「破堤区間は2014年に用地調査に着手した」の根拠は国会答弁だった(鬼怒川大水害)

2021-08-17

●2016年の国会答弁が被告の支離滅裂の根源だった

鬼怒川大水害訴訟において、被告が証拠も示さずに、破堤区間に係る堤防整備のための用地調査を2014年に着手したことを、根拠を示さず、繰り返し主張する理由は、国会答弁にあると思います。

梅村さえこ・前衆議院議員と政府参考人(国土交通省水管理・国土保全局次長)野村正史とのやりとり(質問日:2016年 2月 24日 第190国会 総務委員会)は、次のとおりです。梅村前議員のサイトから引用します。

正式な会議録は、下記です。
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=119004601X00420160224¤t=1

数字は、アラビア数字に変更しました。

○梅村委員
(中略)
それで、改めてここでお伺いしたいんです。現場では、まだ家が改修されていないというお宅もたくさん残されています。そういう思いを抱えながら、今、被災者の皆さんは、なぜこんな被害が起こったのか、どうして決壊が起こったのか、そういう御意見がやはりたくさん上がっているわけです。
そこで、お伺いしたいんですけれども、この鬼怒川の三坂地区の決壊についてですけれども、今回は予想以上の降水量だったから仕方がないというか、予想を超えたものだったというふうにお考えなのか、やはりもともとこの地域は整備がおくれていたというふうに認識していらっしゃったのか、その点を簡単に御説明いただきたいというふうに思います。

○野村政府参考人 お答えをいたします。
その前に、ちょっと先ほどの答弁を訂正させていただきたいと思います。恐縮でございます。
先ほど、氾濫水量5300万立米と申しましたが、氾濫水量は3400万立米、そして浸水戸数を9300戸と訂正をさせていただきたいと思います。

それで、今のお尋ねでございます。
鬼怒川でございますけれども、これまで、例えば、下流部茨城県内区間、これは堤防の整備による流下能力を高めていくということ、そして、流れの速い上流部の栃木県は、例えば護岸整備によって河岸を強化する、そしてダムの整備によって流量を低減させていくということで、川全体にわたって安全度を向上させてまいったところでございます。

それで、このような中で、40年ほど前になりますけれども、昭和48年に、茨城県内区間の重要性などを踏まえて、さらに大きな洪水を安全に流下させるために、治水計画を変更いたしました。この計画の変更により、茨城県内区間では、計画上の堤防の断面を大きくする必要が生じたところでございます。その結果として、茨城県区間の堤防整備率は、この計画の見直しによって、数字の上では小さくなったことは事実でございます。

ただ、48年の変更前の計画に照らせば、当時の堤防の整備状況に関しまして、茨城県区間が上流の栃木県区間と比較して著しくおくれていたというわけではございません。

その後も、限られた予算の中で鬼怒川の河川改修を進めてまいりましたけれども、特にここ15年ほどは、茨城県内の堤防整備に重点的に予算を投入し、流下能力が大きく不足する箇所を優先して、今、下流から整備を進めておったところでございます。
    〔委員長退席、坂本(哲)委員長代理着席〕
    
    
    ○梅村委員 ただ、茨城の中でも、三坂のあたり、この地域そのものに危険性というかおくれがあった、そういう御認識はなかったかということを聞きたいんですけれども。
    
    ○野村政府参考人 お答えをいたします。
    三坂地区、今回破堤をした箇所については、平成26年に、一連の区間を整備を必要とする区間として、必要な用地調査には入っておりました。そういう意味では、確かに整備を進める必要がある箇所としては認識してございました。
    
    ○梅村委員 災害が起こった直後の9月28日に、関東地方整備局の第1回の鬼怒川堤防調査委員会のところの分析では、決壊したところがほかに比べて堤防の高さが一番低かった、そこから決壊した、こういうこともまとまってあるわけであります。
    
    あと、今御紹介いただいた平成26年10月10日に出た鬼怒川直轄河川改修事業という中に、確かにここは必要だということですけれども、緊急にやる、当面7年でやる地域と、おおむね20年から30年かけてやるんだという地域に分かれていて、この三坂地区というのは、危険かもしれないけれども、やると言われていたけれども、それはおおむね20年から30年かけてやるという計画になっているわけですよね。そういうことで間違いないでしょうか。
    本当にそれで危険を認識していたと言えるのでしょうか。
    
    ○野村政府参考人 お答えをいたします。
    今ほど申し上げましたとおり、決壊箇所を含む一連の箇所が、やはり整備が必要ということで、一連の箇所として必要な高さを保持していないということは御指摘のとおりでございますけれども、そこだけが箇所的に、その決壊箇所だけが著しく低いということではなくて、その箇所を含む一連の区間、約6キロメートルの区間としてこれは整備を進めるべきということで、平成26年から用地調査に入るということで、堤防整備に向けた準備には入ってございました。  ただ、その段階で、では、その堤防整備にいつから入って、それが何年にでき上がるかというところは、まさにさまざまな、用地調査等を含めて、また、その時点の計画づくりによるところになりますので。
 
 ただ、いずれにしても、26年から当該箇所については用地調査に入っておりましたので、具体的には決壊した箇所のさらにもう少し下流部になるわけですけれども、用地調査に入っておりましたので、私どもとしては、そこは整備をしなくてはいけないという認識はございました。
 
 ○梅村委員 認識はあったとしても、おおむね20年から30年かけてということでいうと、やはり住んでいらっしゃる方にとっては、自分たちの命や暮らしを、そうなったらもうみんな20歳や30歳年をとっちゃうわけですから、本当に緊急性を持ってやられていたのかという疑問を持つのは当然だと思います。  きょうここでは問いませんけれども、先ほど紹介した被災直後の9月28日の第1回鬼怒川堤防調査委員会の結果ですと、これは20ページですけれども、決壊幅200メートルのうち、決壊したところは、一番低かったところから水が出ていったという調査を私はこれで見ているんですけれども、ぜひ後でそれは確認をさせていただきたいというふうに思いますし、そういう指摘があるということをここで御紹介させていただきたいというふうに思います。
 
 それで、今の20年、30年後ということも含めてなんですけれども、今御紹介いただいたように、うちの塩川議員が質問したときに、1973年に計画を変えたということをおっしゃっていましたけれども、それから43年たつわけですよね。
 
 しかも、低いといいながら、栃木県側は整備率が62%に対して、茨城県側は16.8%なわけですね。これは何とかしなきゃいけないということで整備計画をつくったのかもしれないけれども、その結果、茨城県側が16.8%で、しかも一番弱いところのこの地点が水が出て決壊したということは、やはり皆さん地元では、これは自然災害ではなくて人災ではないかという声も出てきているわけなんですよね。ですので、そういう状況が地元の皆さんからは出ているんですけれども、その点はいかがでしょうか、その具体的なおくれについて。
 
 1973年にやって以降、本当に43年間、この場所をどういうふうにやり、なぜいまだに16.8%なのか、そこら辺をちょっと御紹介いただきたいと思うんですけれども。
 
 ○野村政府参考人 お答えをいたします。
 1973年、昭和48年に治水計画を変更したと申し上げましたが、その変更前で見ますと、茨城県内区間は約42%、栃木県内は約54%。もちろん茨城の方が低かったんですけれども。実は著しいおくれはなかったんですが。その48年におきまして、それ以前の、これは24年に利根川改修改訂計画で、いわゆる河道、川でもつ洪水の流下能力、計画高水流量を、当時は毎秒4000立米としておったのを、これは石井という地点ですので今回の決壊場所ではございませんけれども、その石井という場所で見ますと、昭和48年に、計画高水流量6200立米・パー・セカンドということで、要するに、より多くの洪水を流せるようにしなくてはいけないという計画の改定をいたしました。
 
 なので、そうなると、堤防の断面をふやさなくちゃいけないということで、従来の計画だと基準を満たしていたものが満たさなくなったということで、そういう意味での整備率は確かに低くなってございます。
 
 今ほど答弁申し上げたとおり、特に直近15年は主に堤防について整備を進めていたところではございますけれども、それ以前のところは、堤防というのもやっておりましたけれども、例えば河床低下、これは、河床が低くなりますと、より堤防を侵食しやすくなりますので、その床どめをやるとか、場合によっては堤防の弱いところ、これは構造物が川に突き出ている、要は、水路が川に注ぐところに樋門というのがございますけれども、そういったところの老朽化対策というところで、必ずしもやはり堤防だけで治水対策が進むわけではございませんものですから、そういうところをやっていたこともございます。
 
 その結果として、確かに堤防の整備率として、現在でも、先ほどお話があったような、少し差がついていることは事実でございますけれども、特にここ最近は堤防整備をかなり強化してやってきたということを申し上げたいと思います。
 (中略)
 ○梅村委員 いずれにしましても、現地の方々は、再三言っていたんだ、にもかかわらず起きてしまった上に、この再建が自己責任だというふうに言われても納得ができない思いというのは、私はすごくわかるような気がするんですね。
 
 現地の方々は、なぜこんな決壊や越水が起きたのか、これからの計画はどうなのか、自分たちが届けた声はちゃんと国交省の方に届いたのか、こういうことを知りたがっているわけですね。
 
 ですので、ぜひ、情報公開もし、地域の皆さんが納得していただけるまで丁寧に住民説明会などをしていただきたいというふうに思います。それがなければ、なぜあんなふうに危ないというふうに再三言ったのかということだと思うので、ぜひそれはこの場でお約束していただければと思うんですが、いかがでしょうか、住民との関係は。
 
 ○野村政府参考人 お答えをいたします。  
 今回の災害を受けまして、若宮戸地区についても、もともと、平成26年の段階で、いずれ、そこを含む6キロメートル区間やるべしということでございますけれども、ここは、鬼怒川緊急対策プロジェクトということに全体の対策を取りまとめて、そしてこの地区についても堤防の整備にかかってまいりたいと思っております。
 
 また、そこにおいては、地元の皆様にもちろん事業の内容についてはきちんと丁寧に御説明をして、進めていくということにしてございます。  
 

注目すべきは、野村政府参考人は、想定外の豪雨だったから氾濫しても仕方がなかった、という言い訳はしていないということです。(訴訟では、「異例な降雨」だったと言い訳をしています(被告準備書面(1)p49〜50)。)  

上記会議録のとおり、野村は、2016年2月24日開催の衆議院の総務委員会で、次のように答弁していました。いずれも問題あり、です。
 
 (1)「そこだけが箇所的に、その決壊箇所だけが著しく低いということではなくて、その箇所を含む一連の区間、約6キロメートルの区間としてこれは整備を進めるべきということで、平成26年から用地調査に入るということで、堤防整備に向けた準備には入ってございました。」
 (2)「三坂地区、今回破堤をした箇所については、平成26年に、一連の区間を整備を必要とする区間として、必要な用地調査には入っておりました。」
 (3)「26年から当該箇所については用地調査に入っておりましたので、具体的には決壊した箇所のさらにもう少し下流部になるわけですけれども、用地調査に入っておりました」  
 
 ●「決壊箇所だけが著しく低いということではなくて」は事実に反する
 

(1)と(2)は、ほぼ同じことを言っています。  

(1)で被告は、「決壊箇所だけが著しく低いということではなくて」と言っていますが、事実に反します。  

計画高水位より低い堤防は欠陥堤防ではないのか(鬼怒川大水害)における下図で示したとおり、2011年度には、L21.00kの下流約16mから上流約47mまでの約63mの堤防高が計画高水位以下だったと考えられるのであり、「決壊箇所だけが著しく低」かったのです。  

L21.00k付近の堤防は、上流よりも低いのはもちろん、下流よりも著しく低かったのであり、過渡的安全性を欠如していました。これは瑕疵です。  
 
 L21kU字1  
 
 ●上三坂から若宮戸までの約6kmが一連の区間とされたのは2014年からだった
 

(1)と(2)では、破堤区間を含む約6kmを一連の区間としていたことが前提とされています。  

「一連の区間」がどこを指すのかについては、野村は、三坂町について議論した後で、「若宮戸地区についても、もともと、平成26年の段階で、いずれ、そこを含む6キロメートル区間やるべしということでございます」と言っていますので、上三坂から若宮戸までの区間、おおよそL20k〜26kを指すとしか考えられません。
 

また、「一連の区間」を設定したのはいつからか、については、野村が「もともと、平成26年の段階で」と答弁しているので、2014年から、ということになります。(後記のヒアリング回答書とも符合します。)  

被告は、「一連区間ごとに順次整備に着手し」(被告準備書面(5)p16)と主張していますので、「一連の区間」を強調する意味は、破堤区間と若宮戸地区を含む約6kmの「一連の区間」の用地取得が全て完了するまでは、部分的に着工することはできなかった、だからL21.00k付近の着工が遅れたのは仕方がない、ということかもしれませんが、そうだとすると、以下の理由により失当です。
 
 (ア)鬼怒川堤防整備概要図2(乙72の3。下図)及び「中三坂地先測量及び築堤設計業務」(2005年度)を見れば分かるように、L21.00k付近は、おおよそL18.50k〜21.25kの区間(約2.75km。実質的な整備区間は約2.5km)が一連区間とされていた。
 
 (イ)上記約6kmが一連区間とされたのは、2014年からであり、それまでに整備すべきであったと原告側が主張した場合には反論になっていない。
 
 (ウ)百歩譲って、上記約6kmが2014年以前から一連区間だったとしても、被告の方針は、「必要に応じて用地買収も進めつつ、整備が急がれる箇所又は区間から順次これを進めていく必要があった」(被告準備書面(5)p10)し、「順次用地買収が完了した箇所を含む区間において改修工事を実施」(被告準備書面(6)p23)するものだったから、破堤区間が一連区間に含まれることは、破堤区間に係る用地取得が完了したにもかかわらず未整備のまま放置する理由にならない。下図のとおり、現に、L18.50k〜21.25kの一連区間の中でも、おおよそL19.25k〜19.75k(約500m)については、緊急性があったかはともかくとして、用地取得が完了した年(2007年)に整備も完了している(被告準備書面(5)p15に説明あり)ので、一連区間の一部分が先行して整備された事実があるのだから、一連区間としてでなければ工事を実施しない、という言い訳は成り立たない。
 
 鬼怒川堤防整備概要図
   鬼怒川堤防整備概要図2(乙72の3)
 
 ●そもそも「一連区間」とは  

そもそも「一連区間」とはどういうものかというと、「治水地形分類図を主にして、堤体・基礎地盤土質ならびに、施工年代、被災状況等により区間設定を行う。」とされています。根拠は、「H26三坂地先外築堤護岸設計業務設計報告書」(2015年3月、株式会社建設技術研究所)のp3−62(下図)です。  

この報告書は、被告が乙55として提出していますが、若宮戸地区で築堤設計を委託していたことを証明するために提出されたので、下図(16.0k〜24.0kの情報を記載したもの)は含まれていません。  

下図のタイトルは「被災履歴の有無」ですが、情報満載です。  

鬼怒川についての様々な情報が詰め込まれていて、本来13頁あり、下図は、その3枚目ということです。既存資料を整理したものです。  

L21.00k付近では、一連区間が次のように設定されています。しかも、名称まで付されています。  
 L20.00k〜21.00k   L−14
 L21.00k〜22.00k   L−15
 
 

L21.00kは、二つの一連区間の境目だったのであり、この設定が妥当だったのかは疑問であり、実際の築堤設計とも食い違っていますが、一連区間の延長は、下図を見る限り、1kmとか2km程度が多く、長くても2.25km(R−14)です。  

一連区間を設定する理由は、築堤業務の効率化のためと思われるので、延長約6kmもの一連区間を設定する意味はなく、長すぎれば逆効果になると思いますし、実際、約6kmの一連区間を設定した例は、他の河川を含めても皆無ではないかと想像します。  

2014年に約6kmの一連区間を設定したのなら、その証拠を出すべきですが、証拠も前例もないことから、この作り話で訴訟を乗り切ることは無理だと訟務検事が判断したのだと想像します。  
 
 被災履歴表3  
 
 ●三坂町地区と若宮戸地区を一連区間としたのは2014年以降だった  

国土交通省は、「若宮戸地区については、平成26年10月10日の時点では、堤防整備について検討中であったことから整備箇所とはしていませんが、その後、三坂町地区等と一連の区間として整備を進めることとしたものです。」(2016年9月9日付けの国土交通省から梅村議員あての回答書)と回答しています。  

後付けの理屈だと思いますが、少なくとも、2014年10月10日までは、上三坂と若宮戸が一連区間として扱われたことがなかったことは、被告も認めていることになります。  

また、2014年になって急遽一連区間としなければならなくなった理由があるとも思えません。逆に、若宮戸を一連区間としてはいけない事情ならあります。  

2014年は、3月から4月にかけて若宮戸地区の河畔砂丘が大規模掘削され、「地盤高を下げると洪水時に浸水する恐れがある」(『平成27年9月関東・東北豪雨』に係る洪水被害及び復旧状況等について(2017年4月1日)p20)という緊急事態が発生した年ですから、むしろ、他の区間とは切り離し、同地区の整備を緊急にすべきだったのであり、約6kmもの一連区間を設定し、同時並行的に作業を進めるという発想が許されるとは思えず、「河川管理の一般水準」からも逸脱していると思います。  
 
 ●破堤した箇所の少し下流部で2014年に用地調査に入ったという話はウソだ  

上記野村答弁の(1)と(2)は、予備知識がないとどこが事実に反するのか分かりませんが、(3)は明らかに矛盾しています。  

「26年から当該箇所(引用者注:破堤した箇所のこと)については用地調査に入っておりました」と言いながら、具体的な話になると、「決壊した箇所のさらにもう少し下流部になるわけですけれども、用地調査に入っておりました」ということですから、前半と後半は矛盾しています。そもそもまともな日本語になっていません。  

また、「26年から当該箇所(引用者注:破堤した箇所のこと)については用地調査に入っておりました」は、事実に反します。なぜなら、破堤区間は2007年から2009年までに用地取得が完了しており(根拠は、被告準備書面(5)p12本文に出てくる鬼怒川堤防整備概要図2(乙72の3)。上図)、2014年から用地調査に入る必要がないからです。  

同様に、「決壊した箇所のさらにもう少し下流部になるわけですけれども、(26年から)用地調査に入っておりました」も事実に反します。  

鬼怒川堤防整備概要図2(乙72の3。上図)を見れば分かるように、L21.00kより少し下流の堤防用地もまた、2007年から2009年までに取得されていますから、2014年から用地調査に着手する必要がないからです。  
 
 ●野村答弁の詳細が明らかになった  

2016年2月24日の野村答弁は、事実関係についてぼかした言い方をしていましたが、それから半年以上経った頃に、事実関係がいくらかは明らかになりました。  

すなわち、2016年9月9日の国土交通省からヒアリングを行った梅村議員あての回答書には、次のように書かれています。  

 ○ 堤防が決壊した三坂町地区や、溢水した若宮戸地区を含む約6kmの一連の区間においても、堤防等の整備に向けて、平成26年度から用地調査を進めていました。
 
 ○ 一連の区間のうち新石下地区について、平成27年2月5日に堤防整備の計画や用地調査着手の説明を実施し、同年3月23日には用地境界確認に立ち会っていただいています。  
 

野村答弁同様、誤解を招く文章ですが、二つの文章を併せ読むと、次のことが判明します。  
 (1)2014年度から用地調査を進めていたのは、「約6kmの一連の区間」であること。  
 (2)野村は、「平成26年から」用地調査に入った、と言っていたが、「平成26年度から」の誤りであること。
 (3)「一連の区間」のうち、具体的に用地調査に入ったのは新石下地区であったこと。
 (4)野村は、「具体的には決壊した箇所のさらにもう少し下流部になるわけですけれども、用地調査に入っておりました」と言ったが、新石下は、破堤区間のある三坂町の上流部なので、「下流部」は誤りであること。  
 
 

つまり、引用した野村答弁には、二つの誤り(「26年」ではなく「26年度」、「下流部」ではなく「上流部」)があったことが判明しました。  

この回答書でも、三坂町地区については、被災時はもちろんのこと、2014年度時点でも用地調査にも入っていなかった、と誤解するのが普通でしょう。  
 
 ●2014年度から用地調査に入った区間は左岸約21.3kより上流だった  

2014年度から用地調査に入った区間は左岸約21.3kより上流でした。 その根拠は、次の二つです。

【2017年4月14日付けの国土交通省回答】

国土交通省は、2017年4月14日付けの回答では、「2014年度から用地調査に入った新石下地区とは具体的にどこを指すのか」という質問に、 「堤防が決壊した三坂町地区や、溢水した若宮戸地区を含む約6kmの一連の区間のうち、(引用者注:2014年度から用地調査に入った)新石下地区としているのは約21.25km地点〜約23.0km地点です。」と回答しており、野村答弁の「(2014年度から用地調査に入った区間は、破堤区間の)下流部」が「上流部」の誤りであったことが、数値的にも明らかになりました。

【「○○年度 下館河川事務所 事業概要」】

被災後の下館河川事務所のウエブサイトには、2014年度から新石下地区で用地買収を実施したことが書かれていました。

その説明の前に、鬼怒川にそもそも改修計画があったのか、という問題があります。

被告は、大東判決のいう「改修計画」として、利根川水系河川整備基本方針のほかに、利根川水系河川整備計画とみなされる利根川水系工事実施基本計画の一部分を挙げていますが、前者は方針にすぎず、後者は「計画」と銘打っていても、目標達成時期が明らかでなく、普通に言われる「計画」ではありません。

鬼怒川でいつまでにどこを改修するのかを記載した最初の改修計画は、2011年度事業再評価資料である「2011年度鬼怒川直轄河川改修事業」だったと見てよいと思います。(だからといって、2012年度以降は、当該改修計画どおりに整備されたとは言えませんが。)

したがって、それまでの鬼怒川の改修事業は行き当たりばったりだったと見るほかないと思います。

ちなみに、関東地方整備局は、毎年度の最初の営業日に記者発表を行い、「○○年度 下館河川事務所 事業概要」なる文書を公表していました。そこには、当該年度に実施される改修事業の概要が記されていました。

これも厳密には「計画」なのかもしれません。単年度計画書なので、あまり意味はありませんが、事業の記録にはなります。

naturalright.orgが2015年9月に下館河川事務所のウエブサイトで閲覧できた2012年度から2015年度までの4か年度についての「下館河川事務所 事業概要」のスクリーンショットを掲載しています( https://www.naturalright.org/kinugawa2015/予備的考察1-水害直後/堤防自体は全域にわたり同レベルにできていた-1/)。

上記4か年度の「下館河川事務所 事業概要」のうち、「三坂町」に係るものは、次の2ページ(2014年度及び2015年度に分かれる。)しかありません。(上部の「○○年」は、naturalright.orgが記載)

野村答弁にいう「一連の区間」について2014年度以降に実施した用地調査に該当する事業は、次の2ページしか見当たらないということです。

2014事業概要

2015事業概要

示された写真からは、2014年度及び2015年度における用地取得の対象となった区間は、左岸21.30k〜22.00kの約700mの区間のように見え、左岸21.00kを含む約200m(公式見解では)とされる破堤区間から少なくとも200m以上は上流でした。

このことは、野村答弁の「下流部」が「上流部」の誤りだとすれば、符合する話ですし、2016年9月9日付け回答書の「一連の区間のうち新石下地区について、平成27年2月5日に堤防整備の計画や用地調査着手の説明を実施し、同年3月23日には用地境界確認に立ち会っていただいています。」という回答とも符合します。

●買収しようとする土地の町名が分からないということがあり得るのか

それにしても、「下館河川事務所 事業概要」において下館河川事務所が三坂町という名称にこだわっていたのは不可解です。

2014年度の事業概要の写真では、「用地取得予定箇所(常総市三坂町地先)」と書かれていますが、写真上の赤白線の位置は、三坂町と新石下の境界である日本ファブテック株式会社石下工場の南側よりも上流であり、株式会社林化工学茨城工場に近いので、用地取得予定箇所は新石下地内のはずです。(「地先」は無番地の土地に対する呼称ですが、おそらくは、鬼怒川では河川区域内の民有地にも地番が振られていると思うので、「地先」は不要だと思います。)

2015年度の事業概要の写真でも、「用地取得予定箇所(常総市三坂町地先外)」と書かれており、写真の赤線は、おおよそL21.30〜22.00k(約700m)に見えます。

そのうち、2014年度の写真の赤白線を上流に延長させた部分は三坂町ではないという認識があるので、「外」と加えたと思います。

その認識は正しいのですが、上記のとおり、2014年度の用地取得予定箇所も新石下地区であり、両年度の対象区間である、おおよそL21.30〜22.00k(約700m)は、新石下地区(おおよそL21.18k〜23.00k)に含まれます。

これから買収しようとする土地の町名が分からないままに「事業概要」を作成するということがあり得るのでしょうか。

●2017年の国会答弁でも野村答弁が維持された

2017年5月11日の参議院 国土交通委員会では、山添拓・参議院議員と石井啓一・国土交通大臣の間で次のようなやりとりがありました。

○国務大臣(石井啓一君) 鬼怒川の茨城県内区間の整備は、上下流のバランスを勘案しながら、流下能力が大きく不足する箇所を優先をいたしまして、下流から順次実施してきたところであります。

 若宮戸地区を含みます約6キロの一連の区間におきましては、堤防等の整備に向けまして平成26年度から順次用地調査を進めていたところ、関東・東北豪雨による洪水で浸水被害が発生をしたところでございます。(以下略)  
 
 ○山添拓君 今、平成26年から、2014年から整備をという話だったんですが、もう2001年からは少なくとも毎年毎年要望がされていたんです。地元の皆さんは人災だと言っています。計画堤防より2.6メートルも低い高さにしかなかったと。(以下略)  
 

「若宮戸地区を含みます約6キロの一連の区間におきましては、堤防等の整備に向けまして平成26年度から順次用地調査を進めていたところ、関東・東北豪雨による洪水で浸水被害が発生をした」というのですから、「約6キロの一連の区間」を設定するねらいが露骨に語られています。  

2016年2月24日の野村答弁は、翌年の大臣答弁でも維持されたことになります。ただし、「平成26年」は「平成26年度」に修正され、破堤区間の少し下流の箇所で用地調査に入った、という虚偽事実も言いません。  

「2014年度から整備開始では遅すぎるではないか」という山添議員の指摘に対する石井大臣の答弁を聞きたかったところですが、テーマが法案審議だったために、残念ながら答弁はありませんでした。  
 
 ●国会答弁の一部が訴訟に引き継がれた  

2016年2月までに、国が鬼怒川大水害の責任を免れるために考えた理屈は、上三坂から若宮戸までを無理矢理「一連区間」にしてしまい、その中に2014年(正確には2015年2月及び3月なので、2014年度)に用地調査に入った箇所(新石下地区)があったので、「一連区間」の整備を2015年9月までに間に合わすことは不可能だった(時間的不可抗力が成り立つ)ということでしょう。  

つまり、国が責任逃れのために使った手品のギミックは、「一連区間」でした。  

破堤区間に係る用地取得が2009年までに完了しているので、「その後5年間も放置したのは怠慢だ」という主張に反論できないので、若宮戸を含む約6kmもの一連区間を設定し、その中の新石下地区で2015年の2月と3月に説明会と境界確認を実施したので、この事実をもって、破堤区間を含む一連区間の全体で2014年度から用地調査に着手したものと、議員や市民に思い込ませて、ひいては、2014年度から用地調査に着手したのだから2015年大水害までの堤防整備が間に合うはずがないと思い込ませる作戦だったのでしょう。  

国土交通省では、この論法で訴訟を乗り切れると考えたのでしょうが、実際は違いました。  

提訴されてからは、「堤防が決壊した三坂町地区や、溢水した若宮戸地区を含む約6kmの一連の区間においても、堤防等の整備に向けて、平成26年度から用地調査を進めていました。」(2016年9月9日の国土交通省から梅村議員あての回答書)という理屈は、被告の訴訟遂行方針としてストレートには採用されなかったようであり、「堤防が決壊した三坂町地区や、溢水した若宮戸地区を含む約6kmの一連の区間」という表現は、被告準備書面には見当たりません。  

約6kmに及ぶ一連区間を設定するのはいかにも不自然だし、設定した時期が2014年10月10日以後では、「それまでに整備すべきだった」という主張に反論できないので、訟務検事が国土交通省の考えた屁理屈を排除したのかもしれません。  

そのくせ、野村が答弁した虚偽事実(「26年から当該箇所(引用者注:文脈から破堤箇所を指す。)については用地調査に入っておりました」)は、なぜか訴訟でもしっかり引き継がれています(例えば、「当該地先の堤防についても、平成26年には用地調査に着手し」(被告準備書面(1)p57))。  

つまり、訴訟では否定されたはずの国土交通省が国会答弁で用いた論法の一部を、なぜか訴訟で引き継いでいるのが被告の主張が支離滅裂になる理由だと思われます。  

訴訟では、ネタを仕込まずに手品を演じたようなものですから、手品になっておらず、単なる虚偽陳述にしかなっていないということです。  

被告の主張が支離滅裂であることを被告が認識しているのかは不明ですが、「当該地先の堤防についても、平成26年には用地調査に着手し」というフレーズを、被告が矛盾にも気づかずに(多分ですが)、繰り返し使ってしまうのは、このフレーズが被告にとってよほど魅力的だ(殺し文句になる。議員からの追及を阻止するには有効だった。)と考えているからだと思います。  

(文責:事務局)
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