前回記事鬼怒川左岸21kの堤防高は計画高水位より10cm低かったことの明確な証拠があった(鬼怒川大水害)では、国が、2011年度時点で、L21kの堤防高について31cmもの偽装を行っていたことの明確な証拠があることを書きました。
では、国は、この偽装をいつからしていたのでしょうか。2011年度においてだけ、特別に行ったことなのでしょうか。
結論から言って、遅くとも、1964年からではないか、というのが今回記事で言いたいことです。
根拠は、下図です。
平成27年9月関東・東北豪雨による関東地方災害調査報告書(2016年3月、2015年関東・東北豪雨災害、土木学会・地盤工学会合同調査団関東グループ)の中で大槻順朗・山梨大学 大学院総合研究部工学域 土木環境工学系(土木環境工学) 助教が「8.2 河畔砂丘と植生」という見出しで執筆した部分(p168〜169)からの引用です。
この見出しから外れるのですが、1964〜2011年度における鬼怒川の21kの横断図の変遷を示しています。
年表示は、定期測量が実施された年度を指すと思われ、そうだとすると、「2005」は、「2004」=「2004年度」の誤りではないかと思います。
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下図は、上図の堤防部分を拡大したものです。
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下図は、上図の堤防の上部だけを更に拡大したものに私が加筆したものです。
年度の右の数値は堤防高です。「?」が付いた数値(1964年度と1978年度)は、図からの読み取りです。1993年度以降は公式なデータ(定期測量の成果)です。
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黒線(1964年度)を見ると、青線(2011年度)と同様、堤防天端が2段になっており、川表側に盛り土をして堤防高を大きく見せるという偽装は、1964年度には始まっていたと見ることができないでしょうか。
そうなると、1966年12月の河川区域告示の添付図に記載された、左岸21kの堤防高Y P22.47mも盛り土の頂点だった可能性があります。もっとも、アスファルト舗装がされたのは2006年以降ですが。
●堤防の形状が目まぐるしく変わるのか
もちろん、1964年度から堤防高を盛り土で偽装したという見方には様々な疑問があります。
一つは、黒線(1964年度)の突起(盛り土らしきもの)は、異常に高く、2011年度の突起の高さが31cmだとすると、黒線の突起は堤防天端の低い部分よりも83cmも高かったことになり、常識的に想像できない状況だったことになるということです。
二つは、堤防の輪郭線はあまりにも太い線で描かれており、それが幾重にも重なっているのですから、正確な情報を読み取ろうとすることにそもそも無理があるのではないか、ということです。
細かく見ると、辻褄の合わないことがいくつかあります。
左岸堤防の天端が2段になっているのは、黒線(1964年度)と青線(2011年度)だけであり、その間の3本の線では、天端が2段になっているようには見えません。
えんじ色(2004年度)の線で描かれる堤防だけが太いのも不可解です。青線(2011年度)の天端幅が5.7mですから、えんじ色(2004年度)の天端幅は約7.0mはありそうです。また、天端の中央が盛り上がっているようにも見えます。
L21kでは、1993年度定期測量から2004年度定期測量までに腹付けされた可能性も考えられますが、青線(2011年度)では堤防の幅が狭くなっており、せっかく腹付けをしておきながら、その後、わざわざ削り取るようなことになりますから、不可解です。
逆に、茶色線(1993年度)は堤防の幅が薄く、天端幅が小さく(3m程度に)描かれています。
要するに、堤防の形状が測量するたびに目まぐるしく変わっているように見え、不可解です。
●堤防沈下量が測量成果と合致しない
堤防沈下の量から検討しても、不可解な点が二つあります。
一つは、1978年度から1993年度までの15年間で堤防が23cm低下したと思われますが、年間の沈下量は約1.5cmですから、直感的には小さすぎると思います。(1993年度から2004年度までの沈下量は、年平均で約2.6cmです。)
二つは、公式データによれば、1993年度から2004年度までの沈下量が28.1cmで2004年度から2011年度までが14.9cmですが、グラフの沈下量が、[茶色とえんじ色の差]:[えんじ色と青色の差]=約28:15になっていません。
以上により、「L21kの堤防では、川表側に盛り土をして、その頂上を堤防高とする扱いが1964年度からされていた」という仮説が正しいことを上図だけでは証明したとは言えません。
真偽をはっきりさせるためには、鬼怒川左岸21kにおける定期測量の横断図の公開を求める必要があります。私が現在保有している横断図は、2011年度と2015年度のものだけです。
●元資料から真実が垣間見えた
大槻の上図には、元となる図があります。
河川環境総合研究所資料 第 25 号「鬼怒川の河道特性と河道管理の課題 ー沖積層の底が見える河川ー」(2009年5月、財団法人河川環境管理財団河川環境総合研究所、所長山本晃一)のp93に載っています。
大槻は、同研究所又は河川事務所からデータをもらってグラフをリライトした上で、2011年度定期測量における横断図を加筆したものと思います。
山本の図と対照するために、大槻が作成した図を、その下に再掲します。
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元資料を見ると、L21kの堤防の形は、細い線で描かれているため、比較的に明確であり、目まぐるしく変わったわけではなかったようにも見えます。
特に、1964年度から1978年度への変化は、天端の川表側に盛り土がされたまま沈下しているように見えます。
そうなると、L21kでの盛り土は伝統、悪弊、悪習であり、河川事務所の職員に偽装の罪の認識はなかったのかもしれません。
だからといって、免罪はされません。測量法(1949年制定)の規定を受けた河川定期縦横断測量業務実施 要領・同解説(1997年作成)は、堤防高は「堤防の表法肩において測定する。」と解説しており、堤防の法肩は盛り土の法肩とは違うのですから。
いずれにせよ、L21kの2008年度定期測量以前の横断図を取得する必要があります。