国は2002年洪水を軽視した(鬼怒川大水害)

2019-11-16

●鬼怒川で2001年と2002年に溢水があった

「溢水」とは何かというと、国土交通省中部地方整備局木曽川上流河川事務所の河川用語集では、「川などの水があふれ出ること。堤防がないところでは「溢水」、堤防のあるところでは「越水」を使う。」と解説されているので、「溢水」とは、「堤防がないところから水があふれ出ること」になりますが、「あふれ出る」とは具体的に「どこから」出ることなのか、出たか出ないかの判断はどうやってするのか、の説明はありません。

「溢水」とは、堤防がない所の「河川区域から」水があふれ出ること、としか考えられません。「堤防がないところでの河川区域を超えた浸水」とも言えるでしょう。

その意味で、鬼怒川で2001年と2002年に溢水がありました。

公用文書で確認しましょう。

「2014年度三坂地先外築堤護岸設計業務設計報告書」(株式会社建設技術研究所、2015年3月)のp4−1には、「本地区(引用者注:若宮戸地区のこと。ただし、浸水があったのは若宮戸地区だけではない。)は平成13年、14年出水により、自然堤防前面の高水敷まで浸水した地区であり」と書かれています。

そして、p4−5には、「近年の出水では、平成13、14の出水により、河川区域を越えて浸水した。浸水実績図、および浸水状況の写真を、図4.4に示す。」と書かれています。

「図4.4 平成14年7月台風6号浸水図」とは、浸水実績図(下図)と「浸水状況の写真」との両方をひっくるめて付けられた図番号のようです。

したがって、「浸水状況の写真」については撮影日が明記されていませんが、写真も「浸水実績図」と同じく2002年7月洪水時のものと思われますが、ここではそれらの写真は扱いません。

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●「浸水実績図」が示すもの

「浸水実績図」が示すものを下流側から確認すると、次のとおりです。

図中の「河川区域想定線」は、正式に告示した河川区域境界線とは異なりますが、ここでは問題にしません。若宮戸地区での河川区域の研究は若宮戸の河畔砂丘 13 河川区域内の砂丘掘削が詳しいのでご参照ください。



●2002年洪水による「浸水実績図」と鬼怒川大水害翌日の写真を重ね合わせてみた

下の写真は、GoogleEarthProの2015年9月11日撮影の衛星写真です。

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下図は、冒頭の2002年7月台風6号による浸水実績図と上の衛星写真とを重ね合わせたものです。

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これで何が分かるかというと、2002年7月洪水による浸水の範囲は、2015年洪水で被害のあった場所にかなり接近しており、深刻な事態だったということです。

特にL25.35k付近(上流側溢水箇所)では、2002年時点では河畔砂丘がある程度は残っていたので、洪水は、河畔砂丘の、おそらくはY .P .21m程度のラインを乗り越えられず、「浸水実績図」のような浸水線となったと思われますが、もし河畔砂丘がなかったら、洪水が住宅街に達していた可能性はあります。

以下では、上記「2002年7月洪水による浸水の範囲は、2015年洪水で被害のあった場所にかなり接近していた」の「かなり」の部分を定量的に言えるかを検討します。

●下流側溢水では2002年7月洪水の浸水線は2015年洪水による落堀の縁から27mだった

下の写真は、Google マップからの切り取りです。下流側溢水箇所で、撮影時期は、土のう積みの土台を構築中(完成は9月25日)なので、9月中旬の後半だと思います。

上に掲げたGoogleEarthProの写真は2015年9月11日撮影であり、水が引いていない状態(市道東0283号線が水没している。)ですが、地図と重ね合わせるには、水が引いて、川と並行する市道東0283号線が現れた状態の方が都合がよいので、下のGoogle マップを使って重ね合わせます。

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下図が、2002年洪水による「浸水実績図」と重ね合わせたものです。

河畔砂丘を横断する市道東0280号線より上流では浸水線は河川区域をはるかに越えており、溢水しています。

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下図(Google マップ)は、2002年の浸水線と2015年の落堀(「おとしぼり」と紛らわしいので「押堀」が望ましいが、国土地理院は「落堀」を使用しているので、ここではそれに従う。)の縁の間の距離を測ったものです。

距離測定の始点と終点は目見当ですが、16.88mと出ました。17m弱です。

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●上流側溢水では2002年7月洪水の浸水線は2014年に積んだ土のう積みの7m手前まで来ていた

下の写真は、GoogleEarthProからの切り出し(2015年9月11日撮影)で、上流側溢水箇所です。

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下図は、上の写真と2002年洪水による「浸水実績図」と重ね合わせたものです。

鶏舎に近い所では、浸水線と土のう積みとは極めて接近しています。

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2002年洪水の浸水線と2014年に設置したが2015年洪水で沈み込んで役に立たなかった土のうとの間の距離を測るために、下図のとおり、GoogleEarthProの定規機能を使います。

(使われなくなった)鶏舎の辺りでは、浸水線と土のう積みとの間の距離は、6.93mと出ました。白くて四角いものは、屋根が外れた鶏舎の土間コンクリートだと思います。

上流側溢水では2002年7月洪水の浸水線は2014年に積んだ土のうの7m手前まで来ていたのです。

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●2002年洪水の最高水位は21m弱か

2002年洪水の若宮戸地区での最高水位を推測してみます。建設技術研究所が「浸水実績図」を作成できたということは、2002年洪水の痕跡水位の調査報告書があるはずなので、調査結果を情報公開請求すればよいのですが、とりあえず。(「浸水実績図」の元ネタは別にあるようです。詳しくは2002年洪水の浸水実績図は石下町が作成していた(鬼怒川大水害)を参照。2019-11-25)

その方法は、上記2002年水害の「浸水実績図」と素性のはっきりした地図を重ね合わせることです。「浸水実績図」も等高線の入った地図をベースにしているのですが、地図の作成時期が不明ですし、等高線もまばらで、うまく読み取れません。

まずは、下流側溢水箇所付近から検討します。

用意した地図は、2004年3月作成の「2003年度若宮戸地先築堤設計業務報告書」(サンコーコンサルタント株式会社)の中の堤防法線の第2案の地図です。堤防法線案が描かれているので右側(東側)で線が込み入っている部分がありますが、測点と等高線の数値は拡大すれば読み取れます。

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上の地図に2002年洪水の「浸水実績図」を重ね合わせたものが下図です。

河畔砂丘を横断する市道東0280号線の北側では、2002年洪水が21m(標高は全てY .P .)をほぼ超えていないことが見て取れます。

市道東0280号線の南側(原宿飛地のある側)では、浸水線は等高線と符合しませんが、その理由は分かりません。

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次は上流側溢水箇所付近です。

用意した地図(下図)は、2004年1月測量の地図です。梅村さえこ・前衆議院議員が国土交通省に提出させた資料です。

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上の地図と「浸水実績図」を重ね合わせたものが下図です。

2002年洪水は、河川区域境界線をやすやすと越え、20mを越えましたが、21mの等高線の前で止まっています。

したがって、上流でも洪水の最高水位は21mに近かったと思います。

なお、20m等高線で囲まれる部分は、盛り上がっているように見えますが、わずかですが凹んでいます。図中にラベルで表記したとおり、20m等高線の内側に19.77mの地点があります。

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ちなみに、2015年洪水では、その痕跡水位は25.25kで22.01m(2015年度鬼怒川下流部流量観測業務中間報告書(株式会社新星コンサルタント、2015年11月)の「2015年鬼怒川痕跡調査一覧表」から)、24.63kで21.83m(24.5kで21.73m、25.75kで21.93mから直線補間)でした。

したがって、2002年洪水の最高水位と2015年洪水の最高水位は1〜1.5m程度しか違わなかった可能性もあると思います。

だからこそ、地元の住民は危機感を抱き、(情報公開で確認できる範囲では、遅くとも)2001年洪水の後から毎年、市を通じて築堤要望書を国に提出するようになったのだと思います。

●国は大洪水の初期段階を見逃した

三好規正・山梨学院大学法学部法学科教授による「水害をめぐる国家賠償責任と流域治水に関する考察」『山梨学院大学法科大学院ロー・ジャーナル』10号(2015年)のp127に次のように書かれています。

(多摩川水害訴訟)差戻後控訴審判決において、水害の予見可能性を認定する際に重視されているのは、いずれも計画高水流量を下回る流量によって1958年及び1965年に本件堰のほぼ同一箇所が破壊されていることである。これを応急的復旧にとどめることなく、過去の小規模な被災事例からの知見を後の大災害を防止するために活かされていなかったことについて、河川管理者の責任は小さくないと思われる。

高橋裕・東京大学名誉教授は、「川と国土の危機 水害と社会」(岩波新書、2012年)p80で「たとえ小洪水による小被害でも軽視せず、その状況を丁寧に調べ、それが来るべき大洪水の初期段階である可能性を察知すること」が必要と指摘しているそうです。

鬼怒川の河川管理者は、2002年洪水による若宮戸地区での溢水を見ても、それが後の大氾濫の前触れである可能性を全く考えなかったから、地元からの要望にもかかわらず、本気で築堤しようとは考えなかったわけであり、まさに、「過去の小規模な被災事例からの知見を後の大災害を防止するために活かさ」なかったのであり、小洪水による小被害を軽視し、それが来るべき大洪水の初期段階である可能性を察知することもなかったのです。

多摩川水害は改修済み河川の例なので、当該事案を巡る理論は鬼怒川大水害にはあてはまらないと考える人もいるかもしれませんが、「過去の小規模な被災事例からの知見を後の大災害を防止するために活か」すことは、改修済み、未改修を問わず、すべての河川の管理者に求められる条理上当然の義務であり、未改修河川に限り、この義務を免除する理由は見当たりません。

「過去の小規模な被災事例からの知見を後の大災害を防止するために活か」す能力がない者に河川管理者の資格はないと思います。

(文責:事務局)
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