組織人のとるべき道は二者択一か

2009-06-11

●村松栄一氏の田母神論文批判

元自衛官の村松栄一氏(83歳)が2009-04-07読売で田母神俊雄・前航空幕僚長の論文を批判しています。

村松氏は、田母神氏が「日本が良い国でなければ、自衛官は命を捨てて国を守る気にはならない」「日本には侵略戦争はなかった」などと書いていることに対して、「自衛官が国防を決意する根源は歴史ではない。」と批判しています。おそらく正論でしょう。

●仙波敏郎氏の告発は違法か

村松氏は、現役自衛官が所信を表明したことも次のように批判しています。

日本は法治国家であり、空自は政府の執行機関の一つである。自衛官個人は百人百様の自由な意見を持っているが、政府と執行機関は一途の方針の下に業務を進めなければ国民の負託に応えることはできない。政府も執行機関も人間の集団であり、過失や瑕疵は皆無ではない。その時に執行機関の人間が取るべき行動は、指揮系統を通じて誤りを上申するか、職を辞して広く公論に訴えるかであろう。これは自衛官に限らず社会一般に存在するルールと思う。

自衛官だけが「事由にものが言えない」わけではない。組織人の宿命のようなものである。

人間というものは、自分の考え方が絶対に正しいと思ってしまうものです。村松氏の書くことが正しいのなら、愛媛県警の裏金疑惑を告発した元愛媛県警察巡査部長・仙波敏郎氏のとった行動は、「社会一般に存在するルール」に違反するものであり、法治国家の秩序を乱す違法な行動だということになってしまいます。(仙波氏については例えばひまさえあればなどのブログ参照)村松氏の発想の貧困を感じます。

現職の組織人が組織内に踏みとどまったままものを言うことがなぜルール違反なのか。村松氏は、国の執行機関については「国民の負託に応えることはできない」という理由を挙げますが、それ以外の組織については理由を説明していません。「組織人の宿命」としか書いていません。何も言っていないのと同じです。この程度の理由しか提示できないのなら、「社会一般に存在するルール」として正当化することはできないと思います。

また、内部告発者のいない国の執行機関は、「国民の負託に応えること」ができるのでしょうか。職員が一丸となって国民を欺く組織よりも、内部告発者のいる組織の方がよほど健全であり、国民の利益になると思います。

●組織のやっていることは過失ではない

村松氏は、「過失」とか「瑕疵」とか「誤り」とかの言葉を使い、自衛隊や社会の組織が意図的に悪いことをするはずがないかのような書き方をしますが、自衛隊が住民団体を監視することは違法ですし、「広島県江田島市の海上自衛隊第1術科学校で昨年9月、特殊部隊「特別警備隊」の養成課程の生徒だった3等海曹の男性(当時25)が、15人を相手にした格闘訓練中に意識不明になって死亡した問題」(09-06-10朝日)は、死亡についての故意を証明することが困難なので、犯人は業務上過失致死で起訴されるでしょうが、傷害の故意は明らかであり、実質リンチ殺人です。

仙波氏が暴いた警察の裏金問題も、本質は私文書偽造という故意犯です。

国と自治体と水資源機構が一体となってムダなダムを建設して税金を食い物にし、環境を破壊するのも過失ではなく、故意です。

村松氏は、行政は悪を為さず、というような行政性善説に立っていると思われ、認識が甘いと思います。

(文責:事務局)
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