2014年に河畔砂丘を山付き堤としても遅すぎる(鬼怒川大水害)

2021-10-21

●被告は河畔砂丘は掘削前から危険だったと主張する

鬼怒川大水害訴訟で河畔砂丘が過渡的安全性を有していたかについて、被告は、被告準備書面(6)(リンク先はcall4)p14において、次のように主張します。

したがって、原告らが指摘する各資料の記載内容等を根拠として、掘削される前の本件砂丘が、改修工事を行う必要がないといえるほどの段階的安全性・過渡的安全性を既に有していたとは認められない。

エ このようなことからすれば、掘削される前の本件砂丘が河川管理施設としての堤防の役割を果たしていたとはいえず

つまり、被告は、2014年3月に掘削される前の河畔砂丘は、改修工事を行う必要がないといえるほどの段階的安全性・過渡的安全性を既に有していたとは言えない、と主張します。

被告は、過渡的安全性には、改修工事を行う必要があるものとないものがあるという考え方ですが、過渡的安全性を有する場合とは、改修工事を行う必要がない場合に決まっているのではないでしょうか。

改修工事を行う必要があるなら、過渡的安全性を有しないということでしょう。

過渡的安全性を有するが、改修工事を行う必要がある場合とは、さらに高い段階の改修工事を行う必要がある場合であり、野山調査官解説のいう「改修の遅れ」型の瑕疵がある場合ということになるでしょう。

「改修の遅れ」型の瑕疵は、多分、容認された判例はないのでしょうから、想定する実益がないでしょう。

被告は、単純に、「2014年3月に掘削される前の河畔砂丘は、過渡的安全性を既に有していなかった」と言っているのだと理解することにします。

●原告側は掘削前の河畔砂丘は安全性を有していたと主張する

れに対して、原告側は、原告ら準備書面(9)p18において、次のように主張します。

これらに照らして、若宮戸地区は、堤防の役割を果たしている砂丘林があり、概ね20〜30年の治水事業の過程における河川の改修、整備の段階に対応する、段階的安全性・過渡的安全性を有していたにもかかわらず、被告が砂丘林を河川区域に指定せず、その安全性の確保を怠った結果、砂丘林が掘削されてなくなり、既に具備していた当該段階的安全性・過渡的安全性(「その予定する規模の洪水における流水の通常の作用から予測される災害の発生を防止するに足りる安全性」)が失われたものである。

難解です。

「若宮戸地区は、堤防の役割を果たしている砂丘林があり」は、いつの時代のことか書かれていません。

遠い昔のことのようにも思えますが、「被告が砂丘林を河川区域に指定せず、その安全性の確保を怠った結果、砂丘林が掘削されてなくなり、既に具備していた当該段階的安全性・過渡的安全性(「その予定する規模の洪水における流水の通常の作用から予測される災害の発生を防止するに足りる安全性」)が失われた」と言っていることから、2014年3月にメガソーラー事業者が河畔砂丘を掘削する直前までは、過渡的安全性を有していたという意味になります。

また、「概ね20〜30年の治水事業の過程における河川の改修、整備の段階に対応する、段階的安全性・過渡的安全性を有していた」と言いますが、その意味は、河畔砂丘は、2014年3月に掘削される前は、「概ね20〜30年」間は整備不要なほど安全だったということです。

その根拠は、若宮戸地区の整備が2011年度及び2014年度の鬼怒川直轄河川改修事業の「今後の方針」の「概ね20〜30年」で整備する予定の区間にも入っていなかったことだと思われます。

被告は、「概ね20~30年間の整備内容」について「1/30規模相当の洪水を安全に流下させることができるよう整備を進めます。」(2014年度鬼怒川直轄河川改修事業p3)と説明しているので、原告側は、若宮戸地区は1/30規模の洪水に対して2014年3月までは安全性を有していた、と言っていることになります。

しかし、被告は、2011年度鬼怒川直轄河川改修事業の根拠資料(乙73の1)p6で距離標地点では危険性を評価できない地点としてL24.75k付近の140mとL25.25k付近の90mの2箇所を挙げ、地盤高が1/30に満たないから、「概ね20〜30年」で整備する予定の区間に加えて、堤防整備が必要な地区として扱っていたと主張しています(被告準備書面(6)p11)。

これに対して、原告側は、原告ら準備書面(9)p25で次のように反論します。

被告の反論は、若宮戸地区の大半(89%)は、山付堤として堤防整備をする必要がないことを前提としているものであって、若宮戸地区の堤防整備計画がなかったことには変わりはないのである。

整備延長90mという25.25km付近をみれば、砂丘林は、図8の緑実線(約200m)のような最高標高であり、約4分の3が計画高水位を上回り、最も計画高水位を下回るのは25.35km付近の約1mであったのである。それが、河川区域の指定もされず、堤防整備もされなかったため、緑実線部分の約200mは、堤防の役割を果たしていた砂丘林が掘削されて、全て、Y.P.19.7m程度になり、計画高水位を約2.7mも下回る高さになってしまい、本件洪水を迎えたのである。

まず、「89%」が謎の数字です。

堤防整備がされていない区間全体のうち、「堤防整備をする必要がない」区間が89%ということでしょうから、堤防整備をする必要がある区間は11%ということになります。

そして、堤防整備をする必要がある区間は、L24.75k付近(140m)とL25.25k付近(90m)の2箇所の合計230mの区間を指していることになります。

そうすると、堤防整備がされていない区間全体の延長は、230m÷11%=2091mという計算になります。約2.1kmということです。

しかし、被災前に堤防整備がされていなかった区間は、下流側堤防が24.63kまであったと見れば、26k―24.63k=1.37kmですし、24.5kの直上流の折れ曲がった部分から先は堤防とはみなさないと考えるとすれば、26k―24.5k=1.5kmとなるので、いずれにせよ約2.1kmは大きすぎる数字であり、意味不明です。(若宮戸地区の無堤防区間を1370mだと見た場合、被告が整備を必要と考える区間は230mですから、堤防整備を必要としない区間は1370m―230m=1140mであり、その割合は1140m/1370m=約83.2%です。)

それはともかく、原告側は、若宮戸の上流側溢水箇所の約200mに着目すると、掘削前の河畔砂丘の最高標高は、「約4分の3が計画高水位を上回り、最も計画高水位を下回るのは25.35km付近の約1mであったのである。」と言います。

「であったのである。」としか言っていませんが、後記のとおり、そこには、「その程度の状況でも安全だった」という意味が込められています。

つまり、溢水した約200mの区間のうち、約4分の1である約50mが計画高水位を下回り、最も低い箇所では、計画高水位を約1.1mも下回り、被告が230mの区間について整備が必要な区間としていたが、それでも安全だった(だから、河畔砂丘が掘削される前に河川区域の指定をやり直すべきだった)というのが原告側の主張であると理解せざるを得ません。

原告側は、同様の主張を、原告ら準備書面(2)p5において、既にしています。

すなわち、次のように主張します。

若宮戸の左岸25.35km 地点付近の計画高水位はY.P.22.4m程度であり,2004年1月時点で,ソーラー発電事業者の掘削前の砂丘林の地盤の高さは,おおむね計画高水位以上の高さがあり,砂丘林の地盤の高さが計画高水位を下回っていたのは,約50mの区間(その最も低いところの高さはY.P.21.3m程度)に過ぎなかったところ,2014年3月にソーラー発電事業者の掘削によって,上記約50mの区間を含めて約200mに渡ってY.P.19.7 m程度となり,計画高水位を約2.7mも下回るようになり,鬼怒川からの大規模な洪水流入の可能性が顕著になった。

「掘削前の砂丘林の地盤の高さは,おおむね計画高水位以上の高さがあり,砂丘林の地盤の高さが計画高水位を下回っていたのは,約50mの区間(その最も低いところの高さはY.P.21.3m程度)に過ぎなかった」と言っているのですから、掘削前の河畔砂丘は過渡的安全性を有していた、と言っていることになります。

地盤高が計画高水位以下の区間が延長約50mもあっても安全だ、計画高水位を1.1m下回る箇所があっても安全だ、と言っているわけです。

●三坂町については堤防高が計画高水位プラス20cmでも危険だと言っていたのではないのか

しかし、原告側は、原告ら準備書面(8)p10では、堤防は1箇所でも低い箇所があったら安全ではないと言っていたはずです。

その具体例として、同書面p25では、左岸19.5k〜21.5kの堤防高が2008年度測量で計画高水位+20cm程度になっていたから問題だと言い、左岸約20.98kの堤防高が2005年度測量では、計画高水位+約6cmだったから問題だと言っていました。

原告ら準備書面(7)p15では、左岸21.00kの天端舗装面が20.94m程度以下であった(計画高水位+11cm程度以下ということ。ただし、後に原告ら準備書面(8)では数値を変えました。)ことを問題視していました。

要するに、原告側は、堤防高が計画高水位+20cmでも問題だ、と主張するのに対して、堤防類地の地盤高が計画高水位マイナス1.1mでも問題ないと言うのです。

堤防と堤防類地(とすべき土地)でこれほどまでに扱いを変える理由が分かりません。

鬼怒川が氾濫した場合に最も被害が大きくなる地域は常総市東部であり、ここを洪水から守る手段としては、鎌庭地区を遊水地化する手段もあったと思いますが、鎌庭捷水路の開削とともに、そこでの湾曲部は埋め立てられ、遊水地という方策は消えました。(宗道河岸があった場所付近の旧河道内にはニュータウンができましたが、2011年3月の大地震でその付近では地盤沈下や液状化が起きたようです。小荒井衛「下妻市の鬼怒川旧河道の液状化被害状況と土地の履歴」参照)

洪水の水位を下げるための方策としては、遊水地の他に、ある地域の堤防を意図的に低くして溢れさせる、放水路、引き堤、河道直線化、河床掘削、ダムが考えられると言われています(新経世済民新聞のサイトの竹村公太郎「治水の原則 ー1cmでも10cmでも低くー」)が、26kより下流の鬼怒川に適用できる方策はないと思います。

(ちなみに、竹村は、「「治水の原則」は堤防に負荷をかけない。つまり、治水の原則は「洪水の水位を下げる」この1点となる。 洪水の水位を10cm、いや2cmでも1cmでも下げる。それが治水の原則である。」と言いますが、前提を無視した、倒錯した方針です。
「堤防に負荷をかけない。」とは、まともな堤防が整備されていることが前提のはずです。
ダムで堤防の脆弱性を補強することはできません。下流の堤防が未整備でもダムで洪水の水位を下げれば水害が起きないという「水位低下原理主義」が鬼怒川大水害を起こしたのだと思います。
鬼怒川4ダムの効果として被害報告書には「鬼怒川上流4ダムで21kの水位を約25cm低下させた」と書かれていますが、L21kの堤防高は、正しく測れば計画高水位マイナス約10cmであり、計画堤防高よりも約1.6mも低かった状態を放置しておいて、また、若宮戸では、L24.63k付近の地盤高20.265mが計画高水位22.115mよりも1.85mも低かった(計画堤防高よりも3.35mも低かった)状態を放置しておいて、一体何を言ってんだろうと思います。
加えて、4ダムで「氾濫水量」、「浸水戸数」、「浸水深3m以上の面積」を減らす効果があった、という宣伝もしていますが、「無堤防区間や堤防が極めて脆弱だった区間があったので、氾濫は絶対に避けられなかった」という前提での効果であり、詭弁です。
堤防が整備されていれば、4ダムがないために水位が約25cm高かったとしても氾濫は免れたはずです。)

したがって、常総市東部を守る手段は、連続堤防しかありません。(ただし、堤防はやたらに高くすれば、破堤した場合の水流のエネルギーが大きくなり、被害が甚大となるので、高ければ安全ということにはなりませんが、計画堤防高(計画高水位+計画余裕高)は必要でしょう。)

したがって、堤防にせよ、堤防類地にせよ、連続した高さが必要であり、1箇所でも低い箇所があれば(特に常総市東部の北部で)、そこから浸水した場合の被害は甚大となり、下流部(常総市東部の南部)で堤防を整備した意味がなくなります。

そう考えると、若宮戸地区の河畔砂丘が約50mにわたって計画高水位以下であり、かつ、その最も低い箇所が計画高水位よりも約1.1mも低くても安全であったというのが原告側の考えであるとすると、理解しがたいものがあります。

●原告側は被告の指摘に反論しない

被告が、原告側は、若宮戸地区は、河畔砂丘が掘削される前は過渡的安全性を有していたと指摘していることに対して反論していません。

被告は、被告準備書面(6)(リンク先はcall4)p5において、次のように主張します。

そして、原告らは、掘削される前の本件砂丘が堤防としての役割を果たしていたことや、若宮戸地区に堤防整備が計画されていなかったことを前提として、若宮戸地区は、本件氾濫当時、既に改修工事を行う必要がないほどに段階的安全性・過渡的安全性を有していたとした上で「本件氾濫当時」既に改修工事を行う必要がないほどに段階的安全性・過渡的安全性を有していた、と言っている人はいないでしょう。誤りだと思いますが、原告側は、誤りであることを指摘もしないので、裁判所は混乱するでしょう。

「本件氾濫当時」を「河畔砂丘が掘削される前は」と読み替えるしかありません。

同p6では、次のように指摘します。

原告らは、本件砂丘が堤防としての役割を果たしており、掘削される前は、改修工事を行う必要がなかったことを前提に、内在的瑕疵に関する平作川水害最高裁判決の判断基準が妥当すると主張するが

原告側は、下流側溢水についてはひた隠しにするように触れず、こうした被告の指摘に反論しないのですから、河畔砂丘がメガソーラー業者によって掘削される前は、若宮戸地区全体が段階的安全性・過渡的安全性を有していた、という立場であると考えて間違いないでしょう。

●2003年度若宮戸地先築堤設計報告書お蔵入り理論と矛盾しないのか

訴訟当事者の上記主張は一見倒錯していると思います。

堤防類地に指定すべき河畔砂丘がとっくの昔に安全性を失っていたと言っているのが管理者で、水害の前年まで安全だったと言っているのが瑕疵を立証する立場の原告側なのですから。

被告としては、河畔砂丘が堤防類地としての資格を有していたことを認めれば、河川区域に指定しなかったことが落ち度になってしまうので、あんなものは役立たずだ、と言うしかありません。

そうであれば、原告側は、河畔砂丘が堤防類地としての資格を有していないと被告が認識したのはいつかを質問したらいいと思います。

以前にも書いたことですが、原告側の主張は、2014年3月の河畔砂丘の掘削前までは河畔砂丘が健全で安全だったのであり、同年2月にでも被告が河畔砂丘を河川区域に指定すれば、本件溢水は起きなかった、ということになるはずですが、そうであれば、2003年度に若宮戸地先築堤設計をしたのに、実行に移さなかったのは落ち度であるという主張と矛盾しないのか、という疑問が起きると思います。

●原告側は下流側溢水を無視している

2014年3月に河畔砂丘がメガソーラー業者によって掘削される前は、若宮戸地区全体が段階的安全性・過渡的安全性を有していた、という考え方は正しいとは言えないと思います。

なぜなら、溢水は2箇所であったのであり、上流側でメガソーラー業者による掘削があろうとなかろうと、下流側溢水(L24.63k付近)は起きたはずであり、洪水の水位は、計画高水位より約28cm低かったのですから、過渡的安全性を有していたとは言えないはずです。

また、下流側溢水を無視するとしても、上流側溢水箇所であるL25.35k付近の地盤高は21.36m(2004年1月測量。被害報告書p22)であり、2015年9月洪水の痕跡水位22.01m(L25.25k)よりも約65cm(2004年以降の10年間の地盤沈下量を考慮すれば70cm以上)も低かったのですから、掘削がなかったとしても、実際に起きた溢水と同程度の溢水が起きたと考えるべきです。

若宮戸の河畔砂丘にも計画高水位より低い箇所があった(鬼怒川大水害)に書いたとおり、若宮戸地区において2箇所で計画高水位以下であったことは、2003年度にサンコーコンサルタントが下図を示して指摘していることであり、「洪水時には堤内地は冠水してしまう」という予言が当たったのです。しかも、計画高水位より約28cm低い水位の洪水で。

冠水状況平面図

●河畔砂丘は2004年には危険だった

以下では、若宮戸地区の地形の状況が2004年1月と同じ状態が2015年9月まで保たれ、かつ、河畔砂丘の大規模掘削がなかったと仮定した場合に、どのように洪水が流れたかを考えてみます。逆に言えば、2015年9月洪水が2004年に来た場合にどうなるか、を考えます。

計画高水位程度の水位の洪水が襲った場合の危険性は、上図が示しているのですが、2015年9月洪水の痕跡水位は、L24.63k付近で約21.83m、L25.25k付近で22.01m(乙7)なので、22mの等高線に着目して考えてみます。

【上流側溢水箇所】

L25.25kでの痕跡水位は22.01m(乙7)であり、計画高水位は22.350mなので、痕跡水位は計画高水位より34cm低かったことになります。

下図の背景地図は、上流側溢水箇所の2004年1月測量の平面図(測量業者はかつら設計)です。

青矢印は、私が適当に考えた水の流れを示すもので、あまり意味はありません。(学問的に議論するなら、現地に行って、草の倒伏状況等で水流の方向を調べるべきですが、2014年に現状が大きく変更されているので、専門家でも机上論しかできません。)

22mの等高線は、赤でなぞった部分だけなので、水位が22m程度の洪水は、居住地域に近い段差に向かって難なく進み、段差の手前(西)の21mの等高線を乗り越えて、真前の住宅団地に向かって浸水したはずです。

段差の高さは2〜4mはあったと読み取れます。その縁の最も低い部分の地盤高は21.36mであったとされていますが、そこを乗り越えた洪水は、2mの滝となるのですから、たちまち落下地点の砂の洗掘が始まり、砂でできた段差はとろけるようになくなってしまうでしょう。

河畔砂丘が掘削される前は安全だったとどうして言えるのでしょうか。

上流側平面図

22mの等高線を示したついでに書いておきますが、原告側は、「砂丘林の地盤の高さが計画高水位を下回っていたのは,約50mの区間(その最も低いところの高さはY.P.21.3m程度)に過ぎなかった」(原告ら準備書面(2)p5)と主張しますが、約50mという数字は、かなり疑問です。

原告側は、おそらくは、上図の22mの等高線が向き合う間の距離を測って、計画高水位以下の部分の延長が約50mだと主張していると推測します。他に約50mの根拠が見つからないのです。それなら確かに約50mです。

しかし、L25.35k付近の計画高水位は22mではありません。
L25.25kで22.350m
L25.50kで22.440m
です。平均では、約22.40mです。

だから、サンコーコンサルタントは、河畔砂丘のうちL25.35k付近では、計画高水位を超える部分を茶色で着色し、計画高水位に満たない部分を「養鶏場上流の低地部」として、下図のとおり楕円で表示したと思います。

そして、2011年度事業再評価根拠資料(乙73の1)p6では、上記楕円の長軸の距離を90mと読み取って、この距離を「整備延長」としたと思われます。

L25.35k付近で2004年1月時点で計画高水位以下だった区間が90mだったとすると、これを約50mであったと主張することは、危険性を約56%に過小評価することになります。

被告が河畔砂丘の上流側での危険な区間は90mだったと言っているのに、原告側が、いやいや約50mにすぎなかったと主張するのは倒錯した現象のように感じます。

サンコーコンサルタント上流側平面図

【下流側溢水箇所】

L24.63k付近の痕跡水位は21.83mだと推測します(痕跡水位はL24.50kで21.73m、L24.75kで21.93mだから)。

そこでの計画高水位は、22.11m程度だと推測します(根拠:2003年度若宮戸地先築堤設計業務報告書4−5)。

下流側溢水は、計画高水位より約1.85mも低い市道東0280号線の峠部で始まったと推測されますが、最高水位は、計画高水位より28cm低かったことになります。

下流側溢水箇所のL24.63k付近の痕跡水位は21.83mだとすると、22mとの差は17cmですから、やはり22mの等高線を目安にして洪水の水流の動きを推測できます。

下流側溢水箇所付近では、22mの等高線は、下図のとおりです。

常総市道東0280号線より下流では、小さな島のように表示され、22mより高い箇所はほぼないに等しい状況でした。

したがって、市道の下流側では、21.83m程度の洪水は、21mの等高線をやすやすと超えて溢水すると思います。

では、市道の上流ではどうかというと、当該市道から10m程度上流に離れないと22mの等高線は現れませんから、市道付近の流水は、市道を主な流路としておっぽりの地点になだれ込んだと思われます。

要するに、河畔砂丘の下流側においても、2004年1月時点でも、水位が21.83mとなる洪水が来たら溢水したと推測されます。

したがって、2014年2月に河畔砂丘の高い部分を全て河川区域に指定しても手遅れであり、2015年9月洪水には間に合いません。

1966年の河川区域の指定の誤りの修正は、2004年にしたとしても遅すぎたのですから、2014年に指定をやり直しても間に合うはずがありません。

下流側平面図

(文責:事務局)
フロントページへ>その他のダムへ>このページのTopへ