本題に入る前に余談を二つほど。
3月16日に思想家、詩人、評論家の吉本隆明氏が亡くなりました。
3月30日付け赤旗の「文化の話題」の欄で文芸評論家の三浦健治氏が「大手紙賛美の吉本隆明の実像」という題で評論を書いています。
三浦氏は、「死者への儀礼もあるのだろうが、大手各紙がくりかえす「戦後思想の巨人」「大衆に寄り添う」などという吉本賛美は、読者にその実像を見誤らせるといわざるをえない。」と書きます。
(「週刊ポスト」(4月6日号)も「追悼/さらば、吉本隆明/あなたは我々の英雄だった」という記事を書いています。)
三浦氏によると、吉本氏は、「60年安保闘争期の暴力集団・ブントと結びつき、70年前後の「全共闘」学生などの教祖的存在となった。」、「ところが、吉本は80年前後から資本主義肯定派に移行する。」のだそうです。
吉本氏は、「81年に作家の中野孝次氏らが500人の文学者の反核署名を集め、2千万人の署名運動に発展したときも、それを政治の言葉を倫理の言葉に代えた「ソフト・スターリン主義」だと攻撃。86年のチェルノブイリ原発事故以後に広がった反原発運動も、反核が反原発、エコロジーに収れんするのはぞっとするほど愚かだと攻撃した。」そうです。Wikipediaによると吉岡氏は、「ぞおっとするほど蒙昧だ」と書いたようです。
「吉本のとてつもない資本主義信奉は、保守政治家を持ち上げる発言ーーー中曽根康弘は高度経済成長で日本を豊かにしたとか、小沢一郎の「日本改造計画」は穏当だなどーーーにもあらわれている。」と言います。
吉本氏は、「当人が本気で深く思い込んでいるかどうかが正当性の基準」と考えているようで、「95年、オウム真理教の地下鉄サリン事件を絶賛し、獄中の教祖・麻原彰晃について最後まで自分は正しいといい続けなければ本物になれないと語った」そうです。
吉本氏は、「週刊新潮」(2012年1月5日・12日合併号)で「放射能汚染で人びとがどんなに苦しもうと、核兵器や原発に反対するのは「乱暴な素人の論理」で、猿から別れて文明を築いてきた人間の今日までの営みを否定することだ、原発などは「どんなに危なくて退廃的であっても否定することはできない」と反核・反原発を攻撃した。」そうです。
娘の吉本ばなな氏は、ツイッターで父は最近認知症ぎみだとか、事故について家族で話したときは父は廃炉を目指すべきだと言っていた、といった言い訳をしていますが、吉本氏の反核・反原発への攻撃の姿勢は昔からですから、認知症のせいで核発電を続けろと言っているわけではないでしょう。
2011年6月5日付けの日経新聞には吉本氏の「原発をやめる、という選択は考えられない。・・・(原発は)燃料としては桁違いにコストが安いが、・・・お金をかけて完璧な防御装置を作る以外に方法はない」という発言が掲載されているそうです。突っ込みどころ満載のようです(ラインケ狐の日記の日経新聞に吉本隆明の珍談話 なんすか、こりゃ?参照)。
こういちの人間学ブログでも書かれているように、核発電のコストは他の発電方法よりも「桁違いにコストが安い」わけではないということは皆様ご存知のとおりであり、吉本氏は事実に基づいて判断していないのですから、結論も間違っている可能性大です。
また、どこの国でも「完璧な防御装置」ができるはずもありません。日本は地震大国なのですから、なおさらできません。
ちなみにWikipediaによると、吉本氏は、忌野清志郎が反原発ソングを歌い、レコードが発売中止になった事件について、「清志郎を反原発などというハレンチをロックにして歌ったりしない、しなやかで鋭い最後のアーティストと思っていた」が「買い被りかな?」と言っていたそうです。反原発はハレンチなんだそうです。
だれがどう考えようと自由ですが、人類を幸せにするとは私には思えない考え方の持ち主を「知の巨人」、「思想の巨人」と持ち上げるマスコミの論調に怖さを感じます。
●浜岡原発の停止でマダイの養殖が危機に
核発電所では、発生した熱エネルギーの3割しか電気に換えることができず、7割は海に捨てており、直接地球を暖めているだけでなく、海水中のCO2が気化して、空気中のCO2濃度も上げていることを当サイトで指摘してきました。
3月29日付け朝日の投書欄に「原発温排水/温暖化に永享は?」と題する当初が載っていました。
「中部電極浜岡原発(静岡県御前崎市)の全炉停止で温排水が供給されず、高級魚クエやマダイの養殖が危機的状況にあるとして静岡県が対策に乗り出している」そうです。21日付け朝日静岡版のクエ養殖危機救え/浜岡原発の温排水止まり静岡県対策参照(リンク切れ間近と思われます。)。
投書者は次のように書きます。
原発の効用の一つに地球温暖化防止が挙げられてきた。CO2も出さないという。しかし原発の温排水は少なくともクエが養殖できるほど海水温を上昇させている。温排水による直接の温度上昇だけでなく、海水中に含まれるCO2 は温められることで気化するはずだ。これらは地球温暖化に無視できる程度の影響しか与えないのだろうか。
朝日の記事によると、温排水が途絶えると、「海水温が下がる冬や春、マダイやヒラメの産卵停止や、稚魚の成育の遅れ」が懸念されるそうです。
核発電所が生態系を変えるほど海水を温めていたということです。
核発電が地球温暖化防止に貢献するという話はやはりウソだと思います。
●下野の投書欄はがれき受け入れよの大合唱
3月29日付け下野を読んでいたら、5面の読者登壇にがれきの受け入れに関する意見が載っていました。
「がれきの処理は助け合ってこそ」、「がれき受け入れ/国は指導力示せ」、「がれき処理協力/隣の本県が声を」の3本です。
いずれも、がれきの広域処理に協力すべきだという意見です。
そしていずれも、がれきの処理が進まないことと広域処理との関係についての考察は欠けています。
那須塩原市の高校生は、「東京都に次いで、静岡県島田市ががれきの受け入れを表明したことを本紙で知りました。」と書きます。
彼女は、東京都の受け入れ会社の元請会社が東京電力の子会社であること、島田市長が廃棄物処理会社の元社長であり、現在は息子がその会社の社長であり、市長就任後は、市の廃棄プラスチック処理業務を不正に親族会社に受注させるという事件を起こしていることを知らないのだと思います。下野新聞では報じられていませんから。
ざまあみやがれいというサイトの島田市長・桜井勝郎が市民を「利己主義者」呼ばわり疑惑/調べたことを共有します。というページによると、がれき受け入れに反対する人(島田市民ではないような感じです。)に対して「貴方みたいな勘違いしている利己主義者は、静岡に来てもらわなくて結構です、静岡の産物も買わなくて結構です、旅行も来なくて結構、他に行くときも静岡県を通らないで下さいおねがいします、こちらから丁重にお断りします、」とメールで返信したようです。
上記サイトには、桜井市長が受け入れ反対派を「利己主義者」と呼ぶことは、反対派が不利益や犠牲を受け入れないという主張であり、受け入れても不利益や危険性はないという桜井市長の説明と矛盾するという重要な指摘があります。
桜井市長は、「島田(市)は実験台」と公言している(2月14日付け産経ニュース)ようです。市民は、実験台にされてはたまりません。
桜井市長は、「(2012年1月)18日の(静岡)県市長会、町村会の合同会議で、被災地のがれき受け入れ方針に反対する人たちについて「2割前後の人たちは思想的にどうしようもない。私は「左翼的ヤクザ」と言っている」と述べた」(1月19日付け静岡新聞)そうです。
私にはどっちがヤクザなのかより分かりません。
広域処理に道理があるならば、反対する人たちに対してどうして「利己主義者」や「ヤクザ」というレッテルを張り、罵倒しなければならないのでしょうか。公職者は、自説の道理を説くべきだと思います。
投書者たちは、がれきの広域処理が進めば復興が進むことを前提としているように思います。
世の中にはこの手の話が多すぎます。
「水が必要だからダムが必要だ」、「暫定水利権を解消するにはダムを建設するしかない」、「電気を使いたいなら核発電を容認するしかない」、「利根川の水害を減らしたいなら八ツ場ダムを建設すべきだ」、「ダム計画で破壊した地元の生活を再建するにはダムを完成するしかない」、「地球が温暖化したから二酸化炭素の排出量を減らすしかない」、「二酸化炭素の排出量を減らして発電するなら核発電に頼るしかない」、「法人税率を上げたら企業が海外に出て行ってしまう」などなど。
世の中に情報はあふれているのに、支配されている人たちに政府の言い分を疑う人は少ないと思います。
逆に支配している人たちは、支配されている人たちの言い分を疑ってばかりいて対策を講じません。
水俣病事件では、病気の原因が水俣湾の魚介類であることが明らかであっても、証明されていないと言い張り、対策を怠り、水俣での被害を拡大し、新潟水俣病事件につながっていきます。
諫早湾の問題でも、湾を閉め切った後で漁獲量が激減したのですから、漁獲量を上げるには水門を開ければいいと思いますが、政府は干拓と漁獲量激減の因果関係が証明されていないと主張し開門しません。
ネオニコチノイド系農薬がミツバチやマルハナバチが減少している原因になっていることが最近の研究で分かっている(2012年4月1日付け下野記事「農薬がハチ狂わせる」)のですから、政府はネオニコチノイド系農薬の製造を即刻禁止すべきだと思いますが、ミツバチの減少と農薬の使用との因果関係が証明されたとは言えないとか農薬メーカーの営業の自由を守る必要があるなどの理由で、日本政府は当分禁止はしないでしょう。そもそもネオニコチノイド系農薬の製造・販売を開始する前にハチ類に致命的な損害を与えることは比較的簡単な実験により予見できたと思います。
要するに、支配する人たちは、自分たちの主張は証明しません(正確には御用学者とエセ科学を駆使した「証明」はします。)が、支配される人たちの主張には徹底して証明を求めます。そのようにして自分たちの利権を守ってきたのです。
市民は、政府の言い分に疑いを持った方がいいのではないでしょうか。
●環境省の広告が掲載されていた
新聞を読み進めると、21 面に「みんなの力でがれき処理」の政府広報が載っていました。
地方紙では数百万円の収入になります。
そういうことだったのか、と納得してしまいました。
その後も、下野の投書欄には、がれきに関する投書が掲載され続けています。
今後下野が広域処理についてどのような論調を示すのかに注目したいと思います。
政府広報とは、ある事実や政府の方針を広く国民に知らせるためというのが表向きの目的ですが、巨額の広告費を新聞社に支払い、新聞社を黙らせる、新聞社に批判させないことが大きな目的と思われるからです。
がれきの広域処理の広報業務に24億円も使うなら、さっさと地元に焼却施設を増設したらいいと思います。
政府は、復興資金を地元に集中して落としたくないのかもしれません。
●全力で処理を進めているのか
広告には、「被災地である岩手県・宮城県でも全力で処理を進めています」と書かれています。
「環境省によると、(2012年)2月21日時点で最終処分されたのは全体のわずか5%」(時事ドットコム)です。
河野太郎・衆議院議員は、「なぜ、がれきを県外に搬出するかわりに、被災地に、がれきの焼却場を建設しないのですか?」という想定質問に対して「焼却炉を被災地に建てます、建ててます!」(3月9日付けのブログ 震災がれき Q&A その2)と答えています。宮城県内に24基増設するとのことです。
「建てた」という話しかと思ったら、これから建てるという話です。
広告には、「岩手県・宮城県でも、あわせて27基の仮設焼却炉の整備を行っている」と書かれています。
広告には、仙台市の仮設焼却炉の写真が載っており、稼働を開始したとありますから、ようやく1基程度の増設が終わっただけということでしょう。
河野氏が書くように、宮城県内で24基増設するなら、岩手県では27−24=3基しか増設されないということでしょうか。
阪神・淡路大震災のときは、3か月後には焼却炉の増設が始まり、兵庫県内に34基の焼却炉が増設されたことと比べると今回の対応は遅いと思います。「全力で進めています」が正しいとは思えません。
広告に書いてあることの真実性には疑問があり、がれきの広域処理が進めば復興が進むという政府の説明には納得しかねる部分が残ります。