えん罪判決を論拠にする人がいるとは

2017-10-08

●日本航空123便墜落事件で遺体が炭化していた

ダム建設の理由にはウソが多いので、当サイトでは、ウソの探求もテーマとしています。

1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事件では、多くの遺体が炭化していたと言われています。

どういうことかというと、こちらの写真(おそらく週刊誌に掲載された写真。閲覧注意)のように、周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、なぜか遺体だけが骨の芯まで焼かれているという不思議な現象のことです。

●灯油で炭化することに疑問が出ている

その理由について、「ひとりごと、ぶつぶつ」というサイトの日航ジャンボ機123便墜落事件というページには、次のように書かれています。

第4に、なぜ遺体は黒こげだったのか、である。ジェット燃料はJET-A/40という灯油の部類でケロシンというが、マイナス50度の上空でも凍結しないように、灯油よりも純度が高く、水分が少ない。燃料は主翼内の区切られたタンクに入っているが、大気中に出たケロシンはガス化しやすく、煤(すす)も出にくい。にもかかわらず、主翼の燃料タンクから遠いところに投げ出された遺体が炭化している。遺体が集まっていた所で黒こげ状態が激しかったという。

当時、遺体の歯形で本人確認を行った大國勉氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)に、青山さんは何度もインタビューを試みている。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。二度焼きしたような状況だ」。周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、遺体だけが骨の芯まで焼かれているのはなぜか。群馬県の検視報告書において担当医が「二度焼き」という言葉を使ったことは、ただごとではない。詳細は本書に譲るが、遺体の惨状はジェット燃料の火力のせいだと思い込んでいた私は、この箇所を読んだとき鳥肌がたった。


●灯油で炭化した前例があるという人がいる

日本航空123便墜落事件で多くの遺体が炭化していたことについてYouTubeの20170908きまぐれとーく・・日航機墜落事故の陰謀論についてという動画で、出演者(以下「きまぐれとーくさん」という。)が次のように言っています。19:00辺りからです。

1回焼けて、それまたもう1回ガスバーナーかなんかそういう、ガソリンかタールか使っているような、ああいう兵器で焼いたん違うかっていうてね、なんかそんなの(見方)も(青山透子氏の本に)ありますけどね。灯油(とほぼ同じ成分のケロシン系ジェット燃料)ではそんな炭化まで行かへんのちゃうかっていう話やったんやけど、ちょっと私も疑問持ったんでね、いろいろ調べてみますとね、炭化したっていう記事があるんですわ、なんかね、恵庭やさかい、これ北海道ですかね、北海道の恵庭市のOL殺人事件ちゅうのが起こってて、これ2000年の3月17日(遺体の発見日)に起こってて、ネットで調べた資料なんですけど、それによると「遺体はタオルのようなもので目隠しされ、後ろ手に縛られており完全に炭化していた。死因は頸部圧迫による窒息死で、絞殺後灯油をかけられたものと見られた」。

灯油かけられて焼かれている。そやから、まあ灯油かけても炭化するときは炭化するのちゃうかなあ、という感じがね、ありますわ。恵庭のOL殺人事件は灯油で炭化したという記事が載ってます。ウソかホンマか分かりません、これもね。インターネットで調べたので、ウィキペディアで出てたんで。調べてたらね。

あんだけの衝撃でぶつかって、ほいで火災も起こってますやろ、そやから火災起こって、中の物もシートとか燃えやすいものは燃えているんで、そんなんでやっぱし炭化したんと違うんかな。それから燃料かかったりしてね。炭化することはあるんとちゃうかな。


●恵庭OL殺人事件はどう見てもえん罪

しかし、恵庭OL殺人事件は、どう見てもえん罪です。

遺体の状況について、「おおとり総合法律事務所 弁護士 矢澤昇治のブログの再審フォーラム  恵庭OL殺人事件「被害者の遺体状態が新証拠」」に、次のように書かれています。

被害者の遺体はタオルようの布で目隠しされ、全身が炭化し、背中も焼けて筋肉が露出し、内臓まで一部炭化していた。しかし、右前腕部・右手首・左前腕部の一部の表皮は燃焼・炭化せず、軽い火傷状態の健常皮膚が見られた。

姿勢は仰向けで両脚を開き、「くの字」に曲げられていた。右腕は背中の下で左腕は身体の上に出てボクサー型の状態だった。遺体発見当日の3月17日、北海道新聞の夕刊は「後ろ手に縛られた痕跡があった」と報道した。

Wikipediaによれば、2012年10月の再審請求では、新証拠として弁護側は豚を焼いた実験を元にした「灯油10リットルでは激しく炭化しない」とした弘前大学大学院教授・伊藤昭彦による鑑定結果を提出しましたが、札幌地裁は、「遺体が炭化するほど燃焼するのは不可能とは言えない」などとし、2014年4月21日に請求は棄却されたと書かれています。

「蟷螂の斧となろうとも」というサイトの#検察なう (487) 「恵庭OL殺人事件再検証(2)〜燃焼実験」 8/6/2015というページには、次のように書かれています。

弁護団は公判に提出する証拠として、豚の死体を使った燃焼実験を繰り返しましたが、確定判決では「豚と人間とでは皮膚の厚さや体毛が違うから、豚を使った実験は、被告人の無実を証明するものではない」と退けられました。裁判官の論理は、実施不能な人体実験による立証を要求するかのようです。

人体実験は事実上不可能ですから、弁護団は反証の道を断たれました。

しかし、本当に人体実験をやったとしても、今度は、「被害者と同じ体重、体脂肪率を持った死体を使った実験でないと証拠にならない」と裁判所は言うのでしょう。

●灯油では10分で鎮火する

月刊誌「北方ジャーナル」公式ブログの「恵庭OL殺人事件」で伊東弁護士らが豚を使った燃焼実験というページでは、燃焼工学の専門家チームの指導と立ち会いの下で行った実験の模様が次のように書かれています。

事件当時と同じ条件にするため燃焼場所にはシャーベット状の氷が敷き詰められ、その上に被害者が身につけていたとものと同様の服が着せられた豚が置かれた。ちなみに実験に供された豚の重さは53.9キログラムで、これも被害者と同程度になるよう調整されたもの。

まず犯人が使用したとされた灯油10リットルを上から豚に満遍なくかけたうえで着火。すぐに全体に火が回り2メートル以上の炎が上がる。そのまま激しく5分程度燃え続けたが、徐々に火の勢いが弱まっていく。着火してから10分後には、ほとんど鎮火した状態となった。

確定判決では、犯人は遺体に着火後直ちに焼却現場を立ち去ったことになっていますから、灯油の継ぎ足し給油はできません。

ところが、2000年3月16日pm11時42分ころにも炎が大きかったという目撃証言があるらしいのです(机の上の空 大沼安史の個人新聞というサイトのまかり通る「冤罪捜査」と「暗黒裁判」というページ)。

遺体を焼いたときの炎の目撃証言について、検察は当初「極めて信用性が高く」と言っていたのに、途中からは、「「炎の大きさやその移り変わりに関する供述については完全に信用することはできない」と評価を変えた。」(江川紹子氏による【再審請求・恵庭OL殺害事件】炎の新目撃証言で「完全なるアリバイが成立」と弁護団)というのですから、ご都合主義というものです。

●瀬木比呂志・元裁判官もえん罪と判断した

琥珀色の戯言というサイトの【読書感想】ニッポンの裁判というページを見ると、瀬木比呂志 『ニッポンの裁判』という本には、恵庭OL殺人事件について次のように書かれているようです。

全体として、この裁判の証拠評価は本当にほしいままで、呆然とせざるをえない。
「片手でどんぶりも持てない小柄で非力な女性が、被害者に怪しまれることなく車の運転席から後部座席にいつの間にか移動し、自分より体格、体力のまさった被害者を、後方から、ヘッドレスト等に妨げられることもなく、やすやすと、また、一切の痕跡を残さず絞殺し、自分より重い死体を間髪を容れずに抱えて車両外に下ろし、きわめて短時間のうちに、そしてわずか10Lの灯油で、内臓が炭化するまで焼き尽くし、さらに街路灯もない凍結した夜道を時速100kmで走ってアリバイ作りをした」

もしも、シナリオライターがこんなシナリオを書いて映画会社に提出したら、こう言われるのではないだろうか?

「あなた、こんな設定、成り立ちっこないでしょう? いくら何でも、御都合主義がすぎますよ」


別に元裁判官でなくても、誰が見てもえん罪と分かる事件です。

●体格が違いすぎる

オワリナキアクムというサイトの恵庭OL殺人事件というページには、被害者の体格は、身長160cmで体重60kgだったと書かれています。

これに対して、被告人の体格は、147cm、47kgと書かれています。

これが事実だとすると、身長が13cm差、体重も13kg差となります。

恵庭OL殺人事件写真のとおり、かなりの体格差があります。(ただし、江川紹子氏は、下記のとおり、【再審請求・恵庭OL殺害事件】炎の新目撃証言で「完全なるアリバイが成立」と弁護団で体重差は3kgとします。写真では、3kg差には見えません。)

おまけに容疑者として逮捕・起訴され、有罪判決を受けた女性は、右手の薬指と小指の発達が遅れた「短指症」の障害があり、非力だったといいます。

逆に被害者(当時24歳)は、学生時代に陸上部に入っていたという情報もあり、体格が大きいだけではなく、筋力も強かったはずです。

このような大きな体格や体力の差があるにもかかわらず、殺人事件が起きることはあるとしても、犯人が絞殺という手段を選ぶことは、余りにも不合理です。なぜなら、失敗する確率が余りにも高いからです。

恵庭OL殺人事件では、絞殺に成功したとされていること自体がえん罪を証明しているように思います。

裁判所に常識は通用しないようですから、恐ろしいものです。

江川紹子氏は、次のように書いています。

A子さんの死因は頸部圧迫による窒息死。だが、A子さんは大越さんより身長は14センチ高く、体重も3キロほど多く、握力も25キロ優っている。体格や体力は、圧倒的にA子さん優位だ。ところが、札幌地裁(遠藤和正裁判長、森島聡裁判官、村山智英裁判官)の判決は、何ら具体的な方法も示さないまま、「殺害方法や被害者の抵抗方法の如何によっては、非力な犯人が体力差を克服して自分に無傷で被害者を殺害することは十分に可能」と認定。札幌地裁が認定した殺害事実は、「殺意をもって、なんらかの方法で頸部を圧迫し、同人を窒息死させて殺害した」という、極めて曖昧なものだった。

裁判官が「十分に可能」とさえ考えれば、犯人にされてしまうのです。それが証拠採用における「自由心証主義」というものらしいのです。

●きまぐれとーくさんは恵庭OL殺人事件がえん罪と言われていることを言っていない

きまぐれとーくさんは恵庭OL殺人事件をWikipediaで調べたと言いましたが、Wikipediaには、「冤罪」という言葉が7回も出現します。

したがって、ウィキペディアで恵庭OL殺人事件を読んだきまぐれとーくさんは、この事件がえん罪と疑われていることを知っているはずです。

それにもかかわらず、そのことには一言も触れずに、判決を根拠にし、だから日航ジャンボ機123便墜落事件でも、乗客が、灯油と似た成分のジェット燃料で燃焼して炭化してもおかしくないと言っています。

世の中には、恵庭OL殺人事件がえん罪の疑いが濃厚であることを知らない人がたくさんいるでしょうし、自分でWikipediaの記事を読もうとしない人もたくさんいるでしょうから、そういう人がきまぐれとーくさんの話を聞けば、「なるほど」と思うでしょう。

きまぐれとーくさんは、大阪弁で柔らかくしゃべり、顔立ちも悪い人には見えませんが、無知な人をだます意図があると見られても仕方がないと思います。

きまぐれとーくさんが、「ウソかホンマか分かりません、これもね。」と付け加えるように言っているのは、どういう意味でしょうか。えん罪判決は論拠にならないことを認めているのでしょうか。

きまぐれとーくさんは、検察や裁判所の言うことは常に正しいと考えているのでしょうか。それが正しいとしたら、世の中にえん罪は存在しないことになります。そんな考えは常識外れです。

●多くの裁判官は検察の書面をコピぺしている

きまぐれとーくさんは、日本の刑事司法がまともに機能していると思っているのでしょうか。

2017年10月6日付け東京新聞に「「求刑重すぎ」地検が控訴/大麻所持事件 判決是正求め」という記事が載りました。

東京地検が同様の事件と比べて重すぎる求刑をしたところ、東京地裁はその求刑を基準にして重すぎる刑を科したので、そのことに気付いた地検が判決の是正を求めるための控訴をしたという話です。

多くの刑事裁判官は、量刑については、重いか軽いかなど考えずに、検察の求刑に8掛けするなどの機械的計算をしているだけだということが明らかになった事件だと思います。

多くの刑事裁判官は、量刑だけでなく、事実認定についても検察に支配されていると疑われても仕方がないと思います。

●真実の究明は確実な事実や経験則を基準に立論するべきではないのか

いちいちおかしなネット情報に反応していてもきりがありませんが、世の中には、えん罪判決と言われる判決を自説の根拠にする人がいると知り驚きました。歪んだ定規で物は計れません。ウソを根拠に別のウソを正当化することは許されないはずです。

きまぐれとーくさんが動画を制作した目的は、真実の究明だったのではないでしょうか。

そうであるならば、ある仮説を否定するために、えん罪事件の判決を持ち出すことは、普通は考えられないことです。(えん罪とは限らないと反論するでしょうが、えん罪であるとの批判が多いことに全く触れないのは悪質です。)

真実の究明は、確実な事実や経験則を基準に立論するべきではないのでしょうか。こんな道理も通用しない世の中になってしまったのでしょうか。

社会が劣化しているのでしょうか。

考えなければならないことは二つあると思います。

一つは、特にアメリカで"alternative facts"とか"post-truth"とかいう言葉で問題になっているように、事実なんかどうでもいいという風潮が社会にあるのかもしれないということです。支配者が事実を曲げるのは当然のことですが、ニセ記事を書いて食べている人がいることから、被支配者にもニセニュースを読んで楽しんでいる人がいるらしいのです。

二つは、新聞記事の受け売りですが、自分は常に多数派に属しており、常に多数派を支持していれば、自分が権力者から迫害されることはないと信じている人たちがいるらしいのです。森友学園の籠池泰典を見れば分かるように、いくら権力者をヨイショしても、邪魔になれば切り捨てられるのが現実なのですが。

(文責:事務局)
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