堤防の高さが計画高水位以下でも安全だと判示した(鬼怒川大水害)

2022-08-04

●誤り及び不明点

鬼怒川大水害訴訟に係る水戸地方裁判所判決(2022年7月22日)の要旨がcall4に掲載されたので、感想を記します。

まず、判決要旨には誤記や不明な箇所があります。

【越水開始時期】

p4に「午後11時11分」とあるのは、「午前11時11分」の誤りです。

被告準備書面(1)p37の記述をコピペしたのが原因ですが、被告は、被告準備書面(10)p15で訂正していたのですが、裁判所は読まなかったということです。

【「おそれ」は「可能性」ではない】

「(破堤においてパイピングが発生した)おそれがある」(p4)と書かれています。

おそらくは、「可能性」という意味で「おそれ」を使っていると思います。

しかし、「おそれ」の意味は、デジタル大辞泉によれば、次の三つであり、「可能性」の意味はありません。

1 (恐れ)こわがる気持ち。恐怖。不安。「将来への漠たる―」

2 (畏れ)敬い、かしこまる気持ち。畏怖_(いふ)_・畏敬_(いけい)_の念。「神の偉大さに―をいだく」

3 (虞)よくないことが起こるかもしれないという心配。懸念。「自殺の―がある」

「可能性」に最も近いのが3ですが、未来について使うものであり、過去について使うことはないはずです。

言語は日々変化するものであり、「おそれ」や「懸念」を過去の出来事について使う人が増えているのかもしれませんが、裁判所は、日本語には保守的な姿勢で、つまり、日本語辞書を引いて理解できる用語で判決を書くのが筋だと思います。

【方針の名称】

p5には、「利根川水系整備基本方針」と書かれていますが、「利根川水系河川整備基本方針」の誤りです。

これも、被告準備書面(1)p27の記述をコピペしたのが原因です。

【堤防整備の検討は2015年度ではない】

p15に「平成27年度には、平成24年には自然堤防の一部が民間開発により掘削されたことを理由に堤防整備について検討されており」とあります。

この検討とは、「H26三坂地先外築堤護岸設計業務設計報告書」(乙55)のことだと思われ、そうであれば、「平成27年度には」は「2014年度には」の誤りです。

【民間開発は2012年ではない】

また、上記の文章で「平成24年には」は「2014年には」の誤りです。

証拠説明書の備考欄で「H24はH26の誤り」と訂正されていますが、ここでも裁判所は無視しています。

【若宮戸地区は整備対象区間ではない】

p15で「平成26年度事業再評価資料でも、その一部についてのみおおむね20ないし30年間の整備区間とされていた」と書かれています。

意味不明です。

判決書には、「これを示した図において、若宮戸地区の一部がおおむね20年ないし30年間で整備する箇所に含まれていた。」と書かれていますが、2014年度事業再評価資料のp9の「今後の改修方針(事業位置図)」を見ても、若宮戸地区の無堤防区間に青線(20〜30年間で整備する箇所を示す。)はありません。

【治水安全度で想定されている流量値と既往最大流量値の関係】

p17に「本件改修計画における治水安全度で想定されている流量値は、鬼怒川の各水位流量観測所において観測された過去の水害発生時等の最大流量値を考慮したものであることがうかがわれる。」と書かれていますが、私が勉強不足のせいか、意味が分かりません。

【治水経済調査マニュアル(案)】

p17に「治水経済調査マニュアル」とあるのは「治水経済調査マニュアル(案)」の誤りだと思います。

【「河川管理施設等構造令(案)」とは何か】

p18に「河川管理施設等構造令(案)」と書かれていますが、1976年に施行されている政令になぜ「(案)」が付くのか、私の知識では理解できません。

裁判所が根拠法令の正式名称を知らないということがあり得るのでしょうか。

【計画高水位以下の地点の表示の誤り】

p19に「約21.47km地点で計画高水位をそれぞれ数cm下回っており」と書かれています。

「約21.47km地点」は「約21.047km地点」又は「約21.05km地点」の誤りです。裁判所が端数処理をどうする方針なのか不明なので「又は」にしておきます。

堤防高が計画高水位以下の地点は、下表のとおりです。

堤防高縦断表L21k付近hosoumen_8_03.html_7

「約21.47km地点」は、L21.00kから470m上流のことですから、破堤区間(L20.863k〜21.063k)から400m以上上流の地点であり、破堤区間の堤防の高さがどうだったかという議論と関係のない話になってしまいます。

この誤りも、訂正前の原告ら準備書面(8)をコピペしたから起きたものでしょう。

【水海道地区の市街地の多くは低地ではない】

p21の4行目に「この低地の最下流部に水海道地区の市街地が広がっていた」と書かれています。

「水海道地区の市街地」をどう定義するかにもよりますが、そして、確かに低地(氾濫平野)の上にも家が建っていますが、下図(治水地形分類図、Googleマップ)のとおり、建物の多くは、結城台地と自然堤防の上に建っています。(図で茶色が台地、黄色が自然堤防、浅葱色が氾濫平野です。)

上記の表現は、水海道地区の市街地のほとんどが氾濫平野の上にあるようにしか受け取れません。

判決が上記事実を認定した原因は、「そのお盆状の後背湿地の最下流部に常総市水海道の市街地が広がっている」(原告ら準備書面(8)p18)という原告側の主張を採用したことにあります。

水海道地区の発展の歴史を想像しても、人は、最初は水害のおそれのない台地の上に住み、次に微高地である自然堤防の上に住み、土地が足りなくなって、やむなく氾濫平野の上にも住むことになったという経緯があったはずです。

重要問題ではないとしても、歴史的経緯を無視するかのように、後背湿地の下流端に常総市の市街地が広がっている、という不自然なことを原告側が主張していたら、説得力が出ません。

原告側としては、甚大な被害が予見できたことを強調したかったので、低地の下流端に市街地が広がっているという話にしたかったのだと思いますが、一部を全体のように言うのは混乱の元であり、避けるのが筋だと思います。

治水地形分類図

グーグルマップ

【「若宮戸地区においては破堤には至らなかった」の意味不明】

p22に「若宮戸地区においては破堤には至らなかった」と書かれていますが、意味不明です。

無堤防区間で破堤することはありません。

「破堤」を「溢水」に置き換えても、なお意味不明です。若宮戸地区において溢水は起きたのですから。

誤記ではなく、何らかの事実について勘違いしている可能性が考えられるので、上記記述の真意が明らかになれば、それが原因で逆転敗訴する可能性もあるのかもしれません。

●勝訴なのか

報道写真を見ると、「勝訴」と書かれた紙を原告が掲げていますが、勝訴と言えるのか疑問です。

新聞報道の一部を見ても、勝訴として報じるものは見当たりませんでした。

少なくとも、見出しに「勝訴」を掲げるものはないと思います。

請求額の約11%が認容されただけなので、「ほぼ敗訴」又は「ちょっとだけ勝訴」であり、「勝訴」という表現が適切だったとは思えません。

「一部勝訴」の札は用意していなかったのかもしれません。

報道機関の方が冷静に見ており、浮かれているのは原告側だけだと思いますが、浮かれている場合ではないでしょう。

●若宮戸でさえ完全に勝ったとは言えない

若宮戸での溢水による被害については勝訴したことになっていますが、そもそも、若宮戸での溢水は、2箇所で起きていますが、原告側は上流側の溢水箇所(L25.35k付近。ソーラーパネル付近)のみを争点として、下流側の溢水箇所(L24.63k付近)については、なかったことにして、判断しなくて結構です、という闘い方をしました。

控訴審で全面勝訴になるなら問題にならないのかもしれませんが、控訴審でも若宮戸のみ勝訴の場合に備えて、水海道地区の原告の損害の割合的認定を求めて、溢水による氾濫水量と破堤による氾濫水量の損害額への寄与度を明らかにしていく必要があると思いますが、若宮戸での溢水箇所が1箇所であったという主張を維持するならば、溢水の損害への寄与度は小さいと評価されることになるはずです。

それでは困るので、控訴審では、若宮戸での溢水は2箇所で起きたと主張することになるのかもしれません。

そうであれば、一審で、そのように主張すればよかったはずです。

一般論として、裁判では、事案を単純化することが必要かつ有効な場合もあるのかもしれません。

しかし、事案を単純化して損をしたら意味がありません。

氾濫箇所は、溢水2箇所と破堤1箇所の合計3箇所ですが、原告側は、箇所ごとに勝敗が分かれるという事態を想定しなかったのかもしれません。

勝訴する場合は、一括勝訴だから、箇所ごとの損害への寄与度を分別する必要はないので、氾濫箇所の数を減らして争っても損をすることはないと考えたのかもしれません。

ところが、現実には、3箇所のうちの1箇所だけ勝訴だったので、損害額の算定の段階で、仮に水海道地区の原告が割合的認定を受けられるとしても、不当に少ない額になる可能性があると思います。

水戸地裁が水海道地区の原告の賠償請求について氾濫の寄与度による割合的認定を認めないのですから、三坂で勝つ保証がない以上、氾濫箇所ごとの氾濫水量の割合で損害への寄与度を判断して割合的認定を求めるしか方法がないように思います。

その際、若宮戸の下流側(L24.63k付近)の溢水についての責任が不明のままでは、そこからの氾濫水量は不可抗力によるものという扱いになるかと思われますが、それでよいのか、というのが私の疑問です。

L24.63k付近の溢水がなかったことにするという単純化(奇策)が成功したと言えるのか疑問です。

控訴審でL24.63k付近の溢水を争点に加えるのかが注目点だと思います。

●裁判長は高評価らしい

遠くで情報を集めているだけなので、地元常総市の状況が分からないのですが、裁判官は現地視察に来てくれて、状況を理解してくれたので一部認容された、という声もあり、また、判決言い渡しでは、40分もかけて理由を説明したようであり、裁判長らは、どうも高評価を得ているようなのですが、理解できません。

弁護士も「優れた判断」と言ってほめています。

あれだけの大事件ですから、裁判所が机上だけで判断することはあり得ない話であり、現地視察はありがたがる話でもないと思います。

若宮戸地区では、堤防も堤防に代わる自然地形もなかったのですから、勝って当然です。(被告が「砂丘を堤防に代わるものとして扱ったことはない」というウソをついたことが致命傷となったと思います。)もっとも、土のうの積み方が拙劣だったことが瑕疵だ、という攻め方を続けていたら負けていたかもしれないので、勝って当然ではないですね。

判決要旨を読む限り、裁判長の悪意を感じます。

例えば、水海道地区の原告は、若宮戸溢水による氾濫水で浸水被害を受けたことを認めながら、当該原告に損害を与えた氾濫水には、被告に責任がないとされた上三坂地区からの氾濫水も混ざっているという理由で、溢水と水海道での被害の因果関係が断ち切られると判断しています(p23)。こんな意地悪な話があるでしょうか。

ただし、氾濫箇所ごとの氾濫水量について証拠が提出されていないのですから、裁判所としても、割合的認定をする材料がなかったとも考えられ、その責任は、一部勝訴を想定しなかったためか、氾濫水量に関する証拠を提出しなかった原告側にもあると思います。

全体的に見て、結論ありきで無理な理屈を付けているような印象を受けます。

自分の頭で考えているように感じません。

落としどころは、前任裁判長の時代に決まっていて、後任の阿部はレールの上を走っただけの可能性もあると思います。

●築堤要望書が無視されたことが訴訟で主張されたのか

本筋から外れますが、気になることがあり、忘れないうちに書いておくことにします。

八ッ場あしたの会が鬼怒川水害訴訟の判決要旨(水戸地裁)という記事を載せています。

「水害発生前、近隣住民らは危険を察知し、常総市議会に働きかけ、周辺首長らも連名で何度も国交省に早期築堤を求める要望書を出していましたが、無視され続けました。」と書かれています。

これを読んだら、要望書に関する主張が裁判でなされたと思うじゃないですか。

そして、その主張が一因でごく一部勝訴できたのだと思うじゃないですか。

しかし、訴訟で要望書の話は出ていないと思います。

判決要旨でも要望書には触れていません。

そもそも、自治体からの築堤の要望書は、証拠として提出されていないはずです。

おそらくは、この訴訟に深く関わっている人が上記記事の原稿を書いたと思いますが、訴訟で原告側が主張していないことを、主張しているかのように話すのは不思議な現象です。

ダム偏重の治水行政が大水害を招いたという話も、弁護士は、法廷の外ではするのですが、準備書面には書かれていません。不思議な現象です。

となると、訴訟での主張が不十分だった可能性があります。

ちなみに、上記記事の執筆者が若宮戸に関する築堤要望書について言及するのに、上三坂についてのそれについて言及しないのは不可解です。

●計画高水位の説明がないままに一審が終了した

判決では、計画高水位が説明されていません。

計画高水位に対する共通認識がなければまともな判決は出ないと思っていましたが、案の定です。

当事者も裁判所も計画高水位を分かっているつもりなのかもしれませんが、誰も分かっていないのかもしれません。

とにかく、当事者も裁判所も計画高水位を説明しないまま、一審が終わりました。

計画高水位についての理解がまちまちで一番困るのは原告側のはずです。

原告側は、説明はできるが、説明しない方が得策だという判断の下に、あえて説明しないのかもしれませんが、そうだとしたら、なぜ説明しない方が得策なのか想像もできません。

(1) 堤防高が計画高水位より低ければ瑕疵がある。
(2) 破堤区間の堤防高は計画高水位以下だった。
(3) ゆえに、破堤区間の堤防には瑕疵があった。

という三段論法を使うには、1段目を論証しておく必要があるはずです。

●知りたいことが不明のままに一審が終了した

以前にも書いたことですが、L18.50k〜21.25kについては、次のように整備が進行していました。

2004年度  定期測量でL21.00kの管理道路面の高さが20.82mとなり、計画高水位を1cm下回った。
2005年度  中三坂地先測量及び築堤設計業務報告書で測量及び築堤設計を実施。
2009年度  用地買収を完了した。(根拠:乙72の3)

そうであれば、2010年度から2014年度までの5年間の時間的猶予があったのですから、破堤区間を含むL18.50k〜21.25kの整備を完了できたはずです。

それにもかかわらず、被災するまでなぜ着工されなかったを常総市民なら知りたいはずだと思いますが、不明なままで一審が終わりました。

被告は、「上三坂地区の堤防についても、平成26年には用地調査に着手し、整備に向けて進めていた」(被告準備書面(5)p22)とウソをついたのですが、断罪されることも、問い正されることもありませんでした。

●破堤区間の用地買収の完了時期が認定されていない

判決では、破堤区間の用地買収の完了時期を認定していないと思います。

判決書のp35には、「用地買収及び堤防整備が完了した区間は別紙5記載のとおり」と書かれています。

用地買収が完了した区間は認定していますが、時期については認定していないことになると思います。ただし、乙72の3が判決書p139に別紙6として添付されています。

したがって、用地買収及び堤防整備が完了した時期まで別紙5記載のとおり認定されたと解釈するのは誤りです。

●L21.00k付近は安全と評価されていたから後回しにしたという言い訳は成り立たない

上記の疑問への被告からの説明は、おそらくは、「スライドダウン評価による治水安全度で見れば、L21.00kの治水安全度が1/10超であって、早急に堤防をかさ上げ整備するべき箇所に当たらなかったから、下流を優先し、L21.00kを後回しにした」ということでしょう。

しかし、被告は、間違った基準で堤防の強度を評価したのであって、言い訳になりません。

結果として、スライドダウン評価による治水安全度を用いたことによって、本当の危険箇所であるL21.00k付近の危険性を見抜けなかったために大水害は起きたのですから、スライドダウン評価による治水安全度で工事の順番を決めたことは誤りだったのであり、L21.00k付近の整備を遅らせたことの正当な理由にはなりません。

整備の順番は複数の考慮要素を総合的に考慮して判断すべきものですが、堤防高を最重要要素に据えて順番を決めていれば、溢水も破堤も防げたはずです。

問題は、上記の話が結果論でしかないのかということです。

つまり、被災して、スライドダウン評価が改修計画の策定に用いるには不適切であることが分かったの、あるいは、被災するまでは、スライドダウン評価を使うしか方法がなかったのか、ということです。

そんなことはありません。

事業再評価資料である「2002年度鬼怒川改修事業」(甲6)p13(下図)には、「堤防高が不足している区間から築堤を実施」と書かれており、背景のグラフには、「堤防高が不足している区間」が示されており、その区間は、計画堤防高よりも現況堤防高が低い区間として示されています。

だから、2002年度当時においては、事業再評価における今後の方針についても、スライドダウン評価は用いられなかったのであって、それ以降も、堤防高で堤防の機能を評価することも可能だったはずであり、そうしていれば、L21.00k付近は緊急に整備すべきだったので、大水害を避けられたはずです。

ところが、被告は、被告準備書面(5)p24で「「堤防高が不足している区間から整備(「築堤」の誤りです。)を実施」との記載における「堤防高」についても、堤防の物理的高さを指すものではなく、堤防の質も含めた機能評価を指すものである。」と主張していますが、上記のとおり、甲6p13の記述は、示されたグラフによっても、「堤防高」は堤防の物理的高さを示しており、被告の上記主張は誤りです。

原告側は、この誤り(というよりウソ)を指摘しません。

今後の整備箇所

さらに言えば、治水安全度がどうあれ、特定の箇所の堤防高が計画高水位以下である、あるいはこれを数cm上回る程度しかない、という事態は、極めて危険ということであり、緊急に整備すべき場合であることは、河川管理者の常識です。また、整備の順番は、諸般の事情を総合的に判断して決めるべきであることは判例が示すところであり、治水安全度だけで決めるべきでないことは、被災前から気づけたはずです。

したがって、L21.00kの治水安全度が1/10超で、早期に整備する必要がない箇所なので、そこの整備を後回しにしたという理屈は成り立ちません。

●堤防高が計画高水位以下でも安全性が確保されていると判示した

水戸地裁の阿部判決は歴史に残る、画期的な、かつ、前代未聞の判決だと思います。

p20で、次のように判示します。

また、上三坂地区については、平成23年度の詳細測量結果が判明するまでは計画高水位を下回る地点は確認されていなかったのであり、同詳細測量結果により判明した計画高水位との差も数cmに止まるものであったから、現況堤防高を考慮しても同地区が一定程度の安全性を備えていたということはでき

つまり、堤防の高さが計画高水位以下であっても、一定程度の安全性を備えていたから、河川管理の瑕疵はない、と言っています。

過去の水害訴訟判決の全てを読んでいないので、想像ですが、本堤防の高さが計画高水位以下でも安全だ、と言った判決があったとは思えません。

被告でさえ、そこまで居直った主張はさすがにしていません。(「一部区間において法令が要求する堤防高に達していない箇所が存在するものの(中略)一定の安全性は確保されていたものである。」(被告準備書面(1)p49)とは言っていますが、堤防高が計画高水位以下であることを前提としていません。被告は、堤防高が計画高水位以下であったことについては、完全無視の姿勢を貫いていると思います。その意味は、反論不能ということだと思いますが、裁判所が被告に成り代わって、無理な反論したということです。)

裁判所からここまで意地悪をされたら、もはや原告側に勝つ術はないと思います。

●被災前の堤防の状況が具体的に認定されていない

判決要旨には、事実認定の部分が省略されているので、事実認定の話をここで持ち出すと、混乱を招くおそれがありますが、あえて言及すると、裁判所は、判決書では、被災直前の上三坂の堤防の状況を定量的に認定していません。

認定はしているのですが、破堤区間に限った認定ではなく、6k〜30kについて「別紙5記載のとおり」というだけの雑な認定です。

「別紙5」とは、原告側が作成した現況余裕高に関するグラフであり(左岸はp138)、データは記載されていません。

一方で、若宮戸については、左岸の7箇所の距離標地点について3か年度分の地盤高等のデータを表にして掲載しています(判決書p35〜36)。ただし、2015年度は被災後のデータです。

つまり、若宮戸については、地盤高等のデータが詳しく認定されているのに、上三坂については、グラフを見て現況余裕高の推移を感じ取ってほしいと言っています。

つまり、L21.00kの堤防の管理道路の舗装面の高さ(それが堤防の実力です。)が計画高水位より10cmも低かったという事実が認定されていません。

被告に不利な事実を認定しないのですから、何らかの意図を感じます。

●事実認定していない事実で裁いている

判決要旨のp20には、次のように書かれています。

しかしながら、前記のとおり、本件改修計画における治水安全度は、現況堤防高を基礎としつつ、スライドダウン評価を行って堤防の幅に対する安全性を考慮しているから、現況堤防高の天端幅がかなり狭く、いわば堤防としての実力を備えているのがより低い位置の高さと考えるべきであるとすれば、それはスライドダウン評価により考慮されているから、むしろ本件改修計画における治水安全度の設定が合理的なものであることをうかがわせる事情というべきである。

記者や一般市民が読んでも、「現況堤防高の天端幅がかなり狭く、いわば堤防としての実力を備えているのがより低い位置の高さと考えるべきであるとすれば」のくだりは何のことか分からないと思います。

原告側が、原告ら準備書面(8)p29で、2011年度におけるL21.00kの舗装面の高さが20.75mであり、計画高水位を8cm下回っていた(本来は10cm下回っていたと主張すべきです。なぜなら、堤防高は表法肩で測量されるべきであり、舗装面のうち、最も表法肩に近い地点の標高は20.73mだったからです。)、と主張したことを指しているとしか考えられません。

「より低い位置の高さ」の「より」とは、L21.00kにおける「定期測量成果としての見かけだけの堤防高より」を意味しているとしか受け取れません。

しかし、裁判所は、この、舗装面が計画高水位以下だったという、被告に不利な事実を認定していないために、読み手に理解できるように明確に書くことができず、「考えるべきであるとすれば」というような、原告側が主張したのか、裁判所が考えたのか、区別がつかないような、奇妙な表現を用いたと考えられます。

L21.00kの2011年度の河川横断図(甲40)という証拠を無視しておきながら、堤防の横断面において、天端の大半が計画高水位より低かったという主張まで無視するわけにはいかず、数字を入れない仮定表現で、この主張をつぶしにかかったわけで、事実を認定せずに原告側の主張を否定するのは、法と証拠に基づく裁判と言えるのか疑問です。

裁判所は、河川横断図(甲40)を無視するなら、いっそ原告側の上記主張まで無視すれば一貫性があるのに、あえて上記主張に言及して否定したのは、結審日の原告本人のプレゼンテーションで強調されていたことなので、完全無視はまずいと考えたのかもしれません。

私は、むしろ、堤防高が「計画高水位以下」だったという問題は、被告の急所を深くえぐっていることを裁判所は気づいていて、無視できなかったと思います。

だからこそ、裁判所は、「計画高水位以下」でも安全だ、と勇み足的な助け舟を出してしまったのだと思います。

原告側の主張を理由がないとして退けるなら、主張の前提となる事実を認定した上でするのが筋でしょう。

「考えるべきであるとすれば」ではなく、「原告らは主張するが」でなければおかしいでしょう。(ところが、原告側も、舗装面が低かった問題を「計画高水位以下」だから極めて危険だったと主張するのではなく、「計画高水位以下」の攻撃力を弱めて、天端が脆弱な構造だったという問題に矮小化してしまうのが理解できないところです。)

●「況堤防高の天端幅がかなり狭く」は事実に反する

裁判所は、場所を特定せずに、「況堤防高の天端幅がかなり狭く」と言います。

L21.00kの堤防の天端幅のことを言っているとしか思えません。

そうだとすると、そこでの天端幅は、2011年度測量で5.7mであり、規格である6mの95%ですから、「かなり狭く」は、事実に反します。

裁判所が「かなり狭く」と言った根拠は、おそらくは、甲40に係る証拠説明書に「鬼怒川左岸21km地点はわずか1.4mの天端幅で、必要天端幅の3割弱しかなく」と書かれていることだと思います。

しかし、原告側は、原告ら準備書面(8)p29では、そんなことは言っていません。

準備書面本文と証拠説明書で別のことが書いてあるのですから、裁判所が混乱するのは当然です。(しかも、証拠説明書の記載を「採用」したのは驚きです。)

ちなみに、原告ら準備書面(8)の添付図9(L21.00kの堤防の横断図)に「1.4m」、「5.7m」及び「3.4m」という数値が両矢印の線とともに記入されていますが、その説明はありません。

グラフに説明のない線や数値を記入するのは、準備書面として異例だと思います。普通に書かないと理解してもらえないと思います。

●判示は倒錯している

上記判示は倒錯していると思います。

堤防の実力を示す堤防高が、実力を表さない、見かけだけの「堤防高」よりも低かったとしても、しかも、計画高水位より低かったとしても、そのことは、流下能力を計算する前提となる堤防高を、現況堤防高よりも極端に低く評価する、スライドダウン評価に基づく治水安全度の設定が合理的であることを示す事情にすぎず、何ら問題ではない、と言っていることになります。

つまり、実質の堤防高が低かったことを、スライドダウン評価が合理的であることの理由にしてしまい、結局は、実質の堤防高が低かったこともスライドダウン評価も、どちらも何ら問題がないという結論に導いています。

私に言わせれば、堤防高が計画高水位以下だったことは被告の落ち度であり、スライドダウン評価によって安全度を判定したために、本当の危険箇所をあぶり出せなかったことも被告の落ち度であり、落ち度が二つ存在するという話にすぎませんが、阿部裁判長の手にかかると、二つの落ち度の相乗効果で落ち度が消えてなくなるのですから、マジックです。

ダメなものを正当化するのにダメなものを持ち出しても大丈夫にはなりません。

−10かける−10=100みたいな話で、中途半端に数学が得意な人が考えそうな詭弁です。

裁判所は、堤防の舗装面が計画高水位以下だった(だから優先して整備すべきだった。)という主張には、まともに応えず、スライドダウン評価の話を持ち出して、流下能力の計算の基礎となる堤防高が多くの地点で計画高水位以下になることと結び付けるのですが、スライドダウン評価の話を持ち出す意味が分かりません。

そもそもスライドダウン評価というものは、費用対効果を計算するための手法です。

治水事業が無駄ではなかったことを事業主体が説明するためには、既存の堤防の効果を徹底的に過小評価することが好都合です。

だから、治水経済調査マニュアル(案)そのものが、堤防の効果を極端に過小評価するように考案されています。

実際の堤防のほとんどは計画高水位以上の高さを有していますが、このマニュアル(案)に従えば、多くの地点で堤防高は計画高水位以下として評価されます。その結果、無駄なダム事業がまかり通っています。

それだけの話です。

だから、実際の堤防が計画高水でも問題ないという結論を導くのは無理です。

改修計画の策定に当たり、堤防の能力を評価する手法として、堤防の実際の能力を過小評価する手法を使っているかといって、実際の堤防高が低くても構わないということにはならないでしょう。

堤防が極めて低いことによる危険性は、かさ上げしないと治癒されません。特別な方法で堤防を評価しても治癒されるはずもありません。

裁判所の論法はあまりにもお粗末です。

全国の行政法学者もこの判決には注目しているはずですが、学者は、この理論(?)に説得力を感じるのでしょうか。

こんな理論(?)を全国に晒して、末代まで残して、恥ずかしくないのでしょうか。

3人のうち一人くらいは、これを書くのはやめましょうよ、と言わなかったのでしょうか。

3人の裁判官人生は終わったと思います。

●裁判所は治水経済調査と改修計画の区別がついていない

p17〜18に次のように書かれています。

また、治水安全度は治水経済調査マニュアル(案)に記載された方法により算出された最小流下能力を基に設定されたものであるが、治水経済調査マニュアル(案)は、単に費用対効果分析のみでなく、河川整備基本方針及び河川整備計画の策定・変更の際に行う治水経済調査にも参照されるものであり、治水経済調査マニュアル(原文ママ)に記載された堤防の安全性評価の手法はこのような策定・変更においても当然に有用なものと考えられ、実際に、3kmないし30km地点ではこのような手法により設定された治水安全度に沿った改修が進められたのであるから、治水経済調査マニュアル(案)に記載された方法であることのみをもって、不適当な方法により治水安全度が設定されたとはいえない。

確かに、1999年6月に治水経済調査マニュアル(案)が作成された際の建設省河川局河川計画課長からの通知には、河川整備基本方針及び河川整備計画の「策定・変更の際に行う治水経済調査や、河川及びダム事業の新規事業採択時評価等の際に新たに行う費用対効果分析については、今後、本マニュアル(案)を活用することとされたい。」と書かれています。

しかし、堤防整備の場所、時期、内容及び順番を決める河川改修計画策定作業は、治水経済調査でも費用対効果分析でもありません。

「治水経済調査は、堤防やダム等の治水施設の整備によってもたらされる経済的な便益や費用対効果を計測することを目的として実施されるものである。」(治水経済調査マニュアル(案)(2020年4月)p1)とされています。

つまり、「治水経済調査」という作業は、経済的な便益や費用対効果を計測する作業なのです。

被告が主張していることは、堤防整備事業の費用対効果を分析する過程で、距離標地点ごとのスライドダウン流下能力が算定されるから、これを確率処理して、年超過確率を計算して安全度を算出してランク付けして、大まかな整備の順番を決めた、ということです。

まさに、木に竹を接ぐ手法です。

被告は、「事業再評価は、対象となる事業を必要性、効率性及び有効性などの観点から評価するものであり、河川の改修に係る計画には該当しないものである。」(被告準備書面(2)p16)と言っていました。

被告は、「事業再評価とは、(中略)コスト縮減、予算見直しの観点から、事業の効率性、透明性を確保するために事業を評価しようとするものであり、河川整備計画と法的性質を異にすることは明らかである。」(被告準備書面(4)p7〜8)と言っていました。

被告は、「しかしながら、原告らの上記主張は、本件各事業再評価資料(甲7及び甲8)が大東水害判決のいう「改修計画」に該当することを前提とするものであるが、これらの資料が、そもそもその制度の目的からして河川の改修に係る計画とは性質が異なるものであり、これらの資料が「改修計画」に該当しないことは、(中略)で述べたとおりである。」(被告準備書面(5)p17〜18)と言っていました。

被告は、同様の主張を最終準備書面である被告準備書面(10)p19〜21でも繰り返しています。

つまり、被告によれば、事業再評価と改修計画は、全くの別物のはずです。

だったら、改修計画において、工事の場所、時期、内容、順番をどうやって決めたのかを示すべきですが、その資料は存在しないので、事業再評価資料を出すしかないのです。

そして、本来事後評価で使われる手法で距離標地点ごとの流下能力を計算し、そこから治水安全度を判定して整備を進めたから、整備の順序は合理的だったと主張する(例えば、被告準備書面(5)p24)わけです。

いやいや、おかしいでしょう。

被告自身、事業再評価と改修計画は別物だと最後まで言っていたのですから、事後評価で使われる堤防の評価方法を勝手に改修計画に使ってはだめでしょう。

ある手法の他分野への応用はあってもよいと思いますが、合理性が認められる場合に限られることは言うまでもないと思います。

スライドダウン評価を改修計画の作成に当たって使うべきでない理由は、上記のとおり、この手法では、本当に危険な箇所を見抜けないからです。

この手法を使うことが不可避ではなかったことについても上記のとおりです。

堤防の本当の危険箇所とは、上流よりも下流よりも低い箇所です。

だから、堤防高を見れば、危険箇所が分かります。(堤防の高い、低いは、計画高水位との差で判断するしかありません。)

ところが、スライドダウン評価を使うと、堤防高で判定した安全度の順番が入れ替わってしまうのです。

スライドダウン評価は、堤防の高さはある程度あっても、厚みがない場合には、高さを割り引いて評価することであり、一定の合理性があるように思えるのですが、逆に、高さは極めて低いのに、堤体幅だけは完成堤防並みに立派な堤防(例えば、L21.00k付近)については、「ダウン」の量が小さいために、流下能力の過小評価の程度も小さくなり、治水安全度が大きめになるという弊害があります。

その結果、堤防高が最も低くて最も危険な堤防よりも、高さはそこそこあるのに、厚みが不足する堤防の方が、より危険性が高いという判定を受けることがあり得ます。証明は省略しますが。

つまり、スライドダウン評価は、高さで判定した危険箇所の順位を逆転させてしまうから、改修計画で使うべきでないのです。

原告側は、実際には越水が起きないような小さな流量で破堤するという想定の手法だからスライドダウン評価は使えないと言っているように思います(原告ら準備書面(8)p44)が、越水するかどうかの基準が現実離れしているから危険箇所の順番を把握するのに使えない手法であると決めつけるのは、おそらく誤りであり、危険性の判定基準として現実離れした仮定を設定していたとしても、結果として導かれた評価対象地点の危険性の順位が妥当なものであれば、使えない手法とは言えないと思います。(そもそも、原告側は、実際にどれほど危険だったかについては関心が薄く、L21.00kの舗装面の高さがH W L−10cmであることについては、テキスト部分で1頁しか述べるに値しない関心事であり(原告ら準備書面(8)p28〜29)、原告側の関心事は、複数の整備予定箇所を比較した場合の優先順位なのですから、スライドダウン評価による流量では現実には越水は絶対に起きないはずだ(同p39)と主張することは一貫性を欠き、混乱を招くと思います。)

いずれにせよ、裁判所は、「治水経済調査」と「改修計画」の区別がついていないと思います。

【原告側はスライドダウン評価が必要だと言っている】

原告側は、次のとおり、スライドダウン評価の必要性を認めるような主張をしています。

前述したとおり、鬼怒川下流部において、堤防断面を大きく(余裕高が1.2mから1.5m、天端幅が6mに)しなければならなくなったのは、1973年(昭和48年)に、基準地点石井における計画高水流量を毎秒4000立方メートルから毎秒6200立方メートルに増加させたことによるものである。スライドダウン堤防による堤防評価は、そのために必要となったものである。(原告ら準備書面(8)p40)

「スライドダウン堤防による堤防評価は、そのために必要となった」と言い、必要性を認めながら、同時に「使えないものである。」(同p44)と主張するのはチグハグです。

また、上記文章の趣旨は、計画高水流量を増加させた場合には、「スライドダウン堤防による堤防評価」が必要だが、計画高水流量を増加させない場合には、当該評価は必要ないということだと思うのですが、どうしてそうなるのか理解できません。

【不適切な手法は実践されても不適切だ】

上記文章の後半を再掲します。

実際に、3kmないし30km地点ではこのような手法により設定された治水安全度に沿った改修が進められたのであるから、治水経済調査マニュアル(案)に記載された方法であることのみをもって、不適当な方法により治水安全度が設定されたとはいえない。

裁判所は、治水経済調査マニュアル(案)に記載された方法で治水安全度を設定しても不適切ではないと言います。

その理由は、実際に、このような手法で設定された治水安全度に沿った改修が進められたからと言います。

いやいや。単に不適切な方法で治水安全度が設定され、実際の改修事業に使われてしまったというだけの話でしょう。

不適切な手法は、実践されても不適切であることに変わりはないはずです。

堤防の能力評価を第一義的に堤防高でしていれば、破堤区間の危険性は早期に発見できたはずですが、スライドダウン評価という不適切な手法を使ったために、破堤区間がそれほど危険ではない箇所として評価されてしまったために、整備が後回しにされ、大水害を招いたのですから、不適切な手法が不適切な結果を招いたのであり、不適切な手法が実践されてしまえば不適切でなくなるという裁判所の理論(?)は現実を無視しており、納得する人はいないと思います。

●「河畔砂丘」という正式名称がない

判決要旨だけでなく、判決書にも「河畔砂丘」という正式名称が出てこないと思います。

当事者も裁判所も正式名称を使うことを避けているのです。

したがって、河畔砂丘の防災機能も正面から議論されずに裁判(一審)が終わったのです。

当事者も裁判所も「治水地形分類図解説書」を無視したまま裁判が終わったのです。

国土地理院の言うことが全て正しいとは思いませんが、その見解をベースにしないと、有益な議論はできないと思います。

河畔砂丘で溢水が起きたのに、そもそも河畔砂丘とは、という問題が定義に遡って議論されることはありませんでした。(原告側は、求釈明申立書の中で砂山の形成過程に言及していますが、形成原因が「形成される地形の高さに大きな違いをもたらす。」と言っており、水成の「砂堆」は低いが風成の「砂丘」は高くなると言います。しかし、高さが問題なら、高さを見て安全性を判定すればいいだけの話であり、形成過程なんて考える必要がないはずです。「十一面山」の「形成過程の認識の違いは、河川区域の指定の誤りの原因となる。」(原告ら準備書面(4)p7)ことは事実だとしても、それは形成過程が高さの違いをもたらすからではなく、砂山の大小に関係なく、形成の歴史が蓋然的な安全性を保証したり、危険性を警告したりするからです。原告側は、治水地形分類図解説書の解説を踏まえた弁論をすべきだと思います。)

学問や裁判での議論というのは、概念の定義から入るものではないのでしょうか。

弁護団の考え方が独特なのかと思っていましたが、法曹の考え方が独特なのかもしれません。

●野山解説書が無視された

当事者双方とも野山宏の判例解説を引用して、原告側の主張が内在的瑕疵型か改修の遅れ型かの議論をしていましたが、裁判所は完全に無視し、計画の合理性で判断するとしました。

裁判所が理解できるような弁論をしていない以上、無視されても仕方ないと思います。

法の発見は裁判所の仕事であり、本来、当事者が裁判所に対して法規範を示す必要はないのですが、そうは言っても、当事者が適切な法規範を提示しないと、不利な土俵で勝負をさせられて負けるということだと思います。

異種格闘技では、相手の土俵なりリングなりに乗った方が負けるのが常です。

だから、裁判でも自分に有利な土俵をつくることが重要だと思います。

原告側は、「計画の合理性」で闘うことが極めて不利なことだとは考えなかったということです。

あるいは、一般論として不利であっても、例外的に鬼怒川では勝てると考えたのかもしれません。

結果論と言われそうですが、三坂で勝利するのは難しいと予想していました。

攻撃手段をバッサバッサと削ぎ落とす作戦をとったからです。

破堤のメカニズムは、鬼怒川堤防調査委員会報告書によれば、越水とパイピングの競合だとされており、被告も「浸透等の越水以外の原因を無視することはできない」(被告準備書面(10)p41)と言っているのに、そして、被告は2013年〜2014年に自ら行ったL21.00k付近での砂利採取によりパイピング破壊が起きやすい状況をつくった証拠があるのに、原告側は、スライドダウン評価を否定したいためだと思いますが、パイピングを完全に無視する作戦をとりました。

また、被告が著しい堤防沈下を放置して実質的な堤防高がH W L以下になっても、野山解説のいう「管理ミス」には当たらないと考えるため、計画又は事業実績の合理性という極めて不利な土俵で闘う道を選択しました。

三坂地区の築堤要望書が近隣自治体から出ていたのに無視されてきたことや重要水防箇所として長年挙げられてきたことも、原告側は、攻撃材料にしてきませんでした。

●被災後のデータを認定する意味が分からない

判決書を見ないと分からないのですが、裁判所は、堤防高や地盤高のデータについて2015年度測量成果を認定しています。

若宮戸については表にして、上三坂については原告側が作成した別紙5を引用する形で。

その中で2015年度(被災後に測量。根拠は、2015年度鬼怒川下流部定期測量は被災後に実施された(鬼怒川大水害)に書いたので繰り返しません。)のデータを引用していますが、意味不明です。

氾濫しなかった箇所の堤防沈下の程度を見るには有用ですが、氾濫した箇所については、L2.00kでは仮堤防の高さが堤防高に欄に記載されているのですから、そんなものを眺めても、被告の責任は判断できないと思います。

当事者の主張も裁判所の判断も分からないことだらけです。

(文責:事務局)
フロントページへ>その他のダムへ>このページのTopへ