計画高水位は瑕疵判断の絶対的な基準か(鬼怒川大水害)

2019-09-17

●国は、現況堤防高が計画高水位よりも高ければ、河川管理に瑕疵がないと言いたかったのか

前回記事決壊地点の堤防は計画高水位より低かった(鬼怒川大水害)では、鬼怒川大水害訴訟(2018年8月7日提訴)において、被告(国)は、「越水が始まったと見られるのは、鬼怒川の左岸21.0キロメートルから約18メートル下流で、堤防高が計画高水位を約6センチメートル上回っていた地点である。」(答弁書p25)と主張していますが、それは2005年度のデータを基にして言っていることであり、三坂町地内で地盤沈下が継続して起きていたことを考慮すれば、2015年9月の被災時には、当該地点の堤防高は、計画高水位よりも4.4cm低かったと見ることもできる、と書きました。

今回問題にしたいのは、被災時の堤防高がどうだったかはさておき、国は、現況堤防高と計画高水位の関係を気にしているということです。

国は、一番低い箇所の堤防高が計画高水位を約6センチメートル上回っていた、と言いますが、それがどうした、だからなんなのか、という話です。

国は、現況堤防高が計画高水位よりも高ければ、河川管理に瑕疵がないと言いたかったようにも見えます。逆に低ければ瑕疵があると言えるのでしょうか。

要するに、水害訴訟において、計画高水位は河川管理の瑕疵に関する絶対的な基準になるのか、が問題だと思います。

水害訴訟においては、原告も被告も裁判所も、洪水の水位や現況堤防高と計画高水位との関係を気にした表現をすることが多く、瑕疵の判断基準であるかのように扱っているように思いますが、いくつかの水害訴訟判決を読んでも、なぜ計画高水位を判断基準とするのかが明確に説明されることはないような気がします。

●計画高水位とは何か

「計画高水位」の意味について、国土技術政策総合研究所の用語解説には、次のように書かれています。

計画高水流量は、基本高水流量からダムや調節池などの洪水調節の量を差し引いた川を流れる流量のことです。

計画高水位(H.W.L)は、計画高水流量が河川改修後の河道断面を流下するときの水位です。 この水位は、堤防や護岸などの設計の基本となる水位です。この水位を上回る超過洪水では、堤防が危険な状態になることを意味します。

要するに、「計画高水位」とは、計画高水流量が河道を流下するときの水位なのですが、留意すべきは、現況河道を流下するときの水位ではなくて、河道の改修工事を行うことによって計画河道断面積を確保した上での河道を流下するときの水位だということです。

(したがって、通常はないことですが、未改修部分でも河床低下等の理由により現況河道の断面積が計画河道断面積よりもはるかに大きくなっている場合には、現況堤防高が計画高水位を下回っていても、特に危険であるとは言えません。)

●現況堤防高が計画高水位を下回っているなら瑕疵があるのか

そして、河川管理施設等構造令第18条第1項では、「堤防は、護岸、水制その他これらに類する施設と一体として、計画高水位(高潮区間にあつては、計画高潮位)以下の水位の流水の通常の作用に対して安全な構造とするものとする。」と規定されています。堤防は、計画高水位以下の流水を安全にやり過ごすためのものだというわけです。

これらのことから、現況堤防高が計画高水位を下回っているなら、それだけで危険であり、河川管理に瑕疵がある、と言う人もいると思いますが、そうもいきません。

大東水害訴訟最高裁判決(1984年1月26日)によれば、改修途上の河川において求められる安全性は、過渡的安全性で足りるのであり、現況堤防高が計画高水位を下回っている箇所で水害が起きたとしても、それだけで河川管理に瑕疵があったとは言えません。河川の改修計画が格別不合理でなければ、河川が未改修のために水害が起きたとしても、瑕疵があったとは言えない、というのが判例理論です。

一般論としては、現況堤防高が計画高水位を上回る度合いが大きい方が安全性が高いと言えるとしても、現況堤防高が計画高水位よりも低い場合には、河道断面積(流下能力)が大きければ直ちに危険であるとは言えず、仮に危険だと言えるとしても、判例理論によれば、改修計画が格別不合理でなければ瑕疵はないのですから、計画高水位は瑕疵を判断するための絶対的な基準になりません。

●相対的な基準にはなる

そうはいっても、計画高水位は、通常有すべき安全性を考える上での一応の、かつ、有効な指標ではあると思います。

鬼怒川下流区間の場合、現況堤防高はほとんどの箇所で計画高水位を上回っていたのですから、現況堤防高が計画高水位を下回っていれば、他の箇所より相当低いことになるので、計画高水位は第一段階の瑕疵(通常有すべき安全性を欠いていたか)を判断する上で、重要な指標になると思います。

そもそも堤防は高さと幅で洪水の氾濫を抑えるものなので、高さだけが瑕疵判断の絶対的な基準にならないことは、判例で言われるまでもなく、最初から分かっていることですが、なぜか計画高水位は瑕疵の基準として絶対視して語られ、そして絶対視する理由が説明されることもないように思います。

●計画高水位が洪水水位と比較されることもある

計画高水位は、堤防の高さだけでなく、洪水の水位と比較して河川管理の瑕疵が議論されることがあります。

未改修の河川において計画高水位以下の水位の洪水で堤防が決壊したり、堤防のない箇所から氾濫が起きたりしたら明らかに瑕疵がある、と考える人がいるかもしれませんが、判例によれば、改修計画が格別不合理でなければ、瑕疵があるとは言えないことになるはずです。

●計画高水流量を絶対的な基準とする説もある

似たような話で、計画高水流量を絶対的な基準とする説もあります。

犀川千代子弁護士は、判例タイムズ(1984-04-15)のp52で次のように書いています(論文の題名は「水害訴訟――大東水害訴訟最高裁判決をめぐってーー」)。

改修工事の改修、未改修を問わずその時点における計画高水流量規模程度またはそれ以下の洪水で溢水ではなく、堰、護岸、または堤防等の構造物の物的な瑕疵による損壊によって水害が起こったような場合には、一般論としても、ずばり国賠法2条1項の営造物の管理の瑕疵による災害となることは当然であり、そのような事案は本件最高裁判例の論理の線上から外れた水害と解すべきである。

(ここでの「溢水」は、無堤防地区から氾濫することではなく、洪水が堤防を乗り越えるという意味で使われています。)

私もそう思いたいところですが、判例理論は一人歩きをしています。

大東水害は、堤防が決壊した事案ではなかったことから、東水害訴訟最高裁判決は堤防が決壊した事案には適用されないという説もあったようですが、現在では裁判所から無視されています。

裁判所は、全ての水害訴訟に大東水害訴訟最高裁判決の理論を当てはめようといています。

したがって、被害者は、計画高水流量以下の洪水によって、しかも越流もしていないのに、堤防が脆弱だったために決壊し、氾濫したような場合であったとしても、改修計画は格別不合理ではなく、改修工事の順番が来る前に水害が起きてしまったのだから仕方ないでしょう、お気の毒様、と言われてしまう可能性はあります。

越流によらない水害において、計画高水流量を絶対的な基準にしたい気持ちは分かりますが、そしてそういう説を唱えることは自由ですが、残念ながら裁判所には通用しないのが現実ではないかと思います。

そんなわけで結論ですが、計画高水位は、現況堤防高や洪水の水位と比較することによって河川管理の瑕疵が判断される場面が多いが、絶対的な基準ではない、しかし、相対的な基準としては極めて有効であると言えると思います。

(文責:事務局)
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