南摩ダムにとって「将来」はいつ来るのか

2013年1月11日

●南摩ダムの水は県南に必要なはずだった

1973年6月29日付け日本経済新聞に「南摩ダム建設 矢の催促」という見出しの記事があるそうです(「思川開発事業大谷川取水に対する調査報告書」(2000年3月、思川開発事業大谷川取水対策委員会作成)のp11)。

そこには、次のように書かれています。

建設促進を訴えたのは、小山市、野木町、南河内町、国分寺町の4市町。県南地域は工業開発、宅地開発の結果、水不足に陥っており、このままでは将来ピンチになるという。

この記事は、ちょうど40年前に書かれました。そこに書かれている「将来」とはいつのことでしょうか。

建設促進を訴えた市町に栃木市が含まれていないのは意外です。

「矢の催促」とは、「たて続けのきびしい催促。矢継ぎ早の催促。」(大辞林)という意味です。県南の市町がそれほどまでにダムの完成を待ち望んでいるなら、40年もの間、なぜ広域的水道整備計画を知事に要請しないのでしょうか。

旧南河内町の動きは不思議です。1973年には建設促進を訴えていたのに、栃木県が1994年12月に調査したときも、そして2001年に調査したときも、調査の対象にさえなっていませんでした。

旧南河内町は、今は、下野市として思川開発事業に参画することになりましたが、2006年に、既に思川開発事業に参画していた旧石橋町と旧国分寺町と新設合併したためにそうなっただけで、合併がなければ旧南河内町は思川開発事業とは無関係だったはずです。

旧南河内町は、40年前には南摩ダムを造れと「矢の催告」をしたにもかかわらず、20年前は事業に参画表明せず、合併により奇しくも矢の催告をした責任をとらされるかのように参画することになっても、「当面は地下水に依存する」とうそぶくのですから、行政とは無責任なものです。

「思川開発事業大谷川取水に対する調査報告書」によると、1998年10月28日付け下野新聞に栃木県水資源対策室長談話として「将来、県南で広域水道事業を行う計画があり、水利権を確保しておきたい。」と書かれているそうです。栃木県水資源対策室長がそう語ってから15年が経過しますが、県南の広域的水道整備計画は一向に具体化しません。

南摩ダムを造りたい人たちの言う「将来」は、いつ来るのでしょうか。

ちなみに、足利市は草木ダム(水資源開発公団が事業主体、1976年度完成)に0.3m3/秒の工業用水を確保していますが、37年経っても未利用のままです。

「足利市の主力産業である繊維産業の衰退により、当初見込んでいた水需要の増加が見込めなくなり、事業化が見送られてきたものだが、足利市では、北関東自動車道の整備に合わせ足利インターチェンジを中心とした新たな企業立地のニーズを捉えて事業化したいとしている。」(「水資源に関する行政評価・監視結果報告書」(2001年7月、総務省行政評価局)p35)そうです。

足利市がそう言い訳をしてからちょうど10年後の2011年に足利インターチェンジが完成しました(出典:Wikipedia)。

今後も足利市が草木ダムの水を使うとは思えませんが、足利市は今後どんな言い訳を用意するのでしょうか。

●目的も変わった

栃木県における思川開発事業の目的も変わりました。

40年前は、上記のように水不足になるから南摩ダムが必要だと関係市町は言ってきました。

ところが、思川開発事業大谷川取水対策委員会が1997年12月に行った「思川開発事業に依存する水量調べ」(実質、旧今市市による調査)に対し、関係市町は次のように回答しています。

(栃木市)
地下水の過剰採取が原因と思われます県南地域の地盤沈下や都市化の進展に伴う生活様式の変化による水需要の増加を考えますと、思川開発事業に依存せざるを得ない状況であります。

(野木町)
当町はご承知のとおり地盤沈下の著しい地域でございます。このようなことから当事業に依存せざるを得ない状況であると考えます。

(大平町)
現在、県南地域で発生している地盤沈下の原因が地下水の取水と考えられており、代替水源として考えております。

(藤岡町)
地下水の過剰採取が原因と思われる本町の地盤沈下や近年の生活の質の変化に伴い水需要量の増加を考えますと、思川開発事業に依存せざるを得ない状況にあります。

(岩舟町)
本町では将来的には大規模開発等や人口の増加などにより水需要の増加が考えられ、新規水源確保を図らなければならない状況であります。しかし、地下水位の低下と地盤沈下等の防止をするため、表流水確保として思川開発事業に依存せざるを得ない状況であります。

各市町とも一様に地盤沈下を参画の理由に挙げています。

野木町と大平町は地盤沈下だけを参画の理由としています。

栃木市と藤岡町は生活様式の変化による水需要増加を挙げています。

岩舟町だけが人口増加による水需要増加を挙げています。岩舟町の人口は、10月1日現在の人口で見ると、1998年の19,922人がピークで、2012年には17,942人にまで減少しています。14年間で1,980人(約9.9%)の減少です。調査時の1997年にはピークは来ていなかったとはいえ、岩舟町はあまりにも先見性がありません。ほかの町は、人口減少を予測していたのに、岩舟町だけが、なぜ予測できなかったのか、理解しがたいところです。

全体的には、バブル経済が崩壊し、経済成長が見込めなくなったので、ダムを建設する理由を水需要増加から地盤沈下防止に求めるように変化してきたということでしょう。

思えば、49年前の1964年に思川開発事業の構想が発表されたときには、東京の水不足を解消することが大きな目的でしたが、気がついてみれば、1994年に事業実施計画が認可されたときには、東京都は、思川開発事業計画から撤退していました。

また、当初構想では、栃木県中央畑作地帯(約4,000ha)への特定かんがい用水も目的の一つでしたが、現在は農業用水は目的から消えています。

施設規模の点では、2000年に大谷川分水が、2002年には行川ダムが、2003年には南摩ダムの補完ダムと見られていた東大芦川ダムが中止となり、有効貯水容量は、当初構想時の1億4,000万m3から、1994年の事業実施計画認可時には1億m3となり、2002年の事業実施計画変更の認可時には5,000万m3にまで減少しています。

半世紀の間に、これだけ目的も規模も参画団体も変遷しているのに、つまり社会的・経済的状況が変化しているのに、建設することだけは変わらないのですから、建設すること自体が目的となっていると考えざるを得ません。

●根拠法の前提が成り立たない

思川開発事業が時代錯誤であることは、この事業の根拠法である水資源開発促進法を見れば分かります。

南摩ダムはなぜ違法かにも書いたように、同法の目的は、「産業の開発又は発展及び都市人口の増加に伴い用水を必要とする地域に対する水の供給を確保する」ことです。

大量の水を必要とする「産業の開発又は発展」も「都市人口の増加」も今後見込めないことはだれの目にも明らかです。栃木県も水需要が今後増えないことは認めていることです。

水資源開発基本計画を策定すること自体が時代錯誤です。

前提の成り立たない法律を適用することは許されないと私は考えるのですが、法律学の世界ではそうでもないようなのです。

憲法学においては、立法事実論という考え方があって、法の合理性を支える社会的・経済的・政治的若しくは科学的事実が存在しない場合には、当該法は違憲であると推定されるという考え方です。

立法事実論は、合憲性審査の基準ではあるようですが、憲法問題以外の場面で用いようとする説は少数説としては存在するようですが、多数説ではないようです(「法を支える事実ー科学的根拠付けに向けての一考察ー」渡辺千原を参照)。

そのせいか、3ダム訴訟の原告団も「そもそも水資源開発促進法を適用することは許されない」という主張はしていません。

「産業の開発又は発展及び都市人口の増加に伴い用水を必要とする地域」がどこにも存在しないのに、その地域に水を供給するという目的を達成するための法律を適用させることがどうして許されるのか、私には理解できません。

要件事実を欠くのに条文を適用することはできないが、立法事実を欠くのに法律を適用することは問題ないというのが法律学の常識なのでしょうか。

(文責:事務局)
文中意見にわたる部分は、著者の個人的な意見であり、当協議会の意見ではありません。
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