下野新聞は脱核発電ではなかったのか

2011年6月15日

●事実に基づかない文章を新聞が書いた

6月15日付け下野の読者室余話という欄に須田顕一という、おそらくは下野新聞社の社員が「安全神話は崩れたのか」という見出しの文章を書いています。

福島の核発電所事故で「仮に外部電源が津波の損傷を受けず冷却機能が正常に働いていれば、メルトダウン(炉心溶融)が起きなかった可能性は十分にあった。」と書かれています。

なぜこのようなことを書くのか分かりません。

第一に、外部電源は津波が原因で喪失したのではありません。

「東京電力の清水正孝社長は「事故原因は未曽有の大津波だ」((4月)13日の記者会見)とのべています。」が、「原子力安全・保安院の寺坂院長は、倒壊した受電鉄塔が「津波の及ばない地域にあった」ことを認め、全電源喪失の原因が津波にないことを明らかにしました。」(いずれも2011年4月30日(土)「しんぶん赤旗」)。

清水社長と寺坂院長のどちらかがウソを言っていることになりますが、寺坂院長の発言が正しいことは明らかです。

須田氏は、外部電源が津波による損傷を受けたことを前提に、仮に損傷を受けなければという立論をしていますが、外部電源は、津波以前に地震により断たれたのですから、事実に基づかないで立論しています。

新聞社の人間が「仮に外部電源が津波の損傷を受けず冷却機能が正常に働いていれば」と書けば、読者は、今回の事故では津波が原因で発電所の外部電源が断たれたのだと思い込みます。

第二に、このような仮定をする意味が分かりません。

現実には外部電源を喪失して冷却機能が働かなかったのです。

もし冷却機能が働いていれば事故にならなかったのは当然です。

●科学万能主義の傲慢を見る

須田氏は、次のように書きます。

「原発の安全神話が崩れた」として脱原発を模索するのもいいが、千年に一度といわれる今回の大震災の教訓を生かし、文字通り「災いを転じて福となす」の精神を発揮し、世界一安全な原発を完成させ、エネルギー問題を解決してほしい。」

これだけひどい目にあっても懲りない人がいるのですね。

電気を起こす方法はいろいろあるのに、須田氏がなぜ核にこだわるのか理解できません。

核発電は、廃棄物を処理する方法がなく、事故が起きた場合の損害は莫大で、事故から3か月経っても、炉の中の様子さえ分からないのです。

核は、人間が制御できない悪魔のエネルギーと言わざるを得ません。

核を制御できると考えるのは人間が自然界を制服できるという傲慢な姿勢の表れだと思います。

須田氏のいう、地震や津波に耐える「世界一安全な原発」を人間が完成させることができるのだとしたら、その前に地震や津波が起きないようにしたらいかがでしょうか。

須田氏は、「災いを転じて福となす」は知っていても、「神をも恐れぬ所業」という格言を知らないようです。

下野新聞社が脱核発電に転向に書いたように、下野新聞社は脱核発電の立場かと見ていたら、そうではなかったようです。

(文責:事務局)
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