日本共産党は最初から核発電に反対ではなかった

2013年1月13日

● 公明党は公約を守れ

2012年12月29日付け産経新聞によると、太田昭宏・国土交通大臣は、産経新聞のインタビューに次のように答えています。

−−八ツ場(やんば)ダムは今年度中に工事を再開するのか

「前田(武志元)大臣が1年前に工事の継続をおっしゃっており、それを受けて早期完成を目指したい。住民に安心していただくためにも、急ぎ視察したい。

群馬県だけでなく、利根川の治水、利水という観点からも、工事を進める意思を国民に明確にすることが行政を預かるものとして大切と考える」

公明党は公約違反ではないでしょうか。

八ツ場あしたの会のホームページによると、公明党は、2010年の参議院選挙の前のアンケートに次のように回答していました。立候補予定者アンケート結果も参照してください。

八ッ場ダム計画は「問題がある」、「事業についての情報公開が十分なされてこなかった」、「八ツ場ダムが真に必要なダムか、前提なく検証すべき」とし、「治水対策として八ッ場ダムぬきの利根川河川整備計画を策定する」、「科学的検証、経済的検証を行った上で、民主主義の手続きによった地元住民や自治体の合意を確立し、判断すべきと考えます」

公明党は、非常にまともな回答をしたと思います。「八ッ場ダムぬきの利根川河川整備計画を策定する」とまで言っていたのです。 これは、八ツ場ダム建設に反対することを意味します。

八ツ場あしたの会では、2012年12月の総選挙のときにも八ツ場ダムに関する政党アンケートを実施しましたが、公明党は、時間がないことを理由に回答しませんでした。

したがって、八ツ場ダムに関する公明党の見解は、2010年6月のアンケート結果で示されていることになります。

その結果示された「八ツ場ダムが真に必要なダムか、前提なく検証すべき」という見解が、「工事を進める意思を国民に明確にすることが行政を預かるものとして大切と考える」とどう結び付くのか私には理解できません。

公明党は与党になっても公約を守り、少なくとも「前提なく検証すべき」です。

●柳田邦男氏は核発電事故を地域の問題に矮小化している

2012年12月19日付け下野新聞の「現論」欄に鹿沼市出身の知識人として知られる柳田邦男氏の意見が掲載されています。

柳田氏は、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(通称「政府事故調査委員会」)の委員長代理を務めた人です。

彼は、次のように言います。

原発推進にしろ原発漸減・脱原発にしろ、選択の条件として第一に確認すべきことは、住民のいのちと地域の安全をしっかり守る対策が確立されているかどうかという点だ。東京電力福島第1原発の事故が示した現実は、このような意味での人々のいのちと財産をめちゃめちゃに破壊したということだった。
繰り返して言おう。原発は社会システムであり、その安全性を確認するには、地域の住民による下からの目線で、安全対策は万全かどうかを逆照射することが不可欠だ。そして、政府が仮にも原発をエネルギー政策の必要から再稼働させるなり推進しようとするなら、地域や住民の安全対策に関して不完全な点や整備に何年もかかる点については、その具体的なリスク情報をすべて開示するとともに、予想される大混乱についても明示し、それでも住民が稼働や推進に「イエス」と言うのかどうかを調査すべきであろう。

政府が大飯発電所を再稼働させたことについて柳田氏が住民の安全対策をないがしろにするものであり、「旧来の行政のスタイルと本質的に変わりないものだった。」と批判していることについては、私は高く評価します。

柳田氏が「住民」をどう定義するのか、どういう手続を経れば住民が納得したことにするのか分かりませんが、要するに安全対策について地域の住民が納得するなら再稼働もありだというわけです。要するに人類は核と共存できると考えているわけです。

核発電所の事故の被害者は、狭い地域の住民に限られません。世界中を汚染してしまいます。

これまで地域の住民が「イエス」と言ったために、日本に54基の核発電所ができたのでしょう。造る側からすれば、住民に「イエス」と言わせてしまえば建設できるということです。

地域の住民が「イエス」と言えば稼働してもいいというものではないでしょう。

福島県では、知事から自治会長まで、東京電力の「絶対安全です」という言葉にいとも簡単にだまされてしまったということではないでしょうか。もちろんだまされなかった住民もいたでしょうが、声なき声として黙殺され、道連れにされたということでしょう。

地域の住民とやらに地獄に道連れにされてはたまりません。

核発電所事故の被害は空間的にも時間的にも無制限に拡大することが明らかであるにもかかわらず、柳田氏は核発電所事故の問題を地理的に狭い範囲に限定してとらえているように思えるのですが、そうだとすれば、なぜ彼がそのようにとらえるのか理由が分かりません。

それから、「リスク情報をすべて開示する」と言いますが、情報を開示したら核発電所の建設などできないことは、歴史を振り返れば明らかです。

琉球大学名誉教授・矢ケ崎克馬氏は、「核戦争とは一般に、核兵器を製造し、実験し、配備を行うことなどを指します。もう一つ重要なのは、核兵器の巨大な破壊力を誇示する反面、核兵器の残虐な殺戮性を隠すこと、とりわけ、放射線の長期にわたる被害を隠すことです。」(「裁かれた内部被曝」花伝社p37)と書いています。

本当のことを世間に知られたら、核兵器も核発電所も使えなくなります。

情報隠しが核発電の本質であることに柳田氏は気づいていないのでしょうか。

情報が開示されれば稼働してもいいという議論は、前提が成り立ちません。

事故後1年10か月経つのに、家に帰れない人が15万人余もいるといいます。それだけを考えても再稼働はあり得ないでしょう。柳田氏は、被災者の生活を想像することがないのでしょうか。

核発電所の事故は、一度でもあってはならない事故です。

しかし過酷事故が30年間に3回も起きているのです。

おまけに核廃物の処分方法が決まっていないという無責任なエネルギー政策に賛成できるはずがありません。もちろん化石燃料が最善のエネルギーとは言えませんが、利用のあらゆる過程で遺伝子を破壊する核燃料よりはましです。

宇都宮市出身の知識人と言えば、落合恵子氏の名前が浮かびます。彼女は、当たり前のように核発電の即時廃絶を訴えています。

ところが、柳田氏は、事故の教訓をどう生かすかというテーマの記事の中で、核の廃絶とは一言も言わず、条件付きの再稼働を認める立場を示しています。

この差はどこから来るのでしょう。

柳田氏の意見は、人類は核と共存できると考えていること、及び核発電は地域の問題としてとらえていることから、3.11から何も学んでいないと言えると思います。

ただし、柳田氏が付ける再稼働の条件とは、リスク情報の完全開示ですから、政府と電力会社に無理難題を押し付けるものであり、その条件が成就されることは絶対にないのであり、深読みをすれば、再稼働を認めないという私の立場と同じ立場なのだと解釈することもできます。

そうだとすれば、あまりにも回りくどい話であり、なぜ柳田氏が回りくどい言い方をしなければならないのか理解できません。

柳田氏が再稼働に反対の立場なら、落合氏と一緒に反対していただくわけにはいかないのでしょうか。

● 日本共産党は最初から反核発電ではなかった

ここから本題です。

日本共産党委員長の志位 和夫氏は、2012年12月に私が見ていたテレビ番組で「我々は1970年代から原発に反対してきた」と言っていましたので、最初から反核発電の立場ではなかったようです。

また、土井淑平(どいよしひら)著『原子力マフィア』(発売・星雲社、2011年12月刊、p148以下)によっても、日本共産党は、最初から反核発電の立場ではなかったと言えると思います。

土井氏は、吉本隆明氏が「反原発」イコール「反科学」という図式を持っており、日本共産党の立場と軌を一にしていることを『反核・反原発・エコロジー』という本に書いたところ、同党の機関誌『赤旗』(1988年1月30日)が「伊方原発、危険な実験」と題する特集を掲載したそうです。以下、『原子力マフィア』から引用します。

この特集は「『反原発』の実像」「『反科学』で分裂策す、運動にもぐりこむ異質な顔」との見出し付きで、ごていねいにも松下竜一の『狼煙を見よ』(河出書房新社、1987年)と拙著『反核・反原発・エコロジー』を写真入りで取り上げ、「特異な『反核・反原発・エコロジー』論を推薦、爆弾テロを賛美する人物が住民運動に接近をはかっています」と松下竜一を中傷したうえ、拙著については「科学技術の進歩そのものを敵視する反科学主義の立場に立って『核兵器と原発は一卵性双生児であって・・・・・・「反核」と同時に「反原発」でもなければならない』と特異な理論を主張。・・・・・・」といった調子で批評を加えている。

また、赤旗は次のような論説も書いたようです。

(日本共産党は)「ニセ『左翼』集団主導の4.23反原発集会、核兵器廃絶を後景に」と題する『赤旗』(1988年4月22日)の論説で、この集会を呼びかけ中心的役割を果たした高木仁三郎をはじめ槌田敦、室田武といった反原発の学者を「反科学主義、科学技術悪論の立場に立って、原子力の平和利用の可能性まで否定する」と非難して大方の失笑を買った・・・・・・

土井氏の主張は、土井氏の下記サイトにも書かれていますので、ご参照ください。

上記の引用を読む限り、事情は複雑です。

赤旗が1988年1月30日に「伊方原発、危険な実験」と題する特集記事を載せたということは、赤旗が伊方原発の出力調整実験に反対していたことがうかがえます。ところが、『核兵器と原発は一卵性双生児であって・・・・・・「反核」と同時に「反原発」でもなければならない』という土井氏の持論を「特異な理論を主張」していると批判しているのですから、実験には反対していたが、核発電には賛成していたようにも見えます。

『核兵器と原発は一卵性双生児であって・・・・・・「反核」と同時に「反原発」でもなければならない』は、日本共産党の持論だと思っていましたが、誤解でしょうか。この主張がなぜ「特異な理論」なのでしょうか。

1988年4月22日の赤旗の論説は、高木仁三郎氏らを「反科学主義、科学技術悪論の立場に立って、原子力の平和利用の可能性まで否定する」と非難したというのですから、決定的です。

明らかに「原子力の平和利用」を肯定しています。普通、「原子力の平和利用」とは、核発電のことであり、医療のための利用を指さないでしょう。高木氏が核の医療への利用を否定していたとは思えません。

日本共産党は、ダムや核について一番まともなことを言っているのだから、昔のことをほじくり返して批判するのはよくないないとしかられそうですが、批判するつもりはありません。提案したいだけです。

日本共産党は、「ぶれない野党」ということで、正しいことだけを言い続けたのだという印象を与えようとしているように思いますが、昔は間違えていたが、誤りに気づいたので方針を変えたと正直に言った方が、同党への支持が広がると思うのです。

日本共産党は、いつからいつまで核の平和利用を支持したのか、それはなぜなのか、いつから反対に転向したのか、それはなぜなのか、を明らかにして、反省の手本を見せれば、核に関する問題点が明らかになるとともに多くの人の共感を呼び、同党への支持が広がると思います。

(文責:事務局)
文中意見にわたる部分は、著者の個人的な意見であり、当協議会の意見ではありません。
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