バイステックに関するご意見

2011年4月23日

3月に以下のようなメールをいただきました。

ダム反対鹿沼市民協議会事務局様

急なメールを送ってしまい申し訳ございませんでした。 私は○○病院のMSWのAと申します。

2年前の平成21年4月10日 書かれています 「バイスティックの7原則でケースワーカーが不幸になる」について 私の考えを述べさせていただければと思います。

はじめに、生活保護窓口の第一線で仕事をされているケースワーカーの方々は、毎日非常に厳しい業務にあたっていると感じます。 日々ご苦労されていると感心いたします。

さて、バイスティックの7原則について

「個別化」についての解釈ですが、
これは、「クライエントは一人がかけがえのない個人である」という視点をもつことをいっているのであります。

人間誰しも違った環境で育ち、違った性格をもち、違った能力があることを理解するというケースワークの上で最低限必要なことです。

「こういう環境で育った人は、こんな人だ」と類型化してしまうのでは、そもそもケースワーカーとは呼べないのではないでしょうか。

次に「受容」についてすが、

受容とは
クライエントの肯定的・否定的な感情や、さまざまな価値観をありのまま受け入れることです。あくまで信頼関係をつくるための入り口です。 決して、「不正受給したい」の要求をそのまま受け入れて、給付することは受容ではありません。

ケースワーカーは、単に相手がいう要求にこたえる職種ではありません。要求の裏に潜在するニーズをクライエントと一緒に明確にしていく職種です。

不正受給の要求をそのままのむ福祉事務所は解釈を間違ったとらえかたをしています。社会の秩序を乱してはいけません。

バイスティックの7原則を間違った解釈でとらえると、不幸になるケースワーカーが増えることは確かだと思います。

すべての福祉事務所の職員がバイスティックの7原則を正しく遵守するケースワーカーとなる日を望んでいます。

長文で失礼いたしました。

拙文を読んでいただきありがとうございます。

Aさんは、この原則を正しく理解されていると思います。

●経験は生きないのか

ケースワーカーが最初から類型化するつもりでクライエントの話を聞くなんて言語道断だと思います。

私が疑問に思うのは、バイステックはケースワーカーが経験を積み重ねることにより、技術が向上することを否定するのかということです。

一般に、ケースワーカーの1年生より2年生、3年生と経験を重ねる方がうまく対処するのではないでしょうか。

それは一面でずるくなり、ダメになっているという面もあるかもしれませんが、素直にとらえれば、クライエントにとっても利益になっていると思います。

経験によるスキルアップを認めるのであれば、そこには必ず類型化という作業が入っているはずではないかと思うのです。

ネット検索をすると、クライエントを類型化して対処し、失敗した事例が出てきますが、類型の仕方が甘いのが原因とも思えます。

動けない人にリハビリを勧めたらうまくいったので、同様の人にリハビリを勧めたらかえって状態が悪化してしまったという例が挙げられています。

動けない人をひとくくりにしてしまう分類に問題があるのであって、分類に意味がないということにはならないと思います。

もしもバイステックの「個別化」が類型化の効用を否定するのであれば、それはどうなのかと思うのです。

●理解力が乏しいだけ

受容については、Aさんの書かれるとおりです。

しかし、世の中には、理解力の乏しい保護関係者もいるという、ただそれだけの話ですが、ただそれだけの話では済まされない面があります。

指導的立場の者が誤解している場合、ケースワーカーはクライエントに怒鳴られても蹴られても、それを「受容」し、我慢しなければならない場合もあるということになるからです。

●影響は大きかった

バイステックは、キリスト教の神父として慈善事業をしていた人のようです。税金を給付する立場の人ではなかったと思います。

おそらくは、彼が原則を打ち出した当時は、慈善事業を実施する者が社会の落伍者を上から目線で説教しながら施しをするという構図があったのだと思います。

ケースワークの仕事はそれじゃだめなんだよという意見は、当時としては斬新だったのかもしれません。

今でもケースワーカーの初心者が上から目線になりがちなのを戒める意味はあるのかもしれません。

彼の原則は、現在のカウンセラー技術に影響を与えているとは思います。その意味では彼の業績は偉大だったと思います。

しかし、理解力の乏しい人が聞くととんでもない結果になるということです。

(文責:事務局)
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