常総市若宮戸の土のうは崩れたのか(鬼怒川大水害)

2018-12-21

●若宮戸で積んだ2段土のうは崩れたのか

国は、2014年7月、鬼怒川の利根川合流点から左岸25.35km地点(以下では「km地点」を「k」と表記することもある。)付近の茨城県常総市若宮戸地内の河畔砂丘を掘削し、造成した太陽光発電事業者の事業用地内に2段積みの大型土のうを設置しました。このことが2015年関東・東北豪雨による鬼怒川大水害の一因と見る意見があります。

その経緯については、国が公表した「鬼怒川左岸25.35k付近(常総市若宮戸地先)に係る報道について」に書かれています。

この土のうが、2015年9月10日に発生した鬼怒川大水害の際に、ほとんどが崩れた、とか、跡形もなく流失した、という見方があります。

下記は、その一例です。

この無提区間で氾濫した箇所を写真 3 に示す。上流から見て左岸の樹林が無堤防の民有地である。 ここは,河畔砂丘(自然堤防)の微高地であり, 堤内地は樹林河岸近くまで事業者による太陽光パネルが設置されていた。自然堤防は前後の堤防より低いため住民・市の要望から事業者と協議し, 国が平成26年 7 月,大型土嚢を積み上げていた。
しかし,これらは洪水によって一部を残し跡形もなく流失した。
(「2015年 9 月鬼怒川水害の要因に 関する考察」土屋十圀p8。重要な論文ですが、現在はネットから削除されていて、キャッシュでテキストが読めるだけです。日本自然災害学会の学会誌「自然災害科学」に掲載された論文ですが、なぜか当該学会のサイトにアクセスできません。)

土屋十圀(つちやみつくに)前橋工科大学名誉教授の「(土のうは)洪水によって一部を残し跡形もなく流失した。」という見方は正しいでしょうか。

私も土のうが水害防止に全く役立たなかったとは思いますが、「一部を残し跡形もなく流失した。」という見方は、先入観に支配されているのではないでしょうか。

下の写真は、グーグルクライシスリスポンスジャパンに掲載されている、被災翌日の9月11日撮影の写真です。写真番号は、DSC02808.JPG。

鬼怒川は、右側が上流です。中央に見えるソーラーパネルの上の凹の字の上辺の方に見えるものが土のう積みです。

崩れた土のうが濁水の中に沈んでいる、という見方もあるでしょうが、拡大して見ても、土のうはほとんどが2段積みのままに見えます。

したがって、濁水の中に土のうはないと思います。いくら濁水とはいえ、黒い土のう袋があれば透けて見えるはずです。

パネル航空写真

次の写真は、メガソーラービジネスというサイトの「鬼怒川の氾濫で太陽光設備が浸水、建設時の工事に問題視も」(加藤 伸一=日経BPクリーンテック研究所)という記事からです。

土のう積みの中央部から北に向かって撮った写真であり、鬼怒川は写っていませんが、画面の左を奥から手前に流れています。

確かに、ほぼ水平に積まれたはずの土のうの天端には著しい不陸が生じており、明らかに崩れた土のうも2個は見えます。

しかし、他は崩れていないように見えます。

土のう日経BP

平成27年関東・東北豪雨災害 〜鬼怒川水害〜というサイトの「開示文書 若宮戸関連」によれば、大型土のうは794個作製されました。

土のうは、下段2列、上段1列の3列にして使ったので、1列は約264個となります。崩れたとしても、その2%(約5個)にもならないと思います。

土のうはなぜ崩れなかったのかを考えてみました。

●設置場所が低いので横からの水圧を受けない

下の写真は、ハフィントンポストというサイトの「鬼怒川の氾濫、ソーラーパネル設置で丘が削り取られていた場所からも」からです。

写真は、2014年3月22日撮影のものです。

3月12日の13:30には、地元住民が下館河川事務所を訪れ、河畔砂丘の掘削をやめさせるように等の要望をしていますので、遅くとも同日までに掘削は始まっています。

したがって、この写真は、メガソーラー発電事業者が地形を改変する前の状態を示すものではありません。

しかし、鬼怒川に近い方の、メガではない方の既存のソーラー事業者(国土交通省が「事業者A」と呼んでいるソーラーエナジーインヴェストメント株式会社(根拠はブログ「風の谷」))の敷地と掘削したメガソーラー発電事業者(国土交通省が「事業者B」と呼ぶ。)の敷地の間には、段差(事業者Aの敷地の方が高い)があることが見て取れ、3月22日時点では、ここはまだ改変されていないと思います。

ハフポスト記事

下図は、既存の事業者A=ソーラーエナジーインヴェストメント株式会社が作成した図です。

横断面図は、造成前の状況を示しており、事業者Aの敷地は、元々、事業者Bの敷地よりも高い所にあったというのが、事業者Aの主張です。間違っていないと思います。

断面図

下図は、土のう設置箇所(赤線で表示)の平面図です(平成27年関東・東北豪雨災害 〜鬼怒川水害〜から)。右が北です。

これで何が分かるかというと、段差の中央に標高Y.P.20m(以下、標高は全て「Y.P.」とし、省略する。)の等高線が引かれていることです。そして、右上(上流側)には22mの等高線があります。

事業者Bは、図面の下(東)の方から鬼怒川に向かって中央部を残し、額にソリを入れるように段差を掘り崩して、更に大きな段差をつくりながら敷地を造成し、国土交通省は、赤線が示す場所に土のうを積んだということです。

右(北)側に積まれた土のうは、22mの等高線に迫っており、事業者Aの敷地(正確な所有者は知りませんが)の標高は、直感的に見て21.5mくらいはあると思います。

そうだとすると、国土交通省は、「大型土のうの設置高の平均値から推定した掘削後の地盤高はY.P.+19.7m程度」(『平成27年9月関東・東北豪雨』に係る洪水被害及び復旧状況等について2017年4月1日)としているので、土のうは、1.8m程度の崖ないしは段差の下に積まれたと見てもおかしくないと思います。

左側(下流側)には鶏舎を建設するために造成されたので、22mの等高線はありませんが、下流側の土のうの西(川)側にも、事業者Bの掘削による崖ないしは段差(低い所では土のう1個分(約0.8m)、高い所では土のう2個分以上)ができていたと思われます。

平面図

下の写真は、土のう積みをする場所の中央部分から南側(下流側)を撮った写真です。平成27年関東・東北豪雨災害 〜鬼怒川水害〜からの引用です。施工前の状況です。段差が確認できます。

段差は、その次の土のうを積んだ写真により、手前部分で土のう2個分、約1.6mもあることが分かります。

段差施工前

下の写真(2014-06-26逆井正夫氏撮影)は、上の写真と同じ場所に土のうを積んだ後です。土のうの高さと隣地の高さがほぼ等しくなっています。土のうの高さは全く意味がありません。

段差施工後

要するに、国は土のうを積んだと言いますが、土のう積みのほとんどの地点での断面図は、下図のようだったのではないでしょうか。ただし、土のう積みの上流寄りでは、段差がない部分もあったようです。土のうの設置場所が低く、気休めにもなりません。これでは、住民に対して「土のうを積んだから安心してください。」と言えないと思います。

ポンチ絵

土のうは、崖ないし段差の下の土地の上に設置されたので、横からの水圧を受けなかったのが土のうが崩れなかった原因ではないでしょうか。

●土のうは砂の上に設置された

土のうが崩れなかったもう一つの理由は、土のうが砂の上に設置されていたということではないでしょうか。

河川区域を乗り越え、事業者Aの敷地に乗り上げた洪水は、土のうの手前の段差から落ちるときに位置エネルギーを得て、大きな力で土のうの底に接していた砂を洗掘し、土のうは、崩れることなく、ずるずるとずり下がったと考えることはできないでしょうか。

下の写真は、事業者Bの敷地内に設置されていた変電設備を被災後に逆井正夫氏が撮ったものです。頑丈な基礎の上に固定されていましたが、洪水がその底の砂をさらったために、大きく傾いています。氾濫水の流速は小さいものの、何かにぶつかった場合、その底にある砂をさらう力が非常に大きいことが分かります。

洪水の行く手を遮る物がある場合、洪水はその物を押し流そうとしますが、その物の周囲にその物よりも質量の小さい物があれば、そちらに回り込み、それを押し流すことにより、流れ続けようとするのではないでしょうか。

動物の世界で例えれば、ハブ退治を目的に沖縄に持ち込まれたマングースが毒蛇を餌にせず、ヤンバルクイナやアマミノクロウサギを襲うようなものです。人間の世界でも、弱気を助け強気をくじくよりも、強い者にへつらい、弱い者いじめをする方が楽なのと同じではないでしょうか。

そうした力が変電設備にも、土のうにも働いたと思います。

変電設備

次の写真は、被災後の土のうの写真です。日経xTECH記事「【鬼怒川氾濫】架台が分解しなかった低圧、脆弱だった高圧の差はどこに」からです。

土のう積みの最北端から南(下流側)に向かって撮ったものです。

土のうの左側(川裏側)に砂が、半分だけのアリ地獄のように、馬蹄形に積もっているのが見えます。土のうの底にあった砂が土のうの底を通った水流で吹き出したと見ることはできないでしょうか。堤防が漏水してできる噴砂に似ていると思います。

いずれにせよ、洪水の置き土産としてこのような砂の固まりができたと思いますが、土のうを乗り越えた洪水の力でできたと考えるよりも、土のうの下をくぐった洪水でできたと考える方が自然ではないでしょうか。

土のう日経BP


●議論の実益はあるのか

土のうが崩れたか、それとも底の砂がさらわれて沈み込んだか、という細かい議論をする実益があるのだろうか、という意見があると思います。

しかし、どっちでもいいじゃないか、という考え方をとる場合は、土のうは砂の上に置いただけでは効果がない、という教訓を得られないと思います。(段差の下の部分に積んでも効果がないという話は、教訓以前の問題です。)

ただ、土のうは砂の上に置いただけではダメだということは、河川管理者なら当然知っていることでしょう。

ではなぜ砂の上に置いただけにしたのか。

地元住民と常総市役所があんまりうるさく言うもんだから、誠実に対応したというアリバイづくりとして土のうを積んだということでしょう。

下館河川事務所としては、25.25kで洪水が標高22mまで来るとは全く考えていなかったのだと思います。素人の住民は考えていたのに。

ここに「専門家に依存する社会」の恐ろしさを見ることができます。福島の核発電事故と同じ構図です。

●土のうはマニュアルに従って積んだのか

国土交通省は、梅村さえこ・衆議院議員(当時)が2017年5月10日に行ったヒアリングにおいて、「仮締切りとして土のうを積んだので、(25.35k付近の河畔砂丘の)最低の高さに合わせた。」と言いました。

仮締切りとは、「締切り工」=「水の侵入を止めるための工事。水中に構造物を造る際,陸上と同じ条件で工事を行うため,水を仮堤防などで締切ること。」(ブリタニカ国際大百科事典)と同じと考えてよいと思います。

事業者Bが河畔砂丘を掘削した問題は、「水中に構造物を造る」という問題ではありませんが、大洪水が来た場合には住民を守る必要がありますから、民家に水が来ないように水を遮る措置をとる必要があったという点では同じです。むしろ、「水中に構造物を造る」場合より深刻な事態です。

したがって、国土交通省が「仮締切りとして土のうを積んだ」のは当然だと思います。

では、国土交通省は、大型土のうによる仮締切りのマニュアルに従って土のうを積んだのでしょうか。

そのマニュアルとは、中部地方整備局のサイトの河川構造物設計要領(2016年11月)によれば、「耐候性大型土のう積層工法」設計・施工マニュアル(土木研究センター)2012年3月発行(改訂版あり)のようで、その一部が引用されています。

○適用範囲
仮締切工として適用する場合には、高さ 3.0m までの堰堤とする。その際、河川等において掃流力が働く箇所等においては、原則、流速が 4.0m/s を越える箇所には適用しないものとする。ただし、応急的な災害工事等によりやむを得ず適用する場合には、流速に対する安定性を検討し、必要に応じて適切な対策を講ずるものとする。

とされ、下図が示されています。

この図からは、土のう積みの高さは、計画高水位より余裕高として0.5m以上にしなければならないことが分かります。また、ビニールシートで遮水すべきことも分かります。

25.25kの計画高水位は、22.35m(若宮戸地区諸元表から)なので、土のう積みの高さは、22.85m以上でなければなかったが、実際の土のう積みの最も低い箇所の高さは約21.148mだった(梅村さえこ前衆議院議員取得資料)ので、土のう積みの高さは、マニュアルで定めた高さよりも約1.7mも低かったということです。(水は一番低い所から漏れるので、土のう積みの高さを平均の高さで見ることは不当です。最も低い箇所で見るべきです。)

したがって、土のうは仮締切りのマニュアルに従っていなかったと言えると思います。

大型土のうマニュアル

以上の考察を前提に、下に掲げた、国土交通省が公表した若宮戸溢水状況を示す唯一の写真をどう見るべきかを考えたいのですが、ページを改めます。

若宮戸溢水状況

(文責:事務局)
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