財務省は2018年6月4日、学校法人「森友学園」への国有地払下げ大幅値引き疑惑をめぐる決裁文書などの改ざん問題についての調査結果「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」を公表しました。
財務省による内部調査なので茶番です。この調査の特徴は、忖度はあったのかや改ざん指示の発信元は追及しない、改ざんと官邸との関係を遮断する、首謀者不明のまま末端の実行者はとにかく処分する、というものだと思います。
が、それでもいくらかの成果はあったようです。
ちなみに、佐川宣寿・理財局長(当時)については、停職3か月相当なので退職金約5000万円から513万円を差し引いて支給するとされますが、何らかの形で補填されるのではないでしょうか。自公政権を体を張って守ろうとした官僚に損をさせるようなことがあれば、後に続く者が出なくなるからです。
●太田理財局長の答弁は虚偽だった
2018年6月6日付け赤旗に次のように書かれています。
辰巳議員 改ざん 官邸関与追及
改ざん前文書 菅長官に報告の疑い
日本共産党の辰巳孝太郎議員は5日の参院財政金融委員会で、財務省による、学校法人「森友学園」との国有地取引に関する決裁文書の改ざん経緯等の調査報告について「官邸の関与が示されていないのは不自然、不可解だ」と追及しました。
財務省は調査報告で、改ざんは「本省理財局において、(略)理財局長が方向性を決定づけた」とし、麻生太郎財務相には「一切報告されぬまま」だったとしています。安倍晋三首相ら官邸の関与にも言及しませんでした。
辰巳氏は、昨年2月22日に官邸で菅義偉官房長官と面談した佐川宣寿理財局長(当時)と中村稔総務課長(同)が同日時点で、決裁文書に安倍首相の妻、昭恵氏の名前が記載されていると知っていれば、菅長官に報告され、官邸が決裁文書の内容を把握した疑いがあると指摘しました。
報告書には、昨年2月17日以降、中村課長から部下に「総理夫人の名前が入った書類の存否について確認がなされた」と記載。また、同21日以降、田村嘉啓国有財産審理室長(同)から中村課長に「問題提起があり」、決裁文書に政治家関係者の名前があると「両者から理財局長に対して速やかに報告された」とあります。
辰巳氏は、「書類」の一環として決裁文書についても報告されないのは「不自然だ」と指摘。田村室長から中村課長への「問題提起」と佐川理財局長への「報告」は何日だったかを問いました。
財務省の矢野康治官房長は「21〜26日の間だ」と答えました。
辰巳氏は、「佐川、中村両氏が知ったのが22日より前だと否定できないということだ」と強調。改ざんへの官邸の関与の有無を解明するため、両氏と田村室長の国会招致を求めました。
調査報告書は時期を曖昧にしているのが特徴ですが、辰巳議員の追及により、財務省は、佐川と中村が決裁文書に政治家関係者の名前があることを知った時期が2017年2月22日より前(21日又は22日夕刻の秘密会議開催前)だったことを否定しませんでした。
佐川と中村が決裁文書に政治家関係者の名前があることを知った時期が2017年2月22日より前(21日又は22日夕刻の秘密会議開催前)だったこともあり得るとすれば、「中村課長が改ざん前の決裁文書を見たのは「2月下旬以降の時点」で、「佐川前局長には報告したが、2月22日に官房長官に説明した時点で、それ(改ざん前の決裁文書)を認識していない」」(2018年4月17日付け赤旗)という太田充理財局長の辰巳議員への答弁(2018年4月16日の参議院決算委員会)はウソだったことになります。
●中村総務課長は昭恵氏の名前の入った文書の存在を菅に報告していたはずだ
もしも中村が2017年2月22日の会議開催前に昭恵氏の名前の入った改ざん前の決裁文書の存在を確認していたのであれば、当該会議において、中村は菅にそれらを見せるか説明するかをしたはずです。
なぜなら、同日の会議は、菅の答弁によれば、同日又は前日の2月21日に安倍から「(質疑で)特に私の家内の名前も出たから、しっかりと徹底的に調べろという指示をした」(2017年2月24日、衆議院財務金融委員会での安倍の答弁)ことを受けて開かれたのですから、菅は、2月22日の会議で「昭恵夫人は森友学園や本件土地取引にどのように関わったのか、あるいは関わっていなかったのか」と必ず聞くはずだからです。
もし、中村が昭恵の名前の入った文書の存在について沈黙していたとすれば、中村は、「(特に昭恵と本件との関連を)徹底的に調べろ」という総理の指示を理解できずに漫然と会議に参加していたことになりますが、中村がこの会議の目的を理解していなかったとは到底思えません。佐川も同様です。
●菅は虚偽答弁をしたとしか思えない
そうであれば、「(2017年2月24日の記者会見の時点では改ざん前の決裁文書を)知らなかった」という菅の2018年3月19日の下記国会答弁もウソだったことになります。
菅が虚偽答弁をしていたとすれば、改ざんを指示したのは菅だと疑われても仕方がないと思います。改ざんを指示していないというのであれば、菅は、なぜ虚偽答弁をする必要があったのかを説明する必要があります。
仮定を重ねた推論だ、という反論があるでしょうが、中村は、下記のとおり改ざん前の決裁文書にハンコを押しているのですから、そこに昭恵の名前があることを知っていると推論しないことの方が非常識です。
過去記事の繰り返しになりますが、2017年2月24日の記者会見で「(交渉経緯の)ほとんどは決裁文書に書かれているんじゃないでしょうか」と言っていた菅が、その2日前の22日に、決裁文書に何が書いてあるのかを確認しないまま、翌23日に総理に「問題になるようなことはありませんでした」と報告したとすれば、あまりにも不自然かつ間抜けな話ですし、決裁文書も見ずに、問題ないことを確認するだけなら、説明のための会議に長時間を要しないはずです。
●「2017年2月24日時点で改ざん前の決裁文書を知らなかった」という菅の答弁とは
2018年3月19日の参議院予算委員会での質疑について同日付けYahoo!ニュースに次のように書かれています。
【ライブブログ】「森友」決裁文書の改ざん問題めぐる論戦 参院で集中審議
立憲・福山氏「官房長官、改ざん前の文書をご存じでしたよね」 菅氏「知りませんでした」(16:40)
立憲民主党の福山哲郎氏は、菅義偉官房長官が改ざん前の文書の存在を、昨年2月の段階から把握していたのではないか、とする疑問を投げかけた。
財務省は決裁文書の改ざんが行われたのは昨年2月下旬から4月だと説明している。福山氏は、このことを指摘した上で、菅氏が昨年2月24日の記者会見で、「決裁文書は30年間保存しているので、そこにはほとんどの部分が書かれているのではないか」と発言したことを紹介した。
福山氏はまた、菅氏が同じ会見で「私も説明を受けましたけど」とも述べていたとし、「ちゃんと秘書官から説明を受けている。(会見当時は)改ざんしていませんから。官房長官、改ざん前の文書をご存じでしたよね」と尋ねた。
答弁に立った菅氏は「知りませんでした」とだけ述べた。
その映像は、《森友公文書問題集中審議》福山哲郎・立憲民主党【国会中継 参議院 予算委員会】2018年3月19日の14:40辺りです。
●状況証拠はそろった
菅が言い逃れをする方法は一つしかなく、それは、「2017年2月22日の会議において昭恵の名前の入った文書の存在について誰からも報告がなかった、昭恵関連で報告があったのは、唯一2015年11月の「谷ファクス事件」(「森友学園との交渉記録には、学園が開学を目指した小学校名誉校長に一時就いた安倍晋三首相夫人の昭恵氏が学園関係者から相談を受け、昭恵氏付だった政府職員の谷査恵子氏が2015年11月、2回にわたり理財局に国有地の貸付料減額について問い合わせていたことが明記されていた。」(2018/05/23付け時事通信)事件)だけだった、と最後まで言い張ることです。(ちなみに私は、この件の報告が2017年2月22日の会議でなされたという話には疑問を持ちます。)
しかし、この会議の出席者は菅長官、長官付き秘書官、佐川理財局長、理財局総務課長(中村稔)、財務大臣官房総括審議官(太田充)、航空局次長(平垣内)、航空局総務課企画官です(「今井秘書官が同席していたことは十分、考えられる。」という推理もあります。首相夫妻へ忖度はあったか?肝心な事が抜けた財務省の森友報告書)から、2017年2月22日に谷ファクス事件を報告したことになる人物は、国会質疑では明らかにされていないと思いますが、おそらくは2016年6月16日まで理財局国有財産企画課長であった中村総務課長だったことになると思います。「辰巳(孝太郎ーー引用者)氏が22日の報告に中村課長が同席した理由を聞くと、太田理財局長は「彼は、国有財産企画課長を務めていたので(経緯を)よく知っているからだ」と答弁」(2018年4月17日付け赤旗)したことからも、報告者の中心は中村だったと思います。
そうだとすれば、中村は、なぜ応接記録にあったにすぎない谷ファクス事件だけを報告し、重要性の高い決裁文書に昭恵の名前が5か所も出てくることについては全く報告しなかったのでしょうか。不自然です。
したがって、菅の上記答弁も不可解です。
菅がいくら「決裁文書について報告がなかった」と言い張っても、状況証拠は十分にそろっていると思います。
「昨年2月の疑惑発覚後、野党議員の質問に、麻生氏は「記録は残っていない」「面会記録が残っていないことに何の問題があるのか」と繰り返してきました。
「パソコンから削除した記録を復元するよう迫られても、麻生氏は「復元することはできないと聞いている。(復元の)対応をとることは考えていない」と答弁」(2018年6月6日付け赤旗)して、真相究明に後ろ向きの姿勢を貫いたことも、官邸と財務大臣と官僚が一体となって文書の改ざん、隠ぺい、廃棄をしてきたことの状況証拠です。
●中村が「昭恵氏の名前の入った文書の存在」を早くから知っていたと考えられる理由
中村稔・理財局総務課長は、経歴を見ると、総務課長就任直前の2014年7月9日から2016年6月16日までは、理財局国有財産企画課長でした。
辰巳孝太郎議員は、「中村課長は田村嘉啓国有財産審理室長(当時)とともに、安倍晋三首相夫人の昭恵氏や政治家の名前が記された決裁文書を決裁している」(2018年4月17日付け赤旗)と国会で述べています。
日刊ゲンダイも「中村氏は15年2月と4月に当時、理財局の国有財産企画課長として、昭恵夫人の言動が記された「特例承認の決裁文書」に決裁印を押したひとりだ。」と書いています。
しかし、太田は「本人(中村ーー引用者)に確認しました。『正直に言うと、そこまで(昭恵や政治家の名前までーー引用者)ちゃんと見ていなかったので、覚えてませんでした』というのが、彼の正直な発言です」(上記日刊ゲンダイ記事)と答弁しているとのことです。
「ちゃんと見ていなかったので、覚えてませんでした」という言い訳は、相当苦しい言い訳です。特例承認という滅多にない案件であり、政治家案件であることの説明を受けるでしょうから、全体に目を通すはずですし、総理夫人の名前があれば、これも滅多にないことでしょうから、記憶に残るはずです。
●まとめ
菅は、2018年3月6日まで国有地取引に係る決裁文書が改ざんされていることを知らなかったことになっています。
したがって、2017年2月下旬から4月にかけて行われた改ざんを指示したのは官邸ではあり得ないというのが政府の筋書です。
しかし、2017年2月22日の会議において菅が改ざん前の決裁文書の存在を知っていたとしたら、官邸が改ざんを指示した可能性が出てきます。
このことについて政府は、(1)菅に経緯を説明した中村も佐川も、その時点では改ざん前の決裁文書に政治家関係者の名前が書かれていたことを知らなかった、(2)知らないことは説明できるはずがない、(3)したがって菅も改ざん前の決裁文書に政治家関係者の名前が書かれていたことを知るはずがない、という三段論法で答弁してきたことになります。
ところが、2018年6月4日に発表された財務省の公文書改ざんに関する調査報告書では、中村と佐川が2017年2月21日までに、又は22日夕刻の秘密会議の開催前に、改ざん前の決裁文書に何が書かれていたかを知っていた可能性を示唆する記述があり、財務省はその可能性を否定しないのですから、(1)は100%では成り立たず、上記三段論法は崩れたということです。
なお、もともと(1)は成り立たない前提でした。なぜなら、上記のとおり中村は、昭恵の名前の入った決裁文書に押印しているからです。
官邸が改ざんへの関与を否定するなら、佐川と中村が政治家関係者の名前の入った決裁文書の存在についての報告をいつ受けたのかを、「21日〜26日の間だ」などと曖昧な言い方でなく、明らかにすべきです。明確な根拠を示して。
●昭恵夫人の関与を示す交渉記録を「ない」と言い切ることは、21日以前から決まっていた
以上は、2017年2月22日から改ざんの指示が出たという前提で書きましたが、2018年6月6日付けリテラ記事安倍首相「私や妻が関係していたら辞める」発言の裏! 今井首相秘書官らが謝罪を進言するも安倍が拒否には、次のように書かれています。
実際、財務省の内部調査結果でも、同月21日におこなわれた野党の国会議員団による小学校建設地の現地視察の段階で、〈あらかじめ本省理財局と近畿財務局との間で相談の上で、当日用の応答要領が作成されて〉いたと認めており、さらには〈政治家関係者からの不当な働きかけはなかったこと等のほか、仮に問われれば、政治家関係者から照会を受けた際の応接録は残されていない旨も回答することとされていた〉とも綴られている。ようするに、昭恵夫人の関与を示す交渉記録を「ない」と言い切ることは、21日以前から決まっていた、ということだ。ちなみに、佐川宣寿・前理財局長が「交渉記録は破棄した」と断言し始めたのは、同月24日のことだ。
何度も言うが、昭恵夫人がかかわる問題だと官邸も財務省も認識しているなかで、このような「応接録は残っていない」という隠蔽工作を、財務省の一存でおこなうことはあり得ない。少なくとも21日までに、官邸が指示するかたちで昭恵夫人の関与を示す文書や記録を隠蔽する方針が固められていたと見るべきだろう。
調査結果によれば、「昭恵夫人の関与を示す交渉記録を「ない」と言い切ることは、(2017年2月)21日以前から決まっていた」ということです(調査報告書p21)。
官邸が公文書改ざんの指示をしたとすれば、2017年2月22日の説明会議と称する作戦会議の時ではないかと思いがちですが、21日には、国会で質問されたら記録がないと言い切るという方針を決めていたというのです。
このことが何を意味するかと言えば、この「記録はない」とする方針は、今後の国会対応に大きく影響する問題であり、官僚だけで決められるものではないと思うので、官邸も財務大臣も、2月21日より前に改ざん前の決裁文書に何が書かれていたかを知っていたということだと思います。
そうだとすれば、2月21日より前に官邸から改ざんの指示があったと考えることもできます。
財務省報告と野党の推理を合わせると、次のような流れになります。
2017年
2月17日(金) 安倍進退答弁。
2月21日(火)まで 理財局と近畿財務局で議員団に「記録はない」と答える対応マニュアル作成。
2月22日(水) 菅と作戦会議。改ざん指示?
2月24日(金) 佐川が「記録は廃棄した」等断定型答弁。菅が会見で「決裁文書に書かれている」と発言。
2月26日(日) 改ざん開始。理財局が「特例承認」決裁から政治家関係者の記録を削除。
2月18〜20日に何かがあったと考えてもおかしくないと思います。