこにでもあるわけではないが、国は全国の河川区域の指定の仕方を見直す必要がある。

全然違います。

若宮戸地区の砂丘は、河畔砂丘であり自然堤防ではありません。治水地形分類図参照。

「大雨で川が増水した時に川の外側まで水と砂が運ばれ、水だけ引いたためにできたもの」は、自然堤防の説明であって、河畔砂丘の説明になっていません。

白川も、若宮戸地区の河畔砂丘を自然堤防と誤解しているということです。

「同じような場所がどこにでもあるわけではない」と言いますが、自然堤防のことを言っているなら、「同じような場所がどこにでもあ」ります。

●「煩雑なので幅を使って浸透に対する強さを評価している」時代は終わっていた

この見出し以降は、若宮戸での溢水の問題から離れて、三坂町での破堤についての問題ですが、白川のコメントについてコメントしておきたいと思います。

白川は、次のようにコメントしています。

一方で、河川整備計画の立案時に使われた、堤防の高さだけでなく幅も考慮した評価方法は、不合理ではないという国の主張が認められた。河川の氾濫は、水位が堤防の高さを越えて水があふれる場合だけでなく、水が堤防の内部に浸透し、壊れる場合もある。浸透による堤防破壊を防ぐには堤防の「質」が重要になる。本来であれば、堤防の土質や密度を計算すべきだが、煩雑なので幅を使って浸透に対する強さを評価しているのが現状だ。

「本来であれば、堤防の土質や密度を計算すべきだが、煩雑なので幅を使って浸透に対する強さを評価しているのが現状だ。」と言いますが、治水事業の歴史を無視した発言だと思います。

2002年7月12日付けで河川堤防設計指針が国土交通省河川局治水課から発出され、「洪水等によって生起される浸透、侵食作用、さらに地震に対して安全な構造を有している必要がある」ことが示され、「外力ならびに堤防の耐力の条件(堤体の土質強度等)となる諸量を把握するために、堤防の機能に応じて適切な調査を実施する」こととされました。

その結果、直轄河川では、堤防に関する詳細な点検が実施され、堤防の浸透に対する弱さも定量的に把握されています。

鬼怒川でも2006年度までに調査が行われ、鬼怒川堤防詳細点検結果情報図が関東地方整備局のサイトに掲載されています。

当サイトでも、「堤防の浸透安全性を議論するなら「詳細点検結果一覧」を使うべきだ(鬼怒川大水害)」において「詳細点検結果一覧」を紹介しています。

白川は、「本来であれば、堤防の土質や密度を計算すべきだが、煩雑なので幅を使って浸透に対する強さを評価しているのが現状だ。」と言いますが、鬼怒川では、河川の全区間において堤防の土質の調査もしているし、密度の計算も2006年度(鬼怒川大水害が起きる10年前)には終わっています。

●浸透破壊対策に行政が力を入れている、と主張する根拠が不明

白川は、「しかし浸透の事例が少ないのは、浸透が起きると堤防に欠陥があることになるので、起きないよう行政が対策に力を入れているからだ。」と言いますが、その根拠を説明していません。

国は裁判で、堤防の浸透への弱さを堤防の幅に置き換えて評価してきたと主張しているのに、なぜ「行政が対策に力を入れている」と言えるのでしょうか。

白川の認識でも、「本来であれば、堤防の土質や密度を計算すべきだが、煩雑なので幅を使って浸透に対する強さを評価しているのが現状だ。」というのですから、つまり、国の浸透破壊対策は簡易で便宜的で粗雑なものであったことを認めているのですから、「行政が対策に力を入れている」と言うのは矛盾していると思います。

確かに国は、鬼怒川では、実際には、2006年度までに堤防詳細点検を実施して、堤防の弱さを定量的に把握していたので、その点検結果を実際の整備事業に反映させていたのなら、浸透破壊対策に力を入れていたと言えるかもしれませんが、高裁判決を見ただけでも分かるように、国は、鬼怒川では、道路管理者が架橋工事を実施するついでに、とか、用地取得が完了したから、といった、安全性や緊急性とは関係のない理由で、それらの箇所を先行して堤防整備を実施してきたのであり、浸透破壊の防止を重視して整備してきたという事実はないと思います。

堤防の浸透破壊が確率的に少ない理由は、私には分かりませんが、少なくとも、「行政が対策に力を入れている」からという理由は成り立たないと思います。

白川が国の「リバーカウンセラー」を務めているなら、そして、2018年から現在まで下館河川事務所総合評価審査分科会委員を務めているなら(根拠はresearchmap.jp)、下館河川事務所と親密な関係にあり、詳しい事情を職員に聞ける立場にあるのですから、「行政が(浸透破壊)対策に力を入れているからだ。」と断言できることの根拠を知っているのでしょうから、書いてほしかったと思います。

●浸透破壊対策に行政が力を入れているとは思えない

浸透破壊対策に行政が力を入れているとは思えません。 なぜなら、どの地点で浸透破壊が起きるかを正確に予見できないからです。

浸透破壊が起きる場所が分からないのに、どうやって対策を打つのでしょうか。

国は控訴答弁書p40で「個々の堤防について、堤体内の土質材料を正確に把握することが難しいことや、堤防の基礎地盤については、特段の事情がない限り、そのすべてについて、あらかじめ安全性の有無を調査し、所要の対策を採るなどの措置を講じなければならないとすることは、財政面からも技術面からも実際上不可能を強いるものである」と言い、1994年10月27日の最高裁判所判決を引用します。

鬼怒川でも2006年度までに浸透破壊への弱さを計測する詳細点検が実施されたのですが、全ての距離標地点で点検したのではなく、左岸2.00k付近を見ると、左岸16.00kから24.00kまでの8kmで8箇所で調査断面を設定していたので、つまり、詳細点検とはいえ1km間隔での調査ですから、浸透について危険な箇所をおおまかには把握できますが、正確に把握できるわけではありません。

いずれにせよ、国が浸透対策にどうやって力を入れていたのか想像もつきません。

●浸透による破堤の場合にだけ堤防に欠陥があることになるのか

また、「浸透(による破堤)が起きると堤防に欠陥があることになる」(かっこ書は私の推測)という話もよく分かりません。

この論法は、逆に考えると、「越水による破堤の場合は、堤防に欠陥があることにはならない」と言っていることになると思います。

しかし、越水による破堤が起きても堤防に欠陥があることになる場合は、あると思います。

確かに、計画堤防が完成していたのに越水破堤が起きたのなら、(河床がよほど上昇していない限り)計画外の外力があったということであり、堤防に欠陥はなかったことになるでしょうが、鬼怒川大水害では、上三坂地区の堤防は、計画高水位よりも低かったのですから、堤防としての機能を備えていなかったのであり、洪水の水位が計画高水位を超えていたとしても、越水破堤が起きたら堤防に欠陥があったことになると思います。

●「より少ない流量」とは

白川は、次のように言います。

浸透が原因で洪水が起きると、より深刻な被害が出る可能性がある。雨量から越水する時期を予測でき、洪水量も分かるが、浸透の場合はより少ない流量で破堤する可能性があり、破堤した瞬間に大量の水が流れ出るため対策を取りにくい。

確かに、典型的な浸透破堤は越水なき破堤ですから、越水破堤の場合よりも少ない流量で破堤する場合であることは当然ですが、「より少ない流量」をどの程度少ないという意味で使っているのかが問題です。

上記の文章は、越水破堤なら対策を取りやすいが、浸透破堤の場合は「より少ない流量」で破堤するので「対策が取りにくい」という意味になると思います。

つまり、「より少ない流量」とは言いますが、雲泥の差があると受け取る読者が多いと思います。

なぜなら、越水破堤と浸透破堤では、対策を取りやすいか、取りにくいかという差が生じると白川は言っているのですから。

しかし、浸透破堤が起きるためには、堤防に相当の水圧がかかることが必要と思われ、そうだとすると、越水破堤を起こす流量と浸透破堤を起こす流量に大差があるとは思えません。

そうだとすると、越水破堤なら対策を取りやすいが、浸透破堤の場合は対策が取りにくいということなるのか疑問です。

もちろん、越水なら土のう積みで対応しやすいということはありますが、白川が言っている対策の容易さとはそういう話ではないでしょう。

文脈からして、破堤までの時間が読めるか読みづらいか、という話をしているのだと思います。

しかし、破堤までの時間が読めれば対応がしやすいという前提は成り立たないと思います。

●幅を無視していれば大水害は防げた

白川は、次のようにコメントしています。

幅が足りない地域に住む人は欠陥のない堤防にしてほしいと考え、高さが足りない地域に住む人は高くしてほしいと願う。幅を全く無視して良いものではない。

堤防は、高さも幅もどっちも重要だよね、と言いたいのでしょうか。

だとしたら、高さは十分だが幅が足りない堤防と幅は十分だが高さが足りない堤防と、どっちを優先して整備すべきだと白川は答えるのでしょうか。

正解は、幅は十分だが高さが足りない堤防を優先させるということです。

それが歴史の教訓であり、吉川らが甲49の論文で指摘していたことです。

堤防の高さを基準にして危険な箇所を抽出していれば、鬼怒川大水害は防げたのです。

●弁護団も白川のコメントと同様のことを言っている

ちなみに、弁護団も白川のコメントと同様のことを言っています。

控訴審での準備書面(1)p29で次のように書きます。

そして、これに加えて、堤防の質に関わる堤体内の河川水の浸透に対する安全性を確保するための安全度の評価は行われてよい。この安全度の評価は、単なる堤防の幅という一般的・形式的なものに基づくものではなく、具体的に、河川浸透の漏水による堤防決壊の危険があるかを、カミソリ堤のような堤防幅の狭小な箇所について上記の調査をしたうえ、当該箇所の漏水による堤防決壊の危険性の程度と越水による堤防決壊の危険性がある他の箇所の堤防決壊の危険性の程度とを比較して行われるべきものである。

越水破堤の危険性と浸透破堤の危険性を「両にらみ」で比較して、危険性の程度の高い方から優先して整備しろと言っているのですが、どちらの危険性の程度が高いのかを判断するための基準を示さないのですから、何が言いたいのか分からない主張だと思います。

弁護団は、堤防の高さと流下能力を考慮して評価すべきだとも言っています。

つまり、高さと流下能力と浸透破壊に耐える力のそれぞれについての危険性を「三方にらみ」で比較して最も危険な箇所を判定すべきだと主張していることになると思いますが、どういう基準で比較するのか分かりません。

また、何のために吉川らの論文(甲49)を引用したのかも分かりません。

吉川らの言っていることに従わないなら、吉川らの論文を引用するひつようはなかったと思います。

●破堤における争点とは

いずれにせよ、白川は、堤体幅を無視して良いものよいかという問題の立て方をする点から見て、争点を理解していないと思います。

破堤における争点とは、
(1)堤防の安全性を評価する上で、堤防の高さに加えて、浸透への弱さについても考慮すべきか
(2)浸透への弱さについても考慮すべきだとしても、これを堤体の幅をもって置き換えて評価することが妥当か
という問題です。

国は、控訴答弁書p35で「漏水に対する堤防の安全度を評価するに当たり、現況堤防高に加えて、堤防の質(堤防幅)を要素とすることが不合理とはいえない。」と書いているように、堤防が浸透に弱いかという質の問題を堤体の幅という堤防の形状の問題に置き換えることが妥当かが争点です。

●国は複雑怪奇な計算をした挙句に危険な箇所を見落とした

堤防の能力についての国の評価の仕方は、浸透破壊に対する弱さも考慮することとし、これについては、実地に測定して調査するのではなく、堤防の厚みが不足する場合には、浸透破壊に弱いものとみなすという方法です。

ただし、そのやり方は複雑です。

堤防の厚みの不足を堤防の高さの不足に置き換えます。

つまり、現況堤防の高さを厚みの不足する分だけ差し引きます。スライドダウンという作業です。

そこから更に、計画堤防高余裕高の1.5mを差し引いた高さの堤防高を仮想します。

そして、その堤防高での流下能力を計算します。

更に、その流下能力を洪水発生の超過確率年に置き換えて各地点の治水安全度とします。

つまり国は、浸透破壊への弱さ→幅→高さ→流下能力→超過確率年という、幾重もの置き換えの計算をしています。

つまり国は、浸透破壊への弱さも、堤防高も、堤防の厚みも、流下能力も考慮した上で、最終的には、洪水発生の超過確率年で河川の箇所ごとの治水安全度を計算して、堤防整備の順序を決めたと言います。

しかし国は、複雑怪奇な計算をして堤防の能力を評価したために、計画高水位未満の箇所があり、高さを基準にして判断すれば、最も危険な堤防であったことが明白だった上三坂地区の危険性を見落としたのです。

そして国は、浸透破壊への弱さも絡めて複雑な計算をして堤防の能力を評価したことは正当であり、その結果上三坂地区の危険性を見落としたとしても、責任はないと主張します。

そして、地裁も高裁も国(政府)の主張に同調します。

しかし、堤防の能力を高さで評価していれば、最も堤防高が低く、緊急に整備すべき箇所が上三坂地区であったことは明らかです。

そして、吉川らは、堤防の低い箇所で氾濫が起きた事例が圧倒的に多いことを2007年に指摘していました。

●高裁判決は確率を無視した詭弁だ

ちなみに、東京高等裁判所は、甲49での吉川らの「越水による決壊が多いので、一連区間の縦断的な堤防高を精査し、大洪水時の水位とその堤防高さの関係を把握しておく。」ことが河川の安全管理のために重要だという教訓を否定しています。

否定していないまでも、堤防の高さだけに注目して安全管理をするのでは不十分だと言います。

その理由として、吉川らが挙げる、2007年までの80年間での利根川水系河川での32箇所の堤防決壊事例のうち、「漏水による堤防決壊が合計4箇所生じていること」を挙げています。

つまり、漏水による堤防決壊が12.5%あるから、堤防の評価に当たって浸透破壊への弱さも考慮すべきであるということです。

しかし、「漏水による堤防決壊が合計4箇所」のうち3箇所は、構造物周りの漏水である(甲49p313)ということは、漏水による堤防決壊のうち75%が構造物のある箇所で起きたということからも分かるように、構造物のある箇所での決壊の危険性は特段に高いのですから、その危険性は別途検討されるべきであり、構造物のある箇所とない箇所とを同列に見ることは不当です。

ここで構造物とは、主に樋管を指すようです。

堤防に樋管を設置するということは、堤防の基部をくりぬいて穴を開けるようなものですから、管理者自らが堤防に大きな弱点を与えるということです。

樋管の設置がなぜ弱点になるかと言えば、堤防の材料は土であり、樋管の材料はコンクリートですから、その境目には、地震などによって空隙ができやすく、そこが浸透水の通り道である「みずみち」になりやすいということです。

このような堤防管理における常識を無視した東京高等裁判所の判示は経験則違反だと思います。

吉川らが、堤防決壊の原因である漏水の内訳として「構造物周りの漏水」と「一般堤防(「堤防一般部」と呼ぶ方が妥当か)での漏水」をわざわざ区別したのも、おそらくは「構造物周りの漏水」は堤防一般部の漏水とを同列に議論することは妥当でないという認識からでしょう。

したがって、構造物周りの漏水を別枠で検討することとすれば、それらの3箇所は堤防決壊箇所の総数32箇所から除外して検証すべきであり、堤防一般部で浸透破堤が起きた箇所は1箇所なので、その発生確率は1/29=約3.4%にすぎません。

発生確率が約3.4%の例外的事象にすぎない浸透破壊を考慮するために、堤防の低さの持つ危険性を明確に認識することできなくなるのは、本末転倒です。

詭弁を使う人の一つの特徴は、物事を確率的に考えず、例外的事象を一般化することです。「確率無視論法」と呼んだ方が分かりやすいと思いますが、詭弁の研究では「早まった一般化」と呼ばれているようです。

判決文でも詭弁が使われているということです。

(文責:事務局)
フロントページへ>その他のダムへ>このページのTopへ