八ツ場ダムのウソ(その2)

2009-10-22,2009-10-29追記,2009-10-30追記

●知事たちの無関心はダムに効果がないことの証拠

「八ツ場(や・ん・ば)ダムの事業費を負担する1都5県の知事が19日、そろって長野原町の建設現地を訪れた。」(2009-10-20朝日)そうです。「「政治家は信用できない」「もっと早く声を上げてほしかった」と、冷めた声も聞かれた。」そうです。八ツ場ダムに大金を投じたくせに、今ごろ知事が視察に行くなんてどういうことでしょうか。「私たちがダム問題の『主役』になっているが、本来は知事さんたちが当事者。もっと早く声を上げてほしかった」という水没予定地区住民の声はもっともです。

知事たちがこれまで視察に行かなかったということは、大金を出している割には知事たちが八ツ場ダムに無関心だったということです。このことは、八ツ場ダムに効果がないことの証拠だと思います。

ダムに効果があるなら、下流都県の知事たちは、何度も現地視察しているはずだし、57年間も待っていられないはずです。

「「知事たちは国とダム計画を進めてきた当事者。治水、利水面でその必要性を説明する責任がある」と、計画見直し派町議の牧山明さん(52)」が言ったそうです。全くそのとおりで、知事たちは「中止の理由を言え」と息巻く前に、造る理由を説明すべきです。

●知事たちの詭弁

記事によれば、石原慎太郎・都知事は、「「はじめに言葉(マニフェスト)ありき」ですでに決めたことだからでは、民主主義は成り立たない。八ツ場ダムに象徴される、公共事業に否定的な政権は怖い。政治は立場を超えた議論を通じて民主的に運営されるものだ。平成に入ってからでも首都圏は水で痛い思いをしている。異常気象による災害も頻発している。八ツ場ダムは絶対必要だ。」と言ったそうです。

「「はじめに言葉(マニフェスト)ありき」ですでに決めたことだからでは、民主主義は成り立たない。」という意見には賛成します。地元の住民の意見も聞かず、「ここにダムを造る。計画で決めたことだ」と言ってダム行政を進めてきたのは、都知事の所属していた自民党政権だったのではないですか。確かに民主党が「中止ありき」で進めるのは問題ですが、「ダムありき」で進めてきた自民党への反省を求めない石原都知事は、ご都合主義と言わざるを得ません。

「八ツ場ダムに象徴される、公共事業に否定的な政権は怖い。」については、無駄なダムの象徴である八ツ場ダムのような公共事業に否定的で何が悪いのでしょうか。どんな「公共事業」にも肯定的な政権の方がよっぽど怖いと思います。

「平成に入ってからでも首都圏は水で痛い思いをしている。」については意味が分かりません。いつどこで何回断水したのか、人が死んだのか病気になったのか、全く分かりません。「痛い思い」などという文学的表現で政治を進めてはいけないと思います。

「異常気象による災害も頻発している。」については、「異常気象による災害」が何を指しているのか分かりません。ゲリラ豪雨による都市型水害だとすれば、八ツ場ダムを建設して吾妻川をせき止めても防げません。「八ツ場ダムは絶対必要だ。」と言うには、「異常気象による災害」が八ツ場ダムによって防げるという因果関係があることが前提条件として必要ですが、都知事の話ではその前提が全く証明されていません。都知事の発言は全く政治的発言であり、非科学的です。

橋本昌(まさる)・茨城県知事も「異常気象でダムの必要性は増している。」と言っています。まともに考えたら水は足りているので、ダム推進派の頼りは「異常気象」というわけです。

費用対効果を無視して異常気象に備えてダムを建設すべきだと言い出したら、中止するダムなんてなくなります。すべてのダム計画を容認することになります。そんなの民意ではないと思います。

橋本知事の話には、八ツ場ダムが異常気象に異常な渇水や異常な洪水を有効に回避できるという論証が欠けています。詭弁に引っかからないように気をつけましょう。

●地元の意見を尊重すべき

福田富一(とみ・かず)・栃木県知事は、「地元の生活再建、地域振興はダム湖があってのこと。地元の意見を尊重すべきだし、ダムは完成目前。八ツ場ダムの治水、利水効果への思いを新たにした。」と言いました。

「地元の生活再建、地域振興はダム湖があってのこと。」と言いますが、ダム湖があれば地域振興が進むなら、旧栗山村はなぜ疲弊したのでしょうか。費用対効果の計算における、八ツ場ダムを見るために毎年700万人が観光に訪れるという予測を真に受けているのでしょうか。「ダムで栄えたムラはない」ことは、福田知事は知ってるはずだと思います。

「完成目前」だから造ってしまえという考え方はおかしいと思います。造れば環境を破壊するし、維持費もかかるのですから、完成目前であっても要らないダムは造るべきではありません。政府が「本体着工前のダムを凍結する」と言うのは問題です。本体着工していても、無駄なダムは凍結なり中止なりをすべきです。

福田知事は、「無駄」とか「有害」という言葉の意味を理解しているのでしょうか。

「地元の意見を尊重すべきだ」は、もっともですが、ダムを造るべきかどうかについては、ダム本来の目的に沿って考えるべきであり、だれかの感情で造るべきではありません。

福田知事は、南摩ダムにおいて、地元で反対運動を続ける室瀬地区の住民の意見を尊重しているのでしょうか。自分でできないことを他人に求めるのはご都合主義です。

「地元の意見」とは、ヒトの意見だけでよいのでしょうか。吾妻川を利用して生活していたのは、ヒトだけではありません。動植物も生息しています。川の中や流域に暮らす生き物たちは、「八ツ場ダムを建設してほしい」なんて思っているでしょうか。生き物たちの声なき声に耳を傾けるのがまともな政治の目指す方向ではないでしょうか。

ヒトの都合だけで環境を破壊する傲慢を抑制するのが人類の叡智ではないでしょうか。

福田知事は、そこに住むヒトの意見を尊重すべきだと言いますが、それを言うなら、そこに住む生き物すべてのことを考えるべきではないでしょうか。

福田知事は、1997年の河川法改正で河川法の目的に「河川環境の整備と保全」(第1条)が加えられたことを知らないのでしょうか。

●国交相が治水基準見直しを表明(2009-10-29追記)

すごいことになりました。2009-10-28朝日を引用します。

脱ダムへ全国共通基準 国交相、治水・水利権見直しへ

 前原誠司国土交通相は27日、ダム建設を前提とした従来の治水基準や、川から取水する権利(水利権)のあり方を見直す方針を明らかにした。近く有識者会議を発足させ、全国の河川に共通する見直しの新基準づくりに着手する。来年度予算の編成作業の中で、この新基準を個別事業にあてはめていく方針で、全国のダム計画に影響を与えることになる。

 27日の関東知事会で、前原国交相は八ツ場(やんば)ダム建設に参加する6都県の知事に対し、今後、八ツ場ダムの必要性を全国のほかのダムと同様に再検証する方針を説明した。

 再検証のための治水基準について、前原国交相は国の中央防災会議がゲリラ豪雨対策で「1千年に1度」の洪水も想定している点に触れ、「こうした考え方ではダムを永遠に造り続けなければならない。どこに基準を置いて河川整備をやっていくのか根本的に見直したい」と語った。

 利水でも、ダム建設に参加しない自治体には国が水利権を認めない今の制度に触れ「見直しも必要ではないか」と述べた。

 治水基準と水利権はいずれも従来の河川行政の根幹ともいえる基本原理で、前原国交相は「河川整備のあり方の哲学そのものを変えていく」と説明した。

前原大臣の表明どおりに事が運べば、全国のダムはほとんどすべて止まるでしょう。

要するにこれまでのダム事業は、大洪水が来る、大渇水が来ると国民の不安をあおって、その不安につけ込む形で正当化してきましたが、大洪水や大渇水が来るという前提が本当に正しいのかという根拠を政府自らが科学的に検証したら、ダム事業の根拠は崩れざるを得ません。

2009-10-27朝日には、次のように書いてあります。

前原国交相は会見で、八ツ場ダムについて、「中止の方向性は堅持する」と表明。専門家によるチームを設けて、治水計画の前提となる「200年に1度の雨量」を見直すことにも触れた。

 現在は、ダム下流にあたる群馬県伊勢崎市の八斗島(やったじま)で毎秒2万2千トンの流量が治水基準とされているが、この流量だと、八ツ場ダムが完成したとしても、さらに十数基のダムがなければ対応できない。

 前原国交相はこの治水基準を下方修正するとともに、八ツ場ダムが必要か否かを再検証する方針。利根川水系では、八ツ場ダム以外にも栃木県で国交省が建設中の湯西川ダムや、水資源機構の思川(おもいがわ)開発(南摩ダム)の事業があり、治水基準見直しは、利根川水系のダム計画に影響を与える。  
 

まさに私たちが主張してきたことを政府が言いだしたのですから、隔世の感があります。  

それにひきかえ、「(前原国交相との)意見交換会後、福田富一知事は記者団に対し「治水面で(本県の)2市1町が安心して暮らせるような代替案が示されなければ(中止も)やむを得ない。しかし他の都県の利水・治水両面の問題があるので、その点では足並みをそろえていきたい」との考えを示した。」そうですが、ズレていると思います。「ダムありき」の自民党政治にしがみついていると思います。  

再三書いているように、利根川の洪水が足利市、佐野市、藤岡町を襲ったことはないのです。大豆生田実足利市長は、八ツ場ダムの中止に賛成です。つまり、足利市長も利根川の洪水は足利市まで来ないと見ているわけです。  

上から決めないで地元の意見を尊重しろというのが知事たちの意見ではないでしょうか。福田知事は、足利市長に会いに行って、利根川の洪水が足利市まで来るのかどうかを教わった方がいいと思います。  

福田知事は、国交相の八ツ場ダム中止表明を聞いて、「地域の話を聴いた形跡もない。この判断は、はなはだ疑問だ。」(2009-09-18朝日)と言っていました。知事も、足利市や藤岡町に行って、どちらの首長の意見が正しいのか見極めてから、八ツ場ダムが栃木県に必要かを判断すべきでしょう。足利市長の意見を聴いた形跡もないのに、八ツ場ダムがないと「(本県の)2市1町が安心して暮らせ」ないという「判断は、はなはだ疑問」です。  

そもそも利根川の洪水が栃木県まで来ないのですから、少なくとも栃木県に代替案なんて要りません。だから栃木県知事が「代替案を出せ」と言う必要はありません。  

他の都県との足並みをそろえたいと知事は言いますが、栃木県民の払った税金よりも、ほかの知事たちとの付き合いを優先させるというのは、間違っていると思います。付き合いで10億4,000万円もの負担金を払うほど栃木県には余裕はありません。  

私たちは、この違法な公金の支出を訴訟で争っています。裁判所も栃木県が八ツ場ダムに治水負担金を支払うことについては、違法性を認めざるを得ないと考えます。少なくともこの点については、原告勝訴を確信しています。  

 ●八ツ場ダムをだれが再検証するのか(2009-10-30追記)  

2009-10-29下野に「6知事が推薦の人物をチームに/八ツ場再検証で福田知事」の見出しの記事が載っています。  

 福田富一知事は28日の記者会見で、八ツ場ダム(群馬県)を含め、ダムの必要性などを再検証する専門家チームについて「できるなら6都県の知事が推薦する人物を入れてほしい。どういうメンバーでやるかが問題だ」と指摘した。  
 

この記事を読んで笑っちゃいました。だれが検証するかで結論が変わるようでは、本来科学ではありません。これまでの行政は、御用学者を集めてきて、行政に都合のよい結論を出させる、いわゆる「審議会行政」をさんざんやってきたので、民主党政権にその手を使われては困るというのが本音でしょう。ご都合主義です。これまで自民党政権が排除してきた学識経験者だけで審議会や検証チームを組織したら、ダム推進派にとって絶望的な結果になることが知事には分かっているのでしょう。  

田中康夫氏が長野県知事だったときに、ダム反対派の学者を検討委員にして浅川ダムを中止にした歴史もありますし、栃木県では、大芦川流域検討協議会でダム反対派委員が半数もいたため、推進の結論に持っていけなかったという経験もあります。  

福田知事の発言は、こうした歴史や経験を踏まえてのものでしょう。  

しかし、民主党政権は、これまでの御用学者に検証させることはしないはずです。前原国交相は、「透明性を高めるためいろいろな人から話を聞く」(2009-10-29下野)と言っているのですから、自民党政権下の御用学者を完全に排除できないとしても、少なくとも新潟大学名誉教授大熊孝氏、水源開発問題全国連絡会共同代表の嶋津暉之氏、元国交省職員宮本博司氏などの意見も聞くのだと思います。専門家チームの構成が楽しみです。

(文責:事務局)
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