前回記事被告は氾濫域の地形と利用状況を考慮していなかった(鬼怒川大水害)において、鬼怒川大水害訴訟の被告は、2002年度と2007年度の鬼怒川改修事業の事業再評価資料において常総市東部の「被害ポテンシャル」を強調しているからだ、と書きましたが、「被害ポテンシャル」の意味を誤解していたと思います。
「被害ポテンシャル」の意味を明確に定義して議論する論文は少ないように思います。どこかの学生の卒業論文では見かけましたが。
北陸地方整備局は、常願寺川水系河川整備計画において、「常願寺川は扇状地地形および天井川区間の存在に基づく甚大な氾濫被害のポテンシャルを有している」(p55)と言い、「氾濫被害のポテンシャル」を地形の観点から用いています。
また、被告は、2002年度までにも鬼怒川の氾濫シミュレーションを行ってきたと思います。
このような先入観から、被告の言う「被害ポテンシャル」には、地形から見た、氾濫被害の潜在的可能性を含むと思い込んでいました。
ところが、2011年度鬼怒川直轄河川改修事業p16には、「人口、資産が集積しているため氾濫被害ポテンシャルの大きい鬼怒川下流部の堤防整備を行う」と書かれています。
つまり、被告は、地形の観点から「(氾濫)被害ポテンシャル」という言葉を使っていません。
おそらく、被告は、鬼怒川・小貝川低地を地形上の課題だと考えたことはないと思います。考えた形跡が見当たりません。
氾濫シミュレーションはやりましたが、それは住民に早期避難を促すための材料であり、河川整備を進める上での考慮事項だという捉え方をしたことはないと思います。
なぜなら、被災後に作成された利根川水系鬼怒川河川整備計画に、鬼怒川・小貝川低地への対応が課題であるとの認識は記載されていないからです。
また、被災後に計画された鬼怒川緊急対策プロジェクトを説明する資料、『鬼怒川の概要』及び『平成27年9月関東・東北豪雨』についてp10でも、鬼怒川・小貝川低地については、「下流部においては、30kより下流で小貝川との間の左岸側に扇状地氾濫平野が広がり、右岸側は段丘となっている。」という説明だけで、地形の持つ脆弱性については説明しません。
以上により、被告は、被災前はもちろんのこと、被災後も、鬼怒川・小貝川低地という地形が持つ水害への脆弱性を、河川整備事業を実施する際に考慮したことはないと考えた方がよさそうです。
●被災後には地形の脆弱性を広報したが考慮したとは言えない
ただし、被告は、被災後、鬼怒川緊急対策プロジェクトにおけるソフト対策として広報資料を作成しました。
作成時期は記載されていませんが、2015年12月4日に同プロジェクトについての記者発表が行われているので、その頃のはずです。
下図のとおり、p16のタイトルは、「逃げ遅れゼロを目指して地形から学ぶ」です。
下流部について、「鬼怒川と小貝川に挟まれた土地は、川の水面より低く、ひとたび川が氾濫すると水が流れ、たまりやすいところ。このようなところに国道や鉄道が走り、人々が生活しています。」と書かれています。
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被告が鬼怒川・小貝川低地の地形と利用状況を正しく認識していることになります。
被告が鬼怒川・小貝川低地の地形に由来する脆弱性を説明するのは、おそらくは、これが最初だと思います。(2011年度鬼怒川直轄河川改修事業p16において、「事業を巡る社会情勢等の変化」という項目の中で、「下流部ではベットタウン(ママ)として人口が増加しています。流域は人口、資産が下流部に集積しているため」と書かれていていることからも分かるように、下流部での人口・資産の集積を「社会情勢等の変化」として捉えているだけであり、地形の視点は欠落しています。)
しかし、被告は、鬼怒川・小貝川低地の脆弱性は、住民が避難する場合に考慮すべき事項だ(危険な場所だから、氾濫したらさっさと逃げた方がいいですよ)と言っているだけであり、被告が河川整備を実施する際の考慮事項だとは未だに考えていないと思います。
なぜなら、上記のとおり、2016年2月策定の鬼怒川河川整備計画で鬼怒川・小貝川低地の脆弱性を課題とする認識は示されていないからです。
ちなみに、八間堀川の氾濫が鬼怒川大水害の本質と関係ないことは、21k付近の横断図を見ても分かると思います。
●国土地理院は鬼怒川・小貝川低地の地形的特質を知っていた
国土地理院が鬼怒川・小貝川低地の地形的特質を知っていたことはもちろんです。
鬼怒川・小貝川低地のほとんどは、氾濫平野(細かく分類すれば氾濫原)と後背湿地であり、治水地形分類図解説書p7には、「氾濫原(自然堤防地帯)では、破堤(堤防決壊)・越流による洪水氾濫の他、内水氾濫も起きやすくなります。」、「後背湿地は、自然堤防などの微高地によって水の出口を塞がれて排水不良になっているため、わずかな降雨でも浸水しやすく、浸水深・浸水時間ともに大きくなります。」と書かれています。
●被告とは誰か
ここで分からなくなってしまうことがあります。
鬼怒川大水害訴訟における被告とは誰でしょうか。
訴状p2には、
被告 国
上記代表者法務大臣 上川陽子
と書かれています。
国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律第1条に「国を当事者又は参加人とする訴訟については、法務大臣が、国を代表する。」と規定されているので、当然そうなります。
答弁書を見ると、指定代理人は法務省から10人出ています。内訳は、東京法務局から6人(うち訟務検事3人)、水戸地方法務局から4人です。そのほか、関東地方整備局(さいたま新都心)から17人、下館河川事務所から7人です。
被告が1本の準備書面を提出するのに3か月もかかるのは、法務省と国土交通省でやりとりを繰り返すからなのでしょう。
しかし、本来、行政組織内部の縦割りや横割りは関係ないはずです。
そうであれば、国土交通省国土地理院が認識している事項を国土交通省水管理・国土保全局が否定することはできないはずです。
例えば、鬼怒川大水害訴訟で被告は、若宮戸の河畔砂丘を「砂堆」だと主張したのですが、国土地理院が河畔砂丘だと言っている以上、議論の余地はないはずです。
そうであれば、鬼怒川・小貝川低地の脆弱性を国土地理院が知っているなら、被告国が知っているということになりませんか。
そうであれば、答弁書p26の「不知」はウソになりませんか。
裁判所も、国土地理院が言っていることを水管理・国土保全局が否定して裁判所を混乱させるな、という訴訟指揮をするのが筋ではないのでしょうか。
●水害から守るべき区域は明らかだ
『豪雨へのそなえは万全ですか?』のp18は下図のとおりであり、氾濫した場合の浸水範囲、浸水深及び浸水継続時間を図示しています。
鬼怒川の治水とは、常総市東部を水害から守ることであることは明らかです。
ちなみに、飯沼川低地(右図で赤唐辛子のように見える場所。右岸10k付近の背後地)は、浸水深も大きく、浸水時間も長いように示されており、最優先で整備すべき場所のように見えます。
確かに、鬼怒川右岸堤防から5kmほど北上すると沼を埋めた干拓地になっており、低地であることは事実ですが、農用地がほとんどであり、干拓地以外の場所も人家は盛り土の上に建っていると思われ、右岸堤防を改修の優先順位の高い場所とすることが妥当とは思えません。
下図の目的も「逃げ遅れゼロを目指して」ということであり、被告は、下図を整備の順番と結びつけようという発想を持っているとは思えません。
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●17k問題を無視していることも地形を考慮していないことの証拠だ
被告が地形を考慮しないという現象は、鬼怒川・小貝川低地の問題だけではありません。
一つは、以前から書いてきたことですが、利根川からの背水の影響が17kまではあるということです。本当かどうか知りませんが。
新河川法が制定されてから最初の利根川水系工事実施基本計画である、1965年度版には、「利根川の背水の影響を受ける約17kmの区間については堤防の拡築を行ない」(「利根川百年史」p978)と書かれており、その30年後の1995年度版にも「利根川の背水の影響をうける約17kmの区間については、堤防の拡築及び護岸を施工し、洪水の安全な流下を図る。」(p24)と、同じようなことが書かれています。
そして、被告は、2014年頃までに美妻橋(約16.25k)付近までの堤防整備をおおむね完成させたと言います(被告準備書面(5)p16)。
1973年に堤防の規格が格上げになったとはいえ、約17kまでの堤防の拡築を行うことを計画(達成期限を定めないので、正確には「方針」ですが)してから49年経っても築堤が完了しなかったのですから、さすがにのんびりしすぎていて、鬼怒川の地形に着目した上記方針を被告は無視したということです。
●被告の地形・地質無視は他にもある
被告は若宮戸の河畔砂丘という地形についても、まともに考慮してこなかったことは、再三書いたとおりです。
河畔砂丘は堤防類地として最適の地形だったのですから、買収して保全すべきだったのですが、買収が無理だと判断していたなら、さっさと築堤すべきでした。
また、若宮戸は、従来、左カーブの内側で、しかも砂が風で積もる場所なので、自然に地盤が高くなり、溢水が起きるはずのない場所でしたが、1935年の鎌庭捷水路の開削により、右カーブの外側の水衝部となり、洪水の水位は左岸側が高くなり、堆積していた砂も削られる一方となり、危険な場所に一変しましたが、被告がこのような地形の変化を考慮することはなかったということです。
被告は、民有地を使って洪水防御をしようとしたのですが、堤防を自由に掘削していいですよ、という話ですから、うまくいくはずがなく、明らかに誤った管理です。
被告は、ひとの褌で相撲をとることが「河川の管理の一般水準」(大東判決)であるという言い逃れが成り立つのではないかと考えたのか、おそらくは2015年中に、「実態的に堤防のような役割を果たしている地形の調査」(甲17)を実施したのですが、結果は、類似の地形は、若宮戸を含めても、7河川9箇所しかなく、当該地形の区間が約1500mもあり、背後地が広大な面積の氾濫平野と後背湿地であり、そこに人口と資産が集積している箇所は、若宮戸の他になく、鬼怒川の若宮戸における管理形態が異常であり、「河川の管理の一般水準」から逸脱していることが明らかとなったのでした。
上三坂地区の破堤区間では、基礎地盤が砂質土であったことや旧河道の交差部であったことから要注意箇所だったのに、被告は地形や地質を考慮しませんでした。
川幅は、21k付近では約430mですが、その下流は徐々に狭くなり、19.25k付近では約230mになりますから、21k付近は狭窄部の手前であり、水位が上がりやすい箇所だったのですが、被告はこのことを考慮していなかったから、21k付近の危険性が放置されたのです。
地形を考慮しないという被告の姿勢は一貫しています。
そのことは、法令にも判例にも違反します。
その結果、危険な箇所が2015年まで放置されたのですから、氾濫箇所では河川が「是認しうる安全性」(大東判決)を備えていなかったと考えるべきです。