決壊地点の堤防は計画高水位より低かった(鬼怒川大水害)

2019-09-07

●国は「堤防高が計画高水位を約6センチメートル上回っていた」と主張

鬼怒川大水害訴訟(2018年8月7日提訴)において、被告(国)は、「越水が始まったと見られるのは、鬼怒川の左岸21.0キロメートルから約18メートル下流で、堤防高が計画高水位を約6センチメートル上回っていた地点である。」(答弁書p25)と主張しています。

その根拠が2006年3月に共和技術株式会社が作成した「中三坂地先測量及び築堤設計業務報告書」の中の「鬼怒川縦断成果表」であることは、前回記事決壊地点は「局所的に堤防が低い状況ではなかった。」は事実に反する(鬼怒川大水害)に書きました。

共和技術表紙

鬼怒川縦断成果表

確かに、NO112(赤枠表示)の現況堤防高がY.P.20.88mで、最小値です。

NO112の位置は、L21.00k(利根川合流地点から起算した「km地点」を「k」と表記する。)の追加距離4497.825m−NO112の追加距離4480.000m=17.825mなので、小数点以下四捨五入して「鬼怒川の左岸21.0キロメートルから約18メートル下流」で「越水が始まったと見られる」というのが国の主張です。

国の理屈は、「鬼怒川縦断成果表」において、「越水が始まったと見られる」NO112(L21.00k−17.825m)の現況堤防高が20.88mであったのに対して、同地点における計画高水位は20.824mだから、現況堤防高は計画高水位よりも0.056m(5.6cm。四捨五入して約6cm)上回っていた、というわけです。

しかし、国は、一体いつの話をしているのでしょうか。

●国は2005年度の状況を説明しているにすぎない

鬼怒川の堤防は沈下を続けています。堤防だけではなく、常総市全体が地盤沈下を起こしているということですが。

2005年度測量結果と2011年度測量結果を比較したいのですが、「鬼怒川縦断成果表」(2005年度測量結果)には、L21.00kの現況堤防高の記載がないので、そこでの沈下量の比較はできません。

L21.00k から250m上流のL21.25kでの沈下量を比較すると、2006年1〜3月(早ければ2005年中)の現況堤防高は、「鬼怒川縦断成果表」から22.18mであるのに対して、2011年度測量結果表(2015年関東・東北豪雨被害〜鬼怒川水害〜のサイトから)によると、22.140mなので、約5年間で4cm沈下しています。

そうだとすると、2011年度時点で考えても、「越水が始まったと見られる」NO112(L21.00kの下流約18m)の2011年度の現況堤防高は、20.88m(2005年度測量結果)から約5年間の地盤沈下量4cmを差し引いた20.84mだったと見るべきでしょう。ただし、越水開始地点(NO112)の沈下量が約268m上流地点(L21.25k)での沈下量と等しいとは限らない、という反論は予想されますが。

そうだとすると、これに対してNO112における計画高水位20.824m(「鬼怒川縦断成果表」から)は2005年度でも2011年度でも同じですから、2011年度のNO112における現況堤防高と計画高水位との差は、現況堤防高20.84m−計画高水位20.824m=0.016m(1.6cm)しかなかったと見るべきではないでしょうか。

1.6cmといえば、わずかに指1本分の幅ですから、「上回っていた」と言えるような差ではないと思います。

しかも、2011年度測量(大地震後か?)から2015年9月までのおよそ4年間?においても沈下は続いていたと考えるべきなので、NO112における現況堤防高と計画高水位は逆転していた可能性大です。

●国と茨城大学の資料から検証してみた

別の角度から検証しましょう。

下表は、国が作成した資料からの抜粋です。

10年沈下量表

鬼怒川左岸の20.75〜21.25kの1998〜2008年の10年間の沈下量の平均は、0.177mであるということになります。

1年間平均で0.0177m(1.77cm)の沈下量です。

したがって、2006〜2014年の9年間で約16cm沈下したという単純な推測が可能です。

しかし、鬼怒川下流の地盤沈下は、直線的に進行しておらず、沈下が止まっていた時期もありますので、上記資料で単純な推測をすると沈下量の過大評価になります。

下図は、「茨城大学 平成27年 関東・東北豪雨調査団成果報告書2016年3月25日(要約編+資料編)」p69の「図4.3.2常総市周辺における地盤沈下の状況」です。

2011年の大地震の直前の4〜5年間は、沈下が止まっています。

地盤沈下の状況

下図は、丸数字4IG6−01(破堤地点に最寄りの観測地点)における沈下状況を示すグラフの拡大図です。ただし、「地震後に観測が行われていない 4 地点については,他地点の予測結果の平均値を用いて表示した.」(上記報告書p68)とあるので、大地震後の曲線は、実績値を表すものではありません。

地盤沈下の状況拡大三坂町

上図から読み取ると、丸数字4IG6−01(破堤地点に最寄りの観測地点)では、2005年から2014年までに100mm程度は沈下したと考えるべきだと思います。

そうだとすると、鬼怒川左岸の越水開始地点と思われるNO112における被災時の高さは、2005年度測量結果20.88m−2005年から2014年までの沈下量0.1m=20.78mだった可能性があります。

そうだとすると、NO112における計画高水位は20.824m(「鬼怒川縦断成果表」から)なので、被災時の現況堤防高は、計画高水位よりも0.044m(4.4cm=計画高水位20.824m−被災時の高さ20.78m)低かった可能性があります。

●まとめ
【2005年度の状況】

「越水が始まったと見られるのは、鬼怒川の左岸21.0キロメートルから約18メートル下流で、堤防高が計画高水位を約6センチメートル上回っていた地点である。」(答弁書p25)という国の主張は、事実だとしても、2005年度の状況について述べているのであり、被災時(2015年9月10日)の状況を述べていません。

被災時に「(越水開始地点の現況)堤防高が計画高水位を約6センチメートル(詳しくは5.6cm)上回っていた」(括弧書きは引用者)という主張は、以下の理由により成り立ちません。

【2011年度の状況】

2011年度時点で考えても、越水開始地点の現況堤防高は、計画高水位をわずかに約1.6cm上回っていたにすぎなかった可能性があります。なぜなら、越水開始地点より約268m上流のL21.25kでは2005年度から2011年度までに4cm沈下しているので、この事実から類推して、越水開始地点でも4cm沈下したと考えるべきだからです。

【2015年度の状況】

被災時点で考えれば、越水開始時点の現況堤防高は、計画高水位を約4.4cm下回っていた可能性があります。なぜなら、茨城大学による報告書によれば、越水開始時点の現況堤防高は、2005年度から2014年度までに約10cm沈下したと考えられ、2005年度に現況堤防高が計画高水位をかろうじて5.6cm上回っていたとしても、2014年度には現況堤防高だけが約10cm沈下するのですから、両者の位置は、被災時には逆転していたと考えられるからです。

(文責:事務局)
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