八潮市の道路陥没事故が国家賠償法を度外視して国会で議論されている

2025-03-15

●古川俊治議員が八潮市での道路陥没事故について質問した

2025年3月5日の参議院予算員会で自民党の古川俊治議員が埼玉県八潮市での道路陥没事故(1月28日発生)について質問しました。古川議員の質問は、4:54:40あたりから。

古川議員は、次のように言います。

騒音、悪臭のために付近の住民の皆さんが生活ができないですとか、商店の売上げが減る、こういった被害が、問題が起こっているわけですね。しかしながら、仮に民事法の一般則から言えば、県には予測可能性が全くありませんから、やるべきことはやってましたから、なかなか法的責任がないという結論にもなる可能性がございます。


●なぜ「民事法の一般則」を持ち出すのか

古川議員は、道路陥没事故について、なぜ「民事法の一般則」を持ち出して議論するのでしょうか。

「民事法の一般則」とは、具体的にはどういう原則を指すのかは不明ですが、おそらくは民法第709条を指すのだと思います。

なぜなら、古川議員は、「県には予測可能性が全くありませんから」とか「(県は)やるべきことはやってましたから」とか言っているからです。

つまり、この事故が訴訟になった場合、注意義務違反すなわち過失責任主義で裁かれるべきだと言っているのだと思います。

「過失」とは、注意義務に違反することであり、少し詳しく言うと、結果を予見して回避する義務に違反することという意味です。

民法第709条には、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」と書かれており、不法行為に基づく損害賠償責任に故意又は過失を要件としています。

しかし、上記事故では、道路も下水管も埼玉県が所有し、管理しているものであり、国家賠償法第2条に規定する公の営造物であることに異論はないと思います。

そうであれば、同条を適用するのが一般的な考えだと思います。

特別法は一般法を破るという法原則から考えても、国家賠償法の要件を満たすかという議論をするのが筋でしょう。

例えば鬼怒川大水害訴訟でも、国家賠償法第2条について議論しているのであり、準備書面に民法第709条の出る幕はありません。

国家賠償法第2条第1項には、「道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる。」と書かれています。

営造物責任では、「設置又は管理に瑕疵」があったことが要件であり、過失は要件とされていません。

「瑕疵」とは、「営造物が通常有すべき性状や設備を備えていないこと、すなわち、物自体の安全性が客観的に欠如していて他人に危害を及ぼす危険性がある状態」(大浜啓吉「行政裁判法」p459)と解する説(客観説)が通説であり、「判例も基本的には客観説を採用している」(同頁)とされます。

なので、予測可能性や予見可能性は問題になりません。

つまり、営造物責任は無過失責任とされています。

確かに判例には「予見可能性」という言葉が出てくるものがあるようですが、「通常有すべき安全性を確定する要素として管理可能性=予見可能性を問題にしているに過ぎない。」(大浜啓吉「行政裁判法」p464)と解するべきです。

実は私も大浜教授の上記文章を一読しただけでは理解できなかったのですが、今は理解できます。

要するに、「予見可能性」が「管理可能性」の意味で使われているということであり、そう読み替えればいいということです。

国家賠償法第2条は無過失責任主義であると解されているとはいえ、結果責任主義ではないので、管理者に落ち度がなく、どんなに努力しても損害の発生という結果が絶対に不可避であった場合には、責任はありません。

事故が管理権の範囲外で起きたのなら、賠償責任はありません。

例えば、通常では考えられないような大きな自然力が働いたことが原因で事故が起きたのなら不可抗力が成り立つでしょうが、「通常の点検で予見できなかったから責任はない」という言い訳を許すのが国家賠償法第2条の趣旨ではないと思います。

自然公物である河川は過渡的安全性を備えていれば足りる、というのが判例ですが、下水管も道路も、人工公物ですから、通常有すべき安全性を備えていることが求められます。

10mもの深さで埋設した下水管だから、点検が十分にできなかったことは仕方がないことであり、被害者は受忍すべきである、と裁判所が判断してくれるとは思えません。

八潮市道路陥没事故は不法行為における無過失責任主義が典型的に妥当する場合であると思われ、もしこの事故に無過失責任主義が適用されないとすれば、国家賠償法第2条を創設した意味がないと思います。

ちなみに、古川議員は言及していませんでしたが、トラックごと穴に落ちた運転手の側も埼玉県を相手に提訴しても勝てる見込みは薄いと言いたいのだと思います。

●民法で裁くとしても第717条(土地工作物責任)の問題だ

また、国家賠償法を度外視して本件への適用条文を検討するとしても、本件に適用すべき民法の規定は、第717条(土地工作物責任)であり、これも無過失責任と解されています。

要するに、本件を過失責任主義の規定で裁くという発想にはならないのが普通でしょう。

そんなわけで、埼玉県には予測可能性がなかったので責任が否定される可能性があるという古川議員の発言は問題の本質を外れていると思います。

確かに、訴訟はやってみなければ分からないので、県の責任が否定される可能性はありますが、過失の有無が判断基準になるとは思えません。

ちなみに、瑕疵概念の解釈に関する少数説として義務違反説(損害回避義務違反説・安全確保義務違反説)もあります。

例えば、義務違反説のうちの損害回避義務違反説では、「瑕疵」とは「管理者の主観的事情とは一切関係なく、営造物の危険性の程度と被侵害利益の重大性との相関関係のもとで決定される客観的注意義務」の違反と解されているようです。

すなわち、義務違反説は、過失責任主義ではないということです。

義務違反説は、国家賠償法第2条の存在意義を否定して、公の営造物にも民法第709条を適用すれば足りるとする説ではないということです。

なので、事故の発生を予測できたのかという管理者の主観を要件とする説はほぼないと思います。

●そもそも点検をしていたのか

古川議員の発言には不可解な点があります。

2025年3月5日 参議院 予算委員会の4:54:00あたりで次のように言います。

https://www.youtube.com/watch?v=1uZD5PkmlqI&t=17716s

5年ごとの定期点検の2巡目を2021年に終わりまして、目視で行いまして、直ちに修繕が必要な状況ではないというふうに判定をされております。
この下水道管は、1983年に新設されたものであって、耐用年数の50年に達していないものでありました。埼玉県としては、一応やることはやってきた。

1983年に新設ということは、今年で42年目ということです。

2021年で5年ごとの定期点検を2巡目とはどういう意味でしょうか。

2016年の点検が最初の点検ということでしょうか。

それまでは点検していなかったということでしょうか。

「目視で行いまして」と言いますが、深さ約10mで埋設されたコンクリート管をどうやって目視したのでしょうか。

「1983年に新設されてものであって、耐用年数の50年に達していないものでありました。」という発言は、下水管の耐用年数の50年まであと8年あるから大丈夫だと埼玉県が考えたのは仕方がない、という意味なのでしょうか。

2025年3月10日の参議院予算委員会で日本共産党の伊藤岳議員も八潮市道路陥没事故について質問しています。

関連資料は下記のとおりです。

【共同通信アーカイブ】通常国会 参院予算委員会(2025年3月10日)7:40:10あたり

インフラ維持へ根本転換を 道路陥没からみ伊藤議員追及


赤旗記事「大軍拡やめ国の責任で老朽下水道の対策急げ」

伊藤議員によれば、下水道法施行規則は「腐食するおそれが大きいもの」を点検の対象箇所とし、点検箇所を「下水の流路の高低差が著しい箇所」と「伏越(ふせこし)室の壁その他」の二つに限定し、下水道法施行令は点検を「5年に1回以上の適切な頻度で行う」としています。

「伊藤氏は事故現場の下水道管路は、いずれの対象にも該当せず、県の法定点検の対象外だと指摘。」(伊藤議員のサイトの「国政報告」から)しました。

そうだとすると、事故現場の下水道管路については2021年に2巡目の点検を目視で行ったという古川議員の発言と矛盾すると思います。

事故現場の下水道管路を埼玉県が点検してこなかった場合、埼玉県としては、国が政令と省令で定めた点検の準則に従って点検すべき箇所は点検してきたから落ち度はなかったと言うと思いますが、そんな言い訳が通用するのかは疑問です。

国が間抜けな点検準則を定めれば、それを守った施設管理者は責任を免れることできるという話は理不尽です。

また、「中野洋昌国土交通相は下水道管路敷設後約40年が経過すると道路陥没件数が急増すると2007年から把握していたと答弁。」しました。

この事実は、下水道業界では共有されていたと思います。

埼玉県が知らなかったとは考えられません。

本当に知らなかったとすれば不勉強であり、そのこと自体が落ち度だと思います。

また、八潮市の県道では、重い車両が頻繁に通ることも下水道関係の職員には知られていたようです。元県職員がYouTubeで発信していました。

そうであれば、点検作業を充実させなければ道路陥没事故が起きることは予見できたのであり、管理可能だったという意味で埼玉県には瑕疵があったという判断を裁判所がする可能性はあると思いますし、そう判断しなければ、無過失責任主義は意味をなさなくなります。

●古川議員の経歴は輝かしいものだった

古川議員の経歴や学歴を調べると、医師で弁護士です。

弁護士については、現在もTMI総合法律事務所に勤務しているようであり、その上、法学と医学を方々の大学で教えているようです。根拠は、下記サイトです。
https://www.tmi.gr.jp/people/t-furukawa.html

ちなみに、衆議院では、米山隆一議員(立憲民主党)が医師と弁護士の有資格者で、似たような立場です。

古川議員も米山議員もガチガチのコロナワクチン推進派です。

偶然の一致でしょうか。

●古川議員の言いたかったこととは

古川議員は、3月5日の質問で何が言いたかったのでしょうか。

私が想像するに、一つは、事故現場付近の住民が騒音と悪臭を理由に埼玉県に対して損害賠償請求訴訟を提起しても勝つのは難しいことを付近住民に伝えることでしょうか。

もう一つは、埼玉県としては、賠償責任はないが気の毒なので補償をする方針だと聞いているので、政府は慈悲深くも補償費用を含めた財政支援するよう要望するということでしょうか。

ちなみに、政府は、補償費用を考慮した財政支援については、否定的な答弁をしていたと思います。(埼玉県に賠償責任があると考えれば、「補償費用」ではなく「賠償費用」です。)

それにしても、付近住民が提訴しても勝つのは難しいぞ、なぜ言う必要があったのかは不明です。

●議員の見方が対照的

今回、偶然にも古川議員と伊藤議員の質問を聞き比べることになったわけですが、与党議員と野党議員の違いがあるとはいえ、両者の見方は対照的です。

古川議員は、下水管の法定耐用年数は50年とされているのに本件事故は設置後42年目に起きたこと、事故は予測可能性がなかったこと及び法定定期点検は目視できちんと行われていたことから事故の発生は避けられなかったと言います。

なお、石破茂内閣総理大臣も羽田次郎参議院議員(立憲民主党)に対して、下水管の法定耐用年数が50年であることを強調していたと思います。

これに対して、伊藤議員は、政府がきちんと対応していれば本件事故は防げたのではないかと言います。法的責任を問う趣旨であったかは疑問ですが。

「中野洋昌国土交通相は下水道管路敷設後約40年が経過すると道路陥没件数が急増すると2007年から把握していたと答弁。」したのですから、実際の耐用年数は40年未満であることを政府としては18年前から知っていたということです。

そうであれば、政府は、法定耐用年数を変更すべきであり、少なくとも下水道事業者に対して、40年を超えた下水道管路が危険であることについて警鐘を鳴らすべきだったでしょう。

そして、法定定期点検をしていたという話についても、伊藤議員は、そもそも事故現場は点検の対象箇所ではなかったと言います。とすると、点検は行われていなかったということになります。

どちらの議員の言っていることが正しいと見るべきでしょうか。

古川議員の視点は、管理する側、支配する側に立っているように思います。

(文責:事務局)
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