公務員は自分の仕事に誇りを持てるか

2009-12-16,2009-12-21追記

●組合の教育宣伝ビラから

2009-11-27の「鹿職労ニュース」(鹿沼市職員労働組合の機関紙)に「市長との対話研修」をテーマに「自分の仕事に誇りをもとう」という見出しの記事が載っています。まとめとして次のように書かれています。

まずは自分の仕事のこと

全ての職員が、自分の業務を欠かせないものであると認識し、当然ながらその分野が日々よりよいものになっていくことを考えて仕事をしていると思います。

最近、毎日のように「事業仕分け」がメディアで取り上げられていますが、担当者がやり込められているのを見たり、関係者が抗議の意見などを述べているのを見ると、同情する部分もあります。

なぜなら私たち公務員は、誰もが与えられた自分の仕事が一番と考えて仕事をしているのですから。


●記事は正しいか

上記の文章は正しいでしょうか。

「全ての職員が、自分の業務を欠かせないものであると認識し」ているのでしょうか。

市役所の仕事は、ほとんどが必要なものでしょう。しかし、ほとんど市長の人気取り政策のような仕事もあります。第三子対策事業はどうでしょうか。12月議会では、見直したらどうかという意見が議員から出ているようです。市長が代わるとやめてしまってもよいことがはっきりするような、普遍性のない事業は結構あるのではないでしょうか。

ある仕事が必要だと民意が認めるかという問題とは別に、職員の主観の問題として、例えば、「南摩ダムを造るべきではない」と考えている職員は、市役所の中に相当数いると思われます。それらの職員は、ダム推進室=水資源対策室の仕事はなくてもよいと考えていることになります。(「なくてもよい」というのは、推進のための組織は必要ないということであって、中止した場合の後処理のための組織が必要であることは別問題です。)

それらの職員がダム推進室に異動になったら、「自分の業務が欠かせないものであると認識」できないでしょう。記事の筆者が「全ての職員が、自分の業務を欠かせないものであると認識し」という命題が正しいと主張するためには、南摩ダムを無駄だと考えている職員は一人もいないこと、又は、いるとしても絶対にダム推進室に配属されないことを証明する必要があります。が、そんな証明はできないと思います。

「ダムに反対の意見を持っている職員を人事当局がダム推進室に配属するはずがない」という意見もあるかもしれませんが、いくら監視社会とはいえ、職員の考え方を人事課がすべて把握できるはずもありません。事前にダムについて何も考えていない職員がダム推進室に配属されてから、「こんな仕事はやってはいけない」と考えることもあり得ます。

「あり得ます」どころか、栃木県にしろ鹿沼市にしろ、ダム推進室の職員は、「思川開発事業が中止になればいいのに」と考えていると思います。事実、「鹿沼市は、ハンドルもブレーキもないクルマに乗ってしまったようなものだ」と嘆く鹿沼市のダム推進室の職員もいます。

ダム問題に限らず、自分に与えられた業務を「なくてもいいのでは」と考える職員はいると思います。

かつて自治労は、「国民体育大会は廃止すべきだ」と提案したことがありました。(随分昔の話なので証拠は出せませんが。)自治労でさえ無駄だと認めているのですから、この業務を与えられた職員が「国体なんかやめちゃえば」と考えてもおかしくありません。

したがって私は、「全ての職員が、自分の業務が欠かせないものであると認識し」ているという命題が正しいとは思えません。自分の仕事に大いに存在意義があると思わないとやっていられないというサラリーマンの心理が存在することは分かりますが、公務員がそんな単純な人ばかりで構成されていると決めつけていいとは思いません。

「すべての職員が」と、職員をひとくくりにしてしまう発想に怖さを感じます。組合幹部の価値観を共有できない職員の立場はどうなるのでしょうか。異質として無視されてしまうのでしょうか。「私たち公務員は、誰もが与えられた自分の仕事が一番と考えて仕事をしているのですから。」の「誰もが」も同じ発想で使われています。

約千人もいる鹿沼市職員の考え方が全員同じだとなぜ言えるのか、私には理解できません。

●失礼な話ではないか

「私たち公務員は、誰もが与えられた自分の仕事が一番と考えて仕事をしている」は、正しいでしょうか。

「一番」の意味は、「一番優先順位が高い」とか「一番大事」の意味としか思えません。そうだとすると上記命題は、「私たち公務員は、誰もが与えられた自分の仕事が市役所の仕事の中で一番優先順位が高いと考えて仕事をしている」となります。

公務員とは、自分の仕事を客観視できないのでしょうか。それほど単純な思考の持ち主ばかりなのでしょうか。確かにそういう公務員が多いから、「役人の数は仕事の量とは関係なく増大する」というパーキンソンの法則が成り立つのでしょう。

しかし、市民の目線を持った公務員も少なからずいると思います。「市民の目から見たら、自分の仕事の優先度は低いぞな」と思っている公務員もいると思います。(もちろん一口に「市民」といっても、いろんな人がいるのですが、合理的な考え方をする理想型の市民像を描いて議論することには意味があると思います。)

「私たち公務員は、誰もが与えられた自分の仕事が一番と考えて仕事をしている」とひとくくりで言ってしまうことは、「市民感覚を持った公務員は一人もいない」ということであって、失礼な話ではないでしょうか。

●組合がダム容認なわけ

香川県、名古屋市、東京都あたりでは、職員組合がダム事業に批判的なようですが、ほとんどの公務員労組ではダム容認と言ってよいと思います。少なくとも、南摩ダム、湯西川ダムの計画されている栃木県内の自治体労働者の組合は、沈黙しており、ダム事業に反対しているという話は聞こえてきません。「組合はダム事業に賛成しているわけではない。中立だ」と言う人がいるかもしれませんが、反対する者がいなければ、事業は進んでしまうのですから、反対でなければ容認です。中立なんてありません。

川辺川ダムの反対運動をしている人が、ずっと以前に、ある労組のお偉方に「川辺川ダム反対をしてくれ」と頼みに行ったら、 「農林省の労組も、建設省の労組もあるのだから、ダム反対はできない」と言われたそうです。その背景には、他人のメシのタネの邪魔をしてはいけない、とか、「誰もが与えられた自分の仕事が一番と考えて仕事をしている」のだから、その誇りを傷つけてはいけないという考え方があるのでしょうね。

組合は、ぎりぎりのところでは、市民の利益よりも組合員の利益を優先することはやむを得ませんが、市民の利益も考えるべきではないでしょうか。ほとんどの市役所職員は職員である前にそこの市民なのですから。

職員一人一人が自分の仕事が最優先と考え、人と予算を要求し続けたら、無限の膨張を夢見た帝国軍隊と同じになってしまいます。あるいは、どこかのエセ共産主義国のように、「官公労働者栄えて国滅ぶ」ということになりかねません。

●職員は事業仕分けを

佐藤信・鹿沼市長は、12月11日の鹿沼市議会一般質問で、「職員が自分の仕事を必要性の高いものとそうでないものを考えるように指示している」と言っていました。

要するに、職員一人一人が自分の仕事の一部又は全部の仕分けをしろと言っているわけで、正論だと思います。職員組合委員長出身の市長がそのように言っているのに、組合幹部はついていけないようです。

そう言えば、政府の事業仕分けで、小田原市などの自治体の職員が仕分け人になっていましたが、組合の論理から言えば、事業仕分けは公務員の誇りを傷つけるものであり、自治体から派遣された仕分け人は公務員の風上にも置けない人間という評価を受けるのでしょうか。

●「白髪三千丈」

念のため書きますが、私は、他人の文章の不正確さをあげつらって論難しているのではありません。不正確な文章などどこにでもあり、そんなものにいちいち突っかかっているほど暇ではありません。ほとんどの人が多少の矛盾を含んだ文章を書いているものです。多くの人は矛盾を抱えて生きているのですから。

昔から「白髪三千丈」という言葉もあり、小説や詩の世界では誇張表現は面白いものです。テレビを見ても、「日本人ならだれもが好きなカレー、ラーメン、寿司」などと叫んでいます。そんなものに罪はありません。しかし、フォーマルな文章の中で誇張表現を連発することはどうでしょうか。「すべての○○は○○である」とか「だれもが○○である」といった、悟ったようなものの言い方の背後に短絡思考、異質排除、少数排除の思想を私は感じ取ってしまいます。

確かに、「日本人は○○だ」とか「栃木県民は○○だ」という傾向としての一般論は成り立つと思いますが、「すべての栃木県民は○○だ」と言い切ってしまう人はやはり危険だと思います。

昔、ある教員に「だれだって長嶋茂雄が好きだ」と言われてびっくりしたことがあります。「私は別に好きじゃない」と言いました。大人同士なら反論もできますが、教師がそういう決めつけをしたら、生徒は反論できません。

組合員を教育する立場の幹部が短絡的な決めつけをしていいとは思えません。

●組合が積極的に仕分けをしろとは言ってない

念のため書きますが、私は、組合が積極的に事業仕分けをすべきだとは言っていません。

組合が「この仕事は要らない」と言ったら、雇用機会が減る可能性があるのですから、組合による事業仕分けは組合にとって自殺行為になりかねない危険な行為です。

私が言いたいのは、少なくともよっぽどひどい事業については、組合も不要だと言うべきだということです。そうでないと、市民の利益に反することはもちろん、組合の使命から考えても、そこで働く組合員もくさってしまいますし、無駄な事業に使われる巨額の公費が職員給与の財源を食いつぶし、組合員の利益が害されるからです。

●組合の意見はどっちなのか

福田富一・栃木県知事の南摩ダムに関する意見も時と場合によってころころ変わるので、どこに本心があるのか分かりませんが、組合の意見もまたとらえどころがありません。「ニュース」の執筆者が複数なので完全な意思の統一は無理でしょうが、正反対の意見を書くのはひどすぎませんか。

過去記事「職員労働組合は無駄な事業の廃止に取り組むのか 」に書いたように、鹿沼市職員労働組合は、 「常に正論を主張し、熱気ある運動を展開することを心がけている単組として、(市の)事業を検証の上、不要不急の事業については、大胆に見直しを求めます。 」(2009-07-03鹿職労ニュース)という立場のはずです。

しかし、上記の2009-11-27鹿職労ニュースでは、「全ての職員が、自分の業務を欠かせないものであると認識し」、「私たち公務員は、誰もが与えられた自分の仕事が一番と考えて仕事をしている」と主張しているのですから、不要不急の事業の見直しを当局に求めることなどできないと思います。

組合の意見はどっちなのでしょうか。

●自治労は原発には反対している(2009-12-21追記)

上関原発問題があります。「上関原子力発電所(かみのせきげんしりょくはつでんしょ)は、中国電力が、瀬戸内海に面する山口県熊毛郡上関町大字長島に建設計画中の原子力発電所」(Wikipedia)です。

自治労山口県本部は、原発建設計画に反対の立場で行動しています。

自治労が原発に反対するという実績があるということです。その自治労が、少なくとも栃木県では、なぜダムには反対しないのでしょうか。 原発には反対するが、ダムには反対しないという理由が分かりません。

(文責:事務局)
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