鬼怒川で堤外民有地の国有化はあったのか

2019-07-08

●民有地は除外されていた

利根川の河川区域の変更についての不可解な茨城県知事の告示があります。

下記の1923年6月29日付け茨城県告示第316号です。

1923告示

告示の本文は次のとおりです。

利根川筋河川法施行区域ノ内猿島郡新郷村地先埼玉県界ヨリ稲敷郡本新島村地先千葉県界ニ至ル間ノ河川区域ヲ左ノ通変更ス

そして、「左のとおり」とは、次のとおりです。

一、左岸改修堤防(堤防中断セル部分ハ実地ニ設置セル川敷杭連結線)ト左岸改修堤防(堤防中断セル部分ハ実地ニ設置セル川敷杭連結線)トノ間ニ於ケル本県地籍全部。但シ、民有地ヲ除ク。図書(甲)参照。(句読点は引用者が加筆)

新郷村(しんごうむら)は現在の古河市に編入され、本新島村(もとしんしまむら)は現在の稲敷市と千葉県香取市に編入されました。両村間の距離は約70kmにもなります。

不可解な点が二つあります。

変更した河川区域は、「左岸改修堤防(堤防中断セル部分ハ実地ニ設置セル川敷杭連結線)ト左岸改修堤防(堤防中断セル部分ハ実地ニ設置セル川敷杭連結線)トノ間ニ於ケル本県地籍全部」と言いますが、括弧書きを取れば、「左岸改修堤防ト左岸改修堤防トノ間ニ於ケル本県地籍全部」です。

もっと縮めれば、「左岸堤防と左岸堤防の間における本県地籍全部」ということです。

「図書(甲)」が見られないので、正解は出ないのですが、「左岸堤防と左岸堤防の間」という意味が理解できません。

「左岸堤防と左岸堤防の間」は線にしかならず、面にならないのですから、そこに本県地籍が存在すると言われても意味が分かりません。

「左岸堤防と左岸堤防の間」には、「堤防中断セル部分」、つまり無堤区間があったのでしょうが、そこは「実地ニ設置セル川敷杭連結線」で結ぶというのですから、やはり、その連結線があるだけで、面はないと思います。

その問題はさておき、もう一つ不可解なのが、「但シ、民有地ヲ除ク。」です。

茨城県沿の利根川で約70kmにわたり河川区域の変更がなされれば、さぞ大量の民有地が「召し上げ」になったかと思いきや、民有地を外して認定の変更をしていたというわけです。

旧河川法第3条には、「河川並びにその敷地若しくは流水は、私権の目的となることを得ず。」と規定されていて、河川区域内の私権を排除できる強権性に特色があったのに、茨城県知事は、「但シ、民有地ヲ除ク。」として変更認定し、わざわざその牙を抜いており、これでは、新河川法下の河川区域の認定と同じになっています。

そうだとすると、少なくとも茨城県においては、鬼怒川だけでなく、利根川においても、旧河川法第3条の発動は(ほとんど)なかったのではないでしょうか。ただし、戦後になされた旧河川法に基づく下記の認定においては、同条が発動され、民有地が没収されたのではないでしょうか。

●河川区域の認定が地番表示でなされるようになった

下記は、旧河川法第2条の規定に基づいて利根川の河川区域を認定する旨の1963年4月24日付けの茨城県告示第441号の一部です。

1963告示

線のない表の題名は、「河川敷地編入調書」です。「河川敷地」に編入された地区は、茨城県猿島郡岩井町地内です。岩井町は現在の坂東市の南部です。

上記告示では、河川区域に認定された土地は、大字、字、地番、地目及び地積で特定されています。

117筆、2町8反7セ余りが旧河川法第3条の効果で「召し上げ」になったのではないでしょうか。

ここで言いたいのは、河川区域を認定又は指定するためには、土地を一筆ごとに特定する必要があるのではないか、ということです。河川区域の認定や指定は、私権を奪ったり、制限したりするのですから。

ちなみに、上記1963年の利根川の河川区域の認定は、新規認定です。

旧河川法が制定された1896年から67年後です。

河川の管理というものは、河川区域が認定されていなくても、適切にできたのでしょうか。

(文責:事務局)
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