南摩ダムのこのごろ(その2)

2009-11-02,2009-11-04追記,2009-11-05追記

●朝日新聞が南摩ダムを検証

2009-10-30朝日に「政権交代@とちぎ/南摩ダム凍結(上)巨大事業 中止に壁」の記事が掲載されています。

ダム建設をストップさせるとどうなるのか。県内では、同じく鹿沼市に建設予定だった県営東大芦川ダムという、全国でもまれな先例がある。

 市の水不足対策と洪水対策を目的に、73年に調査が始まった。ダム本体と下流域の河川改修を合わせた総事業費は335億円で、県と市が負担。09年度の完成を目指していた。

 だが、ダムなどの「大型公共事業の見直し」を公約に掲げた福田昭夫氏(現民主党衆院議員)が、00年の知事選で初当選。福田氏はダム建設に代わる治水策なども検討したうえで、03年7月に事業中止を宣言した。事業費のうち支出済みだったのは全体の1割ほどの32億円余り。大型車両を通すための道路拡幅工事の一部に着手しただけで、建設地自体は手つかずの状態という「好条件」だった。それでも、県議会最大会派の自民党や、地元の鹿沼市は事業中止に強く反発した。

 中止後は、防災のための河川改修事業を23年度までに実施し、鹿沼市が当て込んでいた水は南摩ダムから調達することにした。「地域振興」を目的とする公園整備なども含む代替策にかかる費用と、中止決定までにダムに投じた事業費の合計は202億円ほど。ダムを完成させた場合に比べて100億円以上少なくて済む計算だ。

 ただ、東大芦川ダムはそのまま事業が続いていれば今年度に完成するはずだったが、河川改修の完了は23年度。洪水防止の効果が十分に発揮される時期は14年も遅れることになる。「時間のロスは金額に換算できない」と県砂防水資源課は説明する。事業中止の損得勘定は単純ではない。  
 

書いてあることは概ね妥当なのですが、2点ほど指摘したいことがあります。  

 ●鹿沼市上水道は、予備調査時点から東大芦川ダムの目的だったのか  

東大芦川ダムは、「(鹿沼)市の水不足対策と洪水対策を目的に、73年に調査が始まった。」と書かれています。このくだりは、2003-07-05朝日の「建設か中止か/東大芦川ダム/今月にも結論」という土屋亮記者の署名記事に影響されていると思います。  

土屋記者は、「鹿沼市の水不足を理由に県は73年、ダム建設の予備調査を始めた。」と書いています。  

私は、当時この記事を読んで土屋記者に根拠となる資料を示してほしいとお願いしましたが、根拠は示されませんでした。  

栃木県が1973年に東大芦川ダムの予備調査を開始したことは事実でしょう。しかし、その当時のダムの目的は不明です。栃木県河川課に質問したり、情報公開請求をしたりしましたが、不明でした。  

私が調べた限り、東大芦川ダムに鹿沼市の上水道水源が明記されるのは、1983年の実施計画設計の時点が最初でした。  

矢吹孝文、井手さゆり、庄司将晃の各記者には、1973年に鹿沼市の上水道が東大芦川ダムの目的であったということの証拠を持っていたら、見せてほしいと思います。  

そんな小さなこと、どうでもいいじゃない、と思う人もいるかもしれません。しかし、私は、予備調査の開始時に目的がなかったことは、「小さなこと」とは考えていません。目的がなくて予備調査を開始したのかもしれません。そうだとしたら、それこそダムの本質です。だから予備調査の目的が何であったのかは重要な問題だと考えます。   

「「走り出したら止まらない」。ダムを始めとする巨大公共事業の問題点は、かねて指摘されてきた。仕事がほしい建設業者、そのカネと票をあてにする政治家、より多くの予算や権限を手に入れたい役人たちが公共事業を推し進め、誰も歯止めをかけられなかった。」という認識の下に検証するのなら、県の説明に対して「本当にそうなのか」という視点で検証してほしいと思います。  

 ●大芦川は危険か(2009-11-04追記)  

「ただ、東大芦川ダムはそのまま事業が続いていれば今年度に完成するはずだったが、河川改修の完了は23年度。洪水防止の効果が十分に発揮される時期は14年も遅れることになる。「時間のロスは金額に換算できない」と県砂防水資源課は説明する。事業中止の損得勘定は単純ではない。」というくだりを読むと、宇都宮支局に数年間勤務する記者たちは、河川官僚の術中に陥っていると思います。  

なぜは陥ってしまうのか。記者たちは、役所に取材に行って記事を書いているからでしょう。私たちに取材したら、このような行政の受け売りはできないはずです。私たちは、大芦川の水害について、朝日の記者から取材されたことはありません。朝日が大芦川の水害のことを書くなら、私たちにも取材してほしかったと思います。  

確かに朝日の記者は、ダム反対派の市民に会いにきました。それは立派です。が、名刺を渡してあいさつを交わした程度で、県職員はこう言っているが正しいと思うか、というような取材はされていません。  

 ●もともと大芦川に深刻な被害はない(2009-11-04追記)  

東大芦川ダムのパンフレットには、「大芦川は、永年にわたり出水被害に悩まされてきました。」などと書かれており、危険な川であるかのように書かれていますが、近年、大芦川に大きな被害はありません。  

八ツ場ダムの建設予定地だった群馬県の吾妻川同様、大芦川の岸は、護岸工事で浸食を防いだところが大部分で、堤防を盛り上げて築いた部分は、あるにはありますが少ないのです。だから、洪水が起きても、浸水被害は起きにくいのです。県は、東大芦川ダムの費用対効果の計算で、酒野谷あたりで氾濫すると、水深4メートルの浸水被害があると想定していますが、完全なデタラメです。  

そもそも大芦川で記録のある大きな水害は四つしかありません。1902年の足尾台風、1919年の台風、1938年の台風、1947年のカスリーン台風のときの被害です。  

足尾台風のときの被害が最も大きかったのですが、それは、足尾銅山の坑内の杭などにするために、古河鉱業が西大芦地区の山林を皆伐したことが原因だと考えられます。この点は、2002年ごろ開催された大芦川流域検討協議会の会議でさんざん議論されたことなので、ダム問題にかかわってきた下野の記者なら知っていますが、全国紙の記者は県外に転勤してしまうので、今の記者は生で議論を聞いていないと思います。  

足尾台風のときまでは、大芦川の近くに家があったようですが、足尾台風による水害以来、流域の住民は、大芦川から離れて家を建てるようになったので、大芦川の洪水による家屋の浸水被害は起こりにくいのです。ただし、北半田の柳原団地は、大芦川に極めて近い場所に立地した住宅団地ですが、栃木県が開発を許可したものです。  

 ●大芦川の被害実績は年平均で1.7億円(2009-11-04追記)  

大芦川の水害による被害は、人家ではなく、公共土木施設被害なのです。その被害額も、1980年から1999年の20年間で34.2億円でした(2001-03-02付け栃木県土木部河川課長からダム反対鹿沼市民協議会あて回答書)。大芦川の被害実績は、年平均で1.7億円にすぎないのです。  

この被害には、県の河川工事が招いた被害も含まれています。例えば、西大芦コミュニティセンター前の河川公園フォレストビレッジの工事では、二股に別れていた大芦川の流れを一筋にまとめてしまったために、洪水時の濁流が従来の倍の流量で県道に押し寄せるようになったために、1998年9月の台風6号で路面陥没の被害が発生しました。県が被害をつくり、県がダムを造って被害を防ぐというマッチポンプをやられたのでは、県民はたまりません。だからプロを信頼してはいけないのです。河川行政のプロである職員は、県民のために仕事をするとは限りません。  

 ●ダムでどれだけ被害が減るか(2009-11-04追記)  

それはともかく、では、東大芦川ダムを造ると、被害がどれだけ減るのか。「東大芦川ダム利水計画等業務委託報告書」(2000年1月作成)という文書があります。株式会社建設技術研究所が作成した報告書です。p3−20には、次のように書かれています。  

大芦川流域に80年に1度の確率の雨が降った場合、北半田橋地点の流量は、ダムがない場合は1,500m3/秒だが、ダムがあれば1,210m3/秒に減ると計算しています。流量は、81%に減らせるというのです。(水源開発問題全国連絡会の嶋津暉之共同代表の計算では、東大芦川ダムによる治水基準地点のピーク流量の削減効果は平均して6%程度です。)そして被害額は、ダムがない場合は254億2,300万円だが、ダムがあれば190億円に減ると計算しています。被害額は、75%に減らせるというのです。ダムの流量削減効果が20%もあるという県の計算でも、被害の軽減効果は25%です。ダムがあれば被害がゼロになるわけではないのです。  

ですから、県の計算によっても、年平均1.7億円の被害のうち1.7億円×25%=4,250万円しか被害を軽減できないということになります。(嶋津氏の計算によれば、東大芦川ダムの流量削減効果は6%にすぎないのですから、被害軽減効果は1割未満になると思います。とすれば、年平均被害軽減期待額は1,500万円程度と見るべきかもしれませ。)4,250万円の便益なんて、ダムの年間維持管理経費より少ないのではないでしょうか。  

年間1,500万円ないし4,200万円の被害を軽減するために、310億円かけてダムを建設することが妥当でないことは明らかです。洪水調節容量分だけでも200億円はかかるでしょう。200億円かけてダムを建設して、年間4,200万円の便益しかなければ、元を取るのに200億円÷4,200万円/年=476年かかることになります。ダムの寿命はそんなに長くありません。  

ちなみに県は、東大芦川ダムの費用対効果の計算において、年平均被害軽減期待額を11.4億円としました(2003-04-29開催の大芦川流域検討協議会の資料3)。しかし、年平均の被害額が1.7億円なのに、年平均11.4億円の被害を軽減できるはずがありません。だから、県は東大芦川ダムの費用対効果を1.7と計算しましたが、全くのデタラメです。  

 ●ダムの効果を検証しないのか(2009-11-04追記)  

そのほかにも、建設省のマニュアルでは大芦川の治水計画規模は1/50でいいのに1/80としたこと、治水基準地点の北半田橋での基本高水流量1,500m3の設定が過大であることなど、県職員が東大芦川ダムを建設するために考え出した虚構はたくさんあります。  

佐藤信・鹿沼市長が「ダムの水を使うつもりはない」と言ったことにより、東大芦川ダムで開発した水を鹿沼市が水道用水として必要としているということが虚構であることもはっきりしました。  

2003年に同ダムが中止になって、市民は利水でも治水でも困っていません。東大芦川ダムは、虚構だったのです。  

ところが朝日は、「洪水防止の効果が十分に発揮される時期は14年も遅れることになる。」と書いています。今年度(2009年度)に東大芦川ダムが完成していれば、「洪水防止の効果が十分に発揮」できたという前提です。では、東大芦川ダムによる十分な洪水防止の効果とは、具体的に年間いくらだと記者たちは考えているのでしょうか。  

要するに朝日の記者たちは、東大芦川ダムが虚構であることも知らないし、同ダムの水害防止効果がいかほどのものであるのかも知らないのではないかと推測します。だから、「時間のロスは金額に換算できない」と県砂防水資源課の職員にごまかされて、「事業中止の損得勘定は単純ではない。」というまとめ方をしてしまいます。東大芦川ダムは、費用対効果が成り立たないのですから、損得勘定は明らかです。  

「時間のロスは金額に換算できない」という話は、東大芦川ダムに十分な水害防止効果があることが前提となっていますが、その前提が成り立つのかを記者には疑ってほしかったと思います。それでこそ「検証」です。  

 ●南摩ダムを中止する根拠を呈示することは困難か(2009-11-05追記)  

2009-10-31朝日には「政権交代@とちぎ/南摩ダム凍結(中)中止の根拠、提示は困難」の記事が掲載されています。  

見出しは、南摩ダムを中止する根拠を呈示することは困難であるとしていますが、記事には次のように書かれています。  

  国立社会保障・人口問題研究所の予測によると、ダムの水を利用する自治体がある4県の人口は05年に計1810万人だったが、その後30年で1595万人に落ち込む。水洗トイレに代表される節水技術の向上・普及の効果もあり、県内の1人1日あたりの平均給水量は96年度に404リットルだったが、07年度には367リットルに減った。

 南摩ダムや、事業中止が決まった八ツ場ダム(群馬県)など関東地方のダム建設事業は、国土交通省の利根川・荒川水系の水資源開発基本計画(フルプラン)に基づく。現在は神奈川県を除く1都5県が計画に含まれる。前身の計画は62年度に作られ、水需要予測は8〜20年ごとに改定されてきた。

 しかし、実際に使われている水の量は、計画上の水需要予測を下回っている。現時点で最も新しい07年12月の国土審議会水資源開発分科会の資料によると、04年度の6都県の都市用水の1日最大取水量は1秒間に171・2立方メートル、15年度には204・2立方メートルを見込む。しかし、90年代前半から取水量は頭打ちで、1日最大取水量が200立方メートルを超えたことはない。  
 

記者自身が中止の根拠を書いているではありませんか。私たち反ダム訴訟の原告も中止の根拠を裁判所に提出しています。八ツ場ダム訴訟の資料のページを開いてください。中止の根拠が満載です。当サイトも中止の根拠を提示しているつもりです。根拠になっていないというのであれば、具体的に論証していただけるとありがたいと思っています。  

被告、栃木県知事の答弁書と準備書面を見てください。被告こそ建設の根拠を提示していないではありませんか。  

記事には次のように書かれています。  

   ダムは、河川の流量を調節することにより洪水を防ぐ役割も担う。ダムを造らずに同じ効果を得ようとすれば、代わりの治水策が必要となる。だが、その費用は不透明なうえ、中止された県営東大芦川ダムの例と同じように、完了時期もダムが完成予定だった15年度より大幅に遅れるのは確実だ。    
   

「ダムを中止するなら代替策が必要だ」という理論が書かれています。「ダムが必要だ」という前提での理論です。ダムが必要なければ、代替策も必要ありません。朝日が検証するというなら、「ダムが必要か」というところから始めなければなりません。    

東大芦川ダムを例にすれば、治水基準地点での既往最大流量が約1,000m3/秒で、流下能力がそれ以上であるならば、ダムも河川改修も必要ないという考え方もあり得ます。    

利水はもっとはっきりしていて、鹿沼市の水需要が今後減少していくという正しい見通しを持てば、東大芦川ダムを中止しても、南摩ダムに参画する必要はなかったのです。    

東大芦川ダムを中止することに伴う代替策が必要ということにされてしまいましたが、ダム事業に替わる土木事業が建設業界とこれに寄生する役人と政治家にとって必要だったという見方も可能だと思います。    

朝日が「(南摩)ダムを造らずに同じ効果を得ようとすれば、代わりの治水策が必要となる。」と言うなら、ダムを建設する必要があったことを論証すべきです。    

どこの自治体でも水需要が増える見込みがないことは、記事にも書いてあるとおりです。    

「ダムが完成しないと将来的に水道水が足りなくなる」(茨城県古河市の水道課)という話は、暫定水利権の問題です。国土交通省は、水利権の許可権限をダム建設の道具にしてきただけの話であり、歪んだ水利権行政を改めれば済む話です。    

治水はどうか。治水効果の及ぶ範囲を勝手に変えてしまう国土交通省に書いたように、南摩ダムの効果は、計画当初は、渡良瀬遊水地より下流には及ばないという想定でしたが、1994年5月の見直しで、利根川まで及ぶことにしてしまうようないい加減なものでしかありません。    

南摩ダムの費用対効果も、思川流域では、年平均約2億円の被害実績しかないのに、ダムを造れば年5億円を超える被害軽減効果が期待できるというデタラメぶりです。    

「南摩ダムが必要だ」という前提が成り立たないと私は考えますので、「ダムを造らずに同じ効果を得ようとすれば、代わりの治水策が必要となる。」という考え方には賛成できません。新聞が行政の受け売りをするのはやめてほしいと思います。    

記事のまとめは次のとおりです。    

    さらに、利水面でも治水面でも、ダムの必要性を検証するには個々のダムが果たす役割だけでなく、同じ流域の他のダムも含め全体として考えなければならない。事業を中止するにせよ続けるにせよ、多くの人が納得する結論を導くには、「利根川・荒川水系全体での利水、治水のあり方の再検討」(福田知事)が必要となる。これは、様々な要素が絡むきわめて複雑な作業だ。    
   

このくだりは具体的に何が言いたいのか分かりません。個々のダムを検証すると無駄だから中止すべきという考えは素人考えであり、同じ流域の他のダムも含め全体として考えると建設すべきことになる場合があると言いたいのでしょうか。    

利根川水系の治水計画は、これからさらに10基以上の大型ダムを建設しないと完結しません。永遠に絶対に完結しない治水計画なのです。利根川水系のダムを全体的に見てもダムによる治水計画は破たんしているではありませんか。    

個々的に見ると無駄でも全体的には必要という理論が成り立つのなら、具体的に論証してもらわないと、到底納得できるものではありません。    

朝日の記事を読むと、川辺川ダムを巡る報道を思い出します。    

熊本県が2001-12-09から開催した「川辺川ダムを考える住民討論集会」で住民と国土交通省の職員は、議論を闘わせました。このやりとりについて新聞は「議論は平行線」という表現で報道しました。    

ダム反対派の「欲目」もあるかもしれませんが、住民側が中止すべき根拠を主張しても、国交省側は反論にもならないような言い方で住民側の主張を否定しまくります。これをマスコミは「平行線」と表現します。討論集会に参加した住民は、新聞報道を読んでいらだったものでした。    

新聞はどちらの言っていることがまともなのか判断しないのかできないのか、未だによく分かりません。中立を装っておいた方が営業上無難だということでしょうか。    

「中立」というなら、役人だけに取材しないで、反対派の意見も聞いた上で記事を書いてほしいと思います。    

今のところ朝日の記事は、役人の理屈をベースとしながら、反対派住民の意見にも一理ある。その結果、どちらが正しいのか判定できない、というスタンスのように思われます。これって、役人の思うツボではないでしょうか。マスコミも世論も判定しないうちに既成事実を積み上げて予算を消化するのが役人の手口ですから。    

もう一つ記者に認識してほしいことは、役人と反対派住民は対等ではないということです。川辺川の討論集会でも問題になりましたが、役人は勤務時間中に税金で討論の準備をしますが、住民は仕事のあとで自腹で準備します。栃木県のダム訴訟でも同じことが言えます。そして税金を使う側が使う理由を明確に説明する責任があります。データを持っているのは役人です。役人と住民に同じレベルの立証責任を課すのは酷です。報道機関はその点を踏まえて、どちらがまともなことを言っているのかを判断してほしいと思います。

(文責:事務局)
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