新聞は行政を批判できるのか

2006-12-08,2007-03-12追記

●「企画特集」という名の広告

新聞社がダム行政に疑問を持たないのはおかしいということを「水没すると決めつける下野新聞」で書きました。

「新聞社がダム行政になぜ疑問を持たないのか」の答は、新聞社が国(国土交通省)から多額の広告収入を得ていることではないでしょうか。

例えば、下野新聞は、「とちぎ街道ストーリー」という名の(国)国土交通省の広告を2003年9月30日から29回も掲載しています。1回の広告料が150万円だと仮定すると、全部で4350万円の収入になります。(正確な広告料は、下野新聞に質問しても教えてもらえませんでしたので分かりません。公共事業なのですから、新聞社は事業費を読者に教えるべきだと思います。今後、栃木県や鹿沼市では、公共工事現場の看板に事業費を記載するのですから、新聞社も役所からの広告を掲載する場合には、広告料を紙面に明記すべきではないでしょうか。)

下野新聞では、そのほか、「わがまちわが道」というシリーズも連載中です。仮に30回連載で1回150万円と仮定すると、下野新聞に入る広告料収入は4500万円になります。

「とちぎの地域づくりを考える」というシリーズもあります。20回で単価75万円と仮定すると、広告料は1500万円になります。

「知ってください。災害を防ぐ地域での取り組み」というシリーズは、5回で単価300万円と仮定すると広告料は1500万円。

山本コータローがリポーター役を務める「砂防シリーズ」は、4回と仮定すると広告料は1200万円。

上記の広告だけでも、国(国土交通省)が下野新聞に支払っていると思われる広告料の額は約1億3000万円にもなります。国(国土交通省)は、このような広告を全国の地方新聞に掲載させています。全国紙にも回数は少ないですが、国(国土交通省)の広告が掲載されています。

●民意なき公共事業

国(国土交通省)による広告は、民意なき公共事業です。住民は、あんな広告を新聞に出してくれと行政に頼んでいません。役人が勝手に広告を出しているのです。

新聞社に何十億円も払う金があるなら、堤防の強化をしてほしいと願っている流域住民も多いのではないでしょうか。行政がダムや橋や道路を建設する場合には、それなりの民意の裏付けを用意するものです。ところが、民意の裏付けなしに、ダムが無害であるかのような広告が新聞に掲載され、そのために何十億円も使われているのが現状ではないでしょうか。

行政が説明責任を果たすために新聞広告を利用するなら、必要最少限の税金を使うことも是認されるでしょう。しかし、これまでになぜ南摩ダム、八ツ場ダム、湯西川ダムを建設する必要があるのかが理論的、 科学的に新聞広告で説明されたことはありませんから説明責任を果たすようなものではありませんし、これまでの広告の量は不必要に多いと思われます。

●広告の費用対効果は検証されているのか

見開き全面広告でダムの宣伝を載せても、一体何人の読者が読んでいるのか疑問です。ほとんどの読者は、全面広告をじっくり読んでいる暇はないでしょう。広告の費用対効果を算出するのは困難だとしても、少なくとも「統計的に何人が読んでいるか」くらいは調査すべきだと思います。

●国(国土交通省)はなぜ広告を発注するのか

国(国土交通省)も上記のような広告が地方新聞の読者に真剣に読まれているとは思っていないでしょう。ではなぜ莫大な広告料を払ってまで広告を打つのでしょうか。

答は、新聞社にカネを流すためではないでしょうか。なぜ、国(国土交通省)が新聞社にカネを流すのかと言えば、新聞社からの批判を封じるためではないでしょうか。(推測の域を出ませんが、国土交通省が莫大な広告料を支払っているのですから、国土交通省の職員が広告会社に天下っている可能性もあります。要するに、職員OBを食わせるために有害無益な広告を出している可能性だってあると考えた方がいいと思います。)

●なぜ匿名広告なのか

上記広告は、すべて匿名広告です。だれが広告主か分からないように書かれています。記事の体裁で書かれていますので、記事と誤解している読者も多いと思います。

国(国土交通省)の広告は、なぜ匿名なのかと下野新聞の担当者に尋ねたところ、「国(国土交通省)が匿名での広告を希望するから」との答でした。

なぜ国(国土交通省)は、匿名を希望するのでしょうか。後ろめたさがあるからではないでしょうか。正々堂々と広告であることと広告主を明記しないのは、読者をだまそうという意図があるから、と思われても仕方がないと思います。

●地方新聞社幹部が有識者会議委員に選任されている

2006年12月4日から利根川水系河川整備計画を策定する上で意見を聴くための有識者会議が都内で開催されています。会議の委員に地方新聞社幹部が選任されています。

下野新聞からは、山越克雄論説委員(利根川・江戸川ブロック)、高松晶次編集局地域センター長(渡良瀬川ブロック)、菊池昌彦編集局報道センター長(鬼怒川・小貝川ブロック)が選任されています。

新聞の使命は、報道と批判ですから、新聞社の幹部が行政の内部に入ることは間違っていると思いますが、今のところ、地方新聞社幹部の委員から「委員選任に当たり、国土交通省が住民団体からの推薦を受けず、住民を閉め出したのは時代にそぐわない。住民を交えた議論の場を設けるべきだ」などの意見が出ているようですが、「新聞社が莫大な広告料収入を得ているのはだれのおかげなのかを考えろ」というような圧力が官僚から新聞社にかかるものと思われます。

下野新聞の水沼富美男常務は、「(マスコミ選出の委員が)率直な意見を述べることが(審議会などの)趣旨に合わないということになれば委員を降りるということ」(2006-12-6下野)と勇ましいことを言われますが、逆に「率直な意見を言えずに委員も降りない」という事態に陥らないとも限りませんので、委員の動向に注目が必要です。

地方新聞は、大口スポンサーである国(国土交通省)を紙面や審議会の場できちんと批判できるのかが問われていると思います。

●テレビでは広告と番組を区別するよう法定されている(2007-03-12追記)

放送法第51条の2には、「一般放送事業者は、対価を得て広告放送を行う場合には、その放送を受信する者がその放送が広告放送であることを明らかに識別することができるようにしなければならない。」と規定されています。つまり、CMと番組の区別がつくようにして放送すべきことが法律で決まっています。最近、ドラマとCMの区別が見分けにくい放送があることが問題になっていますが、法律は区別を要請しています。

テレビでは番組とCMが識別できるように要請されているのに、新聞では記事なのか広告なのか分からないような紙面づくりが許されてよいのでしょうか。

●匿名広告は新聞広告倫理綱領に違反する(2008-04-05追記)

下野新聞社自体はどのような倫理規程を持っているのか分かりませんが、日本新聞協会が新聞倫理綱領等を定めていることに今ごろ気づきました。広告関係では、「新聞広告倫理綱領」と「新聞広告掲載基準」があります。pressnetの新聞倫理というページを参照してください。

「新聞広告倫理綱領」には、 「本来、広告内容に関する責任はいっさい広告主(署名者)にある。しかし、その掲載にあたって、新聞社は新聞広告の及ぼす社会的影響を考え、不当な広告を排除し、読者の利益を守り、新聞広告の信用を維持、高揚するための原則を持つ必要がある。」「新聞広告は、真実を伝えるものでなければならない。」と書いてあります。

「新聞広告掲載基準」には、「以下に該当する広告は掲載しない。 1. 責任の所在が不明確なもの。 2. 内容が不明確なもの。 3. 虚偽または誤認されるおそれがあるもの。 誤認されるおそれがあるものとは、つぎのようなものをいう。 (1) 編集記事とまぎらわしい体裁・表現で、広告であることが不明確なもの。 (2) 統計、文献、専門用語などを引用して、実際のものより優位または有利であるような表現のもの。」と書いてあります。

下野新聞社が頻繁に掲載する「企画特集」という名の国土交通省の言い分を垂れ流す記事の体裁をとった広告は、内容的にどの程度偽装があるかはさておき、「(1) 編集記事とまぎらわしい体裁・表現で、広告であることが不明確なもの。」であることは間違いないと思います。

テレビでは番組と広告の区別をつけるように法律が要請していますが、新聞では法的規制はないようです。しかし、下野新聞社は日本新聞協会に加入しているのでしょうから、自分たちで決めた「新聞広告倫理綱領」や「新聞広告掲載基準」は守るべきです。

●「全面広告」と表示しないのは国民を洗脳するため(2007-03-12追記)

週刊金曜日2007-02-16号に「最高裁と電通が仕組んだ”マインド・コントロール” 裁判員制度「タウンミーティング」に重大疑惑」という記事を載せています。「裁判員制度への支持を広めようと、最高裁が巨額の広報予算を使って全国47の地方紙などに紹介記事を掲載させている」というものです。

「昨年度、全国46地方紙と『産経新聞』大阪本社を使い、(裁判員制度に関する)フォーラムと広告、記事を抱き合わせた”世論誘導プロジェクト”に使われた税金の総額は3億数千万円。そのうち、広告掲載料として約1億6000万円が支払われた。」そうです。

最高裁と地方紙の間に入ったのが電通と地方紙連合です。ジャーナリストの魚住昭氏は次のように指摘しているとのことです。「広告減で地方紙の経営が悪化したのを発端に1999年11月、地方紙連合が発足」、「政府が世論形成をしたい場合に開くシンポジウムでは、省庁側から、シンポジウムの特集記事には『全面広告』の表記は打たない、『広告局制作』といった表現も認められないーーーと条件が付けられました。政府広報とわかると広告効果が格段に減るからです。」

国家権力がマスコミとグルになって国民を洗脳しようとしているのですから、たまったものではありません。

インターネットの広告費は2000年以降6倍以上に急増していますが、テレビの広告費は2000年をピークに頭打ちだそうです(2007-03-11赤旗日曜版)。新聞の広告費も2000年以降、6年間で2000億円くらい減っていると思われます。

新聞社にとって「政府広報は、企業広告のように値切られる心配がない「おいしい仕事」」(前掲週刊金曜日p14)ということのようです。広告であることを隠して読者を洗脳しようとする新聞社は読者を愚弄していると思います。そんなことをしていて読者に見放されないでしょうか。

フロントページへ>その他の話題へ>このページのTopへ