国(国土交通省)にだまされてはいけない

2008-08-04,2008-08-13追記,2008-08-15追記,2009-05-05修正・追記

●人為的地球温暖化説は詐欺か

人為的地球温暖化説は詐欺だという説が唱えられています。動画サイト"YouTube"でThe Global Warming Swindle(地球温暖化詐欺 )というビデオが見られます。"Google Video"ではThe Global Warming Swindle(地球温暖化詐欺 )です。この字幕をテキストに起こした人がいます。 BBC「地球温暖化詐欺」をテキストにしてみたというページです。"The Global Warming Swindle"は、「BBCのドキュメンタリー番組」と紹介されていますが、イギリスの公共放送"チャンネル4"が放送しただけで、制作はしていないようです。90分ぐらいのビデオなので、見る時間のない人は、字幕を概観すれば内容がだいたい分かると思います。

"KeiziWeb"というサイトにも上記ビデオの内容がうまくまとめられています。地球温暖化という詐欺についてという記事です。ここでも「BBCで放送されたとされる」と書かれていますが。

田中 宇という人も、上記ビデオには触れていませんが、田中宇の国際ニュース解説地球温暖化のエセ科学というページを書いています。

池田信夫という人も上記ビデオに賛同しているようです。興味のある方は、彼のブログの地球温暖化詐欺のページを参照してください。

武田邦彦という人も「環境問題のウソ」武田邦彦氏:映画「不都合な真実」は嘘だらけ ゴア氏にノーベル賞授与も政治的策略で、人為的地球温暖化説を批判しています。このビデオでは、テレビ番組の中でイギリスの高等法院が「不都合な真実」に九つの間違いがあるという判決を下したという話も紹介されています。しかし、武田氏は中部大学の教授だそうですが、データを捏造する(武田邦彦氏への山本弘氏の反論やWikipediaの「武田邦彦」の項目参照)などと批判されており、科学者としての資格が問われています。

これに対して、JanJan Blogでは、「地球温暖化詐欺」はどっちでしょう というページには、"The Global Warming Swindle"に対する反論が掲載されています。

Wikipediaにも"地球温暖化詐欺 (映画) "という項目があり、「間違ったデータや捏造されたデータに基づいているか、近年の気温の上昇が人為的な二酸化炭素の放出によるものかどうかには関係のない論点」を取り上げていると書かれています。

どちらの説が正しいのか素人にはよく分かりません。相当の量の資料を読み込まないと、うそや間違いを見抜けないと思います。どちらの説も部分的に正しく、部分的に間違っているというのが実情ではないでしょうか。

"The Global Warming Swindle"で、石油をどんなに燃やしても気象に影響を与えることはないと言われると、このビデオは石油メジャーの陰謀ではないかと疑いたくなりますが、他方、通説の行き着く先が、原子力利用と大規模ダムによる水力発電であるという動きを見ると、通説もまた原子力産業などの陰謀ではないかと疑いたくもなります。

日本では地球温暖化対策のために1兆円を超える予算が使われており(2005年度の地球温暖化対策推進関係予算は1兆1,428億円)、そのうち原子力発電推進のための予算は1,000億円を超えるようです。

社団法人日本原子力産業協会会長の今井敬氏は、2008-07-31読売の「論点」で「地球環境と文明生活の両立」「欠かせぬ原子力利用」の題で「原子力には核拡散や万一の事故の不安があるかもしれない。しかし、私たちが、地球環境問題を克服し、持続的な文明生活を営むためには、クリーンな電源である原子力が欠かせないのである。」と書いています。

「トイレなきマンション」と言われる原子力発電のどこが「クリーン」なのでしょうか。「日本だけで、このままゆけば広島原爆の死の灰を120万発分も生産し、それをこの国内で少なくとも1万年以上完全管理しなければならないが、その技術はこの地球上には存在しない。」(広瀬隆著「地球のゆくえ」集英社p395)というのに。事故や核廃棄物で死人が出ても、自分の住んでいる所では事故が起きないだろうとか、自分が死んだ後でどんな問題が噴出しても関係ないという無責任な発想からの意見としか思えません。原子力で地球環境問題を克服できるだの持続的な文明生活を営めるだのというウソを書かせてはいけません。だから、読売新聞を講読してはいけないと思います。こんな一方的な意見を掲載する読売は、原子力産業と結託しているとしか思えません。

日本の原発では、原子炉で発生した熱量の3分の1しか電気に変換できないため、残り3分の2の熱を海に捨てています。だから日本の原発は海沿いにしかありません。(チェルノブイリ原発は内陸部にありましたが、巨大な冷却池に隣接していました。)原発から海に熱を放出すれば、海水に溶けていたCO2が大気中に出てきます。

東京電力が発行した2008年版の「電力設備」というPR冊子には、次のように書かれています。

さらに地球環境保全の観点からも、原子力発電は発電過程において地球温暖化の原因とされるCO2や、酸性雨の原因とされるSOxおよびNOxを排出しないなど、今後もこれらの問題解決を図る上で重要な役割を果たします。

原発1基を稼働させるには、火力発電所1基が必要と言われており、そうだとすると、発電過程においてCO2、SOxおよびNOxを排出しない、というのはウソ宣伝ということになります。

今井氏は、次のように書きます。

人類はこれまでも、あらかじめリスクを想定し、その対応策を整えることで文明社会を築き、維持してきた。原子力利用も同様のことが言えるのではないか。

「対応策」とやらがあるのならば、原発は、電力の最大の消費地である東京・大阪・名古屋に建設すべきです。電力は運ぶときにロスが生じますから。ところが実際には、大都市に原発が立地することはありません。1996年に原子力委員会委員長代理の伊原義徳氏が「大都会には放射能は危険」という認識を示したようです(広瀬隆著「私物国家」光文社p351)。原発は危険すぎる発電装置であることは否定できません。それを安全であるかのように言うのは、詐欺です。

とにかく、今井氏(元経団連会長でもある。)や東電のウソ宣伝を見ると、人為的地球温暖化説の正体は何なのかを見極める必要があると思います。

ノンフィクション・ライターの広瀬隆氏も「私が炭酸ガスの温暖化原因説に敢えて異論を唱えるのは、それが日本で、原発を増設する口実に使われている不純な動機が明白だからである。」(広瀬隆著「パンドラの箱の悪魔」NHK出版p275)と書いています。「現在日本に横行しているのは、偽善的なキャンペーンであり、自然保護や地球の科学とは関係ない。」とも書いています。

広瀬氏は、前掲書で、100万キロワットの発電能力を有する原発が10兆人を殺せる放射性物質を生産することや、「日本全土に林立する原発50基が、わずか24時間のうちに、広島に投下された原爆90発分に相当する熱を海に捨て、海水を直接温め、生物が死滅した白い砂浜を広げている。(中略)原発の排熱が海中に溶け込んだ炭酸ガスを空中に大量に放出している」ことを指摘しています。

●原発からも温室効果ガスが出ている(2009-05-05追記)

2009-04-30赤旗に「原発 温室ガス/「ゼロ」じゃない/年82万トン 運輸・郵便部門に迫る/政府・財界の"推進宣伝"はごまかし/政府資料で明らかに」の見出しの記事が載っています。記事の概要は以下のとおりです。

日本の原子力発電所や核燃料製造施設などから、中規模火力発電所一カ所分並みの年間約八十二万トンの温室効果ガス(CO2とフロン)が出ていることが、経済産業省と環境省の「温室効果ガス排出量算定・報告・公表制度」(二〇〇六、〇七年度)の集計データから分かりました。
(中略)
政府・財界は「原発は世界に貢献。CO2ゼロ」などと宣伝し、「低炭素社会の切り札」と位置づけ増設しようとしていますが、それが、事実に反することが明らかになりました。
(中略)
電力会社などは、さきに横浜市で開かれた日本原子力産業協会の年次総会で、「CO2ゼロ」と原発を持ち上げましたが、実態は大違い。業種別でみても、運輸・郵便部門の事業所(約九十万トン)に迫る排出源となっています。

「原発がクリーンエネルギー」なんてウソであることが明らかになったわけです。

●武田邦彦氏の理論が分からない(2008-08-13追記)

話はそれますが、 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか1・2」などの著書が売れており世論に影響力のある武田邦彦氏(中部大学総合工学研究所の教授・副所長)について触れておきます。彼は会社員時代は、ウラン濃縮やプラスチックの素材の研究に携わってきたそうです。

2008-07-15消費生活新報は、「今月の人」というコーナーで武田氏のインタビュー記事を掲載しています。彼の言葉が次のように紹介されています。

例えば、原子力は確かに万全とは言えないが「石油を使ってクルマ、テレビを楽しみ、水洗トイレのある生活をしながら、原子力だけを非難するのは愚論」

こういう論法で人を惑わす人が結構いるものです。「石油を一滴でも使っているなら、石油文明を批判する資格がない」という人もいます。程度の差を無視することでだます論法です。万引きも殺人も罪は罪。一人殺すも百人殺すも、殺人は殺人というわけです。確かに罪という共通項はありますが、その重さが違います。

人はだれも環境を破壊して生きているわけですが、最小限に破壊する生き方をしようというのがエコロジストだと思います。別に非難される生き方ではないと思いますが、武田氏には「最小限」という概念がないのだと思います。

それに、石油と原子力では、発生する害毒の程度が違います。この差も無視するのが武田氏の論法です。

次のような記述もあります。

原子力を使うかどうかの選択は石油が無くなった時の私たちの子孫の問題であり、人間も科学も万能ではないからこそ常に技術力向上に取組み、今よりもより良い未来を築くことに力を注いだ方がよいという。

既に自分の世代で原子力を利用しているのに、原子力を選択するかどうかは「子孫の問題」だというのはわけが分かりませんが、おそらく、彼が言いたいのは、原子力を今のうちに使っておけば、核廃棄物を無毒化する技術なんかも開発され、石油が枯渇した時代の子孫にとって喜ばしいことになるということでしょう。そうだとすれば、実に無責任です。核廃棄物を無毒化する技術が開発される保証はどこにもありません。今の世代が核廃棄物を子孫に負の遺産として残すだけになるかもしれません。

「人間も科学も万能ではない」と言うなら、謙虚になるべきです。核廃棄物を無毒化する技術など開発できないという前提で考えるのが筋です。武田氏には、予防原則という考え方はないのでしょう。

Wikipediaによれば、「予防原則(よぼうげんそく)とは、化学物質や遺伝子組換えなどの新技術などに対して、環境に重大かつ不可逆的な影響を及ぼす仮説上の恐れがある場合、科学的に因果関係が十分証明されない状況でも、規制措置を可能にする制度や考え方のこと。1990年頃から欧米を中心に取り入れられてきた概念である」。

さらに武田氏は、「毒物視されている水銀やカドミウムだが、本当は人体にどれくらい必要かわからない」と言います。

公害垂れ流し企業が泣いて喜ぶような言説です。「企業が水銀やカドミウムを垂れ流したくらいで大騒ぎすることはない」という世論を形成したいのでしょうか。不可知論に持ち込んで、黒を白と言いくるめる人はいるものです。

「アメリカの毒を食らう人たち」(東洋経済新報社 [著]ロレッタ・シュワルツ=ノーベル)という本があります。名著です。朝日に常田景子氏(翻訳家)が書いた書評が載っています。「アメリカで、幼児が接種を義務付けられているワクチンに添加されている保存剤によって、自閉症児が急増しているという話は衝撃的」としか書かれていませんが、ここでの「保存剤」とはチメロサールという水銀の化合物です。

たかだこども医院ニュースには、「こうした動きの中で、昨年3月にアメリカ・テキサス州で、自閉症の患者さんたちが、ワクチンに含まれているこの有機水銀によって神経障害すなわち自閉症が発生したとして集団訴訟に踏み切りました。この事に関しては、2001年7月には「予防接種安全総括委員会」が公開会議を行い、チメロサールによって神経障害が起こったとする根拠のある報告は今のところ存在しない、と結論づけています。」と書かれていますが、「アメリカの毒を食らう人たち」を読むと、科学者たちが生活のために研究結果を書き換えることは往々にしてあるようです。

チメロサールが無害ならば、なぜ「アメリカでは、1997年に成立した法律で、水銀を含有する食品及び薬品の危険性を見直すことが要請され、1999年7月に同国の公衆衛生局と小児科医会協会は「ワクチンより可能な限りチメロサールを減量・中止するべき」という共同声明を出しています。日本でも1997年ごろより各ワクチンメーカーがチメロサールの減量を始め、製品の改良が行われてきました。」(上記ニュース)ということになったのでしょうか。

武田氏は、この本を読んでも、「水銀を少しでも体に入れると有害であることが病理学的に証明されたことにならない」と言うのでしょうね。予防原則の考え方を採らない人に何を読ませても無駄でしょうね。

感情的なことは言いたくありませんが、体内に入った水銀やカドミウムで苦しんでいる人たちがいることを思うと、武田氏がそれらの重金属が必要かもしれないと言うなら、ご自分でそれらを飲むなり注射するなりしてみたらどうですか、と言いたくなりませんか。

●アル・ゴアにとって不都合な真実とは原子力産業とのつながりだった(2008-08-15追記)

2008-08-15週間朝日p22以下に「ゴア元副大統領と「原発利権」」という記事が載っています。「これこそ「不都合な真実」だ!」「地球温暖化問題、CO2削減は原発推進の口実なのか・・・」という小見出しも付いています。

「めぼしい成果がなかったと酷評された7月の洞爺湖サミットが「原発推進」をこれまでになく明確に打ち出し、前進させた」のであり、G8は、「温暖化の"犯人"である二酸化炭素(CO2)を出さない原子力発電を評価し、途上国などの「原発」導入の基盤整備を支援する「国際イニシアチブ」を始めることで合意した。」と書かれています。

最近、アメリカ、イギリス、イタリア、ドイツで脱原発から方針転換を始めたそうです。日本でも「サミット後の7月29日、CO2排出量削減のため、2017年度までに原発を新たに9基建設するアクションプランが閣議決定された。」そうなのです。

「この流れをつくった"功労者"こそ、元米副大統領のアル・ゴア氏(60)」であることに異論はないと思います。

彼の著書「不都合な真実」には、「原発については、不自然に思えるほど触れられていない」そうです。2000年11月には、「明確に原発反対の立場だった」のに、2007年3月には、「「原発には反対しない」と豹変」したそうな。

記事には、ゴア氏が原子力研究の重要拠点であるオークリッジ国立研究所に出入りを許された政治家であること、「AP通信によれば、ゴア氏の地球温暖化に関する分析や気候変動のシミュレーションを提供した研究機関のひとつが、このオークリッジ国立研究所だった」こと、父親が米原子力合同委員会メンバーだったこと、父親が上級副社長を務めた石油会社の関連会社がウラン鉱山を所有していたこと、IPCCの議長も原発推進の立場であること、IPCCの第4次評価報告書(2007年5月)では温暖化問題の解決策として原発が盛り込まれたこと、ゴア氏は環境ファンドを設立し、ファンドが原発メーカーのゼネラル・エレクトリック社に約50億円もの投資をしていたこと、などが書かれています。

IPCCとゴア氏は、2007年12月にノーベル平和賞を共同受賞しているそうですが、茶番と見た方がよさそうです。佐藤栄作がノーベル賞をもらっているくらいですから、ノーベル賞自体が茶番ですけど。そもそも大邸宅に住んで、我々貧乏人の数百倍ものエネルギーを使っているような人間に環境にやさしい生き方をしろと説教されたくありません。そしてその環境にやさしい生き方の正体が原発推進なのですから、人をバカにするのもいい加減にしろと言いたくなります。

地球環境が危機的状況にあることは否定できないでしょうが、それを一部の人間の銭儲けの口実にされては、庶民はたまりません。

●熊本県は地球温暖化をダムを撤去しない理由にしている

熊本県にある水力発電ダム荒瀬ダム(県営)は、老朽化のため2002年12月に撤去が決まりましたが、ダム推進勢力からの巻き返しが図られています。今年当選した蒲島郁夫熊本県知事は、前知事の時代に決めたダム撤去の決定を覆すことを6月4日に発表しました。蒲島知事がダム撤去を撤回した理由は、撤去費用がかさむことと地球温暖化です。2008-07-23中日新聞には「当初は六十億円と見込まれた撤去費用が砂や土砂の運搬費増などで 十二億円増える。加えて、温暖化が進む中、二酸化炭素が出ない水力 発電の重要性は増し、ダムを維持すれば年間一億円以上の利益が見込 めるという。」と書かれています。

そして蒲島知事が判断の拠り所としたのが、未来エネルギー研究会という組織からの要望書でした。このサイトは、コンテンツが8項目ありますが、四つは工事中で、荒瀬ダム撤去の方針をつぶすことを目的として立ち上げられたサイトと思われます。

未来エネルギー研究会が蒲島知事に出した「荒瀬ダム撤去・藤本発電所の廃止の再検討に関する要望書」には、次のように書かれており、地球温暖化防止がダム存続の理由とされています。

平成14年12月に貴県が荒瀬ダム・藤本発電所の撤廃を決められたことは、私たちにとって大変に遺憾千万な出来事でした。ただ単に貴県の発電所が一つ廃止されると言うことに限らず、水力発電をクリーンかつ、再生可能なエネルギー源として推進してきた全世界の水力開発関係者や地球温暖化防止対策に日夜努力されている方々に顔向けできない、眞に由々しき出来事でした。特に、エネルギー源の80%を輸入に頼っているわが国の、貴重な水力発電が経済面、技術面の慎重な検討を十分にすることなく、ほぼ政治的に、この重要な問題を決定された経緯を残念に思っております。

上記文章を書いた佐山 實という人は、水力発電ダムの建設を推進してきた人で、現在85歳になるようです。川を分断して、環境をさんざん破壊してきた人に「地球温暖化防止」などと環境問題を持ち出してほしくありません。

「水力発電をクリーンかつ、再生可能なエネルギー源」と書いてありますが、「クリーン」でも「再生可能」でもないことは後記のとおりです。

●国も温暖化を理由にダムを推進している(2009-05-05修正)

国(国土交通省)もまた「今後、世界的温暖化現象が進むことが予想。これまで以上に異常洪水や異常渇水の発生が懸念。」と国民を脅しておいて、「ダムによる水力発電は、化石燃料の消費量が極めて少ないクリーンエネルギー。」と言います。「クリーン」とは、CO2を排出せず、環境にやさしいという意味でしょう。

このように国は、ダムを正当化するために地球温暖化を使うのが最近の傾向です。

しかし、異常洪水や異常渇水にダムで対応しようとする考え方は危険です。治水をダムに頼った場合、超過洪水(あらかじめ設定された計画流量(河川改修や河川を管理するための流量)を超えた洪水)が発生すると、ダムがない場合よりも甚大な被害が発生するおそれがあります。同様に、利水をダムに頼った場合、ダムの設計時に想定していなかった渇水が起きると、渇水被害は甚大になります。

要するに、「異常気象に対応するためにダムを建設する」という議論は成り立ちません。

●水力発電はクリーンではない

しかし、ダムによる水力発電がクリーンエネルギーであるという主張は、世界の常識ではありません。

「開発金融と環境プログラム」というサイトには、「IRN(国際河川ネットワーク)はRWESAを含む12団体と共に「大規模ダムを自然エネルギーのイニシアティブから排除すべき12の理由」と題した報告書を発表しました。」と書かれています。ここでは、「大規模ダムを自然エネルギーのイニシアティブから排除すべき12の理由」のうち、二つだけを引用します。

4 大規模水力発電は気候変動に対する脆弱性を増大させる。

大規模水力発電の開発者は、気候変動による水文学上の影響を考慮に入れていない。つまりは、ダム建設は、地球温暖化により新たに発生すると予想されるより深刻な干ばつや洪水を見越した設計になっているわけではない。このことはダムの操業(特に干ばつは水力発電量を激しく低下させる)と安全性に深刻な影響を与える。

9 大規模貯水池は、大量の温室効果ガスを放出しうる。

水力発電の貯水池にある腐敗した有機物は、メタンや二酸化炭素を放出する。水力発電による放出物をどのように測定し、それらを化石燃料発電からの放出物とどのように比較するかについては依然として多くの科学的な議論があるが、熱帯地方における大規模な貯水池を有する水力発電事業の場合、発電量の単位あたりの気候への影響は、化石燃料発電より大きくなる。

水力発電ダムがクリーンであるという主張は成り立たないと思います。

●次の雨が降る

国のダム擁護論を見ていきましょう。

河川局のサイトのダムに関する基本的な考え方のページに次のように書かれています。

【1】  わが国は、急峻な地形、梅雨期と台風期に豪雨が集中するという厳しい自然条件下にある。  このため、一度大雨が降ると、河川に水が一気に流れ出し洪水をもたらし、日照りが続けば、川の水が少なくなり水不足となって、生活や経済活動に大きな影響を与える。

この文章は、行政がダムの必要性を説明するときに昔から枕詞として使われてきました。地形が急峻だから、川の水をダムでためないと水が使えなくなってしまうように国民に思わせる手口です。

「明治の初めに来日したオランダの治水技師ヨハネス・デレーケは、富山県の常願寺川を見て「これは川ではない。滝だ」と驚いたそうだ。」(2008-07-30朝日・天声人語)。

確かに日本の河川には急流が多いのは事実です。しかし、日本の河川のほとんどは、年中かれずに流れているということは、森林などの保水力により、一気に流れ出していないということです。地形が急峻だから山に降った雨がすぐに海に流れてしまうと役人や御用学者は言いますが、次の雨が降るから河川はかれないのです。「急峻な地形」は日本の特徴ですが、森林や土壌に保水力があり、次々と雨が降るのも日本の特徴です。国はご都合主義的に日本の特徴を取り上げているだけです。

「急峻な地形」であるために「日照りが続けば、川の水が少なくなり水不足となって、生活や経済活動に大きな影響を与える。」のであれば、降った雨を長時間陸地に留めるための様々な工夫をすべきなのに、国は、水害対策の観点から、「国内の河川改修は、降った雨をどう川へ集め、早く海に流すかという視点で進められてきた。」(2008-07-30朝日・社説)のです。

降った雨をできるだけ早く海に流しておいて、水不足をつくり出し、使う水がないからダムを造れという国の政策は、マッチポンプです。

確かにダムも雨水を陸地に留まらせる工夫ですが、工夫はほかにもあります。水田も貯水機能がありますし、川を蛇行させれば、雨水が長時間陸地に留まります。遊水池もそうです。ところが国は、「国土の有効利用」の観点からか、ダム以外の方法は、ほとんど選択しません。水田には大きな貯水機能があるのに、4割も減反したら、雨水は一層早く海に流出してしまいます。国は、ダム以外の水をためる方法をどんどん切り捨ててきたのです。

●あふれさせる治水はどこに行った

【2】には、「下流域の河川周辺は、高密度に利用されており、洪水に対応するためだけに川幅を拡げておくことは、国土の有効利用の観点から不適切。」と書いてありますが、河川審議会はあふれさせる治水も必要だと答申していました。

「週刊ひとよし」2007年7月15日号には、次のような記述があります。

1996年、長良川河口堰反対運動をきっかけに全国に広がったダム反対運動を契機に、国交省は「河川審議会」をつくり、21世紀型の河川整備の基本的方向について検討してきた。
 (河川審議会は、建設省が国交省に省庁再編があった際に、「社会資本整備審議会・河川分科会」と、名称を変更。球磨川水系検討小委員会は、この小委員会)
2000年12月には、「流域での対を含む効果的な治水のあり方について」中間答申が出されたが、こんな文言も含まれていた。
 「拡散型氾濫域では、氾濫の被害が広範囲に及ぶため、根幹的な生活基盤や生産基盤を守るための連続堤方式等の河川整備を行うことが基本である。
 しかし、霞堤や二線堤等についても、治水上の効果を適切に評価し、積極的に活用すべきである」

ところが、中日新聞が日曜版で「脱ダムの世紀へ」という特集を組んだことに対し国(国土交通省中部整備局)はホームページで反論を書いています。「4月15日中日新聞サンデー版「脱ダムの世紀へ」について(見解)」というページです。何年の4月15日なのかは分かりません。

 『河川はんらん前提の治水対策を』の記述のなかで

『2000年12月、当時の建設相の諮問機関である河川審議会は、ダムや堤防だけに頼らず、「河川ははんらんする」という前提に立ち、流域全体で効果的な治水方法を考えようと提言する答申をまとめた。』

 と記述されていますが、河川審議会の内容を正しく表していないと考えています。つまり、治水方法のなかに、「河川ははんらんする」ことを含めているわけではないのです。 同じく記述のなかで、

『答申では都市化による土地利用の激変や異常降雨の頻発により、通常の河川改修では限界にきている地域もあり、治水メニューを多角化する必要があるとした。』

 と記述されていますが、河川審議会の答申では、「治水メニューを多角化」という表現でなく、多様化とうたわれており、その意味としては、治水対策をいくつも選べばよいということでなく、適正なものをさまざまなメニューから選べばよいと言う考え方であることを理解していただきたいと思います。

国交省の役人は、「あふれさせる治水」を無視しています。理由は、以下のとおりです。 「多角化」と「多様化」は違う。河川審議会答申では「多様化」とうたっている。「多角化」とは「治水対策をいくつも選べばよい」ということであり、「多様化」とは「適正なものをさまざまなメニューから選べばよい」ということである、というものです。言葉尻をとらえて難癖をつけているように思います。

国交省の役人は、「治水方法のなかに、「河川ははんらんする」ことを含めているわけではない」と書いていますが、「週刊ひとよし」が書いているように、河川審議会答申が「 霞堤や二線堤等についても、治水上の効果を適切に評価し、積極的に活用すべきである」と書いているとすれば、河川が氾濫することを前提とした治水も活用しろと言っていることになりますので、国交省の反論は誤りということになります。

いずれにせよ、国土交通省中部整備局のホームページは、反論になっていません。

河川審議会答申に氾濫することを前提にした治水とは書いてないと主張していた国交省でしたが、2006年には、「国土交通省は、伝統的な水防技術「輪中堤(わじゅうてい)」や「二線堤(にせんてい)」を活用し、河川の水があふれることを前提として洪水から住宅地を守る「洪水氾濫(はんらん)域減災対策制度」(仮称)を来年度から創設する方針を固めた。」(2006-08-13朝日)という報道がなされました。

同記事では、「これまで国の治水政策は、あらゆる河川に堤防を築き、上流にダムを建設して洪水を封じ込める手法に重点を置いてきた。これに対して公共事業費が減り続ける中、記録的豪雨が頻発する近年の傾向を踏まえ、川があふれても住宅被害を最小限にとどめる新しい治水の仕組みづくりを本格化させる。」と解説されています。 つまり、「国土の有効利用の観点」から方向転換したはずです。

国交省の方針は一体どっちなのでしょうか。その場その場で調子のいいことを言っているだけではないでしょうか。【5】では、2000年 の河川審議会答申を踏まえたかのように、「  河川の整備にあたっては、最初からダムを排除することなく、また、ダムにこだわることなく、個々の河川や地域の特性を踏まえて、堤防や遊水地、ダムなどを総合的に検討し、最も適切な組み合わせで実施することが必要。」と書いていますが、【2】に書いてあるように、「下流域の河川周辺は、高密度に利用されており、洪水に対応するためだけに川幅を拡げておくことは、国土の有効利用の観点から不適切。」という発想では、遊水池は不適切となってしまいます。  

「ダムにこだわることなく」なんて書いてますが、現実はどうかと言えば、川辺川ダムや八ツ場ダムや思川開発事業の例を見れば明らかなように、ダムにこだわっています。書くだけなら、どんな美しいことでも書けます。

「国土の有効利用」を振り回すようでは、国交省は、洪水をダムでコントロールするという考え方を基本とする方針から脱却できていないということです。ダムを建設するより、洪水常襲地帯から国民を立ち退かせた方が合理的ということもあるはずです。そもそも危険な場所を開発させないことが必要です。

2002年に栃木県が大芦川流域検討協議会を設置したときに、県は、北半田の柳原団地の近くの堤防が洪水で破壊されるという被害があるから、こうした被害を防ぐために東大芦川ダムが必要だという趣旨の資料を作成しました。現場に行ってみると、なるほど住宅団地と川が近い。昔から流域に住んでいる人は、これほど大芦川の近くに家を建てることはありませんでした。粟野町役場に電話してみると、開発を許可したのは栃木県知事だとのことでした。もし、県河川課が言うように、柳原団地が水害に襲われる危険があるとすれば、危険をつくり出したのは、知事です。その危険を除くためにダムが必要だというわけです。

土地の有効利用のために河川付近の住宅開発を許可して、そこが危険だからダムを造るのはマッチポンプです。ダムの必要性を自分でつくり出すというのが行政の手口です。

●都賀川の悲劇も国土の有効利用が原因

神戸市灘区の都賀川(とががわ)で、7月28日、水遊びをしていた小学生ら4人が濁流に流されて亡くなりました。2008-07-30朝日によると、「兵庫県などによると、大阪湾に注ぐ六甲山系の河川はもともと川幅が広かったが、宅地開発を進めるため、大正時代以降、川幅を狭める工事が続けられた。都賀川では70メートルが11メートルまで縮められた個所もあるという。」とのこと。

こうした改修が水害を誘発したため、「水路を掘削して川の面積を大きくし、コンクリートで3面張りにする改修が進められた。」そうですが、川幅を縮めたままですから、護岸の高さは4メートルにもなってしまい、急に濁流が襲ったら大人でもなかなか逃げられません。

「国土の有効利用」という考え方がもたらした悲劇ではないでしょうか。今更神戸市で川幅を7倍にはできないでしょうが、川幅を狭めた失敗を反省すべきですし、日本全体では、人口が1年間に60万人も減っていく時代を迎えようとしているときに、「国土の有効利用」を優先させる考え方は間違っていると思います。

●池とダムは同じか

【3】 には、「古来より、わが国では狭山池(616年完成、大阪府)や満濃池(700年頃完 成、香川県)などのダムで安全で安心した生活を確保してきている。」と書いてあります。ダムは千年以上もの耐久性があると言いたいのでしょう。どちらも「ダム」の定義にはくくられるとしても、これらの池と天竜川のダムと十把一絡げにすることはできないと思います。堆砂の問題などで事情がかなり違ってくると思います。長持ちした「ダム」もまれにはあるでしょうが、壊れたダムや土砂やヘドロで埋まって使えなくなったダムもたくさんあります。狭山池や満濃池は例外ではないでしょうか。

ダム便覧には、「狭山池は、「古事記」や「日本書紀」にも記述がみられるという古い潅漑用のため池。」と書かれています。平野の中のため池です。堤高も18.5mで、かろうじてダムと呼べる程度のものです。満濃池だって平野のため池です。【1】では、「わが国は、急峻な地形」であるために、「一度大雨が降ると、河川に水が一気に流れ出し洪水をもたらし、日照りが続けば、川の水が少なくなり水不足となって、生活や経済活動に大きな影響を与える。」と言いながら、ダムの寿命の話になると、平野のため池の話を持ち出すのは、ご都合主義というものです。日本の河川は急勾配なのが特徴なのですから、国交省は、天竜川水系などのダムの寿命がどうなのかを書くのが筋です。例外を一般化するのは、詐欺の手口です。

最近決壊したダムを紹介します。2008-06-21に熊本県の板木ダムが決壊しました。日々是好日というブログに板木ダムと荒瀬ダムというページがあり、決壊したダムの写真が見られます。板木ダムは1937年に完成していますから、71の寿命でした。

砂防ダムですが、石川県の浅野川上流の砂防ダムが7月28日の豪雨で決壊しました。浅野川の氾濫により、金沢市「主計(かずえ)町茶屋街」が冠水しました。泥水が冠水したのは初めてのようですから、砂防ダムの決壊と関係があると見るべきでしょう。兼六園と辰巳用水を守り、ダム建設を阻止する会 (辰巳の会)のブログに浅野川の氾濫  砂防ダム決壊が水害に関与か?というページがあり、決壊した砂防ダムの写真が見られます。

決壊しないまでも、ダムが砂利やヘドロで埋まったらダムとしての効用を発揮できず、寿命が終わりです。岩手・宮城内陸地震で被害のあった宮城県の荒砥沢ダムは、総貯水容量が1,413万m3で、堆砂容量が62万m3です。堆砂容量はダムが完成して100年間に流入が見込まれる土砂量です。以下は、2008-06-24毎日の記事です。

学会の現地調査では、同ダム北側で崩落した土砂総量は東京ドーム約60杯分の約7000万立方メートルと推定された。県によると、水位の上昇から算出すると、これらの崩落土砂のうち、ダムに流入したのは約150万立方メートルとみられる。自然流入した場合の約240年分、堆砂容量の2・4倍にあたる。
ダム湖に流入した土砂の浚渫は困難ですから、今後ダムは 機能しないでしょう。荒砥沢ダムは、1998年に完成ですから、10年で寿命が尽きたことになります。

 
(文責:事務局)
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