サンクコスト理論は正しいか(その4)

2010-08-10

●三たびメールをもらった

三たびKさんからメールをいただきました。逐次見ていきます。

サンクコスト理論は正しいのか(2)、(3)を読んで、私の受け取りを述べます。

サンクコスト理論は正しいのかの議論が拡散して、基本高水流量に基づいてダムの建設を決定する考え方への批判に発展しました。「できるだけダムに頼らない治水」の基準にサンクコストの概念が採用することについて否定はできないとする立場は譲れません。中間とりまとめ(案)に関する意見でもそのスタンスは変えていません。参考までに意見書を添付します。

Kさんのどういう「立場」をどう「譲れ」とだれが言っているのでしょうか。

無識者会議でサンクコスト概念を持ち出していることは新聞で報道されているとおり、衆知の事実です。その事実を否定する人がどこにいるのでしょうか。

だれも言っていない説を持ち出す意味が分かりません。

●総合的な検討が必要

治水安全度に見合う適切な基本高水流量を求め、流下能力との比較でダムが必要か不要か議論することは河川整備の基礎であると考えています。

それはダム建設の是非に関する判断の一要素でしかありません。

Kさんにとってバイブルである「河川砂防技術基準(計画編)」には、「洪水防御計画の策定に当たっては、河川の持つ治水,利水、環境等の諸機能を総合的に検討する」(p27)と書かれているのですから、総合的な検討が必要です。Kさんは「河川砂防技術基準」をなぜ守らないのでしょうか。

クルマを買うときに、馬力があるから、スピードが出るから買う人が世の中にはいます。しかし、多くの人は、価格、安全性能、乗り心地、燃費、デザイン、オプション装備品なども同時に検討します。メーカーが軍需産業に関わっていないかということまで考慮する人もいます。そういったことを総合的に考えてクルマを買う人が多いと思います。

Kさんは、スピードが出るだけでクルマを買う人と同じです。そうした買い物は個人的な買い物では許されますが、公共事業で適用することはできない考え方です。

ダム建設の是非を総合的に判断しなければならないことに異論はないでしょう。基本高水だけで判断するというKさんの考え方は論外です。

その基本高水についても、「八ツ場ダムの洪水調節効果が期待されるが微妙な結果で、前提とする貯留関数法による流出解析の検討も必要」(07-14のメール)とは書いていますが、「以上の結論は総合確率法での治水安全度1/200(実は1/400)が21200m3/sであることは認め、流下能力、既存6ダム、八ツ場ダムの洪水調節効果は国交省の計算結果を認めています。」(同)とも書いてあり、八ツ場ダムは必要と結論していますから、支離滅裂です。矛盾することを書かれては何が言いたいのか分かりません。

●ダムに流量削減効果があるとは限らない

「治水安全度に見合う適切な基本高水流量を求め、流下能力との比較でダムが必要か不要か議論する」と簡単に書きますが、ダムに洪水調節効果があるかどうかを疑うべきです。

例えば八ツ場ダムが600m3/sのピーク流量削減効果があるとされるのは、設計者が思い描いたとおりの降雨パターンで降雨があり、思い描いたとおりの流量が出た場合だけです。Kさんは、このことを見落としています。

八ツ場ダム工事事務所のホームページの事業の経緯には、次のように書かれています。

八ッ場ダムは昭和27年、カスリーン台風(昭和22年)による大被害をうけ、利根川上流にダムを築いて洪水調節を行い、下流部の洪水被害の軽減を図るための治水事業の一環として計画されました。 また、年々増え続ける首都圏の人口と、それに伴う水の使用量の増大を支えるための水資源開発も大きな目的です。

カスリーン台風の再来に備えて八ツ場ダムを計画したと読めますよね。しかし、何度も書いてすみませんが、カスリーン台風が再来しても八ツ場ダムに効果がないことについては、争いがないのです。

カスリーン台風以外の洪水に効果があるのか。八ツ場ダム訴訟(東京都知事らを被告とする)の最終準備書面(治水編)では、これまでの洪水のうち、八ツ場ダムが意味を持つのは、1959年9月洪水だけだというのです。

そもそも八ツ場ダムへの計画洪水流入量が大きすぎるという問題もあります。

「八ツ場ダムの洪水調節計画では最大で3,900m3/秒の洪水がダムに流入し、そのうち、2,400m3/秒を調節し、1,500m3/秒を放流することになっている。しかし、この3,900m3/秒は実際の洪水流量と比べてきわめて過大な値である。」(上記準備書面p111)。と書かれています。

2001年9月10日洪水では平均3日雨量341mm、2007年9月7日洪水では同324mmという計画降雨量(354mm)に近い雨量があったにもかかわらず、「実績最大流量は計画値3,900m3/秒の1/4〜1/3以下にとどまっている。」のです。岩島地点の流量は、2001年月10日洪水では1,271m3/秒、2007年9月7日洪水では1,010m3/秒だったというのです。

ダムへの流入量を過大に設定すれば、ダムの調節効果は大きくなります。

いくら利根川の基本高水を適正に計算しても、ダムの効果について計算をごまかしたら、ダムを建設すべきかということについての正しい判断はできません。そこを見落としたKさんの考え方には、重大な欠陥があるということです。

●なぜ基本高水以外を疑わないのか

Kさんは、国の計算した利根川の基本高水を疑っています。要するに国の計算にはインチキがあると見たのです。

それなら、ピーク流量削減効果、費用対効果、環境影響評価、水需要予測など、すべての面で河川管理者はインチキの計算をやっているのではないかと疑うのが当然です。

ところが、Kさんが疑うのは基本高水だけです。なぜでしょうか。

Kさんは、「八ツ場ダムの洪水調節効果」にも疑問を持つようなことを書いていますが、ダムへの流入量に関する上記準備書面の指摘を(読んでいるはずなのに)無視しています。

Kさんは、国交省の計算のうち、基本高水の計算は信じないが、その他の項目での計算は信じるというのです。信じられる計算と信じられない計算を振り分ける基準を教えてください。

●批判は甘んじて受けるのか

ダム問題を治水に限り議論し利水、環境、ダムサイトの危険性などを考慮しないことへの批判は甘んじて受けます。利水以下の項目については議論ができるほどの知識や材料を持ち合わせていません。しかし八ツ場ダムの問題に関しては、まず治水問題が基本で基本高水流量の議論が一丁目一番地であると思っています。

批判を甘受しなければならないような脆弱な意見は開陳しない方がいいと思います。

物事を総合的に見ないKさんの考え方は、ダム反対派はもちろんのこと、ダム推進派からも相手にされないと思います。

「八ツ場ダムの問題に関しては、まず治水問題が基本で基本高水流量の議論が一丁目一番地である」とのことです。確かに基本高水は裁判でも大きな争点となりましたが、ダム問題の一丁目一番地は環境でしょう。

Kさんの頭には環境の「か」の字もないようです。性物多様性の問題など考えたこともないのでしょう。

ちなみに公認会計士の山根治氏は、八ツ場ダム問題の本質を財政問題と見ています。これは職業柄でしょう。水没予定地住民は、生活再建こそが一丁目一番地だと言うでしょう。関係する知事たちは、「暫定水利権を解消するために八ツ場ダムが必要だ」と言います。

何を問題の本質と見るか。それは価値観や人生観の問題です。客観的な正解なんてありません。敢えて答を出すとすれば、多数決クイズです。

基本高水が好きなKさんは、我田引水をしているだけです。

●狭量は否定できない

私はこのような意見交換で揚げ足取りになるような表現を最も嫌うものです。したがって掲示板には投稿したことはほとんどありません。そして狭量な基本高水流量主義者として一括りされ切捨てられることは残念だと思っています。

揚げ足取りをしているつもりはありません。細部にも本質が宿るとは思っていますが。

「狭量」は自認されています。利水も環境も眼中にないのですから。これを狭量と言わずして何と言うのでしょう。

基本高水のねらいや生い立ちについても無視されていますから、狭量でしょう。

Kさんが狭量であり、基本高水至上主義者であることは否定できません。

●単一争点主義に魅力なし

基本高水流量不信論や懐疑論の方に学び直し(unlearn)していただく一つのきっかけになればとも思い前回投稿したものですが、しかしそのような期待は持てないことを実感しています。

お互いに狭量な理系人間、計算が不得意な感性豊かな文系人間とのレッテルは貼らずに素直に情報を受け取りたいと思います。

基本高水信仰は、小泉純一郎氏が郵政改革と叫び続けたのと同じくらい魅力のないものです。

基本高水は本来ダムによる治水を前提として生まれた概念ですから、Kさんこを頭を柔らかくして、unlearnしていただきたいと思います。

●「専門」でないと言えないのか

以下順不同で重複を恐れず私の考え方を述べます。

1.治水問題だけをとりあげ、利水、環境、ダムサイトの危険性には目を向けない狭量な議論しかしない理系人間として捉えられていることは残念です。専門外のことに言及しない立場をご理解下さい。治水問題を基本高水流量から議論することは、河川整備に関する基本的立場であると考えています。流下能力との比較で河川整備の方針が決定されます。

「治水問題だけをとりあげ、利水、環境、ダムサイトの危険性には目を向けない狭量な議論しかしない理系人間として捉えられていることは残念です。」と書かれますが、「批判は甘んじて受けます」って書いたじゃありませんか。書かれることが矛盾していませんか。

「専門外のことに言及しない立」と書きますが、Kさんにとって基本高水だって本来「専門外」ではないのですか。専門は繊維ですよね。「流量解析」は専門ですか。これから発言されるのでしょうか。専門でないから国の計算を信じるのでしょうか。

そして、「専門外のことに言及しない立場」こそが狭量です。そんなことを言ったら、ほとんどの人はダムに関して専門外なのですから、ダムについて発言できなくなります。

Kさんの考え方は、絵に描いたような専門分化の弊害のように見えます。

国交省の決めた河川管理体制が絶対に正しいと思う狭量から抜け出した方がよいと思います。

Kさんが専門家の意見を尊重されるなら、利根川研究の第一人者である大熊孝名誉教授の意見を尊重するべきではないでしょうか。水源連の見解にも耳を傾けるべきではないでしょうか。

●流量確率法がベター

2.「河川砂防技術基準」の「計画編」、「調査編」、「設計編」は河川整備基本方針と河川整備計画立案の「基準」です。内容は完全とは思っていませんが、雨量から基本高水流量を計算する方法は、「基準」を正確にまもり若干の思い違いを修正したら否定すべきものでないと考えています。

金科玉条とは思っていませんし、全面的な改訂が必要であるとも思っていません。確かに信頼できる実測流量から治水安全度に見合う基本高水流量を決定する方法はベターですが、そのような実測流量がきちんと記録されている河川(特に中小河川)は少ないのです。

パラメータがたくさん入れば、計算者の主観がより多く入るのですから、雨量確率法はダメでしょう。

「「基準」を正確にまもり」と書きますが、Kさんは、「総合的に検討」が必要であるとする「基準」を守っていません。ご都合主義です。

実績流量のデータが少ないからといって、計算者の主観がたっぷり入った、怪しげな計算を基にダムを造られてはたまりません。インチキな計算に頼るよりは、流域住民の多数決でダムを造るかどうか決めた方が余程ましな結果が出ると思います。

●総合確率法を評価している点で論外

3.利根川における総合確率法は若干の思い違いを修正したら現在最も進んだ方法です。

(1) 計画雨量まで引き伸ばした対象降雨からのピーク流量群の最大値を基本高水流量に決定せず、平均値のピーク流量を基本高水流量にしている。ただしその治水安全度は利根川の場合雨量確率と同じ1/200でなく1/400である。その根拠は「基準」「調査編」の64頁の確率年の計算式の記述に見られる。平均値の超過確率は0.5であるから、治水安全度は1/400になるのである。治水安全度1/400を1/200に換算するには1.16で除したらよいので21200/1.16=18300m3/sになる。より正確には雨量確率1/100の計画雨量で計算すればよい。

この計算式は大学工学部河川工学コース用の教科書「エース水文学」朝倉書店166頁、「河川工学入門」森北出版78頁にも記載されているので、学会でも認められている理論であると考える。

非科学的で、国交省の役人も計算方法を説明できない総合確率法を最も進んだ方法と評価している点で論外です。総合確率法が非科学的な理由は、(その3)に書きました。

上記最終準備書面では、国の計算では、「洪水調節施設がない場合の八斗島地点の1/200確率流量を求めた結果、21,200m3/秒という値が得られた。」(p51)と書いています。ところがKさんは、21,200m3/秒は、1/400確率流量だと書きます。

どちらの確率が正しいのか。私は、「河川砂防技術基準(調査編)」を持っていませんので、確認できません。

●「引き伸ばし率2倍以下」は、国が決めたルール

(2) 総合確率法で最大の引き伸ばし率は3.13倍になっている。降雨波形を標準化すれば特性値は変わらないので、引き伸ばし倍率を大きくすることは対象降雨の数を引き伸ばす手法として問題はない。

意味が分かりません.

上記最終準備書面によれば、引き伸ばし率を2倍以下にとどめるのは、降雨量の引き伸ばし率を大きくしすぎると、対象洪水の降雨条件を反映しない異質の洪水を計算してしまうおそれがあるからであるとされています。

「引き伸ばし率2倍以下」は、国が決めたルールです。「河川砂防技術基準(計画編)」では、「2倍程度」と逃げた書き方をしていますが。ダム反対派もこれには反対していません。雨量確率法を前提とする限り、妥当なルールと考えてよいと思います。

このルールに違反して3.13倍に引き伸ばす計算が妥当とは思えません。

●実績流量は計算値

(3) 対象降雨について自己裁量になりがちな棄却を実施していない。

(4) 関東地方整備局は那珂川、久慈川、相模川で同様な総合確率法を採用しているが、得られた基本高水流量について雨量確率に1/2を乗じた治水安全度の基本高水流量は流量確率から検証されている。

「流量確率から検証されている。」と書きますが、その流量は実績流量ではなく、計算値だということが裁判で原告によって暴かれています。その計算が怪しいということです。

●事実が判明したのはいつなのか

(5) 前提とする貯留関数法の流出解析によるピーク流量が信頼できるかについては、とりあえず信頼した計算した。伝えられるように54流域で一律一次流出率0.5、飽和雨量48mmのパラメータについては再検証する必要があるが、その結果により18300m3/sは更に小さくなることは予想できる。本来訴訟の原告はこのような問題を細かく議論すべきであると私は思う。

「計算」と言えるほどの計算はやっていないのではありませんか。

「訴訟の原告」とは、都知事を被告とする裁判の原告団を指していると思います。一次流出率や飽和雨量のパラメータの設定のおかしさを、都知事を被告とする裁判の原告団がいつ認識したかが問題です。認識していれば、主張していたでしょう。栃木県の3ダム訴訟では、この点を主張しています。

Kさんが「細かく議論すべきである」という批判を原告団に対してされるのであれば、2008年11月19日の最終準備書面を提出する前に一次流出率や飽和雨量のパラメータを原告団が知り得たことを証明すべきです。そうでなければ、単なる結果論になってしまいます。

Kさんが批判されるからには、その証拠はあるのだと思います。そこで教えていただきたいのですが、54流域で一律一次流出率0.5、飽和雨量48mmであることが判明した時点はいつでしょうか。

ちなみに、国交省は、ティーセン分割図を公開せず、細かい議論をさせないのです。そのことは前回も書きましたが、Kさんの批判は被告ではなく原告に向くのはなぜでしょうか。

●所詮机上の計算

4.利根川の基本高水流量の治水安全度に関する誤解

関東地方整備局は八斗島の基本高水流量は治水安全度1/200で22000m3/sとしていますが、カスリーン台風の雨量(318mm/3日)と降雨波形から流出解析して得られた22000m3/sと、総合確率法で得られた治水安全度1/200における基本高水流量21200m3/sの内の大きい22000m3/sを治水安全度1/200における基本高水流量に決定したとされています。

ところがカスリーン台風の雨量は計画雨量の319mm/3日とほぼ同じであることから、その洪水の治水安全度も1/200であるとしていますが間違っています。よって治水安全度1/200の基本高水流量は21200m3/sになるはずですが、上記の理由で治水安全度は1/400ですから、治水安全度1/200の基本高水流量は18300m3/sになります。ちなみにあしたの会のホームページに記載の1951年〜2007年の年最大流量のグラフから計算した流量確率より求めた流量は、18500m3/sであることは既にお伝えした通りです。

あしたの会のホームページに記載の1951年〜2007年の年最大流量のグラフは、おそらく国交省が示したデータに基づきます。国交省が公表している流量データには下駄を履かせた計算値が含まれていることは、上記最終準備書面に書いてありますから、そんなデータで検証しても、結果はやはり過大になります。

それよりも、そんな机上の計算でダム建設の是非を決定されては、国民はたまりません。

Kさんは、「この計算は「改訂新版 建設省河川砂防技術基準(案) 同解説 調査編」の64頁の確率年および確率水文量に記載の確率年の式を利用するだけで、難しい理屈は抜きにして結果を信じましょう。」(「日ごろ思うこと」というサイトの「総合確率法による利根川の基本高水流量の計算」のページ)と書いています。

こんな数字遊びでダムを造れと発言するなんて無責任です。

八ツ場ダムに600m3/秒の流量削減効果があるかも大いに問題にしなければならないのですが、そこは国の計算を信用するとKさんは言うのですから、宗教の世界です。Kさんは、教祖(国交省)の発言に若干の疑問を抱いている信者のようなものです。

●国はカスリーン台風の洪水が1/200であるとは言っていない

訴訟で原告は、カスリーン台風の八斗島での推定流量15000m3/s〜16000m3/sに上流部での推定氾濫量1000m3/sを加えて16000m3/s〜17000m3/sとしています。ところが前述の理由で16000m3/s〜17000m3/sの治水安全度は1/200ではないのです。

鹿沼ダム事務局は16000m3/s〜17000m3/sは既往最大流量と説明していますが、訴訟の資料からは治水安全度は1/200と読み取れます。治水安全度1/200とするのは、22000m3/sの治水安全度を1/200にしたのと同じ間違いです。

すなわち八斗島での治水安全度1/200における基本高水流量は22000m3/sでも16000m3/s〜17000m3/sでもないのです。16000m3/s〜17000m3/sでも過大である証拠があるのでしょうか。

「鹿沼ダム事務局は16000m3/s〜17000m3/sは既往最大流量と説明していますが、訴訟の資料からは治水安全度は1/200と読み取れます。治水安全度1/200とするのは、22000m3/sの治水安全度を1/200にしたのと同じ間違いです。」と書かれますが違います。

上記最終準備書面によれば、国交省が作成した「利根川の治水について」には、基本高水流量の設定の考え方として、「利根川の基本高水流量は、既往最大洪水をもたらした実績降雨から推定されるピーク流量と、200年に1回の最大流量(1/200の確率流量)を比較し、いずれか大きい値を採用するものとする。」旨が書かれているようです。

国が計算した結果、既往最大洪水をもたらした実績降雨から推定されるピーク流量が22,000m3/秒であり、200年に1回の最大流量(1/200の確率流量)が21,200m3/秒だったので、前者を基本高水としたというのが国交省の理屈です。ですから国交省の理屈によれば、カスリーン台風時の降雨や流量が200年に1回の確率だということにはならないはずです。

そもそも100年もつかどうか分からないダムで200年に1度の洪水に備えようという話がおかしいと思いませんか。

カスリーン台風以来、10,000m3/秒を超える流量を記録した洪水は、1949年のキティ台風のときだけです。

カスリーン台風時に八斗島地点での流量は15,000m3/秒でした。これに次いで大きかったキティ台風時の流量は10,500m3/秒でした。八斗島地点の流下能力は16,500m3/秒はあるとされています。そして、終戦直後と違い、山には植林され、保水力は増したのです。

18,300m3/秒に備える必要はないでしょう。

机上の計算が現実と合っているか、検証すべきです。

八ツ場あしたの会のホームページにいは、次のように書かれています。

また、図2は堤防の天端と同洪水の痕跡水位(最高水位の痕跡)を八斗島地点から栗橋地点(埼玉県)までの区間について示したものです。どの地点とも痕跡水位は堤防天端から約4m下にありますので、八ッ場ダムによるわずかな水位の低下が意味のないものであることは明らかです。

この点についてコメントをいただけますか。

●総合確率法が最近使われていないのはなぜか

5.国交省のデータや流出解析を信頼することへの批判

私の試論によれば治水安全度1/200における基本高水流量は18300m3/sですが、この計算は国交省のデータや流出解析を信頼してなされています。このような計算は信頼できないと受け取られることはあろうかと思います。しかし流出解析の飽和雨量を48mmより適切な数値に変更して流量を求めたら、ことによると基本高水流量が17500m3/s以下になる可能性は否定できません。そのような結果になれば堂々と八ツ場ダムは不要であると主張できます。このような考え方で原告やダム建設反対は治水安全度1/200における適切な基本高水流量の検討をしてきたことがあるでしょうか。

私たちは、総合確率法が非科学的だと主張しているのですから、これを前提とした「18300m3/s」なんて支持できるはずがありません。

その総合確率法を用いた計算は、カスリーン台風再来計算(22,000m3/秒)と同じモデルの貯留関数法を用いているのですから、信頼性はありません。

Kさんは、総合確率法が最も進んでいると書いていますが,最も進んでいるはずの総合確率法が一時期のみ、特定の地域でしか使われなかったのはなぜだと思いますか。

●「反論されたらそこで議論は打ち切り」という発想が孫悟空

私が国交省の役人の掌の上の孫悟空だとの批判は、私のホームページを素直に読んでいただければ誤解であるとご理解いただけます。長野県浅川ダムの場合も、長野県河川課のデータや流出解析を信頼し、ピーク流量群の最大値を基本高水流量に採用せずに確率年の計算式を適用することで、治水安全度1/100の適切な基本高水流量が270m3/s〜280m3/sになることを検証しました。従来基本高水流量は450m3/sとされていましたが、ダムは不要の結論になります。

Kさんが浅川ダムに反対されたのは事実でしょうが、そもそも基本高水という概念が必要かという発想ができないのですから、孫悟空であることは否定できません。

同じ土俵の上での勝負の意味がお分かりいただけるかと思います。すなわち原告が既往最大流量は16000m3/s〜17000m3/sであると主張しても、被告は治水安全度に見合う高水流量は計算で求めたと反論されたらそこで議論は打ち切りです。

「同じ土俵の上での勝負の意味がお分かりいただけるかと思います。」とは、役人の計算を信頼しろということですか。

「打ち切り」ではないでしょう。その計算方法とはどのようなものかという議論が続くはずです。

「反論されたらそこで議論は打ち切り」という発想が理解できません。

●被告と議論することが重要ではない

総合確率法は不合理だと主張しても被告がそうでないと否定したらその先議論はできません。引き伸ばし率が大きい流量が過大になると主張しても引き伸ばし率が小さな流量も考慮し、平均値を議論しているから問題はないのです。勿論引き伸ばし率が大きいと流量が大きくなるとは言えないのです。雨量が少なく集中型の降雨の場合に限って、引き伸ばし率が大きいと流量は大きくなります。また確率の平均値を議論するのは不合理だと原告は主張しましたが、確率でなく実際の雨量に対応するピーク流量を議論すれば問題はありません。

原告は総合確率法がなぜ非科学的かを論証すればよいし、被告が「総合確率法は非科学的ではない」と結論だけを言い、議論を拒否するなら、それを裁判官がどう判断するかが問題となるだけです。

「引き伸ばし率が大きい流量が過大になると主張しても引き伸ばし率が小さな流量も考慮し、平均値を議論しているから問題はないのです。」は、無茶な議論だと思います。

「確率の平均値を議論するのは不合理だと原告は主張しましたが、確率でなく実際の雨量に対応するピーク流量を議論すれば問題はありません。」は、批判の意味を理解されていないと思います。

Kさんは、原告と被告が議論することが大前提だと考えている節がありますが、議論しないという訴訟戦術もあります。Kさんは、訴訟の仕組みを誤解されていると思います。

●訴訟とは被告を説得する場ではない

共通の場で議論ができてはじめて相手を説得できるのです。お互いの立場で言い合っても同意には至れません。

国交省が説得に応じないから訴訟を起こしたのです。

「共通の場」って、国交省がつくるのですか。

訴訟は相手を説得する場ではありません。裁判官を説得するゲームです。

●Kさんは中立なのか

6.さいたま地裁の判決

一番最近に出されたさいたま地裁の判決では、基本高水流量問題には次のような判断がなされています。

(1) 被告の治水安全度1/200における基本高水流量22000m3/sは計算値である。一方原告のカスリーン台風襲来時の八斗島での流量15000m3/sは推定値にすぎない。

(2) 貯留関数法で再現流量を再計算した結果、流出解析結果に問題はない。

(3) 引き伸ばし率が2倍を越しているが、「基準」に違反していない。

(4) 総合確率法に問題はない。

(5) 基本高水流量22000m3/sが発生した際に、上流での氾濫はあり得る。(甲B39号証の正確な解釈)

この判断は中立的な立場からも否定はできません。ただ貯留関数法での飽和雨量48mmについては再検証の必要があります。

上記判決から東京高裁での原告の主張(甲B39号証より上流での氾濫はない)は弱いことになりそうです。

計算値と推計値とどう違うのですか。

「この判断は中立的な立場からも否定はできません。」と書かれるKさんは、中立的ではありませんよね。基本高水と飽和雨量以外は国交省の計算を信用しているだけのKさんが中立的な立場になれるはずがありません。

原告は、「上流での氾濫はない」なんて言ってません。1,000m3/秒くらいはあったかもしれないと言っていると思います。

「上流での氾濫はあり得る。」とのことですが、その量は判示しているのでしょうか。

いずれにせよ、何を根拠に「この判断は中立的な立場からも否定はできません。」と書かれるのでしょうか。

●聞いたことには答えず、環境問題重視派への敵意丸出し

7.環境重視に関する高橋 裕氏のコメント

「どうしてもダムなんですか?」古谷桂敬氏 岩波書店 の196頁に高橋 裕氏が淀川水系流域委員会の活動をレビューして、「------- それから環境の委員が多すぎた。環境はもちろん大事だけれど、バランスが悪かった」と発言しています。過去の議事録を読む限り私も同意見です。またダムサイトの地すべりの危険性については、深層崩壊については予想不能として追加工事の対象になり費用の増大の原因になることは奈良県の大滝ダムなどで明らかであることを知っています。

自分ではナイーブな基本高水流量主義者であるとは思っていません。

何でも知っていて、環境や危険性などを総合的に検討する必要がないと言うのですから、どういう精神構造なのでしょうか。

私はサンクコスト理論は正しいか(その3)で、「河川工学の大御所だった高橋裕氏が「洪水調節ダムが存在しなかった時代には全河川を通じて計画高水流量が治水計画の基本であり、まずこれを決定していた。第二次大戦後ほとんどの主要河川において洪水調節ダム計画が樹立されたため、ダム群ではまず洪水流量が調節され、その計画貯留量まで考慮した基本高水流量と、貯留後の下流河道の計画高水流量とを区別することとなった。」と書いているのですから、基本高水はダムとともに生まれたという側面は否定できないと思います。(中略)基本高水に時代的な普遍性はなく、洪水調節ダムとともに生まれたという事実をどうとらえるのかを教えてください。」と質問したのに、これには無視。

高橋裕氏が環境を重視する立場の人たちを憎むかのような発言を引用してコメントする。どういう神経なのでしょう。

Kさんがダム推進派でないというなら、なぜこうまで環境問題を軽視するのでしょうか。

●基本高水至上主義に説得力なし

もうお互いの立場や主張はよく分かってきたので、表現にこだわるような揚げ足取りは止めにして、私の主張を冷静に読んでいただきたいと思います。私は長野県浅川ダムについてはまったくダムは不要である、八ツ場ダムについては現在のところ必要だ、更に詳細な流出解析をすれば不要の可能性は否定できないとの立場で、やみくもに国交省の「河川砂防技術基準」に盲従するダム建設推進派ではないことをご理解下さい。

それこそ予断なく、利根川の基準点八斗島での治水安全度1/200における基本高水流量を追求している元技術者なのです。ダム建設反対派も学び直しをして欲しいと切実に思っています。以上

Kさんが、「やみくもに国交省の「河川砂防技術基準」に盲従」していないことは分かりました。総合的な判断を拒否しているのですから。

冷静に読みましたが、やはりKさんから基本高水を引いたら何も残らないと思います。

Kさんは、浅川ダムについては不要とし、八ツ場ダムについても不要となる可能性もあると書いているのですから、ガチガチのダム推進論者でないことは確かでしょう。ならばなぜ「総合的な検討」を拒否するのか。答は、基本高水しか見ていないからですよね。

基本高水さえ適正に算出すれば、あとは河川管理者の計算を信用すれば、ダム建設の是非について妥当な結論が得られるというKさんの考え方には、全く説得力がありません。

●破たんした治水計画をなぜ支持するのか

メールの検証は以上のとおりです。

Kさんのホームページの「総合確率法による利根川の基本高水流量の計算」には次のように書かれています。(括弧書きは引用者)

八ツ場ダムが完成しても(利根川の基本高水と計画高水の差を埋めるために)必要とされる洪水調節量は3900m3/sになります。ダム中止賛成派の人々のみならず、中立的な考えの人々にもこの結果は信じられません。

単純計算でも八ツ場ダム相当のダムが更に6基より7基が必要になります。この3900m3/sにどのように対処するかについては、関東地方整備局からまったく説明はありません。いくら治水安全度1/200だとしても、これでは河川整備計画はまったく信頼性がないと言えます。

そのとおりです。利根川上流ダム群で洪水を調節するという利根川の治水計画は破たんしているのです。

利根川上流にいくつでもダムを造れるように、国は基本高水と計画高水の差を5,500m3/秒というとてつもなく大きな数字にしたとしか思えません。

Kさんは、利根川の治水計画は信頼性がないと書きます。その一方でその治水計画から出てきた八ツ場ダムの建設を(今のところ)支持すると書きます。矛盾してますよね。

●雨量確率と流量確率が同じになるとどこに書いてあるのか

同じく、Kさんのホームページには、次のように書かれています。

国交省の「河川砂防技術基準 計画編」にしたがって、雨量から基本高水流量を計算する際に、計画雨量まで引き伸ばされた対象降雨から流量計算してピーク流量(最大流量)群を求めます。国交省の方法ではピーク流量群の最大値を基本高水流量に決定します。そしてその治水安全度は雨量確率と同じであるとしています。

「そしてその治水安全度は雨量確率と同じであるとしています。」と書かれますが、どこにそう書いてあるのでしょうか。

「河川砂防技術基準 計画編」のp30には、「このようにして評価された対象降雨の規模は、対象降雨の降雨量について平均して何年に1度の割合でその値を超過するかということを示している。それゆえ、これはその降雨に起因する洪水のピーク流量の年超過確率とは必ずしも1:1の対応をしない。」と書かれています。

また、p35には、「対象降雨を流量に変換するための洪水流出モデルの諸定数の決定に当たっては、次の事項について十分配慮しなければならない。
1.実績と計画の洪水規模の相違」と書かれています。

「河川砂防技術基準 計画編」には、「そしてその治水安全度は雨量確率と同じである」旨の記述が見当たらないのですが。

●相手によって主張を変える真意はどこにあるのか

Kさんは、今後の治水対策のあり方について 中間とりまとめ(案)に関する国交省あてのパブリックコメントをメールに添付してくれました。

そこでは、「ダム本体工事の契約を行っているものでも、平成21年度末までに駆け込みで本体工事の契約を行った県営ダムも検証の対象にすべきである。」と書かれており、正論だと思います。

また、次のようにも書かれています。

コストの評価に当たり、実施中の事業については残事業費を基本とするについては、付帯工事など先行投資の多いダムの費用対効果は良好になるので、先行投資のない代替案と比較しても実際はダム建設中止にはならない。

このことも極めて正当です。ところが7月2日のメールでは何と書いていたでしょうか。

建設継続か中止かの決定はサンクコスト理論で行うしか手段はない。
有識者会議のたたき台でも、建設継続か中止かについてサンクコストの考えが入っているが、その考えは根本的に間違ってはいない。

相手によって主張を変えているKさんの真意はどこにあるのでしょうか。

●Kさんの考え方のどこが間違っているのか

Kさんの主張をまとめると、総論的には次のとおりです。

八ツ場ダムの一丁目一番地は、治水である。

八ツ場ダムには、期待される治水効果がある。

したがって、八ツ場ダムは建設すべきである。

八ツ場ダムを含む利根川上流ダム群の計画のきっかけはカスリーン台風の再来に備えることであったのでしょうが、八ツ場ダムにとって今なお治水が最重要課題なのかは疑問です。

利根川の八斗島地点の上流部に計画されていた川古ダム、平川ダム、栗原川ダム及び戸倉ダムは、多目的ダムでしたが、利水予定者がダム計画から撤退したので、2003年度までに中止になりました。「治水目的が残っているにもかかわらず、いとも簡単にダム計画そのものが中止になったことは、ダムの治水目的がさほど重要ではないことを如実に物語っている。」(八ツ場あしたの会のホームページの期待できない治水効果)のです。上記のとおり財政問題が八ツ場ダムの最重要課題とする見解も有力です。

「八ツ場ダムの一丁目一番地は、治水である」は、Kさんの主観にすぎません。

次に、八ツ場ダムに治水効果がほとんどないことは、上記八ツ場あしたの会のサイトに書かれているとおりです。

八ツ場ダムの治水効果については、Kさんが国交省の計算を信頼しているというだけの話です。

したがって、八ツ場ダムを建設すべきという結論に科学的合理性はありません。

各論として、Kさんは次のような論法を展開します。

利根川の基本高水は18,300m3/秒であり、流下能力16,500m3/秒との差1,800m3/秒の洪水を調節しないと1/200の大洪水が来た時に氾濫してしまうので、調節すべきである。

八ツ場ダムには600m3/秒の洪水調節効果があるから、利根川上流の既存6ダムの洪水調節効果1,000m3/秒と合計すると1,600m3/秒となり、上記の調節しなければならない流量1,800m3/秒のうち9割近くの調節が可能となる。

したがって、治水だけを考えると、八ツ場ダムを建設すべきである。

まず、利根川の基本高水は18,300m3/秒とのことですが、Kさんは、国の計算を再計算して検証したわけではありません。

国は総合確率法を使って、利根川の1/200確率の流量は21,200m3/秒であるとしました。ところが、総合確率法では雨量の確率の平均値を使っているので、「平均値の超過確率は0.5であるから、治水安全度は1/400になる」とKさんは主張しています。(最大値を採用した場合の流量の確率よりも平均値を採用した場合の確率の方が小さくなるという理由が理解できません。)そして、「治水安全度1/400を1/200に換算するには1.16で除したらよいので21200/1.16=18300m3/sになる。」としています。

つまり、基本的には国の計算を信頼し、そこに0.5や1.16という数字を使って最終段階で加工したに過ぎないのです。

しかも、「54流域で一律一次流出率0.5、飽和雨量48mmのパラメータについては再検証する必要があるが、その結果により18300m3/sは更に小さくなることは予想できる。」というのですから、18,300m3/秒は暫定値にすぎないというのです。

こんな怪しげな机上の計算で、八ツ場ダムが必要だの不要だのという議論をされては、納税者も移転対象者もたまったものではありません。無責任極まりない議論だと思います。

いずれにせよ、総合確率法を用いて算出した21,200m3/秒は、国がティーセン分割図などを公開しないため、Kさんも訴訟の原告団も再計算による検証ができないのですから、国の計算結果を基に算出した18,300m3/秒も科学的合理性がありません。

次に、八ツ場ダムには600m3/秒の洪水調節効果があるという命題もKさんは検証しておらず、国の計算を信頼するというだけですから、真実とは言えません。

Kさんは、利根川水系では、もうダムの適地はないのだから、基本高水と計画高水の差をダムで洪水調節して埋めるという国の計画が破たんしていることを指摘しておきながら、自分も1,800−1,600=200m3/秒をどうやって調節するのかの展望を示さないのは、無責任です。

Kさんは、ダムという大規模な環境の改変を、国の財政を破たんさせかねない巨費を投じて実施する際に「総合的に検討する」必要がないというのですから、だれも支持しないと思います。

不思議なのは、物事を総合的に判断しないKさんが、どうやって社会で生きてこられたのかということです。組織人であれば、総合的な判断を求められてきたと思うのです。だとしたら、なぜダム問題では、総合的判断を拒むのでしょうか。

Kさんは、専門以外のことには言及しない方針であり、基本高水については、専門家を自負されているようですが、環境や財政についても専門家になられることをお勧めします。

(文責:事務局)
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