湯西川ダム訴訟で宇都宮市は科学的主張をあきらめた

2008-04-13

●湯西川ダム訴訟の口頭弁論が開かれた

宇都宮市は、湯西川ダム事業に利水で参加しています。このことについて、オンブズパーソン栃木と宇都宮市民は、2004年11月9日に宇都宮市を相手に住民訴訟を起こしています。

訴訟の概要は、オンブズパーソン栃木のホームページから参照できる"COPT通信"に大木一俊弁護士が要領よくまとめられていますので、特に宇都宮市民の方は是非ご覧ください。

さて、2008-04-09に湯西川ダム訴訟の口頭弁論が開かれました。原告側証人の嶋津暉之氏(水源開発問題全国連絡会共同代表)が証言を行いました。証言に用いたPPTをPDF化したもの(湯西川ダム訴訟における嶋津証言956KB)を掲載します。湯西川ダムが利水上も治水上も必要ないことをこの上なく分かりやすく証言しています。

被告側代理人の反対尋問を聞いていて思ったのは、被告は、数字で争うつもりはないな、ということでした。科学的な主張で闘う姿勢はないように見えます。数字で論争すれば原告に負けることは自覚しているように見えます。では、被告は何で争うのか。被告の武器は、「水源確保には余裕が必要であること」と「行政裁量」と「異常気象」のように思います。そして、ここでは論証しませんが、これらを武器にしてダム行政を進めようとするのは全国的な傾向と思われます。要するに、利水ダムを推進する側にとって、「余裕」と「裁量」と「異常気象」は、三種の神器と言えるでしょう。

●2割の余裕では不足か

被告側弁護士が言っていたのは、「行政としてある程度余裕を持った水源を確保してもいいじゃないか」ということでした。原告らは「ある程度余裕を持って悪い」なんて言っていません。「余裕の持ち過ぎは悪い」と言っているのです。

宇都宮市は、将来の水需要を過大に推計し、現有水源を過小に評価することによって水源不足をつくり出し、湯西川ダム事業への参加の理由としています。しかし、嶋津証人によれば、宇都宮市の水需要は多めに見ても20万m3/日に達せず、湯西川ダムによる暫定水利権を除いた現有水源を正当に評価すれば24万m3/日はあるから、2割以上の余裕があります。だから、更なるダム事業への参加は不要だというのが原告らの主張です。

じゃあ、水源確保において適正な余裕率とはどれくらいなのかが問題ですが、残念ながら裁判では争点になっていません。したがって、そもそもは裁判所が余裕率を2割と認定してくれるかが問題ですが、認定したとしても、2割の余裕率を十分と見るか、不足と見るかは、線引きの基準が議論されていないのですから、裁判所としても判定が難しいと思います。基準を議論せずに「過剰だ」「適正な余裕だ」と言い合っても、水掛け論にしかならないと思います。

いずれにせよ被告は、「過剰な水源確保」を「余裕を持った水源確保」であると強弁して裁判所を説得する方針と見受けます。

●もはや行政の裁量権に任せられない

被告側弁護士は、「行政には裁量権があるのだから、水源をどのくらい確保するかは、行政の裁量に任せるべきではないのか」と言います。

原告らは、行政の裁量権を否定していません。裁量権の逸脱は違法であるという当然の法理を説いているだけです。水道行政をあずかる職員は、税金や水道料金で食べている水道のプロなのですから、原告らだって、プロに任せておきたいという気持ちはあります。しかし、全国の水道ユーザーがプロに水道行政を任せた結果、日本の川はダムだらけになり、各地の水道財政はダム事業の負担金にあえぎ、破たんに瀕しています。まさに「水道がつぶれかかっている」(保屋野初子著、築地書館。11兆円にものぼる借金残高をかかえ、破綻しつつある全国各地の水道事業の実態を描く名著)のです。そして、ダムによる環境破壊で生物は絶滅寸前です。

全国の水道のプロたちは、計画のたびに過大な水需要予測をして、水余り現象と水道料金値上げとダムによる環境破壊を引き起こした責任をとってほしいものですが、おそらくだれも責任をとっていないでしょう。反省さえしていないのではないでしょうか。

住民が行政の裁量権を尊重し、水道のプロたちに任せた結果、財政破たんと自然破壊をもたらしたという現実を直視するならば、水道行政のプロたちは、適切な判断能力を欠いていると極言してもいいのではないでしょうか。裁判所に判断してもらわないと、「余裕」と「過剰」の区別ができないのが水道行政の実情ではないでしょうか。

ただし、水道関係の職員に能力がないというのは極言で、実際には、首長から「ダムを前提とした水道計画を策定しろ」と命令されるから、辻褄合わせのような水需要予測を前提とした水道計画しかつくれないのだと思います。

宇都宮市でも鹿沼市でも、これから地下水源を放棄してまでダム事業に参加して水源を確保することが無駄であることは、水道職員なら重々承知のことと思います。

●異常気象で手法転換か

これまでの水道計画では、将来の水需要はこれだけになる、現在保有する水源はこれだけしかない、差し引きこれだけの水源が不足する、したがって今後これだけの水源を新規に確保するという手法をとってきました。ところが最近の行政は、「異常気象により異常渇水が起こるかもしれないので、それに備えて大きな水源を確保しなければならない」という主張をするようになりました。

要するに行政は、これまでは、「将来が見通せるから」何m3/日の水源を確保するという手法をとってきたのですが、最近では、「将来が見通せないから」何m3/日の水源を確保するという手法に切り替えたようにも思えます。しかし、「将来が見通せない」なら、何m3/日の水源が不足するかも分からないはずで、その辺が矛盾しています。「将来が見通せない」なら、そもそも水需要予測などする必要がないはずです。

そもそもこれまでの各地の水道事業体の水道計画においても、多少の異常気象には耐えられるように、多少の余裕を持って水源を確保してきたはずです。

行政が、異常気象により異常渇水が起きるだろうからもっと余裕が必要だと言うなら、どの程度の確率で異常渇水が起きるから、どの程度の余裕が必要だということを科学的に立証すべきです。科学的立証という手法を放棄し、「将来のことは分からない」という前提で水道行政を進めるなら、異常気象による異常渇水は起きないかもしれませんから、ダムが必要ということにはならないはずです。そもそも行政が「当たるも八卦、当たらぬも八卦」というギャンブル的な考え方で執行されてよいとは思えません。

要するに、水道当局が、新規水源を確保するために、時には将来の水需要を見通せると言ってみたり、時には将来どうなるか分からないと言ってみたりするのは、ご都合主義というものです。

こうした水道当局の姿勢は、昔から変わりません。水需要予測の過大見積りを突かれると、「将来はどうなるか分からないから、水源をたくさん確保すべきだ」というのが水道当局のいつもの答です。「将来はどうなるか分からない」ことの理由が、昔は人口増加や産業発展でしたが、現在はその可能性はないので、異常気象を持ち出すようになったというのが実情でしょう。

●12%ぐらいの乖離は問題にすべきでないのか

宇都宮市による2006年度の水需要推計は、218,200m3/日ですが、実績値は191,700m3/日でした。その差26,500m3/日です。実績値は、推計値より12%も低いことになります。

被告側弁護士は、嶋津証人にこのことを質問し、12%くらいの見込み違いは大したことではないと言いたい口ぶりでした。問題にするほどの見込み違いではないと言いたいようです。しかし、推計からわずか3年で12%の乖離が生じることは、上下水道局や水道コンサルタントがたった3年後の未来もまともに予測できないということであり、大きな問題ですし、推計は増加傾向で、実績は減少傾向なのですから、今後両者の乖離はますます広がることが予想されることを考えれば、2006年度で12%の見込み違いは、無視できる程度ではありません。絶対量で見ても、26,500m3/日と言えば、宇都宮市が湯西川ダムから取水を予定している量である24,000m3/日よりも大きいのですから、予測をまともにやればダムが不要であることは明らかです。

要するに被告側弁護士は何が言いたいのかというと、相模大堰差止め裁判(住民訴訟)において 横浜地裁が判決(2001年2月28日) で「昭和62年ごろからの水需要の実績値につ いては、増加傾向が減少し、横ばいともいえ る傾向が見て取れるばかりか、前年度より減 少した年度も見られる。このように実績値と 予測値とが一見して相当に乖離してきたの であるから、一部事務組合としての企業団と しては、法令に従い予測値の過程を再検討 すべき事が要請されたというべきである。 」と指摘しているので、「実績値と 予測値とが一見して相当に乖離してきた」場合には、その予測に基づいて計画を進めるのは違法であるが、宇都宮市の場合は、「一見して相当に乖離してきた」という程度にまでは達していないから、2003年に行った水需要予測に基づいてダム事業に参加しても違法ではないということでしょう。参加水量よりも大きな見込み違いを大した問題ではないとする被告らの主張を裁判所は認めてしまうのでしょうか。

●膜ろ過にこだわる宇都宮市

宇都宮市は、クリプトスポリジウム対策として宝井水源(山本浄水場)に膜ろ過装置を設置する計画を持っています。宇都宮市の試算では、処理能力 18,000m3/日で工事費が 17.0億円かかります。しかし、紫外線消毒装置の設置で対応すれば、1億円で導入が可能と嶋津証人に指摘されました。厚生労働省は、クリプトスポリジウム対策は地下水源については紫外線照射装置で足りるという通達を出しているのに、被告側弁護士は、「紫外線で本当に大丈夫か」としつこく尋問していたのがこっけいでした。

●1日最大給水量は推計不可能か

裁判官は嶋津証人に対し、「1日最大給水量は1年のうちのたった1日だけの数字であるから、それが減ってきたことが需要の減少といえるのか」と質問しました。質問の真意を把握しづらいのですが、1日最大給水量は偶発的に発生する値であるから時系列的な傾向を示さない、とか、将来の予測は不可能ではないか、という意味だとしたら、そんなことはないという答になります。1日最大給水量は時系列的な傾向を示すのですから、それが減ってきたことは需要の減少といえます。時系列的な傾向を示すのなら、時系列傾向分析という統計学的手法で将来を予測することができます。

1日平均給水量は時系列的な傾向を示すことは異論ないでしょう。1日平均給水量と1日最大給水量が相関していると言えれば、1日最大給水量もまた時系列的な傾向を示すと言えます。そして、1日平均給水量と1日最大給水量が相関していることは容易に証明できますから、1日最大給水量が時系列的な傾向を示すことは、科学的に証明できます。

1日最大給水量の推計が可能であることについては、争いはありません。2006年度の負荷率は92.0%に達していますが、被告らは、将来の負荷率は2001年以降85.3%で推移すると推計しています。負荷率とは、1日平均給水量/1日最大給水量ですから、負荷率が85.3%ということは、1日平均給水量:1日最大給水量=85.3:100ということです。ということは、「将来の1日最大給水量は推計が可能であり、どの程度の水量かと言えば、1日平均給水量の1.17倍(=100/85.3)程度を見込めば十分である」と宇都宮市が言っているということです。

したがって、裁判所が「1日最大給水量を推計することは不可能である」とか「1日最大給水量は1日平均給水量の5割増、10割増の数字を見込む必要がある」と言うはずがありません。 当事者がしていない主張を裁判所が創出するはずがないからです。

裁判官は、1日最大給水量の「推計可能性」を聞いたのでしょうか、それとも推計可能性を前提として、どの程度推計すべきかという「程度」を聞いたのでしょうか。「推計可能性」なら、水道業界に1日最大給水量の推計可能性を否定する見解はないと思います。「程度」の話なら、被告が「1日平均給水量の1.17倍程度を見込めば十分である」と言っているのですから、裁判所がそれ以上を見込む必要はないということです。

(文責:事務局)
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