下野新聞ががれき受け入れを支持

2012年4月22日

●下野ががれき広域処理を支持

「がれきの広域処理」の広告が下野新聞に掲載されたに書いたように、3月29日付け下野新聞に「がれきの広域処理」の広告が掲載されました。

4月11日付け下野の「論説」には、「がれき受け入れ」「「国が前に出る」実行を」の見出しで「知事が前向きに取り組む意志を示したことを支持したい。」と書いています。

国(環境省)は、下野に広告料を支払った甲斐があったというものです。

国民が払った税金で国が新聞広告を打ち、国民は自分の払った税金で作られた広告に洗脳される。すばらしいシステムです。

廃棄物は発生源にできるだけ近い所で処理するのが原則だと思います。

今回のがれき広域処理では、廃棄物を移動させる十分な根拠が示されていません。

今まで放射能が100ベクレルを超える廃棄物は核廃棄物として厳重に管理されることになっていたのに、事故後は8000ベクレルまでは焼却しても大丈夫となったことの説明がなされていないのに、多くの国民はなぜ疑問を持たないのでしょうか。

繰り返しになりますが、この問題について感情論で動くのはやめた方がいいと思います。

「絆では放射能に勝てない」のです。

●事実に基づいた判断が必要

4月10日付け下野の投書欄に17歳の高校生が「なぜ被災がれきは受け入れられないのだろうか。人の心の身勝手さが表れていると私は思う。」と書いています。

反対する人を「身勝手」と決めつけるからには、絶対に安全であることが前提だと思いますが、高校生に絶対に安全かどうか分かるのでしょうか。

彼は「被災がれきの放射線量は国が指定している基準を大きく下回っている」(彼の投書)から問題ないと考えたのだと思いますが、「国が指定している基準」が妥当であるという前提での話です。

上記のように、国はある日突然に基準を80倍も増やしてしまうのです。

また、廃棄物を焼却した場合の主灰や飛灰を100%、長期間にわたって管理できるということも前提になっていると思いますが、そのようなことができるのか疑問です。

判断の前提となる事実を国の発表に頼っていて、正しい判断ができるのでしょうか。

他人を身勝手と言う前に、政府の発表が正しいかどうかを判断する能力を養った方がよいと思います。

身勝手と言うなら、自分の世代だけ核発電で電気を使い、核廃棄物という遺伝子を傷つける毒を子孫の世代に押し付ける人たちにこそ身勝手という言葉を投げつけてほしいと思います。

事故が起きれば、国民が命や健康を失い、放射能汚染で国土が失われるのです。

自分の住む場所が汚染されなければ、核発電を使ってもいいという考えこそ身勝手でしょう。

また、身勝手と言うからには、全国でがれきを受け入れれば復興が進むということも前提になっていると思います。

しかし、河野太郎・衆議院議員によれば、がれきの分別作業は地元でやらざるを得ず、辛い作業なので、作業員のなり手が少なく、作業がはかどらないそうです。

そうだとすると、全国でがれきを受け入れても受け入れなくても、復興は進まないのです。

復興が進まないのは、都市計画ができていないからだという説もあります。

メディアリテラシーに関して学校では教えないのでしょうか。

政府やマスメディアの言うことに疑問を持つ教育というものは必要ないのでしょうか。

政府とマスメディアが「安全神話」を振りまいて、国民をだましてきたことを学校では教えないのでしょうか。

素直な子に育つのはいいのですが、高校生のときから、事実に基づいて判断する習慣をつけた方がいいと思います。

●民主党に脱核発電は期待できない

ちなみに、民主党政権に脱核発電は期待できません。

なぜなら、民主党議員に核利権に染まっている議員が多いからです。

「日本を脅かす!原発の深い闇」(宝島社)によると、閣僚や閣僚経験者だけを見ても、川端達夫議員が民主党の「原子力政策・立地政策プロジェクトチーム」の座長(2010年11月1日現在)です。

川端達夫氏は、超党派の「資源エネルギー長期政策議員研究会」にも顧問(2010年2月)として所属しています。

川端氏は、超党派の「原子力特措法に関するフォローアップ議員協議会」の共同座長でもあります。

同じく民主党の「明日の環境とエネルギーを考える会」には、鹿野道彦、安住淳、細野豪志、古川元久、高木義明の各氏が入っています。

4月22日付け赤旗によれば、「09年の政権交代では会から、副大臣や政務官を含めて「総勢26人が閣内入り」(電力総連機関紙)しました。

また、閣僚ではありませんが、民主党の有力議員である小沢一郎氏が会長を務める「財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター」の顧問は、勝俣恒久・東京電力株式会社取締役会長(2011年4月)でした。この組織の設立に尽力したのが平岩外四・元東京電力会長だったそうです。

細野氏の発言を「朝まで生テレビ」で聞いても、東電を破たん処理する考えは毛頭なく、彼は東電の走狗と見てよいと思います。彼が原発担当大臣に任命されていること自体が、民主党政権の目指す方向を示していると思います。

上記赤旗には次のように書かれています。

民主党内で(核発電の)再稼働を提言する、民主党エネルギープロジェクトチーム(PT)も、要職を原発推進の労組出身議員が固めます。

PT座長の大畠元経産省は日立製作所の原発プランと設計者。日立グループの労組が加盟する「電機連合」の組織内議員で、「党の原子力政策の基本方針は自分が起草」と誇ってきました。

PTの下で再稼働の必要性を議論した小委員会の委員長、轟木利治・参議院も「日本基幹産業労働組合連合会」(基幹労連)の組織内議員で、出身の大同特殊鋼は核発電所の部品を受注しているそうです。

「このほか、関西電力労組出身の藤原正司参議院議員、東京電力労組出身の小林正夫参議院議員が、電力総連の組織内議員として国会質問で電力会社の主張を代弁しています。」(上記赤旗記事)。

赤旗によれば、「日本原子力産業協会」(原産協会)の会員企業と「全国電力関連産業労働組合総連合」(電力総連)と傘下の電力関係労組から民主党及び同党議員への献金も莫大だといいます。

枝野幸男・経産省と仙石由人・政策調査会長代行は、東京電力がパーティー券購入で厚遇する議員の上位に位置づけられているようです(1月8日付け朝日)。

民主党政権では、脱核発電は実現しないということです。

民主党の議員が「将来的には脱原発依存」などと時々は言いますが、「将来的」を定義しないで言っているのですから、脱原発依存はしないという意味です。

●核発電所の再稼働は茶番だ

4月19日付け赤旗によれば、「仙石由人政調会長代行は17日の会合「再稼働は基本的に行政執行の問題で、党として意見集約しない」などと発言」したそうです。記事は、「行政の問題は党内論議の対象としないというなら、閣僚でもない仙石氏がなぜ、この間の「再稼働」問題を議論する閣僚会合に参加してきたのか。」と疑問を投げかけます。

確かに行政執行の問題だというなら、党の役員にすぎない仙石氏が口出しする理由はなく、自己矛盾に陥っています。

枝野大臣は、「15日、徳島市内で講演し、国内で唯一稼働している北海道電力泊原発3号機が5月日に定期点検入りするのを受け、稼働中の原発が「5月6日から一瞬ゼロになる」と明言」(4月16日付け下野)しました。

一瞬はゼロになっても、次の瞬間には再稼働するという政府の日程が頭にあって口走ってしまったようです。政府にとって核発電ゼロは、瞬間停電みたいなものです。

枝野大臣は、「「少なくともいったんはゼロになる」と言うべきで、そう言ったつもりだった」と釈明しました。」(4月18日付け赤旗)が、言い間違いに本音が出てしまったということでしょう。

15日放送の報道ステーションSUNDAYで、枝野大臣が「再稼働しないという選択肢もあるのか」と質問され、「当然ある」と答えた映像が流れていましたが、こちらは建前でしょう。

政府が「再稼働ありき」で進めていることは明らかです。

枝野大臣は、再稼働に際して地震や津波への対応が不十分ではないかと言われて、「おそらく100メートルを超える津波が来れば、日本中の原発が全部水かぶって全電源が止まる。それを全部想定するのか」(4月10日のテレビ放送)と言っていました。

だれも言っていない説をでっち上げて、反論して勝って、だから自説が正しいという主張はよくある詭弁です。

それに、国が国民を守る意思があるなら、想定外の津波が来ても大惨事が起こらないように、核発電を一刻も早くやめるのが筋でしょう。

仙石氏は、15日の徳島市内での講演で、「「脱原発依存が実現するまで、真っ暗な中で生活を送るわけにはいかない」と述べ」(4月16日付け下野)ました。

再稼働しないと停電するというわけです。

足りるか足りないかという議論がきちんと検証されていない中で、足りないという前提で論を進めるのは、前提省略型の詭弁です。

政府は、各電力会社の発電能力がどれくらいあるのかをきちんと情報公開して供給能力を明らかにして、足りるか足りないかをみんなで議論するべきだと思います。

これまで公表されてきた電力需給の見通しは、電力会社によるものでしょう。

ダムを建設する際の水需給の見通しと同じで、需要は過大に、供給能力は過小に見積もるのが常ですから、電力会社に見積もらせたら「足りない」という話になるに決まっています。

関西電力が大飯原発を再稼働しないと不足すると言っていることの前提は、2010年のデータと比較しているからです。

しかし、本格的な節電の努力を全くしていない時期の需要量を基準にして推計するのは不当です。

仙石氏は、4月16日、名古屋市内で講演し、「日本の経済、社会は電力なしに生活できないのは明らかだ」(4月17日付け赤旗)と発言しました。だから再稼働が必要だというわけです。

しかし、「電力なしに生活できる」と言っている人はまずいないはずです。

問題は、核発電以外で電力が足りるかどうかの話なのですが、「電力なしで生活できるか」という問題にすり替えようというわけです。

問題のすり替えによる詭弁です。

仙石氏は、4月16日に名古屋市内で講演し、「原発を止めた場合、経済と生活がどうなるか考えなければ、日本がある意味で集団自殺をすることになる」と発言したようです。

人は全く逆のことを言われると、あっけにとられて反論できなくなるものです。全く逆のことを言うのも詭弁の使い手の手口ですね。

「原発を止めるのを集団自殺と云うのだったら、原発事故は「集団虐殺」じゃないですか。」(福島 ふるさと体験スクール やまとだ)。

弁護士出身の代議士が詭弁を並べていることからして、再稼働は茶番ということが分かります。

政府が核発電の再稼働に躍起になるのは、核発電ゼロの期間が長引けば、国民は核発電がなくてもやっていけるということに気がついてしまうからでしょう。

別の次元の理由は、政権の主流が民主党政権を延命させるには、財界の支持を得ておくことが必要と考えたからでしょう。

(文責:事務局)
文中意見にわたる部分は、著者の個人的な意見であり、当協議会の意見ではありません。
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