八ツ場ダム検討は茶番

2011年9月15日

●国交省が八ツ場ダム建設案が有利の報告案を公表

9月14日付け赤旗は、次のように報じています。

国交省 八ツ場ダムが「有利」/全国連絡会「建設前提」と批判

 国土交通省関東地方整備局は13日、八ツ場ダム(群馬県長野原町)建設事業を検証する関係6都県との会合で、治水・利水などの目的別評価と総合評価の両方で「八ツ場ダム建設案が最も有利」とする検証結果の報告案を示しました。今秋にも国土交通省が最終的な結論を出す予定です。
 
   同局は2009年、前原誠司国土交通相(当時)による八ツ場ダム建設の中止表明を受けて検証を開始。しかし、「ムダな大型公共事業」と指摘されていた水需給計画やダムの治水効果という大本は見直さずに「代替案」を複数作成し、比較・検証してきました。案の優劣を示す評価基準では「環境への影響」や「地域社会への影響」よりも「コスト」を重視しました。その結果、「八ツ場ダム建設案」の事業費が相対的にコストがかからないと結論づけました。
 
   建設推進を求めてきた大沢正明群馬県知事は「早急に本体工事に着手していただきたい」などと発言。出席したほかの知事らも同調しました。
 
   傍聴に訪れた水源開発問題全国連絡会の嶋津暉之(てるゆき)共同代表は、▽検証の前提となる水需要の過大予測が見直されていない▽八ツ場ダムによる治水効果が過大評価されている▽一般市民の声を聞く場が設けられなかった▽静岡県の富士川河口部から導水するなど検証以前に実現不可能な代替案が含まれているーなど問題点を指摘。「検証は八ツ場ダムの建設が前提となっている。今後は国に対して検証方法の抜本的な見直しを求めていく」と話しました。  

2010年10月に八ツ場ダム建設事業で、国土交通省関東地方整備局と本県を含む流域の関係自治体の首長で構成する「検討の場」が設立され、その結論が八ツ場ダム建設有利というわけです。

●検証は茶番

「「検討の場」は関東地方整備局を主体に、本県など1都5県の知事と、足利市長を含む流域の9市区町長で構成。事務レベルの幹事会は1都5県の部長級で構成する。」(2010年9月28日付け下野)のです。

ダムを造りたい人たちが集まって検討するのですから、結論は決まっています。

利水代替案では、静岡県の富士川から利根川流域に導水するという荒唐無稽な案も含まれており、茶番というしかありません。

「国土交通省関東地方整備局は、利根川流域の治水とともに、ダム建設の主目的とされた利水(水道・工業用水の確保)について、「現行の法制度では、ダムを中止した場合に、ダム事業への参画を条件に流域都県に分配する水利権が失われる」と主張」(2011年5月25日付け東京新聞群馬版)しています。

だったら、「現行の法制度」を見直すという代替案があってもよさそうなものですが、そこは見直しません。水利権行政を見直したらダム建設の理由がなくなりますから。

つまり、結論ありきなのです。

●詐欺師の論法を確認しよう

国交省の論法は例によって詐欺的です。

嶋津氏は、「▽検証の前提となる水需要の過大予測が見直されていない▽八ツ場ダムによる治水効果が過大評価されている」(前掲赤旗)と指摘しています。

利水について言えば、静岡県から導水する案を考える前に、そもそも毎秒22トンもの新規水需要が利根川流域にあるのかを検証すべきだということです。

国交省は、利根川流域の水需要とダムの治水効果そのものについては検証しようとしません。敢えて省略しています。

それらは当然にあるものという前提で事を進めています。

前提省略型の詭弁です。私の経験から言えば、前提を省略して立論されると、聞き手はその前提が成り立つかのうように錯覚してしまいがちです。

詐欺師は、このような詭弁を使いますので注意しましょう。

●栃木県知事の発言を検証する

福田富一・栃木県知事は、13日に開かれた「検討の場」で、「本県で352人が犠牲になった1947年のカスリーン台風に触れ、「危機は明日、訪れるかもしれない。利根川の治水は数百年の長きにわたって築き上げてきた。先人の努力の歩みを止めることは、未来に対する責任放棄だ」と主張した。」(14日付け下野)そうです。

国交省から栃木県に出向している役人の作文を棒読みしている感じがします。

それはともかく、福田知事の話を聞くとなるほどと思う人もいるかもしれませんが、彼の発言の前提には、八ツ場ダムを建設すればカスリーン台風が再来しても被害が起きないことが前提となっていますが、そのような前提は成り立ちません。

再三書いたように、八ツ場ダムはカスリーン台風が再来しても治水効果がないことは、国交省自身が認めています。

また、知事の発言は、ダムで洪水を調節する、洪水を河道に封じ込めるという洪水対策が正しいという前提が必要ですが、そのような前提も成り立ちません。

「利根川の治水は数百年の長きにわたって築き上げてきた。」なんて言われると、数百年前からダムによる治水が行われていたように錯覚する人もいるかもしれませんが、ダムによる治水が本格化したのは第二次世界大戦後のことであり、それまでは「あふれさせる治水」だったのです。

福田知事の発言は、ダムがもたらす害悪がないかのように錯覚してしまいますが、「ダムがもたらす害悪がない」という前提も成り立ちません。

ちなみに、「先人の努力の歩みを止めることは、未来に対する責任放棄だ」という発言は、ダム利権を守りたいというダム・マフィアたちの悲痛な叫びのようにも聞こえます。

ここ半世紀の「先人の努力」が日本全国の「川殺し」だったことを想起してほしいと思います。

知事の発言は、前提が省略されており、その省略された前提が成り立つとは思えません。

ともかくも、2009年に政権が変わったというのに、国民はいつまでこんな茶番に付き合わされるのでしょうか。

(文責:事務局)
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