報道がウソを振りまいている(鬼怒川大水害)

2022-03-07

●結審についてN H Kが解説した

2022年2月25日に鬼怒川大水害訴訟が水戸地裁で結審しました。判決言い渡しは同年7月22日の予定です。

N H K水戸放送局は「常総水害訴訟が結審 判決はことし7月の予定 水戸地裁」というタイトルの解説記事を2月25日のウェブニュースに載せています。テレビ映像の動画も貼り付けられており、11分13秒もかけて解説報道をしたということです。

一部を抜粋します。

【争点は「計画が合理的か」】
住宅が浸水するなどの被害を受けた住民たち32人が「鬼怒川の堤防の高さが不足していることを知りながら、国は適切な対策をとらなかった」などとして、国に対して3億円余りの損害賠償を求めているこの裁判。
争点になっているのは、鬼怒川の堤防などを整備する「計画」が「合理的」かどうかです。
【鬼怒川の水害詳しい争点は】
今回の裁判も、こうした枠組みの中で争われています。
争点を詳しく見ていきます。
裁判で主に争われているのは、場所で言うと2つ。
決壊地点の上三坂地区と、水が堤防を越えた若宮戸地区。
どちらも当時、被害が特に大きかった地域です。


〈下敷きは昭和51年の最高裁判決〉
というのも、今回の裁判では原告側も被告側も、水害をめぐる過去の同じ判決、昭和51年の最高裁の判決を下敷きにして主張しているからです。
これは大阪府大東市を流れる谷田川の氾濫によって被害を受けた住民が国の責任を訴え、損害賠償を求めた裁判でした。
この裁判の判決で最高裁は、水害が起きた時の河川の整備状況だけでは国の管理に問題があるとは言えず、「整備の計画」に注目するべきだと示しました。
例えば、一般的な川で、あるところだけ堤防が低くなっていたり、川に土砂がたまって水位が上がっていたりして、水があふれやすくなっていたとします。
「危険だな、ちゃんと整備してほしいな」と思うところですが、判決では「堤防のかさ上げ工事などの整備をいま、進めている河川なら“高まっている途中の安全性”で十分」だとしています。
つまり、まだ整備が終わっていなくて安全性が不足していても、これから整備しようとしていれば、「管理としては問題ない」ということです。

〈上三坂地区〉
まず上三坂地区についてです。
原告側は「地盤沈下で堤防の高さが年々下がって、計画上の高さを下回っていた。国は測量でそれを知っていながら、ほかの地域より堤防の整備を優先するなどの対策をとらなかった」と主張しています。
これに対して、国は「用地の調査を始めるなど、堤防の整備に向けて動いていた。また、堤防の高さだけでなく幅なども踏まえて安全性を評価し、上流や下流とのバランスを総合的に考えながら整備を進めていた」と反論しています。

〈若宮戸地区〉
次に若宮戸地区についてです。
この地区は太陽光発電のパネルが作られたすぐそばで氾濫が起き、水害当時から堤防の整備の経緯が話題になっていました。
原告側は「太陽光パネルの設置のために、もともと堤防の代わりになっていた砂丘林が削られてしまった。国はこの砂丘林を河川区域に指定して、掘削などを自由にできない区間にするべきだったし、堤防を造るなどの十分な対策もとっていなかった」としています。
これに対しても、国は「河川区域の指定は法令に定めがなく、指定していないことで整備計画が不合理であるとは言えない。堤防を造る計画を立てたうえで作業を進めていたし、掘削工事の後に土のうを積むなど、できるかぎりの措置を講じている」としています。


●若宮戸に堤防があったと報道された

解説で問題なのは、若宮戸に堤防があったと書かれていることです。

「裁判で主に争われているのは、場所で言うと2つ。決壊地点の上三坂地区と、水が堤防を越えた若宮戸地区。どちらも当時、被害が特に大きかった地域です。」と解説されました。

N H Kが「水が堤防を越えた若宮戸地区」と報道するからには、若宮戸には堤防があったのだと、現場を知らない視聴者は受け取るはずであり、被告にとっては、ありがたい報道です。

「平成27年の「関東・東北豪雨」では鬼怒川の堤防が決壊し、大規模な浸水被害が出て茨城県内で3人が死亡、13人が災害関連死に認定されています。」という言い方も、堤防の決壊しかなかった(「溢水」(無堤防区間で洪水が溢れ出ること)はなかった)ような言い方です。

「例えば、一般的な川で、あるところだけ堤防が低くなっていたり、川に土砂がたまって水位が上がっていたりして、水があふれやすくなっていたとします。」というたとえ話も、堤防があったことを前提としています。

どういう意図があって、若宮戸地区が無堤防区間であったことを伏せて、N H Kが報道しているのか、知る由もありません。

まさか、「無堤防区間」という言葉を使ってくれるな、と誰かから要望されて、その要望に応えているわけではないと思いたいのですが。

●全ての争点が「計画の合理性」ではない

解説では、「争点になっているのは、鬼怒川の堤防などを整備する「計画」が「合理的」かどうかです。」と言いますが、正確ではありません。

確かに、瑕疵の判断基準として、計画が合理的かどうかとすることについて、基本的に当事者間に争いがないことは、私も過去記事に書きました。

しかし、原告側は、若宮戸における河川区域の指定の問題については、改修計画の合理性で瑕疵を判断すべきだ、という立場ではありません。

原告側は、被告が河川区域を適切に指定しなかったことにより、「段階的安全性・過渡的安全性」が失われたことが瑕疵だと主張した(原告ら準備書面(9)p18)からです。

原告側は、河川区域の指定については、計画のことは持ち出していません。(ただし、原告側は、原告ら準備書面(1)p14において、「鬼怒川の改修計画において、若宮戸においては、砂丘林が河川区域内になるように河川区域の指定をするなどして、砂丘林を保全する計画がなかったのであるから、このような改修計画は格別不合理であり」と主張していた時期もあるので、田淵慎輔記者がこの部分を根拠に、「全ての争点について計画の合理性が瑕疵の判断基準となると当事者が主張している」と誤解した可能性はあります。)

●大東判決は1984年に出された

解説では、「というのも、今回の裁判では原告側も被告側も、水害をめぐる過去の同じ判決、昭和51年の最高裁の判決を下敷きにして主張しているからです。これは大阪府大東市を流れる谷田川の氾濫によって被害を受けた住民が国の責任を訴え、損害賠償を求めた裁判でした。」とされています。

解説では、大東水害訴訟最高裁判所判決が1976年に出たと言っていますが、当該判決の裁判年月日は1984年1月26日であると最高裁判所のサイトに書かれており、なぜ1976年の「最高裁の判決」と言うのか理解できないところです。

●三坂町の用地取得は2009年には完了していた

解説には、「これに対して、国は「用地の調査を始めるなど、堤防の整備に向けて動いていた。また、堤防の高さだけでなく幅なども踏まえて安全性を評価し、上流や下流とのバランスを総合的に考えながら整備を進めていた」と反論しています。」と書かれています。

下図は、放送された映像のスクリーンショットです。上三坂地区について解説している場面です。

上三坂解説フリップ

「(上三坂地区では)用地の調査を始めるなど、堤防の整備に向けて動いていた。」というウソを報道されては困ります。

破堤区間の堤防整備のための用地取得は2009年に完了していた(鬼怒川大水害)に書いたように、三坂町の破堤区間に係る用地取得は2009年11月までに完了していたので、用地調査は設計年度の翌年度の2006年度には終わったと思います。

確かに被告は、「上三坂地区の堤防についても、平成26年には用地調査に着手し、整備に向けて進めていた」(被告準備書面(5)p22。被告準備書面(1)と(4)にも同様の記述があることは上記過去記事参照)と主張しているので、NHKはここを読んで報道したと思います。

しかし、被告は、一方で、被告準備書面(5)p15に「続いて、被告は、平成23年までに(中略)を中心として用地買収を進めるとともに(右岸14.25〜17.75km、左岸10〜12.25kmの一部、同18.75〜21.25km)」と書いており、つまり、L21.00k付近の破堤区間が含まれる左岸18.75k〜21.25kは2011年までに「用地買収を進め」たと言っています。

「用地買収を進めた」が「用地取得を完了した」という意味だったとは、気づきにくいとは思いますが(被告はわざと難解な表現をしていると思います。)、原告側が何度も「左岸20〜21kmについては、用地買収は2011年(平成23年)までに終了していた」(原告ら準備書面(7)p13)と主張していたのですから、この原告側の主張を紹介すべきだったと思います。

●「(上三坂地区では)用地の調査を始める」は虚偽だ

大水害のあった2015年9月現在に鬼怒川の堤防の整備状況がどのようなものであったかは、本件訴訟における最大級の大問題であり、曖昧であってはならないはずであり、ましてや、被告が虚偽を主張することは許されないはずです。

ところが被告は、三坂町の破堤区間に係る堤防整備の状況について、次の三通りのことを言っています。(過去記事では、二つとしました。書面での主張という意味では二通りですが、証拠から主張を読み取って、今回は三つにしました。紛らわしくてすみません。)

(1)「上三坂地区の堤防についても、平成26年には用地調査に着手し、整備に向けて進めていた」(被告準備書面(5)p22。被告準備書面(1)p16〜17及び被告準備書面(4)p22にも同様の記述あり)
(2)2011年までに用地買収を進めた。(被告準備書面(5)p15)
(3)2009年までに用地取得した。(「鬼怒川堤防整備概要図2」(乙72の3))

被告は、このように、三坂町の堤防整備状況について、極めて曖昧な主張をしており、裁判所を混乱させる意図があると疑われても仕方がないでしょう。

(1)の「上三坂地区の堤防についても、平成26年には用地調査に着手し」については、被告は何らの証拠を提出しませんし、不思議なことに、原告側も証拠の提出を求めません。

事実は何か、と言えば、「鬼怒川堤防整備概要図2」(乙72の3。下図)が示すところでしょう。

下図(鬼怒川堤防整備概要図)からは、左岸18.50k〜21.25kの区間は、(平成)19年から21年まで、つまり、2007年から2009年までの期間に用地取得が完了していることが分かります。

この証拠が虚偽ならば、訟務検事らは虚偽公文書作成罪(刑法第156条)で処罰されるべきです。逆にこの証拠が真正ならば、「上三坂地区の堤防についても、平成26年には用地調査に着手し、整備に向けて進めていた」(被告準備書面(5)p22)が虚偽公文書になるはずです。

ちなみに、氾濫箇所は3箇所だったのに、下図では、2箇所にされてしまっています。それでも黙っているようで、原告側は勝てるのでしょうか。

鬼怒川堤防整備概要図


2007年から2009年までの期間に用地取得が完了しているという事実は、下図の「三坂町地区用地取得範囲図」(国土交通省から国会議員ヒアリングへの2017年4月14日付け回答。左岸21kの位置は、引用者が追記)とも符合します。

確かに、下図の買収範囲(赤の部分)は、おおよそ左岸20.70k〜21.15k(約450m)の区間であり、左岸18.50k〜21.25k(2750m)の一部にすぎませんが、時期的に矛盾しません。

三坂町地区用地取得範囲図

つまり、「鬼怒川堤防整備概要図2」(乙72の3)からは、L18.50k〜21.25kについての用地取得は、2007〜2009年の期間をかけて完了しているという結論しか出ません。(3)が正解です。

したがって、(1)「上三坂地区の堤防についても、平成26年には用地調査に着手し、整備に向けて進めていた」という主張は、虚偽であるとしか考えられません。

(2)の「2011年までに用地買収を進めた。」については、2009年までに用地取得を完了したことを2011年までに完了したと言っても、日本語としては誤りではないとしても、不適切です。

被告がなぜ「2011年までに」と言ったのかと言えば、右岸の買収時期が2011年までで、左岸の買収時期が2009年までなので、両方をひっくるめて言う場合は、遅い方で言わないと誤りになるということでしょう。

しかし、両岸をひっくるめて表現すれば、当然、不正確になります。

また、被告は、「用地取得を完了した」ことを「用地買収を進めた」と表現しますが、「進めた」は完了したことを意味しないのですから、不明確な表現であり、不適切です。

被告は、右岸と左岸をひっくるめて用地取得の完了時期を説明し、しかも、「用地取得が完了した」と言えば明確に理解できるのに、「用地買収を進めた」という言い回しを使い、用地取得の完了時期が曖昧になるような表現を選んでいます。(裁判では、正確な表現が求められていることは被告も当然弁えていることですから、曖昧な表現は意図されたものです。)

被告がなぜ曖昧な表現をするのかと言えば、「時間的制約」や「時間的不可抗力の抗弁」(被告準備書面(1)p42〜43参照)で逃げようと企んでいるからだと思います。

そうだとすると、原告側は、「時間的な余裕はあったはずだ」と主張すべきことになるはずです。つまり、2009年までに築堤設計と用地取得を完了していたのだから、2010年度には着工できたはずだ、と主張すべきことになります。

ところが、原告側は、2011年までにL20k〜21kの区間の用地取得を終了したと主張する(例えば、原告ら準備書面(7)p13)ので、2012年度にならないと着工できなかったと言っていることになります。

つまり、被告が2009年までに用地取得を完了したことを、 原告側は、原告側に不利な事情と判断しています。2011年度までに、と言った方が有利だと考えているということです。

しかし、2011年までに完了したと主張することは、被告に与えられた時間的余裕が小さかった(被災するまで3年しかなかった)と主張することであり、被告を利することにならないのでしょうか。

●原告側の主張が理解できない

上記のとおり、原告側は、「左岸20〜21kmについては、用地買収は2011年(平成23年)までに終了していた」(原告ら準備書面(7)p13、16)と言いますが、その一方で、2001〜2011年の整備についての説明(同p10〜)では、「左岸20〜21kmについては、用地買収はほぼ終了しているものの(図2の左岸のピンク太線)」(同p11)とか「左岸20〜21kmについては、用地買収はほぼ終了しているにもかかわらず(図2の左岸のピンク太線)」(同p12)と言います。

つまり、「ほぼ終了」ですから、2001〜2011年の期間には左岸20k〜21kの用地買収は完了していなかったと言います。

しかし、図2の左岸のピンク太線を見ると、左岸20k〜21kの区間は2001〜2011年に用地買収された区間として表示されています。

原告側は、図2を鬼怒川堤防整備概要図(乙72の3)に基づいて描いたと言い(同p10)、乙72の3には、L18.50k〜21.25kの区間は、2007〜2009年に用地買収したことが示されています。

原告側が、何を根拠に、左岸20k〜21kの区間の用地買収が2001〜2011年において「ほぼ終了」(未買収区間があった)と言うのか理解できません。

鬼怒川堤防整備概要図(乙72の3)には、用地買収については、完了した区間が表示されているだけであり、買収に着手したが未済の区間の表示はないからです。

●被告は成功体験の再現をねらっているのか

水害訴訟では、裁判所は、河川管理者が「今(堤防整備を)やろうと思っていた矢先に大洪水が来てしまった」と言えば、勝たせてくれるものだと被告が考えている節があります。

大東水害訴訟差し戻し後の控訴審の大阪高等裁判所(1987年4月10日判決)は、「そして、昭和46年には、下流端より約3分の1の用地取得を完了し、引続き改修手続及び工事を進めていた途上本件水害に遭遇したものである。」と言ってくれています。

被告は、この成功体験の再現を鬼怒川でもねらっていると思います。

被告準備書面(5)p16で言っていることは、漫然と下流から改修していって、美妻橋(左岸16.25kあたり)まで進めたところで被災したから仕方なかったということです。「工事を進めていた途上本件水害に遭遇した」と言いたいわけです。

だからといって、被告が、2014年には三坂町の用地調査に入っていた、などというウソをついてよいはずはなく、N H Kも被告のついたウソを振りまいてよいはずもありません。

●「水害当時から堤防の整備の経緯が話題」は意味不明

若宮戸地区についての解説には、「この地区は太陽光発電のパネルが作られたすぐそばで氾濫が起き、水害当時から堤防の整備の経緯が話題になっていました。原告側は「太陽光パネルの設置のために、もともと堤防の代わりになっていた砂丘林が削られてしまった。国はこの砂丘林を河川区域に指定して、掘削などを自由にできない区間にするべきだったし、堤防を造るなどの十分な対策もとっていなかった」としています。」と書かれています。

下図は、放送された映像のスクリーンショットです。

若宮戸解説フリップ

「水害当時から堤防の整備の経緯が話題になっていました。」は、何のことか分からず、意味不明です。若宮戸地区にも堤防があったと誤解させるのが目的でしょうか。

原告側の主張を読めば、無堤防区間であったことが想像できますが、N H Kは若宮戸地区が無堤防区間であったことを明確に伝えるべきです。

原告側が河畔砂丘の大規模掘削という衝撃的な事件に目を奪われ、大規模掘削さえなければ無事だったと主張をしている以上、土のうを積んだという主張を紹介されても仕方ないと思います。

●1人1時間の原告陳述をしたのか

解説には、「今回の裁判では、被災した1人1人が法廷に立ち、それぞれが1時間ほど時間をかけて、当時の被害状況や裁判に臨む思いを述べました。これは「なるべく多くの原告に発言する機会を設けたい」という原告の弁護団の考えに対し、裁判所が理解を示して提案を受け入れたためです。実際に裁判を取材していても、裁判官は原告たちのことばに耳を傾け、丁寧に質問している印象でした。」と書かれています。

この記述が正しいかと言えば、私は、すべての口頭弁論を傍聴していないので、また、途中で裁判長が交代したので、なんとも言えませんが、私が傍聴した限りでは、原告が1時間かけて陳述したことはありませんし、裁判官が原告に質問している場面も見ていません。

常識的には、裁判所が原告本人の陳述に1時間もかけることは考えにくいことですが、田淵記者が目撃したと言うのなら、反論できません。

●N H Kの解説報道をどう見るべきか

解説は、「判決で国側の責任が認められるには、やはり大きなハードルがあると思います。ただ、取材している中ではそのハードルがとてつもなく高い、とも感じません。」と意味不明なことを言ってバランスをとったというか、中立を保ったつもりかもしれませんが、被告のウソを垂れ流したのですから、被告に有利な放送です。

11分以上もかけた割には有害無益な放送だったと思います。

若宮戸地区が無堤防区間であったという当たり前の事実がなぜ語られないのでしょうか。

「水が堤防を越えた若宮戸地区」と解説されてしまったのです。

常総市民は怒った方がいいと思います。

三坂町での破堤についても、「用地の調査を始めるなど、堤防の整備に向けて動いていた。」という被告の主張を紹介するなら、原告側の「左岸19.5k〜21.5kは、用地買収が2011年度までには(事実は、2009年までに、ですが)終了していた」(原告ら準備書面(8)p28)という主張も紹介されるべきですが、紹介されませんでした。

被災当時、三坂町の堤防の設計も用地買収も終っていたという事実がなぜ解説されないのでしょうか。

被告の隠したいことは隠してもらえ、言いたいウソは言ってもらったのですから、被告にとっては万々歳の放送だったと思います。

●弁護団に全国的な視野があったのか

放送の中で、2018年8月の提訴時の弁護団長?の「同じような水害で苦しんでいる人たち、同じような問題を抱えている全国の河川のそばに住む方たちにおいて、治水の在り方を見直すきっかけになるのではないか」という発言を紹介していましたが、チグハグだと思いました。

弁護団は、大東判決の批判はしない(異論はない)という立場です。

しかし、大東判決には様々な問題点があり、判例を変更してもらわないと、被害者が正当な賠償を得られない状況が続くことになります。

したがって、全国の水害訴訟を視野に入れて鬼怒川大水害訴訟を進めるなら、判例変更を迫る必要があるはずです。

「同種・同規模の河川の管理の一般水準」が「他所の河川でもやっていること及びやっていないことなら、違法な管理ではない」という意味だとしたら、現状追認そのものであり、裁判をやる意味がありませんから、その意味を確認することは最低限必要だと思います。

本件でも、原告側は、スライドダウンによる堤防の機能評価は役に立たないと批判しますが、「同種・同規模の河川の管理の一般水準」だから問題ない、とバッサリ斬られるおそれがあります。

原告ら準備書面から読み取れることは、水害判例を変える必要はないという姿勢です。

(文責:事務局)
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