「立憲主義」とは昔からある学説である

2015年6月12日

●礒崎氏の発言

2012年の話題ですが、最近になって「(追加あり)立憲主義を知らない自民党「憲法起草」委、事務局長、「礒崎陽輔」議員に関する法律関係者のコメント」というページに行き当たりました。

下記は、2012年5月28日から29日にかけての礒崎陽輔氏(自由民主党所属の参議院議員(2期)、国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官(第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)で自民党憲法改正推進本部 起草委員会事務局長)のツイートを拾ったものです。

参議院のホームページによると、彼の著書には、「分かりやすい公用文の書き方」「分かりやすい法律・条例の書き方」「国民保護法の読み方」「対訳日本の地方自治」などがあります。

また、「武力攻撃事態対処法の読み方」も書いています。

礒崎氏は、法律や条例の書き方についての指南書を著していますし、自民党の中では「憲法博士」と呼ばれるほど法律に詳しい政治家であるとされているようです(根拠は、下記「祭りの後の祭り」というサイト)。

時々、憲法改正草案に対して、「立憲主義」を理解していないという意味不明の批判を頂きます。この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代の憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか。

この発言は、「自民党憲法改正草案 起草者名言集」にも掲載されています。

確かに、「憲法は、国家権力の抑制を定め、国民の人権を守るものだ。」とよく言われます。立憲主義とは、このことでしょうか。それは否定しませんが、それは憲法の重要な側面を規定した言い方であり、憲法を問われれば、「国家の基本法」というのが正解でしょう。
「立憲主義」、Wickpedia(ママ)では、樋口陽一先生の著書が引用されています。私は、芦部信喜先生に憲法を習いましたが、そんな言葉は聞いたことがありません。いつからの学説でしょうか?
我々が憲法の教科書に使ったのは、有斐閣の法律学全集で、清宮四郎先生と宮澤俊義先生のもの。ありませんね。佐藤功先生の「日本国憲法概説」を見ていますが、「立憲主義」は、ないようです。法制局に聞くと、京都大学の佐藤幸治先生が広めたのではないかと。それならば、80年代後半以降でしょう。
皆さん、ありがとうございます。もちろん、「立憲主義」を知らないのは、私の不徳の致すところですが、間違いなく大学の講義では聴かなかったので、いつから人口に膾炙し始めたのかお聞きしているのです。その前は、「法の支配」という言葉が一般的でした。意味は、分かっています。
今頂いた報告では、一般の教科書では、佐藤幸治先生の「憲法」(1981)が一番早いようです。樋口陽一先生の「憲法1」(1998)には、「人権宣言200周年にあたった1989年前後に、憲法論のキーワードとしての地位を占めるようになった。」と書かれています。
したがって、大学卒業後の勉強が足らなかったことはお叱りを受けて当然ですが、1970年代の大学の講義では余り「立憲主義」という言葉は使われなかったはずです。その趣旨は、「法の支配」ということで学んでいました。もう少し、調べてみます。


●立憲主義を否定しないというウソ

再掲しますと、礒崎氏は、「我々が憲法の教科書に使ったのは、有斐閣の法律学全集で、清宮四郎先生と宮澤俊義先生のもの。ありませんね。佐藤功先生の「日本国憲法概説」を見ていますが、「立憲主義」は、ないようです。法制局に聞くと、京都大学の佐藤幸治先生が広めたのではないかと。それならば、80年代後半以降でしょう。」と言います。

しかし、有斐閣の法律学全集の「憲法1[新版] 清宮四郎」には、「立憲主義」という言葉は、たくさん出てきます。

ざっと見ただけでも、p7〜9にかけて7箇所も出てきます。

P8には、次のように書かれています。

近代立憲主義は、国民の自由のために、君主の専制権力に制約を加え、国民参政、基本権の保障、権力分立、法の支配などの原則を実現する国家体制を要請する。

また、礒崎氏もよく引き合いに出すWikipediaの「憲法」には、「近代的な立憲主義においては、憲法の本質は基本的人権の保障にあり、国家権力の行使を拘束・制限し、権利・自由の保障を図るためのものであるとされる。」と書かれています。

ところが礒崎氏は、「確かに、「憲法は、国家権力の抑制を定め、国民の人権を守るものだ。」とよく言われます。立憲主義とは、このことでしょうか。それは否定しませんが、それは憲法の重要な側面を規定した言い方であり、憲法を問われれば、「国家の基本法」というのが正解でしょう。」と言います。

つまり、憲法を単なる「国家の基本法」としかとらえていないのです。だから、立憲主義を理解していないと批判されるのは当然ですが、礒崎氏は、「時々、憲法改正草案に対して、「立憲主義」を理解していないという意味不明の批判を頂きます。」と言い、その批判が意味不明だと言います。批判が意味不明に思える理由は簡単で、礒崎氏が立憲主義を否定しているからです。

礒崎氏は、「「確かに、「憲法は、国家権力の抑制を定め、国民の人権を守るものだ。」とよく言われます。立憲主義とは、このことでしょうか。それは否定しません」と言いながら、「憲法を問われれば、「国家の基本法」というのが正解でしょう。」と言っているのですから、結局、立憲主義を否定し、無視しています。

礒崎氏は、斎藤貴男氏のインタビューで、「立憲主義なんて難しい熟語だけ出してけしからんと言われても、それは違うんじゃないの。」と言っています。根拠は、「祭りの後の祭り」というサイトの「嗚呼、自民党の「憲法博士」」という記事です。要するに礒崎氏は、立憲主義を否定しています。

なので、礒崎氏の「(立憲主義を)否定しません」という発言は、ウソです。

●「立憲主義」が教科書になかったというウソ

礒崎氏は、「この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代の憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか。」と問います。

昔からある学説です。上記のとおり、礒崎氏が使った有斐閣の法律学全集に書かれています。

したがって、「我々が憲法の教科書に使ったのは、有斐閣の法律学全集で、清宮四郎先生と宮澤俊義先生のもの。(それらの著書に「立憲主義」の語は)ありませんね。」は、ウソです。

●立憲主義が教科書に載ったのは1981年が一番早いというウソ

上記のとおり、1974年に発行された清宮氏の教科書に「立憲主義」が確認できるのですから、「一般の教科書では、佐藤幸治先生の「憲法」(1981)が一番早いようです。」「大学卒業後の勉強が足らなかったことはお叱りを受けて当然ですが、1970年代の大学の講義では余り「立憲主義」という言葉は使われなかったはずです。」もウソです。

ちなみに、1973年発行の有斐閣の「法律学小辞典」にも「立憲主義」の解説が載っています。ということは、それ以前に憲法学者がかなりの頻度で使っていたということです。

●立憲主義の意味は分かっているというウソ

礒崎氏は、「「立憲主義」を知らないのは、私の不徳の致すところですが、間違いなく大学の講義では聴かなかったので、いつから人口に膾炙し始めたのかお聞きしているのです。その前は、「法の支配」という言葉が一般的でした。意味は、分かっています。」と言います。

私が見ている上記清宮氏の著書は、1974年2月10日に新版初版第6刷として発行されたものです。おそらく、1957年の初版第1刷にも「立憲主義」という言葉は載っていたはずです。

礒崎氏は、1957年生まれで、大学卒業が1982年(24歳)ですから、1978年ころには、上記著書を教科書として読んでいたと思われます。

したがって、「間違いなく大学の講義では聴かなかった」もウソの可能性があります。ウソでないとすれば、講義で寝ていたか、講義に出席していなかった可能性があります。講義に出なかったとしても、教科書を読めば立憲主義を学習できたはずです。「講義では聴かなかった」という話を持ち出すのは、問題のすり替えです。

「(立憲主義の)意味は、分かっています。」もウソです。礒崎氏は、「立憲主義」の意味を分かっていません。なぜなら、礒崎氏は、「その前は、「法の支配」という言葉が一般的でした。」と言い、「立憲主義」を「法の支配」と同義ととらえているからです。

上記のとおり、清宮氏は、「近代立憲主義は、国民の自由のために、君主の専制権力に制約を加え、国民参政、基本権の保障、権力分立、法の支配などの原則を実現する国家体制を要請する。」と書いています。

つまり清宮氏は、「立憲主義」と「法の支配」を同義と説明していません。

したがって清宮氏の説を前提とする限り、礒崎氏の「(立憲主義の)意味は、分かっています。」という発言はウソです。

以上を要するに、礒崎氏の「東大法学部で使われていた憲法の教科書に立憲主義の文字はなかった」とか「自分は立憲主義を理解している」という趣旨の発言は、ウソです。

とにかく、政権の中枢にいる政治家が憲法の本質が権力を縛ることにあることを認めようとしないのは、恐ろしいことです。

選挙民は責任を自覚すべきだと思います。

(文責:事務局)
文中意見にわたる部分は、著者の個人的な意見であり、当協議会の意見ではありません。
フロントページへ>その他の話題へ>このページのTopへ