鬼怒川には遊水地がなく、霞堤も茨城県内にはありません。(そもそも霞堤は、鬼怒川下流部のような河床勾配の緩い部分には設置できません。)
したがって、茨城県内の鬼怒川流域は、連続堤防だけで守るしかありません。(本来は、難破堤堤防という選択肢もありますが、訴訟で争点化するのは難しそうです。専門家と弁護士の連携がよほどよくないと書面が書けないと思います。)
そうであれば、堤防は連続して最低でも計画高水位程度の高さは確保すべきです。
連続堤防は、1箇所でも特に低い箇所があれば、そこで破堤し、堤防としての用をなさないからです。堤防が土製であるという前提ですが。
したがって、鬼怒川下流部、特に被害が甚大となる常総市東部地域を守るには、堤防や堤防の代わりをする地形を、最低でも計画高水位程度に保つというのが、河川管理上の道理(大東判決のいう「河川管理の一般水準」か)だと思います。
鬼怒川大水害訴訟では、この道理を説明して、計画高水位より低い箇所が存在すること自体が過渡的安全性を欠如することであり、瑕疵の決定的な要素となる、ということを裁判所に理解してもらうべきだと思います。(原告側は、計画の合理性で瑕疵を判断すべき、という立場です。)
●前回記事のおさらい
前回記事計画高水位より低い堤防は欠陥堤防ではないのか(鬼怒川大水害)では、2015年の氾濫は、堤防と山付き堤の高さが計画高水位より低い箇所で起きたこと、距離標のない地点では、2011年度には、30kより下流の左岸に5箇所の計画高水位以下の箇所があったが、三坂町(2箇所)と若宮戸の合計3箇所が含まれており、それら以外の2箇所は地形的に大水害の起きる箇所ではなかったこと、破堤区間(三坂町地区)にある距離標地点の左岸21.00kでは、2011年度時点で堤防高がY.P.21.04mとされていたが実は偽装されていて、実際は、計画高水位より10cmも低い20.73mであったこと、2005年度時点で計画高水位をわずかに1cmだけ上回る20.84mであったことを書きました。
今回は、溢水のあった若宮戸地区でも、堤防の代わりをするはずの河畔砂丘の高さが計画高水位以下であったことを書きます。
前回記事でも、2011年度鬼怒川堤防高縦断表によって、若宮戸のL24.675kにおいて計画高水位より3.3cm低かったことが分かることを示しましたが、どこを測量したのか分かりませんが、実際は、そんな生やさしいものではありませんでした。
●2004年1月には河畔砂丘の2箇所で計画高水位以下だった
若宮戸の河畔砂丘は、河川区域外の民有地を含めれば、1964年までは、河畔砂丘における砂採取は行われていなかったと思われるので(高水敷では行われていた。)、計画高水位程度の水位となる洪水には耐えられたと思います。
しかし、それ以降に行われた河畔砂丘(河川区域の内外の)での砂採取や宅地や畑の造成のために、遅くとも1975年には堤防の機能(計画高水位以下の流量を安全に流下させる)を果たせなくなっていたと思います。(この辺りの検討は、若宮戸河畔砂丘の変遷を確認してみた(鬼怒川大水害)で行いました。)
しかし、国は、危機意識を持たなかったと思います。
そんな中、若宮戸では2年連続して2015年の溢水の予兆ともいうべき浸水が起きます。
「2014年度三坂地先外築堤護岸設計業務設計報告書」(株式会社建設技術研究所、2015年3月。リンク先は平成27年関東・東北豪雨災害 〜鬼怒川水害〜のサイトです。)のp4−1には、「本地区(引用者注:若宮戸地区のこと。)は平成13年、14年出水により、自然堤防前面の高水敷まで浸水した地区であり」と書かれています。(「自然堤防」は「河畔砂丘」の誤りです。p4−29には、河畔砂丘は、1960年以降、人工的に削られて、現状残っているものは自然堤防である、と書かれており、確信犯的に「自然堤防」が使われています。「自然堤防前面の高水敷」がどこなのかも不明ですが、河川区域の外側だとしたら「高水敷」と呼ぶのも奇妙です。)
2001年出水の状況は不明ですが、2002年7月台風では若宮戸では、石下町が提出した下記要望書を見ると、小林牧場の敷地は全て浸水したほか、河川区域境界を最大で130m程度超えて居住地側に浸水した箇所もありましたが、河畔砂丘があったので水害にはなりませんでした。
それでも、おそらくは、これまでになかったことなので、石下町(2006年から常総市)は、2003年5月30日付けで単独で国に若宮戸地区の堤防整備を要望しました。通常は、鬼怒川下流8市町が毎年度共同で整備を要請するので、異例のことです。
それを受けてか、国は、2003年度に若宮戸地先築堤設計業務を発注します。受注者は、サンコーコンサルタント株式会社(東京都江東区)でした。
同社が2004年3月に提出した2003年度若宮戸地先築堤設計業務報告書(以下「報告書」という。)のp3−11に「図3.3.1洪水時冠水状況平面図」(下図。リンク先は平成27年関東・東北豪雨災害 〜鬼怒川水害〜のサイトです。)があります。
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上記報告書のp3−10には、上図の説明があり、「3.3 洪水時状況」という見出しで、次のように書かれています。
計画高水流量相当の洪水が発生した場合の当該地区の状況について、図3.3.1.に示した。(H.W.L.以上となる箇所を茶に着色)図に示されるように、下流端部・養鶏場下流の道路部・養鶏場上流の低地部の3箇所でH.W.L.を下回る。したがって、洪水時には堤内地は冠水してしまうため、第1案もしくは第2案の計画を実施する必要がある。
したがって国は、上記報告書を受領した2004年3月時点で、河畔砂丘の地盤高が3箇所(後記のとおり、実際は2箇所か)において計画高水位を下回っており、溢水が起きる蓋然性が高いことを明確に認識していました。
鬼怒川大水害訴訟で被告は、「長大な河川のどこで氾濫が発生するかあらかじめ詳細に把握することは技術的に困難である。」(準備書面(1)p45)と述べますが、全くの虚偽であり、実際には、高い確率で氾濫発生箇所を予測していました。
報告書に「3箇所でH.W.L.を下回る。したがって、洪水時には堤内地は冠水してしまうため、第1案もしくは第2案の計画を実施する必要がある。」と明確に書かれているのですから、計画高水位の意味を正当に認識するならば、緊急性があることは明白です。
上図は、若宮戸の溢水について被告の責任を論ずる際の最重要かつ不可欠の証拠だと思います。
●計画高水位より高い部分はどのように途切れていたのか
河畔砂丘で計画高水位より高い部分はどのように途切れていたのかを定量的に表現したいと思います。
洪水時冠水状況平面図によれば、計画高水位より高い部分が途切れている部分は、以下の3箇所でした。
(1)下流端部
(2)養鶏場下流の道路部
(3)養鶏場上流の低地部
しかし、後記のとおり、(2)養鶏場下流の道路部は、計画高水位より高かったと思います。
(1)下流端部については、「洪水時冠水状況平面図」でその箇所を示す楕円形の長径は、100mはあるでしょう。
(3)養鶏場上流の低地部については、その箇所を示す楕円形の長径は、90mはあるでしょう。
したがって、下流の堤防接合部から上流の河畔砂丘の延長を26.00km―24.63km=1370mとすると、そのうちの190m(約14%)が計画高水位より低かったというわけです。
では、その計画高水位より低かった190mの区間はどの程度低かったのか、また、計画高水位より高かった箇所は、どの程度高かったのでしょうか。
報告書の「洪水時冠水状況平面図」の背景地図(「2002年度若宮戸地先測量及び環境検討業務」での測量図。2004年1月時点の状況を示す。)には、河畔砂丘の横断図が描かれており、横断図の中で最高地点の標高を私が計測した値のグラフが下図です。
測点の間隔は等間隔になってしまいますが、実際の間隔は様々です。No.の付いた箇所の間隔は50mです。
距離標地点の表示はおおよその位置です。
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上図の測点の位置は、下図の縦断線上に表示されています。
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上のグラフは、原則として横断測線の最高地点の高さを私が物差しで計測したもの及び横断図に記入されていた最高地点(付近の場合もある。)の測量値ですが、グラフの中に表示したように、例外を設けました。
鬼怒砂丘慰霊塔を横断するNo.17及びSP3については、慰霊塔の東側の外壁に接する地盤高としました。
BC2については、次の理由により、市道東0280号線の路面の高さとしました。
まず、B C2に係る平面図及び横断図を示します。
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次に、平面図に横断測線を加筆したものを赤線で示します。私が加筆したのですから、実際にかつら設計が引いた横断測線とは多少のズレはあると思いますが。
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次に断面図のうち地盤の高い部分を拡大したものを示します。
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上の平面図の赤線は、B C2での横断測線であり、これは、市道東0280号線と斜めに交差し、段差を降りて、田の中を北東方向に伸びていきます。
断面図を見ると、市道の南側では21.2m(私の計測で)の高さの地盤がありますが、これを最高地点とすることは妥当ではありません。
なぜなら、丘のような地形も、そこに切り通し道路があれば、水位が道路面よりも高くなる洪水を防御することはできないからです。
河畔砂丘に押し寄せる洪水は、市道東0280号線の峠部分(高さ20.265m)さえ乗り越えれば居住地側に進んでしまいます。 B C2の横断測線が市道の峠部分を通っていることは、平面図を見れば分かります。横断測線と市道の交差部の脇には、市道付近で最も高い21mの等高線があるからです。
かつら設計が横断図の最高地点ではなく、市道の路面の高さを測量して記入したのも、上記の道理(横断測線と交差する切り通し道路より高い地点を測量する治水上の意味がない。)を踏まえたものだと思います。(現地で測量している人には、切り通し道路より高い部分を測量しても意味がないことが実感できるのですが、机上の図面をながめているだけの人には分からないかもしれません。)
堤防の縦断図と無堤防区間で複数の横断測線の最高地点をつなげて作成した「縦断図もどき」を混同しないように注意すべきです。堤防に切り通し道路が設置されることはあり得ないからです。
誤解のないようにお願いしたいのは、実際の洪水が市道東0280号線を通ったということではないことです。実際の下流側溢水の経路は、2014年度測量図で説明する必要があるのですが、省略して結論だけ言うと、実際の洪水は、当該市道を伝って、峠を乗り越えたものも多少はあるでしょうが、主流は、市道よりもさらに低い、南側(下流側)の間口の広い土地(牧草地か?)から進入し、突き当たりの高い地盤(21m以上)を避けて、そこよりも低い市道の峠部に至ったと思います。
下の衛星写真は、被災翌日の2015年9月11日の下流側溢水箇所です。洪水流の主な経路は、黄色矢印のとおりだったことは明らかだと思います。それにしても、市道東0280号線の南側の土地は、翌日になっても水が引かないのですから、どれだけ低い土地だったかが分かります(上の5の図で示した平面図の「+40.0」の地点では17.96mしななかったのです。)。この土地は、元々これほど低い土地ではなかったはずであり、河川区域内ですから、被告の許可(河川法第27条第1項)という行為によってこのような状態を招来したことになり、そうだとすれば、間接的に管理者自らが堤防の代替物を破壊し、その機能を棄損したのですから、被告の責任は重いと言うべきだと思います。有力な攻撃材料だと私は思うのですが。
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グーグルアースプロから(画像取得日:2015年9月11日)
ちなみに、2015年洪水は、ピーク時には、堤防の曲がり角近くでも溢水したようです。2014年度測量の横断図を見ても、堤防の曲がり角付近には22m未満の箇所があります。詳しくは、若宮戸の河畔砂丘 4 24.75kの氾濫の本質で現地調査報告されていますので、参照ください。
要するに、2004年1月には、下流側溢水箇所もボロボロの状態(計画高水位未満の洪水でも溢水する状態)だったのです。このことが問題の本質だと思います。
訴訟では、2011年度事業再評価において、L24.63k付近の整備を被告が検討していたかどうかが問題になっていますが(根拠は、2021年5月28日付け求釈明申立書p8以下)、そんなことを問題にする必要があるのか疑問です。問題にするのが悪いとまでは言わないとしても、中心論点ではないと思います。2004年には緊急性(過渡的安全性の欠如)が認識されているのですから、責任追及を2012年まで待つ必要はないと思います。
●上のグラフから分かること
上のグラフから分かることは、河畔砂丘の下流部では、L24.50kとL24.75kのちょうど中間地点付近に計画高水位以下の箇所があり、そこでの最低地点の高さは20.265mであること、上流部では、L25.25kとL25.50kの間に計画高水位以下の箇所があり、L25.25kのやや上流(L25.35k付近)が最低地点で高さが21.3mであることです。
計画高水位との対比で言うと、下流側のL24.63k付近の最低地点の高さは20.265mで、その地点(B C2)の計画高水位は22.115m(根拠は、報告書のp4−5の表4.2.1鬼怒川左岸若宮戸地先縦断計画表)ですから、計画高水位より、なんと1.850mも低かったのです。2015洪水の痕跡水位21.83m(L24.50kで21.73m、L24.75kで21.93mから推測)と比べても、約1.57mも低かったことになります。
ちなみに、市道東0280号線の峠部の標高20.265mは低かったとはいえ、その東北側にあった田の標高はさらに低く、17.80m(2004年測量平面図に記載あり)しかなかったので、その落差は、約2.47mにもなります。そのため、深さ6mもの巨大押堀ができたと考えられます。(三坂町での押堀は、最深で約4.9mとされています。常田論文参照)
上流側(ソーラーパネル付近。L25.35k付近と言われている。)の最低の地点(正確に言えば、複数の横断測線の最高地点のうちで最低の地点。B C5横断図での最高地点)の高さは21.3m(被告は、21.36mとしている。)で、その地点の計画高水位は22.380mですから、計画高水位より、なんと1.08mも低かったのです。2015年洪水の痕跡水位(L25.25kで22.01m)よりも0.71m低かったことになります。
以上により、若宮戸の河畔砂丘においては、2004年には、「下流端部」では、計画高水位より1.850mも低い箇所があり、「養鶏場上流の低地部」では、計画高水位より1.08mも低い箇所があったのです。
被告は、河畔砂丘の2箇所で計画高水位を1〜2mも下回る箇所があったことを当時認識していたのです。同時に若宮戸における築堤設計書を業者に作成させたのです。
(ところが、その後、用地買収や河川区域の変更をするでもなく築堤設計書をお蔵入りさせたために、2014年に河畔砂丘が大規模に掘削されて、地形が変わってしまったため、築堤設計は測量からやり直すことになります。)
要するに、被告は、若宮戸地区の危険性を定量的に認識してから鬼怒川大水害の発生まで10年間の時間的余裕が与えられていたのです。(本来は、もっと早く、例えば2000年までに築堤すべきでしたが。)
上記のことを主張するためには、「洪水時冠水状況平面図」が不可欠の証拠ですが、この図面の重要性を早期に見抜いていたのは、鬼怒川マイスターと呼ぶべきnaturalright.orgです。
2018年12月には、若宮戸の河畔砂丘 4 24.75kの氾濫の本質で解説しており、私はその受け売りをしているだけなのですが、言われてみれば、最重要証拠であることはほぼ誰でも理解できると思います。
●計画高水位以下の箇所は2箇所だった
報告書には、「下流端部・養鶏場下流の道路部・養鶏場上流の低地部の3箇所でH.W.L.を下回る。」と書かれていますが、実際は2箇所だと思います。
なぜなら、養鶏場下流の道路部とは、常総市道東0272号線(路線番号図(「いばらきデジタルまっぷ」から)参照)の東西部分の切り通しなのですが、その峠は、計画高水位よりも高かったと思うからです。
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下図は、「洪水時冠水状況平面図」の着色前の背景地図です。
「1号線」と書かれた破線は横断測線を引くための基準となる縦断測線です。中央に縦に走る市道東0272号線の上に「+16.0」という測点があります。隣の測点No.10の16.0m先(北)という意味で、正式には、「No.10+16.0」とされています。
「No.10+16.0」の地点で1号線と直交する横断測線を赤線で再現してみました。
この横断測線は、市道東0272号線の東西部分を縦断しています。
そもそもかつら設計は、当該市道の縦断図を作成するために「No.10+16.0」を設定したはずです。つまり、偶然市道の断面図になったわけではないと思います。
したがって、その最高地点が峠の高さです。
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下図は、「No.10+16.0」の地点での横断測線に基づく断面図です。
市道東0272号線の東西部の縦断図ということになります。
縦断図の最高地点は測量されていて数値が入っています。
拡大すると、「22.692」と読めます。
サンコーコンサルタントが作成した鬼怒川左岸若宮戸地区縦断計画表(リンク先は平成27年関東・東北豪雨災害 〜鬼怒川水害〜のサイトです。)によれば、「No.10+16.0」における計画高水位は、22.284mですから、市道東0272号線の最高地点22.692mは、計画高水位よりも0.408m高いことになります。
なお、上記「鬼怒川左岸若宮戸地区縦断計画表」によれば、「No.10+16.0」は、左岸25.00k+57.39m(上流、北)の地点です。
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下図は、上図の拡大図で、「No.10+16.0」における横断測線の最高地点の標高を表示した部分です。
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2015年洪水の痕跡水位は、左岸25.00kで22.02mですから、「No.10+16.0」での横断測線における最高地点22.692mは、仮に11年後もその高さが維持されているとしたら、痕跡水位よりも約0.67m高かったことになります。
しかし、実際には、若宮戸地区でも、2004年から2015年までに、多少の沈下や低下はしていたと思います。
どのくらい低くなっていたか、というと、堤防のある左岸24.50kの標高は、2004年度が22.920m、2015年度が22.840mで、8cm低下していますから、その程度は差し引いて考える必要があると思います。それでも、痕跡水位より59cm程度は高かったことになります。
下図は、直轄河川利根川水系鬼怒川(鎌庭出張所)管理基平面図(2010年3月、下館河川事務所)からです。naturalright.orgのサイトのreference5 鬼怒川に関する基本情報のページで無償提供されています。
市道東0272号線の東西部の最高地点は、赤線(計画堤防法線)と当該市道との交差点の少し下の黒ポチだと思われ、22.7mを表す数字があります。
おそらく2004年1月測量の「洪水時冠水状況平面図」の22.692mを丸めたのでしょう。
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市道東0272号線の東西部における2015年の被災状況を空中写真で見てみましょう。
下図は、2015年9月10日撮影の空中写真で国土交通省が公表(鬼怒川の堤防決壊のとりまとめ)しているもののうち、W9R7708(14:55撮影)と付番されたものです。
「14:55撮影」の根拠は、naturalright.orgのサイトの若宮戸の河畔砂丘 2 24.75kの押堀です。おそらく情報公開請求で生データを取得されたのだと思います。
若宮戸の河畔砂丘 4 24.75kの氾濫の本質に掲載された鎌庭での水位データを見ると、15時の水位21.3mは、ピークの水位21.8m(11時及び12時)よりも0.5mほど低下しているので、その程度はピークより下がっているかもしれませんが、そうであれば、L25.25kで21.5m程度(ピーク値約22mマイナス0.5m)の水位だったとも推測でき、結構高い水位だった時の写真です。
下図からは、養鶏場下流の道路部で溢水があったかは不明ですが、撮影時に溢水が起きているようには見えません。
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下図は、グーグルアースプロの衛星写真で、被災から約1か月後の2015年10月9日時点の市道東0272号線の東西部分(30度くらい傾いていますが)の付近です。鶏舎の南側に見える道路が、報告書では計画高水位より低い箇所だとされる市道東0272号線の東西部分です。
ソーラーパネルの南側の湿った広い土地(畑?)にソーラーパネルの方から砂が流れ込んでいますが、市道側から泥水が進入した形跡は見られません。
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以上の検討により、2015年洪水で「養鶏場下流の道路部」では溢水は起きておらず、また、2004年当時、この切り通し道路の峠の部分の標高22.692mは計画高水位22.284m(No.10+16.0m=L25.00k+57.39m地点での)より40.8cm高く、計画高水位以下ではなかった、というのが私の結論です。
報告書が「養鶏場下流の道路部」を計画高水位以下だとしている理由が分かりません。